死屍累々   作:峠坂

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葉射島(3)

 

 

「――――う」

 

 間の抜けた声をあげて、岸幕右京は目を覚ます。

 時刻は23時を回り、すっかり夜が更けている。静寂が包む家のなかで、つけっぱなしで放置されたテレビだけが音をたてていた。

 

「あぁ、やらかしたな。ソファーで寝るなと言っときながら、自分は机に突っ伏したまま爆睡こいてるとか……」

 

 想像より疲れが溜まっていたのだろうか、焼きそばを食したことにより血糖値が上がって眠くなったのだろうか。

 兎に角、昼食後からほぼぶっ通しで熟睡していたようだった。

 

 近くに放置されたロック画面にはメッセージアプリの通知が届いていた。

 セキュリティの観点からロック画面上では文章は非表示の設定にしていた為、内容は分からない。

 しかし誰から送られたモノかは分かる――宛先名にはカヤと書かれていた。

 

 内容を確認しようと手に取ろうとした時、啼き声が聴こえた。

 昼間にもあったような、不快で濁音混じりの鴉の声。

 寝起きで気がたっていた訳では無いが、それでもその啼き声を憎たらしく思い、視線を窓へと向ける。

 

 窓には当然、闇夜が広がっているものと思っていたが、その予想は易々と打ち砕かれる。窓の外、丁度街の方角がぼやけるような温かい灯りで包まれているのが視認できた。

 磨りガラス越しだから光の輪郭まではっきりと見えた訳じゃないけれど、それでも確かに提灯を連想させるような柔らかな灯り。

 

「おいおい、まさか夏祭りの日まで寝過ごした――わけないか。だけど、だとしたら何の光だ?」

 

 葉射島は離島である。深夜でもギラギラと電飾を光らせる都会とは訳が違う。

 当然、葉射島にだって街路灯くらいある。

 しかしながら、都会のそれとは光の密度が全く異なる。

 故に、街路灯が整備されていようと基本的に島の夜というのは、殆どの箇所で真っ暗闇がデフォルトだった。

 

「夏祭りじゃないにしても、もしかして何かイベントとかあったのか?」

 

 だからこそ、この様な灯りに包まれた夜は非常に珍しい。

 僅かながら高まっていく興奮と期待に胸を躍らせつつ立ち上がる。

 外に出て真相を確かめようと、玄関へと向かう。

 腕を伸ばしてドアノブに触れる寸前、父親の言葉を思い出す。

 

――――今日はもう家から出るな。

 

 言葉を反芻させて、冷静になる。

 身体を突き動かした熱が抑えられ、気持ちがニュートラルに近づくのを肌身で実感する。

 もう夜更けだ。今からイベントに参加したって直ぐにお開きになるだろう。

 意気揚々と合流したところで徒労に終わる可能性の方がきっと高い。

 

「まあ、今日のところは別に行かなくていいか」

 

 そうやって、踵を返して居間へと戻る。

 否、戻ろうとした。

 踵を返した途端、背後の扉に勢いよく何かがぶつかる音がした。

 まるで何者かが全力で体当たりでもしたかのように。

 衝撃音以外にも僅かに水っぽい音も混ざっていた気がする。

 

――――鴉はまだ啼いている。夜の闇夜に向けてか、こちらに向けてかは分からない。

 

 ドアノブがゆっくりと下がる。

 自分は指一本、爪先一つ足りとも触れていない。

 つまり、ドアノブを動かしているのは外側にいる()()だ。

 

――――鴉はまだ啼いている。騒々しく何かを訴えるように。

 

 思わず生唾を飲みこんだ音は、啼き声に呆気なく掻き消された。

 ゆっくりとドアノブが下がる。

 下がって下がって、そしてついに動かせる下限まで到達する。

 

 そして再び、繰り返される衝撃音。何者かが外から体当たりしてきているような鈍い音。

 

 しかし当然、施錠されているため押しても引いてもドアは開かない。

 その様子に、思わず安堵する。いつの間にか止めていた息を静かに長く吐いて、呼吸を再開させる。

 

