織田信奈の異世界クラフター伝   作:最高司祭アドミニストレータ

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目覚め

 それは、天下統一を成し遂げた年の早春のことだった。

 

 織田信奈は、病に倒れた。

 

 最初は咳が出ただけだった。少し胸が痛い程度。戦場を駆け回っていた彼女にとって、そんな些末な不調は蚊に刺されたようなものでしかなかった。

 

 その咳は日ごとに深くなり、次第に血を混じらせるようになった。侍医たちが動き出したのは、その頃だった。

 

 信奈は「病など寝て治せ」と強がっていたが、その若い身体は目に見えて衰えていった。頬はこけ、手足は細り、やがて鏡に映る自分の姿が別人のように思えた。

 

 それでも、彼女は決して声を荒らげず、臣下の前では決して涙を見せなかった。

 

 元尾張一の美少女にして現天下一の美少女である、うつけ姫──そう呼んできた自分を、最後まで演じきることが誇りだった。

 

 医術は尽くされ、あらゆる祈祷も施されたが、病はそのいずれもあざ笑うかのように進行した。

 

 死の予兆が、確かにあった。

 

 城の奥の寝所で、彼女は静かに横たわっていた。夢と現の狭間で、呼吸は浅くなり、意識は時折遠のいた。

 

 だが──そのときだった。

 

 光が差した。

 

 眩い光が、天井のない空から、彼女の上に注いだ。身体の痛みが、嘘のように消えた。風もないのに髪がふわりと揺れ、瞼の裏にまで白銀の輝きが映り込む。

 

 それは──神の声だった。

 

 

『へぇ、強いんだね、君』

 

 

 声に感情はなかった。女の声だ。老いても幼くもない。ただ、圧倒的な存在。神話の中で語られるような、人智を超えた“それ”の声。

 

 信奈は驚いた。声の正体にではない。むしろ、納得していた。

 

 

 ──これが、神というものか。

 

 

 だが、信奈の魂は、ひれ伏すようなものではなかった。

 

 

(私を、まだ生かすというの…?)

 

 

 問いかけようとしたが、声が出なかった。体も動かない。だが、理解だけは、まるで思考をなぞるように、心に流れ込んできた。

 

 

『天下を統べた姫武将…えぇ〜と、天下一の美少女って呼べばいいかな? 君の魂は、まだ朽ちない。次の地において君をマインクラフター、創造主にする』

 

 

 信奈は問い返そうとしたが、言葉が出なかった。口も舌も動かない。それでも、なぜか理解できた。心に直接、意味が注ぎ込まれるように。

 

 刹那、彼女の目の前に、いくつかの“像”が現れた。火打ち石。木の棒。焼かれたレンガ。骨のように白い粉。鉄の延べ棒。動かない情景なのに、そこから無限の可能性が広がっていくように感じられた。

 

 

『君の才能は、実に見込みがあるよ。武と智を持ち、天下一の美少女となってもなお野望を忘れない者。創り、守り、壊し、また築く。それが“創造主”の道…うん、適任だね』

 

 

 彼女は知らなかった。これは何の道具か。どんな意味があるのか。

 

 しかし、直感では理解していた。これは戦ではない。これは“戦略”だ。この地で生き残るには、“組み合わせて創る”という新たな知略が必要なのだ。

 

 

『さあ、選んで…受け継ぐか、否かをね』

 

 

 その問いに、答える時間は与えられなかった。信奈は、頷こうとした。あるいは、そう思っただけかもしれない。

 

 

『承諾したよ。ボク___元•創造神、現•闇の女神アインドラがね』

 

 

 次の瞬間、彼女の視界は闇に包まれた。

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

「──死んだ、はずなのだけれど…」

 

 

 ちり、と肌を焼く陽光の熱。むせ返るような草いきれと、土の匂い。遠くで聞こえる、のどかな鳥のさえずり。そのすべてが、織田信奈の最後の記憶とあまりにも乖離していた。

 

 

(死の床は、冷たくて暗かった。絶え間なく続く咳と、病の熱が骨の髄まで蝕んで…ここまでかと…)

 

 

 瞼をこじ開ける。そこに広がっていたのは、見慣れた城の天井ではない。目に痛いほどに青い空と、まるで巨大な積み木のように角張った、奇妙な白い雲だった。

 

 

「な…!?」

 

 

 信奈は勢いよく身を起こした。驚きに目を見開いたまま、周囲を見渡す。見渡す限りの草原。なだらかな丘。幹も枝も葉も、すべてが四角いブロックで構成された木々。

 

