織田信奈の異世界クラフター伝   作:最高司祭アドミニストレータ

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木こりと狩猟のはじまり

 夜が明けた。水平線の彼方が白み始め、四角い太陽がゆっくりと世界を照らし出す。

 

 信奈が一夜を明かしたのは、丘の中腹に無理やり掘った小さな横穴だった。入り口は土ブロックで雑に塞いである。あの忌まわしい「腐れ歩き」たちの呻き声は、夜明けと共に嘘のように掻き消えていた。

 

 

「…朝、か」

 

 

 信奈は土の壁を一つ、素手で掻き崩して外の光を招き入れた。新鮮な空気が、土臭い穴倉の淀みを洗い流していく。

 

 肌を撫でる風が心地良い。安堵も束の間、ぐぅと腹の虫が盛大に鳴いた。

 

 視界の隅に目をやれば、例の不可思議な術──信奈が「腹の虫ゲージ」と名付けたそれは、肉のアイコンがほとんど黒く塗りつぶされ、最後のひとつが明滅を繰り返している。

 

 隣の「生命力ゲージ」も、心なしか輝きが鈍い。

 

 

「さすがに、これはいけないわね…」

 

 

 空腹は思考を鈍らせ、力を奪う。戦の基本は兵站。一個の兵である自分自身が飢えていては、話にならない。

 

 信奈は立ち上がり、窮屈な穴倉から這い出た。朝日に照らされた世界は、昨日見た光景ながら、一夜を越したことでまるで違って見えた。

 

 全てが、生きるために利用すべき資源の山に見える。

 

 

「まずは腹ごしらえ。そして、あの夜の化物どもから身を守る、もっとマシな寝床の確保。やることは山積みね」

 

 

 独りごち、信奈は自身の小さな手のひらを見つめる。昨日、この手で木を殴り、作業台なる摩訶不思議な道具を生み出した。

 

 幻の製作秘法、とでも呼ぶべきあの力。それを使えば、きっとこの窮地も脱せるはずだ。

 

 

「よし」

 

 気合を入れ直し、信奈は拠点候補として目星をつけた、開けた平原を見据える。だが、城を築く前に、まずは己の牙を研がねばならない。

 

 信奈は昨日設置した作業台へ向かうと、おもむろに思考を巡らせた。素手で木を殴るのは、あまりに非効率で、何より己の拳が痛む。

 

 

(あの製作秘法…確か、木の板をこうして、棒をこうすれば…)

 

 

 頭の中に浮かぶ設計図に従い、木の板と棒を配置する。ぽん、と軽い音を立てて、作業台の上に現れたのは、木の板で作られた粗末な斧だった。

 

 

「おお…! やっぱり何度見ても異様だけど、便利ねこれ!」

 

 

 手に取る。ずしりとは言えないまでも、確かな重みが伝わってくる。振り下ろせば、それなりに風を切る音もした。

 

 これなら、素手より遥かに効率よく木を伐れるだろう。信奈は早速、近くの樫の木に向き合った。

 

 

「いざ! 尾張の木こり、ここに誕生ってところかしら!」

 

 

 冗談めかしてそう言うと、信奈は木の斧を大きく振りかぶった。しなやかな肢体から繰り出される一撃は、少女のものとは思えぬほど鋭く、的確に幹を捉える。

 

 木の幹に深い亀裂が入った。素手で殴った時とは比べ物にならない手応え。続け様に二撃、三撃と打ち込むと、巨大な樫の木はメキメキと音を立て、やがて光の粒子を放ちながら目の前で消滅。

 

 後に残されたのは、手のひらサイズの木材ブロックだった。

 

 

「やっぱり拳よりも斧ね!」

 

 

 喜びに、信奈の頬が紅潮する。

 

 額にうっすらと汗がにじみ、一筋、首元を伝っていく。片袖を脱いだ湯帷子が、活動的な動きに合わせてはだけ、健康的な肌が朝日にきらめいた。

 

 夢中になって、信奈は周囲の木々を次々と伐採していく。

 

 斧を振るうたびに小気味良い音が響き、インベントリ──あの異空間収納は、みるみるうちに木材で満たされていった。

 

 

「ふふ、ふふふ…! いいわ、いい感じよ! この世界、私に征服されるためにあるようなものじゃない!」

 

 

 その時。ガキンという嫌な音と共に、手にしていた木の斧が砕け散った。

 

 

「えっ!?」

 

 

 突然のことに、信奈は素っ頓狂な声を上げる。手元には、ささくれだった棒の切れ端だけが残されていた。

 

 

「な、なによ今の! 壊れたっていうの? 道具って消耗品なの!? 不便よ…いや当たり前なことか」

 

 

 これもまた、この世界のルールなのだろう。壊れたら跡形もなく消滅する。ツッコミどころありまくりだが、従うまで。信奈はすぐに気持ちを切り替え、予備の木材で新たな斧を作り直した。

 

 十分な木材を確保し、信奈は次なる目標──食料調達へと意識を移した。

 

 相も変わらず、「腹の虫ゲージ」は最後の一個を点滅させ、空腹が限界だと告げている。

 

 

「さて、と。食べられそうなものは…」

 

 

 あたりを見回すと、のっしのっしと四角い体を揺らして歩く、奇妙な生き物が目に入った。桃色の肌、くるりと巻いた尻尾、そして何より特徴的な、平たい鼻。

 

