死屍累々   作:峠坂

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葉射島(1)

 

 

 太平洋上に浮かぶ葉射島(はいるとう)は、一応は東京都に区分される有人離島である。

 人口は三千人程度、目を引くような産業はなく、大抵の人は名前すら聞いたことがないような地味な島だ。

 

 実際、両親の離婚に伴う引越しがなければ岸幕右京(きしまくうきょう)は葉射島の土を踏むことは無かっただろう。

 住めば都とはよく言ったもので、移住前に抱えていた不安感やら寂寥感やらは、殆どが杞憂に終わっていた。

 

「あれ、右京くん?今帰るところ?」

 

 葉射島における数少ない教育機関である葉射高等学校の昇降口でばったりと遭遇した少女――蘇木花矢(そのぎかや)は何やら珍妙なモノを見つけたような眼差しでこちらを見ていた。

 

「それはこっちの台詞でもあるぜ、優等生。今日は終業式で午前授業だったはずだけど?」

 

 二人とも午前授業にしては遅い帰宅となったが、それでもまだ時計は14時を回ったばかりである。

 寧ろ太陽は今こそとばかりに燦々と輝きだし、ボコボコのアスファルトを覆う様に薄い陽炎をつくり出していた。

 

「私はちょっと先生に頼まれ事されちゃってさ、右京くんは?」

 

「こっちも似たようなとこ。生徒補導の先生から、あれこれ色々重なった校則違反を揉み消してもらう代わりに、体育倉庫の掃除を仰せつかってたんだ」

 

「……それとこれを似てると言われるのはちょっと、いや結構心外かも」

 

 などと不満気に眉を顰める花矢と並んで昇降口を後にする。

 数少ない同級生かつ通学路が途中まで一緒ということもあり、毎度ではないにせよ、たわいもない雑談を交わしながら共に帰路につくことが時折あった。

 

 まあ実際のところ、学校近くの雑木林を突っ切って帰るのが一番の最短ルートではあるのだが、整備されていないそこを歩いて帰ることは滅多にない。

 制服を汚す可能性を取るくらいなら、多少迂回路だとしても通学路を通って帰ることを心がけている。

「明日から夏休みだけど、正直この島じゃあ遊べる場所が少なすぎて都会っ子の右京くんからすれば、暇で暇で仕方ないんじゃない?」

 

「いや、そんなことないさ。俺からすればこの島で過ごす始めての夏だからね。自分なりに満喫しようと思っているよ」

 

 何せ周囲を海に囲まれているのだ。釣りやら素潜りやら、海を活用したアクティビティは幾らでもある。

 

「そっか……ふーん」

 

 微笑んでいるような悩んでいるような、曖昧で形容しがたい表情を花矢は浮かべる。何か普段と異なる雰囲気を感じつつも、その原因は分からない。

 

「ねぇ……右京くん、もし、もしもだよ?もし良かったらなんだけど、『夏祭り』とか、一緒に行ってみない?」

 

 故に彼女からの提案は、正に寝耳に水というか、予想だにしないものであった。

 ――夏祭り。去年の秋頃に葉射島に引っ越してきた身からすれば、未経験のイベントである。

 無論、生まれ故郷で開催されていた夏祭りは幾度となく参加しているが、地元以外の夏祭りなど態々出向きもしない限りまず体験しようもない。

 

「夏祭り!そうだった、存在を完全に忘れてた」

 

「そう、第二土曜と第二日曜の二日間。まあ、その、嫌なら全然、気にしなくていいから断ってくれれば……」

 

「いやいやいや、行くよ。誘ってくれて有難うな」

 

 どんどん表情を曇らせて俯き始めた花矢を、制止する様に慌てて声を上げる。

 

「本当!? 良かったー、何だか柄にもなく緊張しちゃった」

 

