死屍累々   作:峠坂

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葉射島(2)

 

 

 岸幕右京と別れ、一人帰路につく蘇木花矢は何時にもまして上機嫌であった。

 彼と夏祭りを一緒に行く約束を無事に取り付けることが出来たからである。

 

 らしくもなく口笛なんて吹いちゃって、今にも小気味よく踊ってしまいそうになる。

 

 メッセージアプリ越しではなく、どうしても対面で誘いたかったが、その望みが成就したのも幸いだった。

 対面で誘いたくとも、彼の周りには常に誰かしら人がおり、休み時間だろうと放課後だろうと自然に二人きりになるのは困難だった。

 

 だが、終業式のある意味ラストチャンスである今日、彼と私の下校時間が一致するという偶然によって待望の機会が巡ってきた形であった。

 勿論緊張はあったが、それ以上の達成感と胸のときめきを今は感じている。

 いまはただ、この歓喜を思う存分堪能していたい。

 

 しばらく歩いていると、鈴木と書かれた表札を目にする。

 自宅は直ぐ目と鼻の先であり、よくご近所付き合いをさせてもらっている家である。

 

「そういえば……」

 

 想起するのは、平助の発していた言葉と今朝目撃した包まれた犬の遺体。

 その奇妙な謎の中心である家の前まで到着していた。

 といっても、平助の語っていた通報内容が鈴木家のものとは限らないが。

 

 悪いと思いつつ、チラリと庭先を覗き込む。

 丁寧に整備された庭には、駐在が愛用する自転車が停められていた。

 

「やっぱり、鈴木さんの家だったんだ」

 

 そう呟きながら更に観察を続けると、今朝との相違点が見つかった。

 登校時に確かに視認した筈の包まれた犬の遺体は痕跡を残さず消失していたのである。

 

 無論、ずっと安置しておくわけにもいかないだろうし、折を見て室内に戻したのだろうが平助から伝えられた通報内容とリンクして変な想像が沸き立ってくる。

 

「もしかしたら、本当に亡くなったわんちゃんが蘇ったとか……?なんて、有り得ないか……」

 

 自分の中で沸々と湧いてきた想像を否定して、再び帰路へと突こうとした時。

 家屋の中から音がした。最初は物音かと思ったが、よくよく聞くと犬の鳴き声のようにも聞こえる。

 普段聞く犬の鳴き声と比べると常軌を逸しており、滅茶苦茶な調律を施された楽器を聴いている様な不快感があった。

 

「わんちゃん……?無事だったの……?」

 

 庭先に侵入し玄関を開けて、真実を確かめることは流石にできなかった。

 戸惑いつつも、再び帰路へとむけて歩き出す。

 聴こえてくる犬の鳴き声を振り切るように、自宅へと逃げ込んだ。

 

 屋内へと入り、閉じた玄関扉に背を預けて深く深呼吸をする。

 いつの間にか汗をかき、息が上がっていた。

 右京を夏祭りに誘った時とは、また別種の緊張が全身を覆っていることに気づく。

 

「何を怖がっているんだろう、私……」

 

 自嘲するように呟いて、力なく微笑む。

 常識的に考えて有り得る筈がない――そう思いつつも、何か嫌な予感がこびりついて離れてくれない。

 

 不安の払拭を求めて、家族の姿を探す。

 いまは一人で過ごすのは辛かった。

 両親の返事を期待して、普段よりも少々大きな声で声を上げる。

 

「ただいま」

 

 そう発した言葉に、返事が返されることはなかった。

 両親は今日はどちらも休暇の筈だが、留守にしているのだろうか。

 少し怖気と緊張を感じながらも、恐る恐る靴を脱いで上がり框を踏む。

 

「お母さん?お父さん?いないの?」

 

 独り言のように問いかけながら、家の中を進み続ける。

 家の中は基本的には静寂を保っていたが、奥の方から微かにではあるが音が聞こえていた。

 音の出所を探って廊下の角を曲がった先に、両親はいた。

 

 廊下に仰向けになって倒れる母と、こちらに背を向けて母の傍で頭を垂れている父の姿。

 父は何やら一心不乱に頭を上下に動かしている。

 時折、水っぽい音と何かがすり潰されるような音が聞こえてくる。

 

 こちらに気づいた母は、カッと目を見開いてこちらを見る。

 その双眸は焦りと苦しみに満ちているように見えた。

 母は弱弱しくながらも力の限りを尽くして声を上げる。

 

 

「花矢――――ッ!来ちゃダメ――――ッ!!」

 

 

 その台詞を発した矢先、母の首筋に父が()()()()()

 大動脈は意図も容易く噛み裂かれたようで、母の首から噴水のように鮮血が吹き出た。

 その血液は容赦なく壁紙も床板もまるごと紅く染めあげていく。

 母はどんどん血の気が引いていき、目は焦点が合わずに白目になった。

 

 余りに惨い光景に呆然自失していると、父親と母親がむくりと立ち上がった。

 母は首筋のみならず、腹部も大幅に傷つけられて内臓が零れかけていた。

 首に噛みつかれる寸前まで、父が母の腹部を喰らっていたという事実を今更理解した。

 

 父も首筋を犬か何かに噛み砕かれたような裂傷を負っており、その心臓には普段母が使用している包丁が突き刺さっていた。

 

 両親ともに致命傷であり、二人の身体が痛ましく損傷している様子を直視する。

 既にどちらも絶命している――そのことは一目瞭然だった。

 にもかかわらず、立ち上がってこちらへと向かってくる。

 