 その瞬間(とき)だった。

 外から投げ込まれたスマートフォンによって、玄関扉横の磨りガラスが粉々にかち割られた。細かく装飾がなされたそれは、ガラス片となってその名残を残さず無惨にも散乱する。

 

 衝撃を咀嚼し理解する間もなく、視界には投げ込まれたスマートフォンが映る。

 そのスマホカバーには、確かに見覚えがあった。

 

「それは――!?」

 

 藍色を基調としたシンプルなデザインのそのカバーは、見間違うことなく蘇木花矢のものであった。

 

 分からないことだらけのなか、唯一疑いようのない事実を目にして愕然としていると、()()がガラス片を踏み割って家の中に侵入してくる。

 丁度、破られた窓枠の隙間を通って、ぬるりと。

 

 その誰かと、目が合った。

 そこにいたのは花矢だった。蘇木花矢その人であった。

 

 但し、昼間に昇降口で出会って、会話をしながら帰り、一緒に夏祭りに行く約束をした花矢とはうって変わって何もかもが違っていた。

 

 彼女は何か硬いもので執拗に殴打されたのか右足の甲が潰れており、左上腕の内側は幾度となく噛みつかれたのか夥しい傷痕が残り直視し難い。

 加えて、腹部に刻まれた裂傷。何かに容赦なく噛みつかれたのか、制服は赤い鮮血に染まっていた。

 

 そして何より、その瞳からは生気が消え失せており、全身の傷痕や鼻口から発生した出血は()()()()()()()()()ようだった。

 

「花矢、どうした、酷い怪我じゃないか……」

 

 取って付けたような戯言じみた言葉に、花矢は応じない。

 当然、怪我の心配なんて悠長なことを本気で考えていた訳じゃない。

 

 だって、そんな姿で、そんな怪我で。

 立って歩けるわけがない。生きていられるわけがない、はずだ。

 

 それなのに、花矢はこちらに向かって歩み止めない。

 潰れた足を引きずりながら、ゆっくりと近づいてくる。

 

 近づくにつれて、その全貌が徐々に鮮明になる。

 血と脂の混在した臭いが鼻を突き、身体中の惨憺たる傷の一つ一つが容易に観察できる距離まで接近される。

 

 離れていた時には気付けなかった様な些細な外傷。

 幾つも爪は剥がれ、指はあらぬ方向へ曲がっている。

 それでもなお、彼女はこちらに迫っている。

 

 「――――ッ!!」

 

 気付けば、言葉にもならぬ絶叫をあげていた。

 息も絶え絶えに、不安定な足取りのまま駆け出す。

 廊下を突っ切って、居間には戻らずに家の奥へ進む。

 そして、裏口の前まで到着する。

 

 裏口のドアノブに指をかける。

 いま正に、異常事態が迫ってきている現状で父親からの忠告に従う余裕はない。

 躊躇うことなく裏口を開き、外界へと飛び出した。

 

 外に出て辺りを見渡すと数羽の鴉が視界に入る。

 

――――鴉はいつの間にか啼き止んでいた。

 

 何処かに飛び立ったのではなく、地に伏して眠るように死んでいた。

 

 それに疑問をもつより早く、視界の端に灯りを視認する。

 街の方、提灯の灯りの近くまでいけば誰かしらに出会えるかもしれない。そんな期待を胸に、灯へ目を向けて視界の中心にはっきりと捉える。

 

 視線の先、街には火の手が上がり、轟々と燃えていた。

 磨りガラス越しで提灯かなにかだと思っていた灯りは、家々を焼く火炎であった。

 

「火事――ッ!?なんで……!?」

 

 混乱したまま街を眺望するのに適した位置まで走った。誰か逃げ惑う人がいれば、すぐに助けに向かうために。

 

 炎の壁と黒煙に遮られ視認性は極めて悪いが、二人の少女が道端で重なるように倒れているのを確認できる。倒れてこそいたが僅かに動いている様が視認でき、内心胸を撫でおろす。

 

