第三陣営みたいなナニカ 作:よろぴくみん
『私は魔法教室をひらこうと思います』
「却下」
『やめておけ、雑種』
『理解不能です』
『やめろ。才能を殺す気か』
かつて、この異世界の時代を震撼させたという、ある不世出の武人はこんな言葉を言い残したという。
──汝、見失うべからず。
座して見つかるものなど存在せぬ。
そこにあるのは少しばかりの安堵と、永劫に続く怠惰のみなのだから。
要するに「座って待ってるだけで手に入るものなんてねぇから、楽な道に逃げずに泥をすすってでも動き続けろ」という意味だ、たぶん。
前世の耳が痛くなるような自己啓発本にも似た、実力主義の塊のような格言。
『──はははっ!! 分かっておるではないか! 安易な道を選ぶこと、それ即ち愚の頂点である、とな! この言葉を残したのが魔の道に進んだ者ではなく、泥臭い武の道に進んだ者というところが、この世界の魔法使いどもの愚直さと限界を表しておるわ!』
脳内で、黄金の鎧をまとった王様が腹を抱えて傲然と爆笑する。
王様、お願いだから少し静かにして。ただでさえまだ魔力回路がじんじんと痛むんだから、脳内で大音量の高笑いを響かせないでほしい。
「その言葉、俺も聞いたことあるぜ」
俺が眉間を押さえていると、ベッドの端に腰掛けたクロスが、自慢げに胸を張って言った。
「……そんなに有名な言葉なのか?」
「あぁ、当たり前だろ! 知らないのか? かつて魔王を打ち倒した伝説の勇者パーティの一人……〝武神〟カヅチの残した名言だぞ」
うわぁお。
なにその男のロマンをこれでもかと詰め込んだような、強そうな肩書と名前。ちょっと格好良すぎる。俺も「ただのルナリス」じゃなくて、それくらい中二心をくすぐる二つ名が欲しい。
「……魔王? 勇者? 武神? ごめん、俺そういう歴史の話って疎くてさ」
「ありゃ、これはルナリスが何も知らないパターンだな? いいぜ、友達になった記念だ。俺がちょっとした昔話をしてやるよ!」
クロスは嬉しそうに目を輝かせると、身振り手振りを交えて、絵本を読み聞かせるように語り始めた。
──昔々、あるところに、世界を破滅に導くほどの闇をその身に抱えて生まれてきた者がいました。
その者は自分こそが天に選ばれた特別な存在なのだと信じて疑わず、己だけに宿る忌まわしき闇の力で凶悪な魔物たちを意のままに操り、世界中を恐怖で揺るがしていました。
世の人は彼を『魔王』と呼び、恐れました。
そんな暗黒の世の中、魔王を退治するために、各地から正義の志を抱いた者たちが立ち上がりました。
人々の希望を背負った、勇者アルバーン。
神の加護を一身に受ける、聖女アリス。
圧倒的な武の頂点、闘鬼カヅチ。
森羅万象の魔を操る、魔女ミーナム。
世界の心理を解き明かす、賢者グリフ。
彼らは固き絆で結ばれた仲間となり、果てしない旅を続けながら、魔王の影響によって苦しむ地域の問題を、次々と解決していきました。
そうして幾多の苦難を乗り越え、ようやく彼らは、世界の最果てにある魔王の玉座へと辿り着いたのです。
それは、天変地異が起きるほどの激しい戦いでした。
魔王の圧倒的な力の前に、勇者の聖剣は折れ、誰もが膝をつき、全員が文字通り限界を迎えた絶望的な状態でした。
しかしその時、漆黒の雲が割れ、戦場にポツンと、一滴の美しい光の滴が落ちました。
それは天からの恵み──世界を憂う『女神の涙』であったのです。
その神秘的な滴が勇者たちの身に触れるたび、傷つき疲弊した身体は瞬時に回復していき、逆に光の力に焼かれた魔王は苦悶の声を上げて悶えました。
『俺はこの世界を愛している! だから、お前なんかに、壊されて溜まるかぁぁぁ!!!』
最後の一撃。勇者は折れた剣に全ての力を解き放ち、ついに巨悪たる魔王を打ち倒しましたとさ。
めでたし、めでたし──。
