インフィニット・ストラトス×家庭教師REBORN!―雪零の守護者―』 作:suzuki00
五つの助手席、第四の記憶(篠ノ之箒の場合)
1. 間に合わなかった現実
夜の廃倉庫街。
風が吹き抜けるたび、錆びついた鉄の軋む音が不気味に響く。
篠ノ之箒は息を殺し、崩れた壁の影から中を窺っていた。
――やはり、あいつは普通じゃない。
臨時講師として着任した白崎零士を追って辿り着いた場所。だが、そこにあった光景は、彼女の想像を遥かに超えていた。
鼻を刺す異臭。鉄と、腐敗と、鼻を突く毒々しい薬品の混ざったような匂い。
床には荒らされた跡、引きずられた跡、そして――ピクリとも動かない、衣服を剥ぎ取られた無数の若い女性たちの人影が転がっていた。
「……っ……」
喉の奥が焼けるように熱い。目を逸らしたい。だが、逸らせない。
そこは、すでに“終わった”地獄だった。助けを求める声も、逃げようとする気配も、何一つ残っていない。あるのはただ、“間に合わなかった”という残酷な現実だけ。
「……こんな……ことが……」
震える声が漏れる。その時――倉庫の奥から、吐き気を催すほど無神経な笑い声が響いた。
『おい、次の薬回してやれよ。朦朧としてる時が一番扱いやすいんだからよ』
『ギャハハ! 散々薬漬けにして楽しんだ後は、生かしておいても足がつく。用済みになったらさっさとハコに詰めて殺しちまうのが一番手っ取り早いんだよ』
へらへらと笑いながら、犠牲者たちの尊厳を徹底的に踏みにじる下種な男たち。その吐き気を催す邪悪な言葉が、何よりも、箒の剣士としてのプライドと正義感を激しく逆撫でした。激しい怒りで視界が血の塊のように赤く染まる。
「――終わりだ」
低く、冷え切った声が空気を裂く。
白崎零士。
いつの間にか、そこに立っていた。気配はなかった。だが、“そこにいる”という確定した破滅の結果だけがあった。
『……誰だテメェ』
振り向く男。だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
一瞬。本当に、一瞬だった。何が起きたのか、箒の目には見えない。
零士の手元で白銀の炎が閃いたかと思った瞬間、へらへらと笑っていた男の首から上が音もなく完全凍結し、そのままコンクリートの床へ落ちてガラスのように粉々に砕け散った。頭部を失い、物言わぬ肉塊となった胴体が激しく血を噴き上げながら倒れ伏す。
「は……?」
空気が凍る。次の瞬間、倉庫の奥から狂乱した怒号が響いた。
『撃て!! 殺せ!!』
激しい銃声が弾ける。だが――当たらない。いや、違う。弾丸が届く前に、零士の放つ絶対零度のプレッシャーが空間そのものを凍結させていた。
零士はただ、静かに歩いているだけだった。一歩踏み込む。それだけで空間の距離が消える。白銀の炎を纏った腕が振られるたび、凄惨な肉体の破壊音が響き渡る。
『な、なんなんだこいつ……!』
『来るな……ヒギッ、くるなァ!!』
恐怖に歪んだ叫び。だが、その懇願も長くは続かない。
命を弄び、尊厳を奪ってきた下種どもに対し、零士の刃は一切の慈悲を与えなかった。容赦のない死神の刃が、逃げ惑う男たちの肉体を容赦なく両断し、切り口から一瞬で凍らせていく。抵抗は意味を持たない。命乞いの時間すら与えられない。ただ一方的に、確実に、そして徹底的に、すべての命が無惨に屠られていく。
やがて、銃声も叫びも消えた。
重く、圧し掛かるような沈滅。
床に広がっていたのは、赤黒い血だまりではなく、白銀の霜に覆われた肉体の破片と、完全に物言わぬ骸の山だった。人としての皮を被った獣たちは、誰一人として生きてはいない。生存者は、文字通り皆無だった。
零士はただそこに立っていた。地獄のような惨劇の中心で、何事もなかったかのように、胸元のロザリオに静かに手を当てて。
「……っ……」
箒は壁に手をつき、必死に呼吸を整える。視界が揺れる。胃の底から競り上がってくる悪感を必死に堪えながら、理解してしまう。ここには最初から――救えるものなど何一つ残っておらず、そして目の前の男は、悪党を一人残らず駆逐する本物の「死神」なのだと。
「……見ていたな」
