「ペストマスクを被った悪魔のう」
魔法少女協会。魔法少女を組織的に運用するために結成された組織。悪魔の対処やパトロールだけでなく、人権の保護や治療も行っている。
その組織のあるビル、最上階の一室に一人の少女。見た目からして高級だとわかるような皮椅子に腰掛けた、白髪を伸ばし、緋色の眼をした背の低い和服の少女。彼女は見た目は幼い子どものように見えるが、この協会の初期から牽引してきたという。
「容姿を隠し、更に言語が使える程の知能を持っているとは、危険じゃな。」
二人の報告曰く、戦闘中に何処からか突然鎧を纏った何かが出現したり、かと思えば宙に浮き出したりと妙な魔法を行使するそう。
「東に逃げたそうじゃな。おそらくは国外のどこか……調査隊を派遣しようかの。」
少女は口角を上げながら呟く。
「絶対に逃しはせんぞ? 悪魔め。」
廃病院から数百メートル程先には小さい集落がある。戦争で家族と離れた子供達や身寄りのない老人、国に帰れなかった人達の寄せ集めの集落。私はそこに訪れた。丁度嘴に入れるハーブを切らしてしまったからついでに挨拶にでも行こうと思ったからだ。
集落の周りは崩れた家の残骸を積み、鉄筋を地面に刺して固定した見窄らしいバリケードが出来ている。入り口は一箇所で、その前には痩せこけた男が武器を持って立っていた。武器といっても、刀身は錆びて何も切れそうにない。大方軍人の死体から拾ったものだろう。
「こんにちは、おじさん。」
「ああ、君か。すまないね、もう目が悪くて。」
男は片手を小さく振ると、顔を少々照れくさそうに綻ばして笑った。
「そろそろ息子に代わったらどう? 彼もやる気はあるでしょ。」
「いいや、あいつにゃ未だ早えわ。鹿すら狩れない軟弱者よ。」
おじさんは門を開けながら、大笑いしていた。
門をくぐってまず先に入るのはトタンや藁の屋根、木板を壁に貼り付けて隙間を埋めた茶色い家たち。丁度朝食終わりなのか、焚き火の火が燻っている。上裸の子供が追いかけっこをしたり、枝同士を打ちつけあったりして遊んでいる。
しばらく歩くと今度は子供の姿が減り年寄りが見える。此処は露店街になっていて、外から採取した植物や狩った肉、編んだ衣服を台に並べて、老人が客を睨みつけている。
私はそこの竹編みの簾を掛けた店に足を止めた。
ささくれた木の机に泥の染みた茶色い布を被せて、上に山菜や調味料、手編みの布類を几帳面に並べている。
「お久しぶりです、おばあさん。」
「あら、ツグミちゃんじゃないの!久しぶりね。いつものかい?」
「うんハーブを幾つか、あと布も一つお願い。」
「はいよ。」
ばあさんはハーブを掴んで布に包む。その手は長年の土作業のせいか、酷く傷だらけだった。
「おばあさん、私、これからもう此処には来れないから」
おばあさんの手に軟膏を渡した。保護区画に入った時に盗んだ物だ。
「来れない? これっ保護区画のものじゃない! もしかして入ったの!?」
「うん。その時にこの服装を見られたから、これ以上いると此処にも迷惑がかかっちゃう。」
おばあさんは怒りたそうな、哀しそうな、変な表情をしていた。
「これを盗む為に入ったの?」
「いや。」
「じゃあ、何で。」
「言えない。」
おばあさんは怒りたがっていそうだった。けれど、その感情の一切を押さえ込んで言った。
「そう……寂しくなるわね。」
「……ごめん。」
「謝らなくていいわよ。今までありがとうね。ハーブを買う人なんてこの町にはいないんだから。」
「こちらこそありがとう。じゃ……さようなら。」
「……ええ、さようなら。」
昨日の出来事でおそらく連中に目をつけられただろう。私は拠点を移す為に歩いていた。焦っていたとはいえ、愚直に隠れ家へ真っ直ぐ逃げたのはよくなかった。太陽がチリチリと肌を刺激して焦がしてくる。道中の瓦礫は乾き、陽炎が植物を揺らしていた。
悪魔との戦争で、ここら一帯の建物は殆どが原型を失っている。巨大な斬撃痕、爆発跡、弾痕。瓦礫は未だ戦争を覚えていて、まるで時間が止まっているようだった。
歩き続ける。砂埃が舞う茶色い視界に一際赤い何かが見えたからそこに向かってみた。それは道路標識だった。白い文字で「止まれ」と。私は歩き続けた。
漸く眼鏡に適う建物を見つけた。荒地の中でもかろうじて建物の形を保てている。壁は所々崩れているが、最低限雨風は防げるだろう。