「……へぇ」
クロスの熱弁を聞きながら、俺は顎に手を当てて考え込む。
たったの五人で、世界を滅ぼしかけたそんなに凄い魔王を倒せたのか。お約束とはいえ、最後の「女神の涙」とやらのタイミングが良すぎる気もするが……まぁ、おとぎ話なんてそんなものか。
『……魔王というのは、そんなに悪い奴なのか? よく分からないのだ。己の力を誇示することや、強い奴と戦うために世界中に喧嘩を売るのって、めちゃくちゃ楽しいことではないか?』
脳内のさらに深い領域から、今度はまた別の、どこか無邪気で、けれど本能的な恐怖を呼び起こすような声が響いた。
……なんか、とんでもない戦闘狂みたいな考え方してんな。
いや、待てよ。こいつの正体って確か、あの常に眠りこけているはずの──。
『む、失礼なのだ。でも、そうなのだ! もしこの魔王って奴が、強い奴と戦いたいだけじゃなくて、本当の本当にただの悪い奴なら……こうして寄ってたかって袋叩きにされるのも、まぁしょうがない、というやつだな!』
……そうだな。
どんな理由があろうと、罪のない人々の日常を奪い、世界を壊そうとしたのなら、袋叩きにされても文句は言えない。
前世で、理不尽に家族を奪われた俺だからこそ、その魔王の気持ちだけは、一ミリだって理解してやりたくはなかった。
「──でもさ」
それまで静かにクロスの話を聞いていたナリスが、不意に口を開いた。その視線は、なぜか俺の顔にじっと注がれている。
「その勇者たちの話って、もう百万人くらいが知ってるおとぎ話だけど……昨日、私たちの前に現れた『本物の魔法』は、そんな絵本よりもずっと……」
ルミアも小さく頷き、クロスもまた、俺の両肩をがしっと掴んできた。
「ああ! 正直、おとぎ話の勇者より、昨日俺たちの目の前で魔物の顔面を消し飛ばしたルナリスの方が、何倍も凄かったぜ!」
「おい、よせって……」
気恥ずかしさに顔を背ける俺の脳内で、ゼーリエがフンと、これ以上ないほど満足そうに鼻を鳴らしたのが分かった。
「なぁ、ゼーリエ」
あの三人がそれぞれの家に帰り、ようやく静寂を取り戻した自室。
俺はベッドに大の字になって寝転びながら、脳内の大魔法使いへ、ずっと考えていたことを切り出した。
『なんだ?』
相変わらず冷淡で、けれどどこかこちらの出方を伺うような声が返ってくる。
「新しい魔法を、教えてくれないか?」
昨日の今日で、まだ魔力回路は生肉に塩を塗られたように痛む。使いこなせているとはお世辞にも言えない。だけど、あの魔物との戦いで痛感したんだ。ゾルトラーク一発で動けなくなるようじゃ、この先、大切なあいつらを護り切ることなんてできない。
もっと手札が欲しい。自分の身を護り、あいつらを護るための、確実な力が。
ゼーリエは脳内で少しだけ沈黙し、値踏みするように考えてから、おもむろに口を開いた。
『そういうことなら私に任せろ、と言いたいところだが……。フン、生憎と今回は見送りだ。お前が新しい魔法を乞うた瞬間から、脳内の精神世界で「自分にもやらせろ」と騒ぎ立てる輩が煩くてな。私の耳が腐りそうだ。今回はそっちに教えてもらうがいい』
「……そっち?」
ゼーリエが嫌悪感を隠そうともせずに一歩退く気配がした。
次の瞬間、脳内の最も深く、最も冷たい場所から、あの鈴を転がすような──あまりにも甘く、清らかな声が染み出すように響き渡った。
『ふふ……。私の出番というわけですね。お久しぶりです、愛しのルナリスよ』
脳裏に浮かぶのは、純白の髪に、すべてを見透かすような慈愛の瞳。
現実の理不尽すら言葉一つで「なかったこと」に書き換える、あの最悪の魔女。
「……まじか」
俺は思わず、枕に顔を埋めて深い溜め息を吐き出した。
よりによってパンドラか。
……いや、ギルガメッシュよりは、ギリギリ会話が成立するだけマシ、か?
