「―――愚かな。さっさと逃げていればいいものを……いいだろう。身の程知らずの餓鬼には、私の手ずから誅を下してやる」
魔腕遣いがそう言うと、蛇のようにうねり狂う幾本もの腕が一斉にこちらを向く。
先程まで脱力して開かれていた掌は閉じられ、術者の合図を今か今かと待っている。
「お前たちは、未亡人の相手をしろ。肝心の術者が軽くはない負傷を負っている――今ならお前たちでも勝てる筈だ」
魔腕遣いは屍霊術師集団に命令する。
それを受けた彼らは首肯し、それぞれの支配下にいる屍体に戦闘態勢を取らせる。
その状況に内心、好都合だと喜ぶ。
もし、完全に挟み撃ちのかたちで数の暴力へ訴えられたら敵いようがなかったが、これならばギリギリやりようもある――筈だ。
「蒲牢さん。流石にあのクラゲみたいな屍体を俺だけで倒せると思うほど、思いあがっていません。蒲牢さんが後ろの連中を倒すまで何とか時間を稼ぎます。そっちが終わり次第、俺の方に合流をお願いします」
砲門の如く並べられる拳の群れを存分に警戒しつつ、傍らの蒲牢に語る。
情けない話ではあるが、結局のところ弱者たる自分にできるのは精々が時間稼ぎでしかない。
最終的に敵を倒せるだけの実力があるのは、蒲牢と白虎のコンビだけだ。
「逃げればいいものを……いやもう言っても仕方ないか……。分かったよ、確かに請け負った」
呆れたような恨めしそうな表情で、渋々蒲牢は受諾する。
蒲牢と屍霊術師集団が相対した時の勝率がどの程度かは分からないが、その懸念は無視する。
眼前の魔腕屍体と術師集団――その両方を同時に相手することは出来ない。
いまの戦力が分散されている状況こそが最善なのだ。
俺が正義の英雄みたく全員まとめて倒せるくらい強ければ良かったが、残念ながら現実はそうじゃない。
もし、蒲牢が負けてしまったら――その時は心中だ。
生きていくのを後悔するような地獄が未来に待っているのだから。
「何分、持ちこたえればいいですか?」
分、と言ったのはある意味で懇願だった。
一時間かかるとか言われてしまった暁には、ほぼ詰みが決定してしまう。
あの魔腕屍体相手にとても長時間は持たせられそうにない。
「15……いや、10分で終わらせてみせる」
10分――それくらいなら、なんとかなるかもしれない。そう安堵した矢先。
「何時までペラペラ喋ってんだよ――――ォ!!」
術師集団の一人が激昂しながら、屍体に命令する。
手首から生えたブレードが容赦なく白虎に向かい――その凶刃が届く前にカウンターの拳を喰らわされる。
攻撃の成功に歓喜しかけて――気づく。
以前に視認した時よりも、明らかに攻撃力が落ちていることに。
屍体には目立った損傷もなく、1~2メートル程度後退させたに留まっていた。
拳を喰らった屍体の遣い手が、口の端を凶悪に歪めて叫ぶ。
「――はははッ!!噂と比べて屁でもねぇ!やっぱり弱ってやがるなぁ!!」
やはり、怪我の影響で操作精度に著しく欠陥が生じているのか。
もしかしたら、10分持ちこたえたとしても――。
「僕は少し距離を置く。君が少しでも広い空間で逃げ回れるように」
蒲牢は白虎にお姫様抱っこされて離脱準備を整える。
万全な状態の蒲牢と白虎ならば、正面からでも魔腕屍体と併せて屍霊術師集団を粉砕したかもしれない。
それが今や、戦力を分散させて漸く勝機があるか否か、といった具合だ。
「死んだらだめだよ。花矢ちゃんの想いを無駄にしてはいけない」
そう口にして白虎ごと蒲牢が離れていく。
巧みに術師集団を誘導しながら、50メートル程度先まで瞬く間に移動した。
魔腕遣いはサングラスの位置を整えながら、ゆっくりと口を開く。
「――仕置きを加える前に、互いに名乗りあっておこうか。あの世で誰に殺されたのかも言えないのでは、あまりに不憫だからな」
男は誇り高き決闘の前口上のように高らかと宣言する。
「私の名は、バスティアン・カリエ!駆使する屍体の名はメデューズ!!君を殺す男の名を魂に刻み込め!!」
「こんなとこで死ぬ気はないですけど――いや、死ぬ気はねぇが!名乗られたからには名乗ってやるよ!!俺の名前は岸幕右京《きしまくうきょう》!騙し討ちで有利とったくらいで調子に乗りやがって、吠え面かかせてやるよォ――――!!」
敬語を取り払って、虚勢を張りながら名乗りを上げる。
