もしも織田信忠が本能寺の変で死ななかったら   作:アルトリア・ブラック(Main)

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第八話「織田一門」・上

家康との対談を終えた信忠は、そのまま安土城奥へと向かった。

 

本能寺の変よりこちら。

 

織田一門は散り散りとなった。

 

誰が生きているのか。

 

誰が死んだのか。

 

当主となった今でさえ、全てを把握できてはいない。

 

父は死んだ。

 

勝長も。

 

長利叔父も。

 

失った者達の名は嫌でも思い出される。

 

だが、生きている者もいるはずだった。

 

信雄。

 

信孝。

 

叔父達。

 

妹達。

 

姪や甥達。

 

光秀を討ったことで各地へ落ち延びていた一門も少しずつ安土へ戻り始めている。

 

信忠は静かに息を吐いた。

 

光秀は討った。

 

だが、織田家はまだ終わっていない。

 

まずは家族の顔を見なければならなかった。

 

廊下を進む。

 

やがて前方から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

「兄上!」

 

聞き慣れた声だった。

 

信忠が顔を上げる。

 

廊下を進む。

 

やがて前方から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

「兄上!!」

 

聞き慣れた声だった。

 

信忠が顔を上げる。

 

次の瞬間、一人の男が家臣達を押し退けるようにして駆けてくる。

 

織田信雄であった。

 

「兄上!」

 

今にも泣き出しそうな顔をしている。

 

信忠は思わず息を吐いた。

 

本能寺の変の報を聞いた信雄は、一時は安土城へ火を放とうとした。

 

父も兄も死んだ。

 

ならば安土もまた織田と共に滅びるべきだと。

 

だが。

 

信忠生存の報が届くや否や、その考えを捨て、即座に軍勢を率いて京へ向かった。

 

昔からそうだ。

 

考えるより先に動く。

 

良くも悪くも真っ直ぐだった。

 

家中では愚鈍と言う者もいる。

 

父も度々頭を抱えていた。

 

だが信忠は知っている。

 

信雄が当主の座を望んだことは一度もない。

 

幼い頃から。

 

「兄上がおるではないか」

 

それが信雄の口癖だった。

 

だからこそ。

 

信忠は目の前の弟を見て僅かに肩の力を抜いた。

 

「……走るな」

 

「兄上ぇぇぇ!」

 

信雄は構わず飛び付こうとする。

 

周囲の家臣達が慌てて止めに入った。

 

「兄上が生き残られて、本当に良かったです!!」

 

今にも泣き出しそうな顔だった。

 

信忠は思わず息を吐く。

 

この弟は昔からそうだった。

 

戦だろうが遠征だろうが。

 

父や兄の身を案じてばかりいる。

 

『兄上、死なずに戻って来てくださいよ』

 

『父上も無茶はなさらないでください』

 

それが信雄の口癖だった。

 

父はそんな信雄を見て呆れることもあったが、信雄自身は気にも留めていなかった。

 

織田の嫡男である信忠。

 

天下人である信長。

 

信雄にとっては当主や主君である前に、大切な家族だったのである。

 

「……大袈裟だ」

 

信忠がそう言うと、信雄は首を横に振った。

 

「大袈裟ではありませぬ!」

 

その目にはうっすら涙まで浮かんでいた。

 

「父上は……父上はもうおりませぬ……」

 

信忠は言葉を失う。

 

信雄は拳を握り締めた。

 

「だからせめて兄上だけでも生きていてくださればと……そう思っておりました」

 

信雄は拳を握り締める。

 

その言葉に偽りはない。

 

昔からこの弟はそうだった。

 

当主の座にも。

 

家督にも。

 

興味を示したことはない。

 

ただ家族が無事であることを願っていた。

 

「信雄兄上、またですか」

 

呆れたような声が後方から響いた。

 

信雄が振り返る。

 

信忠も視線を向けた。

 

廊下の先に一人の男が立っている。

 

織田信孝であった。

 

信雄は眉を吊り上げる。

 

「何だ信孝」

 

「兄上がご無事だったのですから、それで良いではありませぬか」

 

そう言いながら歩み寄ってくる。

 

口調は穏やかだ。

 

だがその目にはいつもの冷静さがあった。

 

信雄のように感情をそのまま表へ出すことはない。

 

信孝は信忠の前まで来ると静かに膝をつき、深く頭を下げた。

 

「兄上」

 

「信孝」

 

「ご無事で何よりにございます」

 

その言葉は簡潔だった。

 

だが信忠には分かる。

 