 遠くに見える山々さえも、まるで子供の玩具のように角張っている。極めつけは、空に浮かぶ太陽だ。燃えるような光を放つそれは、紛れもない立方体だった。

 

 

「この世界は…天国? いや、だとしたら趣味が悪すぎる。地獄…にしては、あまりにも長閑ね」

 

 

 呆然と呟き、自分の身体に視線を落とす。

 

 そこには、見慣れた己の姿があった。片袖を脱いだ白地の湯帷子から覗く、しなやかな腕。腰に巻かれた虎の皮。健康的な肌の色つやは、病に蝕まれていた頃とは比べ物にならない。

 

 若く、力に満ち溢れた、まさに絶頂期の肉体そのものだ。

 

 

「体は万全…むしろ、病に倒れる前より調子がいいくらいね。どういうこと?」

 

 

 混乱する思考の中で、信奈は自身の視界に映る“異物”の存在に、ようやく気がついた。

 

 

「…ん?」

 

 

 視界の左下。そこに、十個の赤い心臓の絵が整然と並んでいる。その隣には、十個の骨付き肉の絵。それらは半透明で、信奈が顔を動かしても、瞬きをしても、決して消えることはない。

 

 

「な、なんなのよこれは! 幻術!? それとも怪の類!?」

 

 

 思わず手を伸ばし、宙に浮かぶそれを払いのけようとするが、指は空を切るだけだ。物理的な実体はないらしい。信奈は眉をひそめ、持ち前の怜悧な頭脳を高速で回転させた。

 

 

(落ち着きなさい、私。これは現実。ならば、この不可解な現象にも理屈があるはず…)

 

 

 心臓の絵。肉の絵。その単純な図案から、意味を推察する。

 

 

(心臓は、命の象徴。つまり、あれは私の生命力を表している…? そうね、『生命力ゲージ』とでも呼ぶべきかしら。隣の肉は…腹の具合、といったところね。『腹の虫ゲージ』とでも名付けておきましょうか)

 

 

 常人ならば発狂しかねない状況で、信奈は驚くべき速さで現状を分析し、仮説を立てていく。その目はもはや単なる戸惑いではなく、未知の世界を前にした探求者の色を帯びていた。

 

 

「ふん。面白いじゃない。この織田信奈を、こんな奇妙奇天烈な場所に放り込むとは。退屈しなくて済みそうだわ」

 

 

 自らを「天下一の美少女」と称するその唇に、不敵な笑みが浮かぶ。死の淵から蘇り、謎の世界にただ一人。彼女の心に恐怖はなかった。

 

 

「さて。まずは状況の確認と、身の安全の確保ね」

 

 

 信奈は立ち上がり、パンっと威勢よく両手を打ち合わせた。戦の前の軍議と同じだ。何もないなら、何もないなりにやるべきことがある。

 

 

「拠点となる場所、食料、そして道具。話はそれからよ」

 

 

 彼女の視線が、近くに生えていた奇妙な四角い木に注がれる。木材は、建築にも道具にも燃料にもなる万能の資源だ。それは、元の世界でもこの異世界でも変わらないだろう。

 

 

「だけど、どうやって木を伐るのかしら。斧も鋸も見当たらないし…」

 

 

 腰に下げた瓢箪にも、火打石にも、木を伐る力はない。途方に暮れた信奈だったが、ふと、ある考えが脳裏をよぎる。

 

 

(まさか、とは思うけど…)

 

 

 信奈はごくりと唾を飲み込み、目の前の角張った木の幹に向き合った。そして──意を決して、その白魚のような拳を握りしめる。

 

 

「姫たるこの私が、素手で木を殴るなんて…前代未聞だわ!」

 

 

 口ではそう文句を垂れながらも、彼女の行動に迷いはなかった。生存のためなら、プライドなど後で拾えばいい。

 

 

「ええい!」

 

 

 短い気合と共に、拳が幹に叩きつけられる。ゴッ、と鈍い音が響き、信奈は思わず顔をしかめた。

 

 

「いっ、たた…!」

 

 

 ジンジンと痺れる拳。当たり前だ。鍛えてもいない姫君の拳で木を殴れば、痛いに決まっている。

 

 だが、信奈はそれ以上の驚きに目を見開いた。叩きつけた幹の部分に、黒い亀裂が走っているのだ。

 

 

「ひびが、入った? 私の拳で?」

 

 

 信じられない思いで、もう一度。今度は体重を乗せて、渾身の力で殴りつける。

 

 

 ゴッ! 

