もしも織田信忠が本能寺の変で死ななかったら   作:アルトリア・ブラック(Main)

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最後だけ挿絵あり


第六話「これからの織田家」

広間には重苦しい空気が漂っていた。

 

上座には信忠が座している。

 

その前には細川忠興。

 

そして玉。

 

二人とも深く頭を下げていた。

 

誰も口を開かない。

 

しばらく沈黙が続いた。

 

やがて信忠が口を開く。

 

「面を上げよ」

 

忠興が顔を上げる。

 

玉も静かに従った。

 

信忠の目は冷たかった。

 

本能寺から変わらぬ目だった。

 

「細川玉」

 

「はっ」

 

「其方は明智光秀の娘か」

 

「左様にございます」

 

玉は否定しなかった。

 

否定できるはずもない。

 

信忠はしばらく彼女を見つめていた。

 

やがて。

 

「本来なら死罪だ」

 

広間が静まり返る。

 

忠興の肩が震えた。

 

「殿!」

 

「黙れ」

 

一言だった。

 

忠興は言葉を失う。

 

信忠は玉から目を離さない。

 

「父は謀反を起こした」

 

「は」

 

「織田家を滅ぼそうとした」

 

玉は俯いた。

 

反論しない。

 

いや、できない。

 

信忠の声は次第に低くなっていく。

 

「父上は死んだ」

 

「……」

 

「勝長も死んだ」

 

「……」

 

「長利叔父上も死んだ」

 

広間の空気が張り詰める。

 

誰も動けない。

 

信忠は拳を握った。

 

「其方は何と言う」

 

玉は静かに顔を上げた。

 

恐怖はあった。

 

だが目は逸らさない。

 

「申し開きはございませぬ」

 

忠興が顔を上げる。

 

思わず何か言おうとする。

 

だが玉は続けた。

 

「父の罪は父の罪」

 

「されど」

 

一瞬言葉を止める。

 

「私が明智の娘であることは変えられませぬ」

 

信忠は黙って聞いていた。

 

「処罰はお受けいたします」

 

静かな声だった。

 

広間が再び沈黙する。

 

忠興は唇を噛み締めている。

 

その時だった。

 

 

 

 

「殿」

 

松姫が口を開いた。

 

信忠が視線を向ける。

 

「細川家は此度の戦において忠節を尽くしました」

 

「……」

 

「忠興殿もまた同じにございます」

 

信忠は何も言わない。

 

松姫は続けた。

 

「玉殿を処刑なされば」

 

「細川家もまた傷付きましょう」

 

長秀も静かに頷く。

 

「殿」

 

「細川家は必要にございます」

 

勝家は黙ったままだった。

 

だが反対もしない。

 

信忠は目を閉じた。

 

本能寺の炎が浮かぶ。

 

父の顔。

 

勝長の顔。

 

長利の顔。

 

光秀の顔。

 

全てが胸の奥で渦巻く。

 

長い沈黙だった。

 

やがて。

 

信忠は目を開く。

 

「細川玉」

 

「はっ」

 

「死罪は免ずる」

 

忠興が顔を上げた。

 

だが信忠は続ける。

 

「許したわけではない」

 

その声は冷たかった。

 

「細川領内の寺へ移せ」

 

広間が静まる。

 

「終生そこを出ることを許さぬ」

 

「……」

 

「外との文のやり取りも監視する」

 

忠興の顔から喜びが消える。

 

それは助命であって自由ではなかった。

 

「安土へ入れることも許さぬ」

 

信忠は言った。

 

「明智光秀の娘を」

 

「父上の城へ置く気はない」

 

誰も何も言わなかった。

 

玉は静かに頭を下げる。

 

「有り難き処分にございます」

 

信忠は立ち上がった。

 

もう話すことはない。

 

広間を去る背中を、忠興と玉は黙って見送った。

 

その背中からは。

 

許しも。

 

慈悲も。

 

まだ感じることはできなかった。

 

 

信忠はそのまま安土城天守へ向かった。

 

供も連れない。

 

誰にも声を掛けない。

 

ただ一人。

 

石段を登る。

 

やがて最上階へ辿り着くと、ゆっくりと外へ目を向けた。

 

眼下には安土の城下町が広がっている。

 

夕陽に染まる町は静かだった。

 

戦など無かったかのように。

 

人々は今日も生きている。

 

煙が上がり。

 

子供達が走り回り。

 

商人達が店を畳む。

 

平和な光景だった。

 

信忠は黙って見下ろした。

 

本能寺の炎を思い出す。

 

二条城を思い出す。

 

勝長の顔が浮かぶ。

 

長利の顔も浮かぶ。

 

そして。

 

父の顔が浮かんだ。

 

「父上……」

 

誰もいない天守に声が消える。

 

光秀は討った。

 

仇は討った。

 

だが。

 

何一つ戻ってこない。

 