 明るく微笑む様子を確認し、内心胸を撫で下ろす。

 彼女が冷静沈着なようでいて、実際のところ案外小心者であることは、これまでのコミュニケーションの中で察しがついていた。

 

 そんな怯えなくたって、無下に断ったりはしない。

 付き合いの悪い方ではない、と少なくとも己では自負してるのだが。

 

 通学路の途中、視線の先に拡がる海の反射光に目が眩む。

 強く輝く鱗のような光の群れの中を突っ切る様に、小さなひとつの影(・・・・・)が細めた視界に映る。

 まるで太陽に存在する黒点のように、光の中を悠々と進む影。

 

 それは一隻の大型船であった。

 大型船は音のない静かな海のうえで、自己の存在を誇示するように汽笛を響かせる。

 

「なんだか珍しいね?」

 

「そうか? 船なんて毎日のように通るじゃないか」

 

「それはそうなんだけど、あれ定期船じゃあないでしょう? 不定期の大型船がここいらを通るなんて珍しいから」

 

「……花矢は定期船の見た目をいちいち覚えてるのか?」

 

 今までの数ヶ月の間で、船舶観賞を趣味としているなんて聞いたことは無い。

 そして花矢の場合、このテの話はなにも今回が初めてじゃなかった。

 

 彼女は以前にも自身は全く興味のない家電の型番や、昔に一度訪れただけの街の時刻表なんかをツラツラと言い当てたことがある。

 周囲と比較してずば抜けた記憶力には、只々感服するしかない。

 

「相変わらずの記憶力だな、優等生さん。少なくとも俺は船なんて、大きいか小さいか白いか白くないのか、程度にしか認識してないぞ」

 

「こんなの大したことないよ。憶えてるだけじゃあ、あんまり意味ないもの。記憶っていうのは、活用することに価値があるんだから」

 

「……そういうの聞くと、益々優等生然って感じだけどな」

 

 謙遜する様子すら優等生な態度を崩さない花矢に思わず苦笑していると、前から自転車に乗った青年が近づいてくる。

 それは葉射島唯一の駐在である兵助(へいすけ)だった。

 

「お、なんだ? 右京はともかく花矢ちゃんまで学校(ガッコー)サボってんのか?」

 

「ともかくってなんだ、ともかくって。今日が終業式だっただけだよ」

 

「兵助さん、お疲れ様です。パトロールですか?」

 

 花矢の言葉に兵助は困ったような表情を浮かべる。

 そして、少しだけ躊躇ったあと口を開いた。

 

「いや、実は妙な通報があってな。なんでも明朝に死んだ犬がさっき生き返って、そのままどっかに逃げちまったって話なんだ」

 

「亡くなった犬が……?」

 

「通報された方の見間違い……なんじゃないんですか?」

 

 あまりにも突拍子のない話に二人で困惑する。

 

「まあ、十中八九そうなんだろうが、起き上がって走り去る犬の姿を家族全員が目撃したって言うんだよな。電話越しでもえらい剣幕で語られたもんだから、なんか真に迫るというか、思わずひょっとしたら……なんて」

 

 そこまで話して、こちらの戸惑いに気づいた兵助は微妙な雰囲気を断ち切るように無理矢理いつもの笑顔に戻る。

 

「まあ、一旦通報のあった家まで行って、改めて話だけでも聞いてみるかと思ってな。そうすれば、本人たちも冷静になるだろうし。ついでに、飼い犬が単に逃げちまって行方不明って話なら、捜索願いポスター用に写真提供をしてもらわなきゃならねぇしな」

 

「そうですね、それがいいと思います。ポスターが張り出されたら、似た犬がいないか注意しておきますね」

 

「おう、そうしてくれると助かる。あ、あと今聞いた内容は他言無用だからな。あれこれと言いふらしたりしないでくれよ?一応は通報内容はプライバシー的に保護されるもんだしな」

 

「おいおい、俺たちに話してよかったのかよ」

 