恐怖を振り払い、相手の一挙手一投足を見逃さないよう集中力を高めていく。
「右京か……よし、覚えておこう。それでは――」
魔腕遣い――カリエは名乗りを聞いて頷いてから、指を弾き鳴らす。
「まずは、これだ」
瞬間、待機してた魔腕屍体――メデューズから放たれる一つの拳。
超速と言って差し支えのない、圧倒的速度で目前まで迫りくる。
拳が鼻先に触れる寸前、身を翻して何とか回避する。
そして、伸びきった魔腕を真っ直ぐと見据える。
蒲牢を負傷させた最初の強襲から推測できることが幾つかある。
まずは、魔腕の伸びる速度は超高速であるが、縮む速度は幾分か劣るということ。
加えて、どんな摩訶不思議な改造を施された屍体だとしても、立派な攻撃手段として確立させている以上、ガチョウ首男のようなただの飾りとはわけが違うはず。
魔腕は蛇のように蠢くような動作を行っていた。
そこから察するに、外面だけは人間の腕をベースに内部は蛇の胴体のような細かい骨に挿げ替えているのだろう。
「……ごめんな」
使役する屍霊術師が悪いのであって、改造元となった屍体達に罪はない。
故に発した謝罪だったが、その感傷と謝罪すら自身の罪悪感を軽減するためのパフォーマンスな気がして歯がゆくなる。
「骨を折ればよお、屍体とはいえ少しは動かしにくくなるんじゃねぇのか――――ッ!」
謝罪して――そのまま直ぐに伸びた腕めがけて拳を振り落とす。
正に渾身の力を込めて放たれた一撃は、容赦なくメデューズの魔腕の一本を破壊――することはなかった。
「な――――!?」
拳が接触した
骨折させることを確信して撃った拳は、空虚な手応えを味わった。
予想外の事態に動揺していると、縮み戻る魔腕が鞭のようにしなり攻撃してくる。
咄嗟に腕でガードしたにも関わらず、数メートル吹っ飛ばされて地面に転がる。
「素晴らしい反応速度だ。こんなに早く見切られたのは記憶にないな」
素直に驚嘆するような声を上げるカリエ。
未だに腕に響く衝撃に耐えながら、推測を修正していく。
先程の腕の感触から察するに、メデューズの魔腕には
屍体の改造――そのことを甘く見すぎていたことを痛感する。
刃物を付けるだとかガチョウの首を縫い付けるだとか、そんなチャチな次元では一切ない。
見た目からなる先入観に騙されて、すっかり皮膚下の内部構造に関する推測が的外れになってしまっていた。
「馬鹿か俺は、見た目が人間の腕であることにイメージが引っ張られすぎた。ましてあれは蛇みたく細かい骨があるわけでもない――あれは、まるで頭足類の触手!イカタコの部類か!!」
骨がゴムになっている訳でもあるまいに、骨があっては伸びて縮む動作など、どだい不可能な話だった。
図らずも清少納言と海月の骨の話を思い出す。
海月のような見た目のメデューズ相手に、その骨を探そうとすること自体が愚かだった。
前提の見積もりから考えが甘すぎた。
伸び縮みするのに骨が邪魔なら外してしまい――そうなっても動けるように頭足類の筋肉に挿げ替える。
倫理観を無視さえすれば、実に合理的な人体改造だが――よくもまあそんな事を思いつくものだ。
「ほう、察しがいいな。如何にも、メデューズの腕には一切骨が通っていない。内部に搭載されているのは、その殆どが頭足類の筋肉を繋ぎ合わせたものだ」
当初の作戦では腕を何とか一本ずつ破壊して、相手の戦闘継続力を削ぐことが目標だった。
骨折させるのは不可能だとすると、刃物による切断くらいしかやりようがないが――手元にナイフの類は所持していない。
「伸びる時よりも縮む時の方が幾分か遅い事にも気づいているようだな。大方、その隙をついて腕を一本ずつ骨折していく算段だったのかね?」
作戦が不作に終わった以上、気付かれたところで最早問題はない。
「それならどうした」
「うむ。発想は悪くないが些か常識的すぎる。屍体によっては通じることもあるかもしれないが、そもそも魔力によって屍体を操作する屍霊術師という非常識への対応策としては、余りにも常識的すぎる」
そんな風に余裕綽々に語る様子のカリエを睨みつける。
「はっ!講釈垂れるほど余裕ぶってると、直ぐ足元すくわれっぞ」
「講釈?いやこれは忠告だよ。君は数多の企みを企てるといい、数多の試みを試すといい。私はその総てを、真正面から全力の暴力によって叩き潰す」