 

(あれは…豚、かしら? 私の知る豚とは、だいぶ角張っているけれど)

 

 

 元の世界で食べた豚肉の味を思い出し、信奈の口の中にじゅわっと唾液が広がる。あれが食べられるのなら、是が非でも狩らねばならない。

 

 信奈は、すぐさま作業台で木の剣をクラフトした。斧よりは少し細身で、見るからに斬りつけやすそうだ。

 

 

「獲物を見つけたわ。いざ、初陣よ!」

 

 

 自らを鼓舞し、息を殺して豚に忍び寄る。戦国武将の血が騒ぐ。相手が豚であろうと、狩りは狩り。油断はない。

 

 

「そこっ!」

 

 

 間合いに入った瞬間、鋭い踏み込みと共に剣を振り下ろす。豚は「ブヒッ!」と短い鳴き声を上げると、意外なほどの俊敏さでそれをひらりとかわした。

 

 

「なっ、速い!」

 

 

 信奈の斬撃を避けた豚は、そのまま猛然とダッシュして逃げ始める。

 

 

「あっ、こら! 待ちさない!」

 

 

 慌てて後を追いかけるが、必死に逃げる豚のスピードはなかなかのものだった。平原を縦横無尽に走り回り、信奈を翻弄する。

 

 

「はぁっ、はぁっ。 なんなのよ、あの豚! 見かけによらず、足だけは達者なんだから!」

 

 

 息を切らし、膝に手をつく。湯帷子の裾が乱れ、汗ばんだ太ももがあらわになった。虎の腰巻きも、激しい動きで少しずり下がっている。

 

 

「…いいわ。そこまで私を本気にさせたこと、後悔させてあげる」

 

 

 信奈の瞳に、闘争の火が宿った。一度や二度逃げられたくらいで諦める彼女ではない。

 

 彼女は追いかけるのをやめ、豚の動きをじっと観察した。ただ闇雲に追うのではなく、逃走経路を読む。地形を利用する。

 

 

(あの豚、木や障害物を避けて、開けた場所を選んで走っている。ならば…)

 

 

 信奈はにやりと口角を上げた。木の剣を強く握り直し、先回りするように駆け出す。

 

 豚の逃げる先、小さな丘の向こう側へ。息を潜めて待ち構える。やがて、予測通りに豚が丘を駆け上がってくるのが見えた。

 

 

「──もらったわ!」

 

 

 姿を現した瞬間、今度は逃げ場のない正面から、渾身の一撃を叩き込む。

 

 

「ブヒィッ!」

 

 

 悲鳴と共に、豚の体が赤く点滅した。手応えあり。まだ倒れない。

 

 怯んだ豚が向きを変えようとしたその隙を、信奈は見逃さなかった。流れるような動きで二撃目、三撃目を浴びせる。

 

 すると、信奈の剣が肉を斬る感触を残した直後、豚の体はふっと光の粒子となって霧散した。

 

 

「え…?」

 

 

 呆気にとられる信奈の目の前に、ぽとり、と何かが落ちる。

 

 それは、実に奇妙なものだった。豚肉の周囲を、小さな緑色の宝玉のようなものがいくつか周囲に浮かび上がり、すぅっと信奈の体へと吸い込まれていく。

 

 チリン、と涼やかな音が響いた。

 

 

「な、なんなの、今の…?」

 

 

 目の前で起きたあまりに非現実的な現象に、信奈はしばらく言葉を失った。仕留めた獲物がアイテムと化し、謎の光を吸収する。この世界は、どこまで常識が通用しないのか。

 

 彼女はすぐに我に返った。手にした「生の豚肉」を見つめる。間違いなく、これは食料だ。そして、空腹は待ってくれない。

 

 

「まあいいわ。どんな奇術だろうと、お腹が満たせるなら文句はない」

 

 

 たくましく、そして現実的に思考を切り替える。

 

 一つ問題があった。この肉は、見るからに「生」だ。

 

 信奈は試しに生の豚肉を口元へ持っていくが、どうにも食べる気になれない。元の世界でも、獣の肉を生で食すなど、よほどのことでなければあり得なかった。

 

 「サル」が言っていた、食中毒とやらの危険もある。

 

 

(焼きたい…火があれば、これを馳走に変えられるはず)

 

 

 その瞬間、信奈は文明の根源的な力に行き着いた。

 

 火。暖を取り暗闇を照らし、固い穀物や生の肉を美味なる食事へと変える偉大な力。

 

 

「火…そうよ、火だわ!」

 

 

 だが、どうやって? 周囲を見渡しても、火打石のような便利なものは見当たらない。

 

 木の棒を擦り合わせる? それはあまりに途方もない作業に思えた。

 

 手には待望の食料があるものの、それを調理する術がない。腹の虫は、今や抗議の悲鳴のように鳴り響いている。

 

 信奈は天を仰いだ。

 

 

「この世界、一難去ってまた一難ね…! でも、面白いわ。この困難、乗り越えてこそ、天下人よ!」

 

 

 不敵な笑みを浮かべ、信奈は次なる目標──「火」の確保──を見据える…かと思われた。

 

 

「丸石を確保してかまどを作って、余ってる木材を放り込めばいいのでは? 」

 

 

 全然困難じゃない問題だった。

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