「そらあ良いわけねぇけどよ、誰かに聞いてもいたくなるのも分かるだろ?」

 

 そう言う兵助に首肯こそしなかったが、正直内心では共感していた。

 奇妙な通報内容を自分だけが抱えている、というのはきっと何とも気味が悪いことだろう。

 

「じゃあ、二人とも暗くならないうちに帰るように」

 

「おっけ、兵助も慌てすぎて躓かないようにな」

 

「お疲れ様です。お気をつけて」

 

 そんな風にやり取りをして兵助は再び自転車を漕ぎ始める。

 自慢の健脚によって生み出されるスピードは、あっという間に彼の姿を豆粒に変えてしまった。

 

「何だか妙な話だったな。まあ大方、まだ生きていたのを早とちりして亡くなったと思い込んでいただけだろうけど」

 

「んーどうなんだろ?」

 

 どこか釈然としない様子だった。

 顎に指をかけ、考えを整理するような仕草をとる。

 彼女がオカルトやら都市伝説やら街談巷説やらを信じるイメージはなかった。

 しかし、それらを安易に否定するイメージもなかった。

 

 だから、イマイチ煮え切らないどっちつかずの態度はある意味イメージ通りではあったのだけど、この手の話で何かを考えるような仕草をするのは珍しい。

 

「なんだよ?何か気になることでもあるのか?」

 

「……多分、亡くなった犬って、うちの近所の後藤さんのとこの子だと思うの。今日学校来る前に、うちの母さんと後藤さんがそんな話をしていて⋯⋯」

 

 花矢には亡くなった犬に心当たりがあった。

 もちろん、兵助の言う犬が本当にその犬なのかは分からない。

 近所で亡くなった犬と兵助が語った蘇生した犬、それらをイコールで結ぶ証拠は何も無い。

 

「その時、私確かに見たんだ。昼間なら日当たりの良いであろう縁側に伏せるように安置された、その子を。タオルに包まれていたから身体の大部分は見えなかったけれど、片方の前足が有り得ない方向に曲がっていたのを、確かにこの両目で」

 

 証拠など何も無い。

 後藤さんの犬と蘇った犬を結びつけるのは、ただの推論であまりにも暴論だ。

 そんな事を蘇木花矢は決してしない。

 

 故に彼女は推論でも暴論でもなく、ただただ自身が見たままを語ってみせた。

 

「私にはとても生きているようには見えなかった」

 

 そう締めくくられた語り口に思わず息を飲む。

 兵助の話も花矢の話も、ただの勘違いと切り捨ててしまってよいのかという思いが、沸沸と湧いてくる。

 

 死んでいるのも蘇ったのも、何もかも勘違いだと切り捨ててよいのだろうか。

 なにか何処かで見落としはないだろうか。

 

 こちらの疑念が形になり、言葉として発せられるより早く、花矢は声をあげる。

 

「なんて、大真面目に深く考えることでもないよね。もし生きてたなら、喜ばしいことだし。 あ、でも怪我してるなら早く見つけてあげないと可哀想だね」

 

「ああ……そうだな。確かにそうだ」

 

 彼女の言葉は正にその通りだった。

 

 兵助の話の犬と花矢の話の犬。

 その犬がイコールで結ばれた同一存在だろうとなかろうと。

 蘇生の話は眉唾だとしても、実は犬が生きていたということには他ならないし、それならそれで良いではないか。

 

 これに何か怖気を感じたり疑念に思うことの方が、筋違いで不謹慎極まりない行為である、と自分自身を納得させる。

 

「あ、私の家こっち方面だから」

 

 通学路の途中、別れ道に差し掛かる。

 通学路はもう暫く続くわけだけど、花矢と通学路が共通する部分はこれにて終了である。

 

「そっか、じゃあまたな」

 

「うん、夏祭りの約束忘れないでよ?また連絡するから、絶対来てよ?」

 

「分かってるって」

 

