もしも織田信忠が本能寺の変で死ななかったら   作:アルトリア・ブラック(Main)

5 / 6
第五話「処刑」

 

安土へ続く街道を、一列の人影が歩いていた。

 

縄を掛けられた者達だった。

 

明智の一族。

 

光秀の息子達。

 

未だ嫁いでいない姫達。

 

近習。

 

乳母。

 

坂本城より連行された者達である。

 

その列は長かった。

 

兵達に囲まれながら進む。

 

誰も喋らない。

 

泣き疲れたのか。

 

あるいは既に運命を悟ったのか。

 

ただ足を動かしていた。

 

やがて先頭が止まる。

 

前方に軍勢が見えた。

 

織田の旗。

 

そして。

 

一頭の馬。

 

馬上には織田信忠がいた。

 

捕らえられた者達の間に緊張が走る。

 

信忠は何も言わない。

 

ただ列を見ていた。

 

一人ずつ。

 

ゆっくりと。

 

その視線は冷たかった。

 

勝家が前へ出る。

 

「殿」

 

信忠は答えない。

 

勝家は続ける。

 

「明智一族にございます」

 

分かっている。

 

そんなことは見れば分かる。

 

それでも勝家は言わずにはいられなかった。

 

信忠は馬から降りる。

 

静かに歩く。

 

縄を掛けられた者達の前を通る。

 

若い男がいた。

 

光秀の息子だろう。

 

その隣には姫達。

 

まだ幼い者もいる。

 

信忠は立ち止まる。

 

誰も声を出さない。

 

風だけが吹いていた。

 

やがて一人の少年が顔を上げた。

 

「父上は」

 

震える声だった。

 

「父上はどこだ」

 

誰も答えない。

 

少年は信忠を睨む。

 

必死だった。

 

恐怖を隠すように。

 

「父上は生きておられるのか!」

 

信忠は何も言わなかった。

 

脳裏に炎が浮かぶ。

 

本能寺。

 

父の首。

 

勝長。

 

長利。

 

焼ける木の匂い。

 

鉄砲の音。

 

全てが蘇る。

 

拳を握る。

 

爪が掌へ食い込んだ。

 

「殿」

 

今度は長秀だった。

 

慎重な声だった。

 

「如何なされますか」

 

沈黙。

 

誰も動かない。

 

信忠の返答を待っていた。

 

長秀は続ける。

 

「女子供にまで罪は――」

 

「処刑する」

 

長秀の言葉が止まる。

 

勝家が顔を上げる。

 

氏郷も。

 

長可も。

 

誰もが信忠を見る。

 

信忠は前を向いていた。

 

表情は変わらない。

 

怒鳴ってもいない。

 

叫んでもいない。

 

ただ。

 

その声だけが異様に冷たかった。

 

「男子も」

 

信忠が言う。

 

「女子も」

 

沈黙。

 

「例外はない」

 

姫達の顔が青ざめる。

 

少年達も息を呑む。

 

長秀が一歩前へ出た。

 

「殿」

 

信忠は振り返らない。

 

「父上は焼かれた」

 

静かな声だった。

 

だが。

 

誰も口を挟めない。

 

「勝長は死んだ」

 

「長利叔父上も死んだ」

 

信忠は前を見ていた。

 

その視線の先には明智の血を引く者達がいる。

 

だが。

 

信忠には別のものが見えていた。

 

炎だった。

 

本能寺だった。

 

父だった。

 

「許さぬ」

 

その一言だけだった。

 

長秀は黙った。

 

勝家も何も言わない。

 

氏郷も。

 

長可も。

 

誰も。

 

織田信忠を止めることができなかった。

 

この場にいる誰もが知っていた。

 

今ここにいるのは。

 

若殿ではない。

 

父を殺された息子だった。

 

そして。

 

その怒りはまだ終わっていなかった。

 

翌日早朝、明智光秀の一族は打首に処された

 

姫達の悲鳴がこだまし、民達は怯えた

 

信長様の再来だと

 

 

 

広間は静まり返っていた。

 

信忠は上座に座している。

 

その前には細川忠興。

 

そして妻の玉がいた。

 

忠興は畳へ額を擦り付けていた。

 

もはや平伏という言葉では足りない。

 

地面へ頭を叩き付けるような勢いだった。

 

「お願い申し上げます!」

 

声が震えていた。

 

「妻だけは!」

 

信忠は黙っている。

 

忠興は続けた。

 

「玉は何も知りませぬ!」

 

「本能寺の変にも!」

 

「光秀の企みにも!」

 

「一切関わっておりませぬ!」

 

広間に響く声。

 

だが信忠の表情は変わらない。

 

冷たかった。

 

「証明できるか」

 

忠興が言葉に詰まる。

 

できるはずがない。

 

知らなかったことを証明する術など存在しない。

 

信忠は静かに言った。

 

「光秀の娘だ」

 

忠興の肩が震える。

 

「殿」

 

「光秀の血を引く」

 

「殿!」

 

忠興は顔を上げた。

 

その目には涙が浮かんでいた。

 

「お願い申し上げます!」

 

「この忠興の命と引き換えでも!」

 

「妻だけは!」

 

玉は隣で深く頭を下げていた。

 

一言も発しない。

 

ただ静かに頭を垂れている。

 

父は逆賊。

 

その事実は変わらない。

 

弁明する資格などないと理解していた。

 

信忠は二人を見下ろした。

 

脳裏には本能寺の炎がある。

 

父の首。

 

勝長。

 

長利。

 

焼けた柱。

 

血の臭い。

 

全てが蘇る。

 

「弁明は聞こう」

 

信忠が言う。

 

忠興の顔に僅かな希望が浮かぶ。

 

だが。

 

次の言葉は冷たかった。

 

「処分は変わらぬ」

 

広間の空気が凍った。

 

忠興は絶句する。

 

玉も僅かに顔を伏せた。

 

信忠の意思は固い。

 

誰の目にもそう見えた。

 

その時だった。

 

「殿」

 

女の声が響く。

 

広間の視線が向く。

 

松姫だった。

 

静かに歩み出る。

 

信忠が眉をひそめた。

 

「何用だ」

 

松姫は信忠を真っ直ぐ見つめた。

 

「その処断は織田のためになりますか」

 

信忠の目が細くなる。

 

「逆賊の娘だ」

 

「細川家の正室でもあります」

 

松姫は即座に返した。

 

「忠興殿を失えば細川家も失います」

 

沈黙。

 

「光秀の血を残せと」

 

「いいえ」

 

松姫は首を振る。

 

「私は武田の娘です」

 

広間が静まる。

 

「滅びる家を見て参りました」

 

その言葉には重みがあった。

 

武田家。

 

織田によって滅んだ名門。

 

松姫自身がその生き残りだった。

 

「憎しみで人を斬ることはできます」

 

「ですが」

 

「国は治まりませぬ」

 

信忠は何も言わない。

 

松姫は続けた。

 

「今の殿は」

 

一瞬言葉を止める。

 

そして。

 

「織田信忠ではなく」

 

「信長公の御子になっておられます」

 

忠興も玉も息を呑んだ。

 

広間が静まり返る。

 

信忠の拳がゆっくり握られた。

 

誰も動かない。

 

松姫だけが夫を見つめていた。

 

武将としてではなく。

 

当主としてでもなく。

 

ただ一人。

 

夫として。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。