いやでも、やっぱりゼーリエが一番安心するんだけどな。
……それか、面倒くさがりだけど実害のなさそうな白髪の龍神。
『まぁ、随分な嫌われようですね。私はただ、あなたのために何かをしてあげたいと、心から願っているだけですのに。あなたが望むなら、この世界の理ごとあなたの都合の良いように書き換える魔法だって、今すぐ教えて差し上げますよ?』
パンドラはフフッと優しく微笑みながら、こちらの心を甘い蜜で溶かすように囁く。
その言葉のどこからどこまでが「虚飾」なのか、俺には判別できない。魂が同化している以上、彼女の能力が俺自身を物理的に害することはないと分かってはいても、背筋に冷たいものが走る。
『おい、ルナリス。そいつの言葉に耳を貸すな。そいつの魔法は、魔法に対する侮辱だ……というか、魔法とも呼べん。もっと禍々しく気色の悪いナニカだ。お前がそれを選べば、ただの傲慢な現実逃避にすぎなくなるぞ……それか、怠惰な自殺か』
ゼーリエが不快そうに口を挟む。
『あら、お耳の長い先達様は随分と手厳しい。以前もそれで殺されたことがあります。ですが、ルナリスが求めているのは「力」でしょう? 努力を積み重ねなければ何も得られないあなたの魔法よりも、私の手をとる方が、この子はよほど早く、望むものを手に入れられます。──さぁ、ルナリス。どのような魔法がよろしいですか?』
脳内で火花を散らす大魔法使いと最悪の魔女。
その板挟みに遭いながら、俺は冷や汗を流しつつ、パンドラが提示する選択肢を慎重に見極めようとしていた。
「──パンドラから力を貰えば、確かに今とは計り知れないくらい強くはなれると思う」
俺の脳内での呟きに、パンドラは少しの驚きと、隠しきれない好奇心をその瞳に宿してこちらを見つめてくる。
「──だからこそ、やめておく。俺は精神をおかしくしてまでも強くなりたいとは思わないからね」
するとパンドラは、まるで悪戯がバレた子供のように無邪気に笑った。
その笑顔は、あまりにも完成されていて、それゆえにゾッとするほど美しかった。
『おや、バレてしまいましたか。せっかく、あなたに怠惰の権能を差し上げてあげようと思ったんですけどね』
「植え付けるつもりだったか。やだよ、あれ。脳を揺さぶられて発狂した挙句、語尾がデス!になっちゃうやつやん。んな人間になったら俺の平穏なスローライフ計画が一瞬で消し飛ぶわ」
『……そうなんですか?』
「そうなんですよ」
呆れたように脳内でツッコミを入れながら──俺の思考の片隅に、冷たい違和感がこびりついた。
……おかしい。
今のパンドラのリアクションは、明らかにおかしい。
こいつは『知っている』はずだ。というか、あの歴史の表舞台の裏で、目の前で目撃したはずなのだ。
かつて狂骨の如き忠義を尽くしたジュースという男が、大切な人を守るために適性のない『怠惰』の魔女因子を無理やり取り込み、精神を狂わせてペテルギウス・ロマネコンティという化物へ変貌していく、あの凄惨な瞬間を。
それに、そもそもパンドラが今、怠惰の魔女因子を所有していること自体が決定的に狂っている。
俺の前世の記憶が正しければ、あの因子はペテルギウスに宿り、彼が倒された後はナツキ・スバルの元へ渡っているはずだ。
どれほど歴史の歯車が狂おうとも、パンドラの手に直接戻ってくるはずがないのだ。
……いや、まさかな。
本当にたった一言だ。
注意していなければ、記憶のさざ波に消えていってしまうほど、何気ない空虚な言葉のキャッチボール。
反射的に出てしまうような、誰も気に留めないような、そんな軽い会話。
だがそれが今、前世の記憶を持つ俺と、その世界の住人であるパンドラにしか伝わらないはずの致命的な矛盾を孕んで、そこに存在していた。
「……なぁ、パンドラ」
何気ない一言を装って、俺は声を落とした。
そう、ただの、世間話の延長線のように。
『はい、なんでしょう?』
「お前のいた世界に──ペテルギウス・ロマネコンティ、という大罪司教は存在していたか?」
脳内の精神世界に、張り詰めたような沈黙が広がった。
ゼーリエすらも、俺の唐突な質問の意図を測りかねたように押し黙る。
そして、最悪の魔女の唇が開かれた。
『いいえ? そんな人、私の世界にはいませんでしたよ?』
満面の笑み。一点の曇りもない、純粋な声音。
返ってきた結果は、俺の予想の斜め上をいく、最悪の解答だった。
「……はは、まじかよ」
俺の背中に、じっとりと嫌な汗が伝う。
ペテルギウスが存在しない世界……あるいは、いや、こんなもの、無数にあるな。
無数に存在する〝if〟の中の、一つの世界。
その世界の、パンドラ。
俺の魂の中にいるこのパンドラは、一体どんな〝もしも〟を歩んできた存在なんだ?
『どうかしましたか、ルナリス?』
首を傾げるパンドラの笑顔の奥に、底の知れない深淵を見た気がして、俺はそれ以上、思考を進めるのをやめた。
『私が才ある者を育てよう』
「いいじゃん」
『良い心がけだ。褒めてやろう』
『成功するのは目にみえていますね』
『この差は一体…??』