表情を変えず、ただ淡々と行われた宣言。その冷静さがこちらの恐怖を煽る。
「では、次は数を増やしてみるか?」
カリエの声に反応して、十数本の拳が発射準備を整える。
一本の魔腕すら攻略できていない現状で、それほど多くの攻撃を同時に喰らえばどうなるのか。答えは言うまでもなく――――、
「横殴りの雨に撃たれて――――死ね」
その言葉を皮切りにメデューズから放たれる拳の雨。
無数に生えている魔腕による時に全く同時に、時に不規則なリズムで繰り返される連撃。回避困難な連打が、何度もこちらの身体を撃ちつける。
「が――――ッ」
砂煙が上がるなか、されど止まらない暴力の驟雨《しゅうう》。
一発一発喰らうたびに、激痛でのたうち回りそうになるが――そうする前に更なる暴力が浴びせられる。
伏せることすら許されぬ絶対的な
踏み出そうすれば脚が、身体を翻そうとすれば腹が、向こうを観察しようとすれば顔面が、圧倒的暴力の餌食となる。
腕で頭部を護ることに専念し、辛うじて意識は失っていない。
だがそれは、意識があるうちはこの痛みから逃れられないことも意味していた。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――。
絶え間なく浴びせられ続ける暴力。
それは最早、大雨の中に放り出されたなんて生易しいものではなく、縦横無尽に降り注ぐ瀑布の中にいるようだった。
無限に感じられる時間が過ぎ、メデューズの拳が停止する。
晴れた砂煙のなか辛うじて立ててはいたが、限界は限りなく近い。
寧ろ未だ倒れていないのが、自分でも不思議なくらいである。
「ほう、やるじゃないか」
カリエは感心したように微笑む。
端から見れば見るに堪えない一方的な戦闘を繰り広げておいて、何を呆けたことを言っているのかと憤慨する。
「あれだけバカスカ好き勝手に殴っておいて、なにが――」
「だからこそだよ。あれだけ喰らって気を失っていないとは驚いたよ。それに――4発、意図的に躱したな?」
「――――ッ」
事実だった。
少しでも体力を温存するために回避を試み、その幾つかは成功していた。
尤も、向こうから視認した際に偶然当たらなかったと思われる様に、自分なりに注意していたし、そもそも舞い上がる砂煙に隠れて詳細な状況などわからなかった筈なのだ。
「なんで……?」
「砂煙に隠れれば直撃したかどうか、分からないと思ったか?舐めるなよ右京。例え目を閉じていようと、音さえ聞けば……メデューズの連打がどれだけ当たりどれだけ外れたのか、どのように攻撃を防いだのか――把握することは難しくない」
余りにもシンプルな回答、故に実感する。
目の前のメデューズと呼ばれる屍体こそが、最も警戒しなくてはいけない対象――その考えの致命的な欠陥を、骨の髄から痛感する。
見縊っていたつもりはないが、このカリエという屍霊術師も十二分に脅威。
ほんの少しのやりとりだけで、幾度の死線を潜り抜けた歴戦の猛者であることが推し量れる。
「どうやら、動きから察するにそれなりに喧嘩慣れ……いや乱闘慣れしているのか?そうでなければ、縦横無尽に襲い来る拳を一般人に回避できまい。まあ、その程度では私とメデューズには届かないが」
こちらからすれば一方的に殴られているだけなのに、その様子からでも分析できることがあるらしい。
格の差がありすぎて嫌になってくる。
しかし、このままでは一矢報いることすら出来そうにもないのも事実だ。
悲鳴を上げる身体を無視して、只管に頭を動かし現状打破の策を考える。
「だが、その驚異的な耐久性《タフネス》は厄介だな。では次は、こういうのはどうだろう」
再び標準を定める砲門が如く、一斉にこちらを向く無数の拳。
あの超怒涛の連打による痛みを想起し、瞬時に身構えると――放たれた魔腕は4本のみ。
身体に走った緊張に対し、魔腕の数が少なかったため肩透かしを喰らいつつ、咄嗟に回避行動をとる。
「――ッ」
一本だけ回避損ねて腹を殴打されたが、先ほどの集中連打に比べれば流石にマシだ。
直ぐに体勢を立て直して、相手を見据えると続々と魔腕が襲ってくるのが見える。
但し、やはり集中攻撃ではなくタイミングをずらしたような攻撃が続く。
それらの攻撃に対して、只管に回避を試み続ける。