 

 

 亀裂がさらに広がる。

 

 

 ゴッ! ゴッ! 

 

 

 三度、四度と無心で拳を叩きつけると、次の瞬間、驚くべきことが起こった。

 

 ポロリと音を立て、殴りつけていた幹の一ブロックが、一辺三十センチほどの小さな立方体となって分離し、地面に落ちたのだ。

 

 そしてそれは、物理法則を無視するように、宙に浮いたままくるくると回転している。

 

 

「……は?」

 

 

 信奈は呆然と、その光景を眺めていた。痛みも忘れ、ただ目の前の超常現象に釘付けになる。

 

 彼女がおそるおそるその浮遊する原木に手を伸ばすと、それはすうっと彼女の手に吸い込まれ──消えた。

 

 

「き、消えた!? どこへ!?」

 

 

 パニックになりかけた信奈の視界に、新たな変化が訪れる。視界の下部、ちょうど『生命力ゲージ』たちの上あたりに、九つの四角い枠が浮かび上がったのだ。

 

 そして、その一番左の枠に、先ほどの原木がちょこんと収まっている。

 

 

「これは…忍びの者が使うという、十手袋の類? 面白いわね、実に!」

 

 

 未知への理解が、彼女の好奇心をますます加速させる。

 

 手にした原木に意識を集中すると、視界にさらに大きな、光の板のようなものが現れた。そこには小さな四つの枠と、一つの矢印、そしてその先に別の枠が表示されている。

 

 

「幻の製作秘法…?」

 

 

 まるで天啓を得たかのように、信奈はその光の板の意味を直感で理解した。彼女はインベントリから原木を取り出す。念じれば、手の中に現れる仕様らしい。光の板の四つの枠の一つに置いてみる。

 

 すると、矢印の先の枠に、見たことのない「オークの木材(板材)」が四枚現れたのだ。

 

 

「木から板材が…? 鍛冶屋も大工もなしに? こんなことが…!」

 

 

 驚愕に震えながらも、信奈は矢印の先の板を取り出す。瞬間、手にした一つの原木が、四つの板材に変わった。まさに無から有を生み出す奇跡。

 

 

「これは…神の御業か、それとも陰陽の術か…! いずれにせよ、とんでもない力を手に入れてしまったわね!」

 

 

 もはや彼女の顔に迷いはなかった。この世界の理を一つ、また一つと解き明かしていく興奮が、全身を駆け巡る。

 

 信奈はすぐさま板材を組み合わせて作業台を作り、それを地面に設置した。さらに木を殴っていくつか手に入れ、棒を作り、そして──ついに、最初の道具である「木の斧」をその手に生み出したのである。

 

 ずしり、と確かな重みを持つ、生まれて初めて己が力で作り出した道具。それを握りしめ、信奈は夕焼けに染まり始めた空を見上げた。

 

 

「夜が来る…」

 

 

 ぐぅぅ、と可愛らしい音が鳴り、視界の『腹の虫ゲージ』が一つ、カクンと揺れた。空腹と、迫りくる夜の闇。サバイバルは、まだ始まったばかりだ。

 

 信奈の瞳は、希望と決意の光に満ち満ちていた。

 

 

「上等じゃない。この程度のことで、この織田信奈が挫けるもんですか!」

 

 

 手にした木の斧の感触は、驚くほど確かだった。信奈は改めて、この世界の理である「クラフト」の異常さと、その途方もない可能性に戦慄する。

 

 

「だけど、感心している暇はないわね」

 

 

 信奈は斧を握りしめ、再び木々へと向き直った。

 

 先ほどまであれだけ苦労した木の幹が、刃の一撃でたやすく削れる。手応えが、素手の拳とはまるで違う。

 

 小気味よい音を立てて、面白いように木片が手に入る。数分も経たないうちに、信奈のインベントリは、十数個の木材で満たされていた。

 

 

「これだけあれば、当座は凌げるかしら」

 

 

 満足げに頷いた、その時だった。

 

 急速に世界から光が失われていく。茜色に染まっていた空はすでに暗紺へと変わり、角張った星々が瞬き始めていた。

 

 先ほどまで見えていた遠くの景色は闇に沈み、まるで世界が自分の周囲だけになってしまったかのような心細さが襲う。

 

 そして、聞こえてきた。

 

 

 うぅぅぅ……ぅ……

 

 

 地の底から響くような、不気味な呻き声。それは獣ではない。人でもない。死者が嘆くような、聞く者の背筋を凍らせる声。

 

 

 カラン、コロン……

 

 

 乾いた骨が擦れ合うような、耳障りな音も聞こえる。闇の向こう、木々の影から何者かがこちらへ近づいてくる気配。信奈の野性的な勘が、最大級の警鐘を鳴らしていた。

 

 

(敵…! しかも、尋常な相手じゃない!)