信孝もまた己の生還を喜んでいる。

 

ただ信雄ほど素直ではないだけだ。

 

「よく戦ってくれた」

 

信忠が言う。

 

信孝は頭を上げた。

 

「当然にございます」

 

短く答える。

 

そして僅かに口元を緩めた。

 

「兄上がおられるのですから」

 

「冬姫も既に安土へ到着しております」

 

その名に信忠の表情が僅かに和らぐ。

 

冬姫。

 

妹の中でも特に気に掛けていた一人だ。

 

「無事であったか」

 

「ご無事にございます」

 

信孝は答える。

 

「蒲生殿も共に」

 

信忠は小さく頷いた。

 

本能寺の変よりこちら。

 

妹達の安否も満足に分からなかった。

 

それだけでも胸のつかえが一つ取れた気がした。

 

だが信孝の報告は終わらない。

 

「永姫」

 

「徳姫」

 

「お鍋の方」

 

「お子達も続々と戻ってきております」

 

信忠は一文の挨拶のために大広間へ案内される

 

信忠は信雄、信孝の二人を伴い大広間へ向かった。

 

襖が開かれる。

 

そして。

 

信忠は思わず足を止めた。

 

広いはずの大広間が妙に狭く見える。

 

人が多い。

 

あまりにも多い。

 

信忠はゆっくりと上座へ進み腰を下ろした。

 

その瞬間。

 

居並ぶ親族達が一斉に頭を下げる。

 

叔父達。

 

弟達。

 

妹達。

 

姪や甥。

 

その数は想像を遥かに超えていた。

 

信忠は思わず目を細める。

 

弟達の中にはまだ乳母に抱かれた赤子までいる。

 

妹達も同じだ。

 

幼い少女が不思議そうにこちらを見上げていた。

 

誰だ。

 

信忠は真剣に考える。

 

分からない。

 

本当に分からない。

 

本能寺の変よりこちら。

 

己も各地を転戦し続けていた。

 

元服した弟達ならまだしも。

 

幼い弟妹達の顔までは流石に把握し切れていない。

 

「随分な数だな」

 

思わず漏れた言葉だった。

 

「父上は子沢山ですからな!」

 

信雄が即座に答える。

 

どこか誇らしげですらあった。

 

「兄上も覚えておられぬ者がおるのではございませぬか?」

 

信忠は返答に困った。

 

その様子を見て信孝が額へ手を当てる。

 

「信雄兄上」

 

「何です」

 

「それを今申し上げますか」

 

「事実ではございませぬか!」

 

信雄は首を傾げる。

 

「兄上も困っておられるようですし」

 

「事実でも今言うことではございませぬ」

 

「そうですかな?」

 

「そうです」

 

即答だった。

 

大広間の空気が僅かに和む。

 

信忠は思わず息を吐いた。

 

本能寺以来。

 

久しく感じていなかった空気だった。

 

家族の空気である。

 

信雄は満足げに頷いている。

 

信孝は呆れたように兄を見ている。

 

その光景が妙に懐かしかった。

 

父は死んだ。

 

勝長もいない。

 

長利叔父もいない。

 

だが。

 

織田家はまだここにあった。

 

信忠は改めて居並ぶ親族達を見渡した。

 

まず目に入ったのは冬姫である。

 

蒲生氏郷の隣に静かに座る妹は兄の視線に気付くと小さく微笑んだ。

 

無事だったか。

 

信忠は胸の内でそう呟く。

 

その後ろには永姫。

 

徳姫。

 

そして他の弟妹達。

 

顔と名前が一致する者もいれば。

 

正直なところ分からぬ者もいる。

 

信忠は額を押さえた。

 

「兄上?」

 

信雄が不思議そうに首を傾げる。

 

「いや」

 

信忠は小さく首を振った。

 

「まずは名を覚えるところから始めねばならぬようだ」

 

その言葉に。

 

信雄が目を瞬かせる。

 

信孝は僅かに視線を逸らした。

 

冬姫の口元が小さく緩む。

 

だが。

 

誰も声を上げて笑うことはなかった。

 

本能寺よりまだ日も浅い。

 

失った者達の名は今も皆の胸に残っている。

 

それでも。

 

信忠は改めて親族達を見渡した。

 

父は死んだ。

 

だが。

 

織田家はここにいる。

 

生きている者達がいる。

 

ならば前へ進まねばならなかった。




【信長の娘達】
長女・徳姫
次女・冬姫
三女・永姫
四女・綾姫(史実で言う三の丸殿)
五女・阿振
六女・鶴姫
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