時に避けきれず直撃することもあるが、空間を広く使って走りながら行う回避の成功率は悪くない。
先程の集中攻撃よりも明らかに当て辛くなっている筈。
それにも関わらず、全ての拳での同時攻撃はしてこない。
一瞬意図が分からず、困惑して、気づく。
「時間差攻撃……ッ!!逃げ回らせて、こっちのスタミナを削るのが目的か!」
「その通り。集中的な連打ではなく、散らしてみよう。精々、逃げ惑いたまえ」
頻度は少ないが絶え間なく続く拳の雨。
驟雨というより細雨といったところだろう。
一つひとつを回避するのは困難であれど不可能ではない。
だが、それが連続となると体力の消耗は著しい。
「――ッ」
既に息が上がってきた。
不規則的に襲い来る魔腕を只管に動きまわって回避を続ける。
その回避精度が徐々に損なわれていく。当然、少しずつ拳が直撃することは増えていき、そのダメージが更なる隙を生む悪循環。
人間が全力疾走を継続できる限界は40秒前後だと――何かで見聞きした覚えがある。
走破に40秒以上かかる400メートル走は、正しく人類の限界に迫った陸上競技であり、慣れないうちは走り終わった後に倒れることも珍しくないという。
40秒――その少なすぎるタイムリミット。
40秒という時間を消費し回避を続けても、蒲牢と約束した10分という目安にはとても届かない。
実際のところ、殴られたダメージもあるわけだから限界はもっと短い筈。
タイムリミットが過ぎる前に、打開策を見つけなければ死に追いつかれる。
そのことを理解しつつも、どうしても眼前に迫る魔腕への回避に意識を集中してしまい、策を弄している余裕がない。
「――――ぁ」
そして、ついにその瞬間は訪れた。脚に力が入らず、意図せずに体勢を崩して膝をつく。当然、迫りくる拳の群れは一切の容赦なく殴打を行う。
疎らだった拳の群れは、徐々に数を増やし威力を増やしていく。
再び味わう暴力の驟雨によって、全身に耐えがたい苦痛が走る。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――。
全身をうちつけられてなお意識を失えず、只管に苦痛に耐え続ける。
攻撃が止んだ時には、全身には夥しい打撲痕によって悪趣味に彩られていた。
ダメージによって震える身体で、吹き出た鼻血を何とか拭い去る。
身体は仰向けに倒れ、未だ立ち上がることは出来そうもない。
「あの女の為に命を懸けたのも、どうやら無駄骨だったようだな。最期に言い遺すことはあるかね?」
強かに行われる勝利宣言。
当然だ、戦闘開始から今までずっと向こうのワンサイドゲームだったのだから。
今はどれだけ時間を稼げたのだろうか。
蒲牢に報いる為に一秒でも長く時間を稼がなくてはならない。
理性ではそう思いつつ、胸中に浮かび上がるのは悔しさだ。
良いようにやられて、好き勝手にやられて、一矢報いることも、恩人に報いることも出来ていない。
こちらから唯一成功したのは、回避後に隙をついて行った一撃だけだ。
だが、それも一切ダメージを喰らわせることが出来なかった。
あれでは、一矢報いたとすらいえない。
「畜生」
小声で、蚊の鳴くような声で呟く。
自分自身の脆弱さに何度打ちひしがれて尚、この苦痛には慣れそうもない。
俺に、あの強さがあったのなら。
船内で屍霊術師集団に襲われた際に、軽くあしらっていた白虎のような強さがあったのなら――、そう思わずにはいられない。
メデューズは伸縮自在にして自由自在の可動を魅せる魔腕を携えている。
その攻撃の手数は圧倒的で、とても術者の近くまで到達する隙を与えてくれない。
メデューズを攻略し、現状を打開することが出来る策などあるのだろうか。
「そうか、そうだった」
瞬間、気づく。
乾坤一擲、最期の策が閃いた。それは、策と呼ぶには余りにも無茶苦茶で、不格好で、常識外れの戯言のようなものだった。
だが、どちらにしても身体は限界で、あと数秒間運動を行えば今度こそ気絶してしまうだろう。
ならば、試すだけ試してみよう。
あらゆる企みを企てて、あらゆる試みを試し、一瞬でも多くの時間、この屍霊術師を自分に釘付けにする。
その覚悟を改めて魂に刻み込み、立ち上がろう。
死んだとしても、全力を尽くして死んだんだって、せめて皆に胸を張れるように。