中は薄暗く黴臭い。壁は傷だらけで隙間に砂が溜まっている。奥には扉があり、木は腐ってぼろぼろ、そこの内部から小さい蟻がぞろぞろと列を成して壁の隙間から外へ続いている。角に巨大な蜘蛛の巣が架けられ、中心にこれまた大きな黄色い蜘蛛が獲物の引っ掛かるのを待ち続けていた。建物の内部にも砂は侵入していて、風で舞った砂が巣にこびり付き、重く弛ませていた。
突如、扉の向こうでバサっと鳥が翼をはためかす音が聞こえた。小さくカァカァと烏のような鳴き声がしたから、確認する事にした。鳥にはいい思い出がないからだ。扉は非常に脆くなっていて、指先で板を押すだけで簡単に凹む程に、ドアノブも蝶番も錆び切って動きそうにはない。
扉を思いっきり蹴り破った。番の螺子も脆くなっていたらしく、余りに容易に壊れたので拍子抜けだった。木板が倒れたことで中で巣食っていた蟻が溢れ出し、列を失った混乱で無統率に四方へ散っていく。
部屋はやはり砂まみれで黄色い。しかし、別室と違い、その砂には手を使って掻き出した様な、高い山と薄い層があり、薄い方は水が染みて茶色く変色していた。幾つか鳥の羽が散らばっており、その黒さから烏である事が見てとれた。
再びバサバサと音がなる。砂の高い山の裏で、何かが蠢いた。
「……『あの山を壊せ』」
腑の抉れた血塗れの猪が、外套の内側の真っ暗な穴倉から這い出すように現れ、そのまま山へ真っ直ぐ突進した。
山は衝撃で爆発したかの様に砂を撒き散らしながら崩壊し、裏で隠れていた者が顕になる。それは砂埃ごしに見て人間の様に見えたが、直ぐに異なることを了解した。
白磁の様に白い裸の人間の女。肋骨が浮き出る程に痩せこけている。しかし、毛髪や体毛に取って代わって黒い羽毛がまばらに生え、唇は硬い嘴に変形していた。目は白目が殆ど見えない程、黒い大きな瞳孔が埋め込まれている、その中で、白い仮面を付けた私を、若干の歪みを伴って写していた。
「ガァ!ガァ!」
彼女は叫びながら、砂でぼろぼろに擦りむいた裸足の足をよろめかせながら、伸び切った鋭い爪で引っ掻こうと私に向かって走った。
『捕えろ』
茨が彼女を拘束しようと地から飛び出す。彼女はすんでのところで避けたが、追い続けた茨が脚に絡まりついて、顔面を勢いよく砂に埋めさせた。
彼女は砂の中で声をくぐもらせながら言う。
「ア゛ァ、だぁ、ず、けで! だずげ!で!」
彼女はそう、はっきりと、人間の言葉を使った。涙を砂に染み込ませ、ものを吐くような嗚咽をならしながら。
「チッ、だから鳥は嫌いなんだ。」
彼女の白い首をナイフで切った。人間と同じ赤色だった。
酷く気分が悪い。人間ではなくても人間の形をしているというだけで同族意識を感じてしまう単純な頭が途轍もなく憎い。いや、確かに同族なのだろう。私も彼女も、元は人間同士だったはずだ。
悪魔を殺す為に動いているのに、何故人を殺さなければならないのか。
そう疑問を考えてみたが、答えを考えようとは思わなかった。
外に墓を作ろうと思った。死体を持ち上げて、赤黒い塊に砂を被せて、運ぼうとした時だった。また鳥の鳴き声がしたのだ。それも一匹ではなくて、沢山の鳥の鳴き声が連続して聞こえた。私はもううんざりしてしまった。
彼女を寝かして、鳴き声の方へどすどすと砂埃を起こしながら向かった。
高い山の更に奥、そこに鳥はいた。彼女より遥かに小さくて、毛の薄い、しかし嘴ははっきり発達した、鳥がいた。
「カカァ、カカァ、おなかへっちゃ」
「カカァ、カカァ、おしゅながかゆいの」
「カカァ、カカァ、」
「カカァ、カカァ、」
こどもたちは母の死を未だ知らないらしい。そもそも死を知らないらしい。
「……最悪。」
こどもたちの鳴き声で、より一層憂鬱になった。親のいないこの子たちは、きっと此処で寂しく飢え死にする事だろう。だから、せめて、苦しまないように殺すのは、母を殺した私の役目のように思われた。
こどもの前まで歩いて、ナイフを首にあてた。これから何が起こるか、まだわからないで、カカァカカァと母を呼んでいる。
ナイフを引いた。一人の首から灰色の血液が溢れ出て絶命したが、残りの三人はそれに気付かなかった。
もう一匹、殺した。二人は二匹が倒れたのに気づいたが、死んだことには気付かなかった。
一匹殺した。罪悪感が私の手先を痙攣させたせいで、一瞬で絶命させることが出来なかった。苦しそうな声を数秒間叫び続けて、力無くポトリと倒れた。
最後の一人は怯え切っていた。この状況の異様さに漸く気付いてしまった。私はナイフをあてながら、心の中で祈った。
どうか、私を憎まないでください。
どうか、来世は人間として生まれてください。
どうか、幸せになってください。
ナイフを引いた。声一つない静寂の中で、風が砂を舞わせていた。