 幸い火の手は、此方の高台には届きそうもない。

 花矢の件は気がかりではあるが、直ぐに二人の少女たちと合流し、緊急時の避難所として指定されている葉射島高等学校に向かうのが最優先事項だろう。

 手を振って声をあげようとした瞬間、二人の少女のうちの片方が相手の首筋に噛み付いた。

 

「――ッ!?」

 

 その凶行に思わず硬直する。

 噛み付かれた少女は怯むことなく、すかさず反撃とばかりに相手の頭部を何度も殴りつける。

 拳が頭蓋に触れる度に、段々と拳の沈む深さは深まっていく。

 

 視線を少し横に向ければ、同じように殺し合う住民たち。既に死に体で歩くことも困難である筈の重症のまま、ただただ迫られたように殺し合う。

 似たり寄ったりな地獄が街角のいたる所で繰り広げられていた。

 

 呼吸が上手く出来ない。走った直後だからではなく、肺が内側から締め付けられたような閉塞感が適切な呼吸を阻害している。

 直視し難い現実を真っ直ぐに直視して、身体の内側から殴られていると錯覚するくらい強く拍動する。

 

「何なんだよ……一体、何がどうなって……」

 

 更に荒くなる呼吸。

 視線の先には、未だに人々が殺しあっている。全ての島民と親しかった訳では無いが、それでも大多数の顔を知っている。名前も、どんな口調で話すのかも知っている。その程度には交流した仲である。

 

 そんな人々が殺しあっている。

 誰かを殺しているし、誰かに殺されている。

 殺し尽くして殺され尽くして、動けないくらい細切れに殺されるか身を炎に焼かれるかして、それで漸く肉体を維持できなくなって止まる。

 

 逆に言えば、目が潰れても、手が欠損しても、足が裂かれても、内臓が飛び出たって、彼らは活動を止めたりしない。

 ただただこの地獄の中で、殺し合いをし続けている。

 

 込み上げてくるものを堪えきれずに、嘔吐した。

 いつの間にか冷汗なのか脂汗なのか、額に汗が滲んでいた。

 汗と吐瀉物からなる悪臭があたりに拡散する。

 

「なんだこれ、あんまりじゃないか。みんな、死んでいるのか」

 

 遂に言った。家に侵入してきた花矢を視認した時から、ずっと頭のなかにあった悪い予感を遂に口にして、自分のなかで現実のものとして認めた。

 

 背後から何かを引きづる様な物音がする。

 振り返った視線の先にいたのは花矢だった。

 潰れた足を引きづりながら、ゆっくりと此方に向かって近づいてくる。

 

 彼女が歩みを進めている理由など分かりきっている。彼女は火炎にのまれた街で今も行われている凶行を、ここでも再現しようとしているのだ。

 

「俺を、殺す気か。その足じゃ、俺に追いつけやしないぞ」

 

 彼女の足は潰れており、その機動力は足腰を悪くした老人並みかそれ以下だ。例え、一昼夜追いかけ回されたとしても捕まる気はしない。

 そう思考を巡らせながら、心に去来していたのは奮起ではなく、諦念だった。

 

「……けど、逃げたとして、それで?」

 

 花矢一人を相手取るなら逃げ回ることも可能だろう。

 だが、今街角で殺しあっている住民達に見つかり、数の暴力で追い立てられでもすれば、程なくして捕まり殺される。

 いまは高台にまで登ろうとはしてこないが、花矢に見つかったようにいずれは気づかれる。

 

「逃げたところで、殺される。本土に助けを呼ぼうとも、死体が動き出して人を襲ってますーなんて、聞き入れて貰えるかは分かんねぇ」

 

 自嘲気味に言う。自分自身の考えを整理するように声に出して。

 

「……今死ぬか、散々逃げ回って死ぬか。早いか遅いかの違いしか、ないか」

 

 現実を再認識し、諦念とともに結論を出す。

 

「それなら、花矢に殺されるも悪くないかもな」

 

 これは贖罪なのかもしれない。花矢達島民が苦しんでいるなかで、呑気に寝過ごしていた自身に科せられた贖罪なのかもしれない。

 そんな風に思考して、花矢の双眸を見据えた。

 

 

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