 

 

 信奈は咄嗟に身を低くし、近くの茂みに身を隠した。息を殺し、闇を睨む。視界の左下、『生命力ゲージ』の赤い心臓が、まるで彼女自身の動悸に呼応するかのように、不気味に脈打って見えた。

 

 

(昼と夜で、この世界は貌を変えるのね。夜は、奴らの時間…!)

 

 

 闇の中で、ぼんやりとした人影が二つ、三つと現れる。一つは、腐肉を引きずるように緩慢に歩く影。もう一つは骸骨が弓を携えた、ありえない姿の影。

 

 

「腐れ歩きに、ガイコツ弓兵…なるほど、百鬼夜行というわけね」

 

 

 信奈は恐怖に震えながらも、その唇には相変わらず不敵な笑みが浮かんでいた。敵の姿を認識し、彼女なりの名前を与えたことで、未知の恐怖は対処すべき「敵」へと変わる。

 

 だが、今はあまりにも無謀だ。武器は木の斧一本。防具もない。

 

 

「屈辱だわ…この織田信奈が、狸のように穴を掘って隠れるなんて!」

 

 

 悪態をつきながらも、彼女の判断は早かった。近くにあった小高い丘の壁面に駆け寄ると、斧の柄を使い、そして最後は素手で、がむしゃらに土を掻き出し始めた。

 

 今は、プライドよりも生存が優先。

 

 泥と土にまみれることなど、天下布武の夢に比べれば些細なことだ。爪が割れるのも構わず、必死に穴を掘り進める。

 

 人が一人、ようやく屈んで入れるほどの横穴を掘ったところで、腐れ歩きの呻き声がすぐそこまで迫っていた。

 

 信奈は掘り出した土ブロックを両手に抱え、素早く穴の中に滑り込むと、内側から入り口を塞いだ。最後の土ブロックをはめ込んだ瞬間、外で何かが壁にぶつかる鈍い音が響く。

 

 完全な闇と静寂。聞こえるのは、自分の荒い呼吸と、早鐘のように鳴る心臓の音だけ。そして、壁の向こうから聞こえる、不気味な呻き声と、壁を叩き続ける執拗な音。

 

 

(…最悪の初陣ね)

 

 

 狭く、息苦しい土の穴の中。信奈は背を壁につけ、木の斧を胸に抱きしめるように握りしめた。視界では、『腹の虫ゲージ』の最後の一個が激しく点滅している。空腹が、じりじりと彼女の体力を奪っていく。

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 

 悪夢のような物音が延々と続く、長すぎる夜。信奈は一睡もせず、ただひたすらに耐えた。己の無力さを噛み締めながら、この屈辱を必ず晴らすと、闇の中で固く誓った。

 

 やがて──ふと、音が止んだ。

 

 あれほど執拗に続いた呻き声も、壁を叩く音も、嘘のように消え去っている。代わりに聞こえるのは、聞き覚えのある、のどかな鳥のさえずり。

 

 信奈はおそるおそる、壁の土ブロックを一つだけ取り外した。隙間から差し込んだのは、紛れもない朝の光だった。

 

 陽光が闇を裂き、世界に色と生命を取り戻していく。光に照らされた外の景色には、昨夜の悪夢の住人たちの姿はどこにもなかった。

 

 信奈は、自分が掘ったみすぼらしい穴から這い出た。衣服は泥に汚れ、髪は乱れ、空腹でふらついている。その姿は「尾張の姫」の威厳には程遠い。

 

 だが、その双眸に宿る光は、昨日よりも遥かに強く、鋭く、燃え上がっていた。

 

 朝日を全身に浴びながら、彼女は生き延びたことを実感する。そして、この世界の厳しさと、生き抜くために為すべきことを、その身をもって理解した。

 

 

「…見てなさい」

 

 

 声は掠れていたが、その響きは決意に満ちていた。

 

 

「こんな世界、すぐに私の庭にしてあげるわ。まずは腹ごしらえと、もっとマシな寝床からね!」

 

 

 朝日を背に、泥だらけの姫は不敵に笑った。

 

 織田信奈の異世界サバイバル。その本当の幕が、今、上がったのだ。

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