背後からの声に、箒の身体が跳ね上がった。振り向けない。足が動かない。
「……お前は……何なんだ……。何のために、こんな……」
絞り出した声。怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。
零士は、わずかに沈黙した。そして――
「……遅かっただけだ」
感情のない声。だがその言葉が、何より重かった。
「……見るな。これは、お前の世界じゃない」
拒絶でも、命令でもない。ただ――住む世界の違いに、明確な線を引く言葉だった。
遠くで警察のサイレンが鳴り始める。だが、それはもう遅い。すべてが終わった後の、無意味な残響音だ。
零士は背を向け、歩き出す。止めることはできない。ただ、その背が夜の闇に溶けていくのを、箒は見送るしかなかった。
胸の奥に残ったのは、怒りでも正義でもない。ただ一つ――“知ってしまった”という現実。
精度を欠いた正義では、目の前の凄惨な悪を前に何もできなかったという無力感、そして、もう二度と、知らなかった頃の自分には戻れないという確信だった。
2. 黒いソアラの静寂
倉庫街の外れ。夜風が、重たい血と凍気の匂いを押し流していく。
箒は、まだその場から動けずにいた。足が震えている。
――その時。静かに、空気が揺らいだ。
零士が、いつの間にかすぐ近くに立っていた。
「……来い」
短い、それだけ言う。零士は腰の特殊な『匣(ボックス)』に手をかけた。
「――開匣(かいこう)」
極小の死ぬ気の炎が注がれ、空間の歪みから現れたのは、夜の闇を映すような流線型の黒いボディ――『トヨタ・ソアラ』。
「……乗れ。ここにいるべきじゃない」
箒は一瞬迷い、拳を握り、そして――歩いた。逃げるのではなく、この現実に向き合うために。
ドアを閉めた瞬間、外の音が遮断される。
高級クーペ特有の静寂。エンジンの低い振動だけが、空間を満たす。ソアラが滑るように走り出した後、箒が先に沈黙を破った。
「……あれは……何だ。何を見たか、分からないとは言わせない」
零士は前を見たまま、答える。
「……遅かった。もう少し早く辿り着いていれば、救えた」
「……救えた、だと……?」
箒の声が強くなる。
「ならばなぜだ! なぜもっと早く――」
「できない」
即答だった。
「情報が入った時点で動いている。だが、すべてに間に合うわけじゃない。……あそこは、その一つだ」
怒りの矛先が、どこにも向けられない。
「……なら、お前は何なんだ。正義の味方か? それとも……ただの――」
「違う」
被せるように、零士は言った。
「どちらでもない。俺は、“後始末”をしているだけだ」
その言葉は、冷たく――そして、どこか諦めていた。
箒は俯き、拳を握りしめる。思い出すのは、あの間に合わなかった現実。
「……私は……見てしまった。引き返せないという事実を」
「……だから言ったはずだ。見るな、と」
「……それでも!」
箒は顔を上げた。瞳は、もう揺れていない。
「それでも、私は知る。知らなければ、誰も……一夏も、守れない! お前が何をしているのか。何を背負っているのか、それを、理解したい」
ブレーキがわずかに踏まれ、車が減速する。
零士は初めてはっきりと箒を見た。その目は冷たい。だが――ほんの僅かに、何かが揺れた。
「……やめておけ。これは、お前が踏み込んでいい場所じゃない」
「決めるのは私だ。……私は、絶対に逃げない」
再びの静寂。やがて零士は、諦めたように、あるいは覚悟を決めたように小さく息を吐いた。
「……なら、一つだけだ。……俺のボスの言葉を聞け」
零士はセンターコンソールから、ボンゴレ特製の秘匿通信機を取り出し、イタリア本部へと回線を繋いだ。
3. 大空の覚悟、雪の誓い
ピピッ、という接続音の向こうから、少し疲れたような、けれど驚くほど温かくて優しい少年の声が響いた。
『――夜遅くに、お疲れ様。零士くん。日本の任務、終わったんだね』
「十代目。……はい、例の組織の拠点を一つ、叩き潰しました。ですが、遅かったです。人質の生存者は……いませんでした」
通信の向こうで、はっきりと息を呑む気配がした。
『そっか……。うん。……零士くんが全力を尽くしてくれたなら、誰も君を責められないよ。ありがとう』