「やだ、なんなの……?やめてよ……!」

 

 近付いてくる父を振り払いきれずに、壁際まで追い込まれてしまった。

 母にやったように父はその歯牙を、私の腹部にも突き立てる。

 人間離れした咬筋力により、ぶちぶちと制服の繊維を引き裂いて、直ぐに歯牙は皮膚へと達する。

 

「――――ッ!」

 

 一切の容赦なく腹部を噛まれ、高校の制服が出血で色を変える。

 人生で経験したことのない尋常ではない苦痛が走り、思わず泣きだしそうになる。

 

「やめてよ、お父さん――――!」

 

 半狂乱になりながら、父親の心臓を貫いていた包丁を手に取る。

 父の身体から抜き去って、今度はその顔面を刺し貫く。

 勢いのまま父は倒れて、拘束が緩んだことで逃げ道を生むことが出来た。

 

 その一瞬を無駄にせずに、二人から逃げて外へと脱出を果たす。

 だが、この怪我の状態で遠くへ逃げ続けることは不可能であろう。

 

 迷う暇もなく庭先にあったコンテナガレージに逃げ込んだ。

 内側からつっかえ棒で扉を固定して、外側からでは絶対に開かないようにする。

 

 暫くするとコンテナガレージの扉を外側からひっかくような音が聞こえる。

 恐らく、両親であろう。

 次第に音は大きくなり、体当たりのような音と揺れがガレージに齎される。

 

「おねがい、どこかへ行って……ッ」

 

 懇願するように発した言葉が通じたわけではないだろうが、次第に音は小さくなって遂には聞こえなくなる。

 

「諦めた、みたい……?」

 

 ふと無意識に傷口を押えていた手を見る。

 その手はまるでオペラグローブを着用しているように、指先から二の腕の中腹まで真っ赤に染まっている。

 余りにも夥しい出血量。医者に診せるまでもなく致命傷だった。

 

「ああ、これ全部……私の血かぁ……」

 

 諦念のように呟いた声。

 直後に口内から何かが溢れてきて、咽るように咳き込んだ。

 口から射出された勢いのまま、小さな吐血が床に飛び散る。

 

「診療所は、間に合わないだろうな……。血を吐いたってことは内臓もダメかも……」

 

 一つひとつ、現状を確認して、どうしようもないことを再認識する。

 何が起こったのか――否、何が現在進行形で起きているのか理解できない。

 この葉射島に、一体何が。そんな疑問に答える者は誰もいない。

 

「お母さんは、あの瞬間まで確かに普通だった。生きていて、私に逃げろと言ってくれていた」

 

 それでも尚、現状を打開するために思考を巡らせる。

 少しでも最善の道を進むために。きっと彼なら、そうしただろうから。

 

「……だけど、お父さんに首を噛まれて死んでしまった後、お母さんは変わった」

 

 岸幕右京なら、最後まで諦めようとせずに道を模索しただろうから。

 そんな彼に倣って、私も諦めるわけにはいかない。

 

「二人とも致命傷を受けていて、歩ける筈がないのに歩いて……そして、私を殺そうとした」

 

 だが、思考を巡らせる度に心底理解してしまう。

 自分自身の結末を。その結末の先に待つ、真の末路を。

 

「お父さんに殺されたお母さんがそうだったように……。私も、お父さんに傷つけられて――きっともう猶予がない。今私が死んだら、二人みたいになるのかな?」

 

 生者を殺す死者になるのだろうか。

 あの両親と同じように、人としての尊厳を徹底的に毀損《きそん》したような狂った死者に。

 

 その疑問の答えは分からない。それは死んだ後に分かることだ。

 だが、もしそうならば。その推測が正しいのなら。

 私は狂った死者として、島民の誰かや右京を傷つけて、死者の集団を増やすことに加担するのだとしたら。

 

「それは、やだなあ……」

 

 そんなの絶対に御免だ。

 島民の皆も右京も、私と両親のような犠牲者にしていいわけがない。

 そんな末路を許容できないというのなら、考えなくてはならない。

 どうすればいいのかを思考しなけばならない。

 可能な限り最善の道を模索し続けなければならない。

 

「なんとか、しないとな……私、彼が言うところの優等生ですから。これくらい……こ……らい」

 

 段々呂律が回らなくなってくる。

 視界はぼやけて、手元は何とか見えてもガレージの奥までは見えそうもない。

 いくら虚勢を張って強気であろうとしても、身体の損傷がマシになるわけではない。

 

 限界が近いことを、身体は顕著に伝えてくれていた。

 この世の誰よりも、自分の事は自分が分かっている。

 

「いまの私に……できる……こと……」

 

 自分が何を成せば良いのかなんて分かり切っている。

 後はほんの少しの勇気だけ。

 

 瞳を閉じれば、きっともう二度と開けることは出来ない――そんな予感のなか、胸中に思い浮かべるのは一人の少年。

 

 今日昇降口で遭遇し、一緒に帰って、夏祭りにいく約束をした少年の顔。

 都会からやってきた彼は、ここの島民とは異なる雰囲気を持ちながらも、臆せずに誰に対しても分け隔てなく交流していた。

 

 そんな彼にどこか惹かれていた。だが、それを彼に伝えることは終ぞなかった。

 

「ごめん……ね。右京くん、絶対来てねって……言ったのに。私、行けそうにないや……」

 

 目尻に涙を浮かべて、少年に向けて弱弱しく謝罪する。

 ああ、せめて。私が彼の身代わりになれますようにと心から祈る。

 

 

 

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