 それだけ短く交わして、それぞれの帰路へつく。

 海の反射光に淡く照らされた道を歩きながら。

 

「そういえば夏祭り……他に誰が来るのか聞いてないな。共通する友達だと光秀とか阿子とかが来るのか?まあ、あとで連絡すればいいか」

 

 最期まで話を詰められずに終わってしまったことに気づく。

 何日の何時に約束なのかとか、諸々含めてあとから連絡しなければ、と頭の中のメモに書き加えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 岸幕家は葉射島の南東寄りの高台にある。

 無論、豪邸だったりはしない。二階建ての極々一般的な住居である。

 もともと父親の実家であり、家の改築などを繰り返しながら何代も前からこの土地で暮らしていたらしい。

 

「ただいま」

 

 玄関扉を開けて、口にした言葉に返事はない。廊下を通って居間まで行くと、ソファーに沈み込むようにして寝る父の姿があった。

 父、岸幕諒(きしまくりょう)は辛うじて薄く目を開くとほんの僅かに微笑みを浮かべる。

 

「おかえり。お昼は冷蔵庫にあるから好きに食べなさい」

 

 そして役割を終えたとばかりに瞳は閉じられ、言葉を発した直後だというのに口から出るのは寝息へと変わっていた。

 夜勤明けである為、平日の昼間から寝てようとだらしない格好とは思わないが、ソファーで寝ているのはいただけない。

 

「父さん、寝るならソファーじゃなく部屋で寝なよ。今日も夜勤なんだろ?」

 

 促す声に反応はない。

 小さく溜息をついて、部屋まで連れていくことを早々に諦める。

 こんな日は一度や二度じゃないし、当の本人が熟睡しているのを無理矢理叩き起すのも気が引ける。

 

 冷蔵庫から焼きそばを取り出して電子レンジで温めなおす。

 食事のお供に麦茶を注いでいると、外から啼き声が聞こえてくる。

 

 濁音混じりの不快な啼き声だ。

 

 窓に目を向けると物干し竿の上に一匹の鴉が停まっていた。

 鴉は何度も辺りに木霊するように発声を続ける。

 

「やけに五月蝿いな、最近のカラスは」

 

 苦々しく思っていると、むくりと父親が起き上がる。

 鴉の啼き声の騒々しさをおもえば寝ていられないのも仕方ない。

 

「災難だね、耳栓使う?」

 

 なんて冗談めかして笑った自分とは対照的に、父親は頬を緩ませずに身支度を始める。 

 夜勤が始まるまでまだ時間があるはずだけど、早々に家を飛び出さんとする。

 

「ちょっと待った。どうしたんだよ、そんなに慌てて。夜勤までまだまだ時間はあるだろう?」

 

 そう引き止めようとした言葉に、一瞬立ち止まった父親は首だけ動かして振り返る。

 

「右京、今日はもう家から出るな。大人しく勉強でもしていなさい」

 

「今日?まあ別に外に出るつもりもなかったけど、なんだい藪から棒に」

 

「何でもないさ。ただ父さんはちょっと早いけど仕事に行ってくる。お前は、何も気にする必要はない」

 

 それだけ交わして、家を後にする。

 遠ざかり、そして直ぐに扉に遮られて見えなくなった父の背中。

 

 いつも気怠げでマイペースな様子を鑑みるとらしくなかったし、ただただ突然の行動に困惑していた。

 

「なんなんだ、一体?」

 

 昔からあれこれ不用意に語る方じゃない――良く言えば寡黙な人ではあったが、ここまで一方的に話を切り上げてまで先を急ぐ事は珍しい。

 余程、急ぎでの大事な用事があることを思い出したのだろうか。

 

 一人になった家で温めた焼きそばを頬張りながら、今日のことを思い出す。

 何故だか妙な事が続く。

 

――――いつの間にか、鴉は啼き止んでいた。

 

 

 

 

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