ツナの声には、深い悲しみと、それでも戦い続けるボスの覚悟があった。零士は言葉を続ける。
「それと、十代目。報告があります。……今回の作戦行動を、IS学園の生徒――『篠ノ之箒』に見られました。彼女は世界の裏側を知り、その上で、俺たちの戦いを理解したいと言っています。逃げる気はない、と」
『えっ……!?』
ツナの声が動揺に揺れる。
『篠ノ之……箒さんって、あの篠ノ之博士の妹さんの……?』
「はい。彼女の目の強さと覚悟は、ただの一般人のそれではありません。俺個人の判断としては、彼女をボンゴレの保護下に置き、同時に、我が『雪の部隊』の構成員候補(実戦要員)としてスカウトしたいと考えています。……十代目のご判断を」
しばしの沈黙が、車内に流れた。
世界最強のマフィアのボスが、一人の少女の運命を左右する決断を下すための時間。
やがて、通信機の向こうから、深く、包み込むような優しい声が届いた。
『……代わってくれるかい? 零士くん。……箒さんと、直接お話がしたい』
零士は無言で通信機を箒に手渡した。箒は緊張で固くなりながらも、それを受け取り、耳に当てる。
「……篠ノ之、箒だ」
『はじめまして、箒さん。ボクは沢田綱吉。……零士くんの、ボスです』
その声には、マフィアのボス特有の威圧感など微塵もなかった。だが、誰よりも人の痛みに寄り添ってきた人間だけが持つ、圧倒的な慈愛があった。
『零士くんから聞いたよ。……怖い思いをさせてしまって、本当にごめんなさい。ボクたちの戦いは、決して綺麗じゃない。今日君が見たものは、世界の醜い部分そのものだ』
「……分かっている。だが、私は……知ってしまった以上、無力なまま終わりたくない」
『うん。君の目が、とても真っ直ぐで強いことは、通信越しでも伝わってくるよ。……でもね、ボクたちの仲間になるってことは、いつか君自身も、誰かを傷つける覚悟を求められるかもしれない。それでも……君は、大切なものを守りたい?』
「……ああ。そのためなら、私はどんな闇にだって耐えてみせる」
箒の迷いのない断言。
それを聞いたツナは、切なげに、しかし確かな信頼を込めて小さく笑った。
『分かった。……篠ノ之箒さん。君の覚悟を、ボクが預かるよ。君と、君の大切な人たちの身の安全は、ボクたちボンゴレが絶対に保証する。……その代わり、零士くん。彼女の指導は、君に任せるよ。彼女を、絶対に哀しい目にあわせないでね』
「ハッ。御意(ミーオ・ボース)、十代目」
零士が短く応じ、通信は切れた。
通信機をコンソールに戻し、零士は再びソアラのアクセルを踏み込む。
助手席の箒を見るその目は、さきほどまでの「冷徹な拒絶」から、同じ闇を歩む「身内(ファミリー)」を見守る、わずかに温かい光へと変わっていた。
「……決まりだ。お前はこれから、ボンゴレの保護下に入る。そして、俺の部隊の候補生だ」
箒は窓の外を見つめ、拳をそっと解いた。
「……厳しく頼む。私は、もう二度と……間に合わない現実の前に、泣きたくはないからな」
「安心しろ。死ぬ気でしごいてやる」
エンジン音が夜に溶けていく。
戻る場所は、もう同じではない。だが、進むべき未来は一つに重なった。
4. 四つの席が揃う時(重婚エピローグ)
数日後のIS学園。
アリーナの喧騒から離れた特等席で、セシリア、シャルロット、ラウラの3人が静かに佇んでいた。そこに、いつも以上に凛とした歩調で、篠ノ之箒が近づいてくる。
4人の少女の視線が交錯した瞬間、言葉はなくとも、すべてが伝わった。
全員が、あの男の「助手席」に座り、世界の深淵と、彼の不器用な優しさに魂を救われた『共犯者』たち。
「あら、箒さんも……ようやく『こちら側』の住人になられたのね」
セシリアが、どこか誇らしげに微笑む。
「うん。これで、IS学園の代表候補生はみんな『ファミリー』になっちゃったね」
シャルロットがクスクスと悪戯っぽく笑う。
「フン、主(マスター)の直属の部下(候補生)になったか。だが、妻(定位置)の座は譲らんぞ」
ラウラが腕を組んで、ライバルを歓迎するように目を細めた。