勝長も。

 

長利も。

 

父も。

 

帰ってはこない。

 

信忠は手を握り締めた。

 

本来ならば。

 

死ぬのは自分だった。

 

父を置いて逃げたのは自分だ。

 

勝長を置いて退いたのも自分だ。

 

それなのに。

 

生きている。

 

今も。

 

こうして。

 

天下一の城の天守から景色を見ている。

 

「何故だ……」

 

思わず言葉が漏れる。

 

勝長は死んだ。

 

父は死んだ。

 

自分より優れた者達が皆死んだ。

 

なのに。

 

何故、自分だけが生きている。

 

風が吹く。

 

夕陽が揺れる。

 

信忠は目を閉じた。

 

その瞬間。

 

不意に思い出す。

 

幼い頃。

 

この天守から町を見下ろしながら。

 

信長が言った言葉を。

 

『よく見ておけ』

 

『天下とは城ではない』

 

『あそこに住む者達だ』

 

遠い昔のことだった。

 

だが今は妙に鮮明に聞こえた。

 

信忠は再び目を開く。

 

夕陽に染まる町を見る。

 

そこには守るべきものがあった。

 

父が築いたものがあった。

 

そして。

 

今は自分が背負わねばならぬものがあった。

 

信忠はゆっくりと天守を後にした。

 

夕陽は既に傾き始めている。

 

長い一日だった。

 

いや。

 

本能寺から今日までの全てが長かった。

 

廊下を歩く。

 

家臣達は頭を下げるが、誰も声を掛けてこない。

 

今の信忠に何を言えば良いのか分からないのだろう。

 

信忠もまた何も言わなかった。

 

そのまま奥へ向かう。

 

やがて一つの部屋の前で足を止めた。

 

中から幼い笑い声が聞こえる。

 

「姫様、お待ち下さいませ」

 

乳母の慌てた声。

 

その直後。

 

障子が勢いよく開いた。

 

「ちちうえ!」

 

小さな影が飛び出してくる。

 

愛姫だった。

 

信忠は反射的に娘を抱き止める。

 

「走るな」

 

そう言いながらも声は僅かに柔らかかった。

 

愛姫は嬉しそうに父の首へ腕を回す。

 

「おしごとおわった?」

 

信忠は答えに詰まる。

 

終わったのだろうか。

 

光秀は討った。

 

仇も討った。

 

だが。

 

何も終わった気がしなかった。

 

「……ああ」

 

ようやくそう答える。

 

愛姫は満足そうに頷いた。

 

「よかった!」

 

その無邪気な笑顔に、信忠は少しだけ目を細めた。

 

部屋へ入る。

 

そこには幸姫と澪姫の姿もあった。

 

二人は立ち上がり、丁寧に頭を下げる。

 

「父上」

 

「父上」

 

信忠は頷く。

 

幸姫は父の顔を見るなり僅かに眉を寄せた。

 

「父上」

 

「どうした」

 

「お疲れでございます」

 

思わず苦笑が漏れそうになる。

 

十にも満たぬ娘に見抜かれている。

 

「顔に出ているか」

 

「はい」

 

即答だった。

 

澪姫が慌てて口を挟む。

 

「姉上!」

 

「本当のことです」

 

幸姫は平然としている。

 

その様子に信忠は思わず息を吐いた。

 

久しぶりだった。

 

本当に久しぶりに笑いそうになった。

 

「お前はよく見ているな」

 

「父上を見ておりますから」

 

幸姫は当然のように答える。

 

信忠は言葉を失った。

 

その言葉が妙に胸へ刺さる。

 

松姫も部屋の奥から静かに姿を見せた。

 

夫を見る。

 

何も言わない。

 

だがその目だけで十分だった。

 

無事で良かった。

 

そう言っているようだった。

 

信忠は愛姫を膝へ乗せたまま座る。

 

澪姫も近寄ってくる。

 

幸姫は少し離れた場所から父を見ている。

 

穏やかな時間だった。

 

戦も。

 

政も。

 

謀反も。

 

ここには無い。

 

ただ家族だけがいる。

 

その時だった。

 

部屋の外から足音が聞こえた。

 

小姓である。

 

障子の向こうから緊張した声が響く。

 

「申し上げます」

 

信忠は顔を上げた。

 

「何事だ」

 

「徳川家康様がご到着にございます」

 

部屋が静まり返る。

 

愛姫は何も分からず父を見上げた。

 

信忠はしばらく動かなかった。

 

やがて愛姫の頭を優しく撫でる。

 

そして静かに立ち上がった。

 

束の間の父親の時間は終わる。

 

再び。

 

織田家当主としての時間が始まろうとしていた。





【挿絵表示】

細川忠興・玉へ宣言する信忠


【挿絵表示】

オリキャラ三人の姫


【挿絵表示】

三法師と鈴姫


【挿絵表示】

松姫と信忠
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