箒は彼女たちの言葉に、ほんの少しだけ頬を赤らめながらも、真っ直ぐに教官席を見つめた。そこには、いつも通り気怠そうに、しかしどこか見守るようにこちらを見ている白崎零士の姿がある。
(一夏。お前は眩しい光のままでいい。……私は、この人の闇の隣で、もっと強くなる)
――数ヵ月後。
イタリア・ボンゴレ本部。
「ギャハハハハ! おい零士! 日本での『雪の守護者』としての任務報告書を見たぞ! お前、ISの代表候補生4人を全員ボンゴレに引き摺り込んで、自分のファミリーにしちまったのかよ!」
歴戦の家庭教師リボーンが、机を叩いて大爆笑している。その横で、白銀のロザリオを揺らしながら、本気で胃を押さえて頭を抱えている白崎零士の姿があった。
「十代目の命令(保護)を忠実に遂行しただけだ……。なぜこうなった……」
「そりゃあ、お前が不器用に優しくするからだぞ、零士くん」
通信画面の向こうで、ボスのツナ(沢田綱吉)もどこか楽しそうに、苦笑いを浮かべている。
部屋の重厚な扉が開き、仕立てのいいスーツや戦闘服に身を包んだ、見違えるほど美しく強くなったセシリア、シャルロット、ラウラ、そして箒の4人が堂々と入ってきた。
「零士、次の任務の準備は完了していますわ!」
「先輩、私たちのこと、一生責任持って指導してくれるって、ボスの前で約束したもんね?」
孤独に夜を駆けていた死神の左手は、今や4人の最強の少女たちに固く握りしめられている。
新たな覚悟を宿した「零士ファミリー」を乗せた漆黒のポルシェと86は、これからも世界の境界線を守るため、騒がしく、そして熱く夜の国道を走り続けるのだった。
(第四の記憶・箒の場合 ―― 完)
原作では、世界を混乱に陥れるトリックスターとしての篠ノ之束から手渡された専用機『打鉄弐式(のちの暮桜)』。
しかしこのルートでは、すでに零士のカウンセリングとツナの包み込むような器によって「良識ある天才科学者」としてボンゴレに保護され、純粋に夢だった宇宙開発(ロケット開発)に没頭している束さん。
そんな彼女が、妹・箒のために紡ぎ出したのがこの『暮桜』です。
しかし、天才ゆえにどうしても機体がピーキー(尖った性能)になりがちな束さんの設計を、ボンゴレが誇る一級の技術者、入江正一とスパナが「実戦で箒が死なないように」と完璧なバランス型へと超改良する――。
この熱すぎる技術者たちの裏舞台と、臨海学校での暮桜譲渡の瞬間を、一つの美しいエピソードとして組み立てました。
■【幕間:ボンゴレ・エアロスペース第一開発局にて】
「あー、もう! 束さん、またやってくれたね……。この新型ISの基本フレーム、出力限界値の設定が完全に狂ってるよ。これじゃあ操縦者の神経(ニューロ)リンクにかかる負荷が大きすぎて、実戦の数分で脳が焼き切れちゃうじゃないか……!」
イタリア・ボンゴレ
宇宙開発部門『アルコバレーノ・コスモ』のファクトリーで、入江正一は胃を痛そうに押さえながら、ホログラムディスプレイに向かって絶叫していた。
彼の隣で、特製の飴を舐めながらキーボードを叩いていたスパナが、気怠げに視線を上げる。
「まあ落ち着けよ、正一。彼女(束)は天才だからな。自分が乗るわけじゃないから、どうしても『最高出力』と『最大理論値』だけで図面を引いちゃうんだろ。……ただ、この『暮桜(くれざくら)』って機体、ポテンシャルだけは間違いなく世界最高峰だ」
「分かってるよ! 分かってるけどさぁ……!」
正一は頭を抱えた。
篠ノ之束がボンゴレに保護されて以来、彼女は「本当にやりたかった宇宙開発」に子供のように目を輝かせて没頭している。それは喜ばしいことなのだが、彼女が「日本の学園にいる妹(箒)へ、せめてものお守りに」と設計したこのISは、性能が尖りすぎていて兵器というよりはじゃじゃ馬の極みだった。
「零士くんからの報告だと、篠ノ之箒さんは我が『雪の部隊』の候補生として、今まさに実戦の闇に適応しようと必死に訓練を続けている最中なんだ。そんな彼女に、こんなピーキーな機体を渡せるわけがない。もしものことがあったら、十代目に顔向けできないよ!」
「なら、俺たちの出番だな」
スパナが不敵に笑い、飴を噛み砕く。
「束さんの超天才的な推進ロケット理論と、近接ブレードの設計はそのまま残す。そこに、俺たちのモスカートの制御技術と、ボンゴレの特殊合金のノウハウを組み込むんだ。出力のピークを滑らかにして、あらゆる局面に対応できる『完璧なバランス型』へとチューニングする」
「うん……! 束さんの夢(宇宙の推進技術)が詰まったこの機体を、箒さんが安全に、そして最強の盾として扱えるように、僕たちの技術で調律(コントロール)しよう!」
裏社会の天才技術者二人が、不敵に視線を交わす。
これこそが、世界のバランスを崩さないためにボンゴレが施した、もう一つの「優しい後始末」だった。
◇
■「祈りは雪に溶ける」:臨海学校・夕暮れの浜辺にて
夏の終わりの臨海学校。
寄せては返す波の音を聞きながら、篠ノ之箒は夕暮れの砂浜に一人立ち、自身の拳を見つめていた。
零士の雪の部隊の候補生となって以来、彼女は学園の授業の裏で、世界の汚悪な現実を何度も見てきた。無力さに泣いたあの日から、必死に剣を振り、力を求めてきた。だが、ISを持たない生身の自分では、限界があることも理解していた。
「――ほうきちゃーん!」
突如、空間を弾くような明るい声が響いた。
箒がハッと振り返ると、そこには波打ち際を笑顔で走ってくる、懐かしい女性の姿があった。
「お、お姉ちゃん……!? なぜここに……! お前は世界中から追われて……」
「ブブー! 違うよ箒ちゃん! ボクは今、追われてなんかいないもーん!」
束は以前のような狂気や焦燥感を一切感じさせない、非常に健康的で晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「今のボクはね、すっごく優しくてカッコいいボスのおかげで、毎日お月様に行くための大きなロケットを作ってるんだから! 毎日が本当に楽しいんだ!」
「宇宙……ロケットだと……?」
「そう! でもね、ボクが遠いお星様に行っちゃう前に、大好きな箒ちゃんにこれだけは渡しておきたくてさ」
束は懐から、一輪の美しいサクラを模したISの起動キー(待機形態)を取り出し、箒の手のひらにそっと乗せた。
「専用IS『暮桜(くれざくら)』。……本当はね、ボクの理論だとちょっとじゃじゃ馬な機体になっちゃうはずだったんだけど……。ボクの会社の同僚の、メガネをかけた胃弱くんと、ツナギを着たメカニックくんがね、ものすごーく真剣な顔で『これじゃあ妹さんが危ない!』って言って、完璧にリチューンしてくれたんだ」
束はそう言って、少し離れた松林の影を見つめた。
そこには、静かに腕を組んで佇む白崎零士の姿があった。
「あの人たち、箒ちゃんが傷つかないように、本当に一生懸命守ろうとしてくれてるよ。……だから、安心して使いなさい。これは、ボクの夢の結晶(テクノロジー)で、彼らの優しさ(チューニング)が詰まった、世界で一番安全な、君だけの剣だ」
束は箒の頭を優しく撫でると、名残惜しそうに笑った。
「じゃあね、箒ちゃん。ボク、またボスのお仕事(宇宙開発)に戻らなきゃ! 零士先生、うちの可愛い妹をよろしくねー!」
手を振りながら、夜の闇に待機させていたボンゴレのヘリへと戻っていく束の背中を、箒はただ呆然と見送るしかなかった。
手のひらに残る、金属の心地よい重み。
「……白崎」
箒が声をかけると、零士が静かに砂浜を踏んで近づいてきた。
「その機体には、入江とスパナが全力を注いだ。束さんの規格外の出力を、お前の剣技に完璧に追従するように、あらゆる状況に対応できる『万能バランス型』に書き換えてある。……お前が戦場で、絶対に死なないためにな」
零士の言葉に、箒はきゅっと起動キーを握りしめた。
そこにあるのは、姉が取り戻した純粋な科学の夢。そして、自分をファミリーとして迎え入れてくれたボンゴレの、あまりにも温かい配慮。
「……そうか。ならば、私はこの『暮桜』と共に往こう。お前たちの背負う闇を、切り開くための剣として」
箒がキーを掲げると、白銀の炎をベースにした、あまりにも美しく洗練された武者型の装甲が、彼女の身体を優しく包み込んでいく。
ピーキーさを削ぎ落とされ、確実な「守るための力」へと昇華された暮桜。
夕暮れの海原を背に、新たな力を得た少女剣士は、雪の守護者の隣で、真っ直ぐに未来を見据えていた。