リリアナへの恨み言を悲鳴と勘違いしたのか、邪神は嘲笑するように体を揺らした。
直視に耐えないグロ触手が下半身へと迫って来る。
万事休す…無念だ…
両親も育ての親も亡くし、親友たちも遠くへ行ってしまった。
信じた女には裏切られ、体はもう男ですらない。
結局俺は…ひとりだ……寂しい…
嫌だ…まだ俺は…誰か…誰か……助けて…
「ふははははははははは!俺が参上してやったぞ!!」
心が絶望に飲まれそうになったその時、場違いな笑い声がした。
底抜けに明るい男の声、体に染み渡っていくような力ある声だ。
「妙な気配を感じて来てみれば、愚物のなれ果てか…つまらん」
「…ォ…ァァ…テ…テン…シ…!?」
随分と偉そうだな。
それになんだ?触手邪神がメッチャ動揺している。
キョロキョロと辺りを見回しても声の主の姿は見えない。
一体どこに?
「女、どこを見ている。俺は上だ」
上?
声に従い上空へ視線を向けると、ひとりの男が宙に浮かんでいた。
腕組みをした男が触手に絡め取られた俺を見下ろしている。
そいつの背中からは漆黒の翼が生えていた。
それも三対、計6枚の翼を持った男だ。
鳥人族かと思ったけど、6枚の翼を有する鳥人など聞いた事がない。
あの男がどんな種族かは今は置いておこう。
それよりも、彼に助けを求める方が先だ!
「ふむ、お楽しみ中だったらしいな。空気の読める俺はクールに退散するとしよう」
男は妙な誤解をしている。
お前、この状況を見て俺が楽しんでいると思ってるの?バカなの?
「さらばだ!野外での特殊淫行は程々にするがよいぞ。ははははははは!」
背を向けて飛び去ろうとする男。
ちょちょちょちょ!待って待って待って!行かないでーー!!
「待って!助けて!助けて下さい!この触手野郎に襲われているんです!」
「何ぃぃ!?それを早く言わんか、バカのもが!」
必死の救援要請に男は応えてくれた。
頭は少しアレだけど、悪い奴ではないのかも?
有翼の男が俺と邪神の前に着地する。
勢いをつけた着地は地面を容易く陥没させた…普通そんな風になる!?
「おのれぇ!『触手プレイとは粋な奴めw』と思った俺がバカみたいではないか!」
うん、たぶんバカなんだろうな。
でも助けてくれるみたいだし、今は彼を応援したい。
「そこのキモいとしか言いようのない奴、女を置いて失せろ。今なら見逃してやる」
触手だらけの肉塊を指差し命令する謎の男。
随分と強気だけど大丈夫かな?
こんなキモい見た目でも邪神と呼ばれているような奴だ。
並大抵の実力では手も足も出ないと思われるが…
「シッテル…テンシ…ナカマコロシタ…イッパイコロシタァァ!」
突然、邪神が男に向けて怒気を発した。
俺を犯そうとした触手は既に引っ込んでおり、臨戦態勢に入ったようだ。
あの~、戦うなら俺の拘束は解いてくれませんかねぇ?ダメ?
「テンシテンシテンシテンシテンシィィィ!!シィィィィネェェェェッッ!!」
「ふんっ!弱者を嬲ることしか能のないゴミが、吠えるではないかw」
男はあくまで余裕の態度を崩さない。
そんな彼目掛けて、邪神は無数の触手を殺到させる。
触手の先端は鋭く尖った棘のように変化しており、人体など容易に貫いてしまうと予想できた。
このままでは全身穴だらけになって死んでしまうぞ!
ナッパよけろーっ!!
いや、彼の名前がナッパかどうかは知らんけどさぁ。
「失せろ」
あっけなく、あまりにもあっけなく、勝負は一瞬で決着した。
男が鬱陶しそうに手を軽く振った。
それだけで触手と本体である肉塊がまとめて消し飛んでしまった。
戦いにすらなっていない。男の実力が圧倒的すぎた故の結果だった。
今は何だ?魔法?それとも別の何か?
仮に魔法だったとして、魔力を練る素振りすら見せずにあれだけの威力とは恐れ入る。
強いなんてレベルではない。
これは明らかに人の常識を逸脱した力だ。
邪神が倒されて安堵したいのに、更にヤベェ奴が現れたことに戦慄を禁じ得ない。
「弱すぎる。肩慣らしにもならん、ハンデぐらいくれてやるべきだったか?」
邪神の本体が倒されたことで、俺を拘束していた触手も消滅していく。
いっったぁ!?大地に尻を打ち付けて痛い。
地面に投げ出された俺は、ようやくパンツ丸見え状態から解放された。
貞操の危機は去ったが、未だに安全とは言い難い。
「全く強すぎるのも考えものだな!ふはははははははははは!」
正体不明の乱入者が高笑いをしている内に、早くここからお暇しよう。
気配を殺してゆっくり、そーっと、慎重に…
「女、どこへ行く?」
もうバレた!?
俺は人畜無害なモブキャラなのでスルーしていいっスよ。
むしろスルーしてください!
「嘆かわしい。命の恩人に礼も無しとは、地上の民度も落ちたものよ」
うっ!た、確かに。
ピンチを救ってくれた相手に感謝のひとつもしないなんて、恩知らずにも程がある。
いろんな事がありすぎて、逃げることで頭がいっぱいだったわ。
この男の力は正直怖いけど、だからといって何も言わずにサヨナラするのは違うよな。
「すみませんでしたぁ!助けてくれてありがとうございます!」
「お、おう…」
「言い訳になりますが、あなた様のあまりの強さにビビッてしまいました。どうかお許しください」
「正直な奴め。よい、此度の不敬は不問にする」
ひれ伏して陳謝する俺に男は気を良くしたようだ。
やった!許された。
話せばわかる相手でよかったよ。
「顔を上げろ。いつまでそうしているつもりだ」
「は、はい…」
恐る恐る顔を上げ、腕組みをする男の前に立つ。
「して、お前は何だ?格好からして、まともな人間ではあるまい?」
「同じ質問を、俺もしたいところです」
ウエディングドレスを着て触手の餌食になりかけていた俺。
まあ普通じゃないわな、怪しいことこの上ない。
その気持ちは痛いほどわかるけど、あなたも十分怪しいですよ?
最初に目を引くのはやはり漆黒の6枚翼。
翼の末端にまで途轍もない魔力が満ちているのを感じる。
そして、この男…滅茶苦茶顔がいい!
男だった頃の俺が見ても『ウホッ!』となってしまいそうなイイ男だ。
翼と同色の黒い長髪は見るからにサラサラで、紫水晶の如き輝きを放つ瞳は力強くも美しい。
そう彼はとにかく美しいのだ。地上の生物とは思えない異様な美しさ。
こんな綺麗な人に会ったのは生まれて初めてだ。
着ている衣服も一般人とはかけ離れていた。
教会の聖職者が着ている法衣を更に豪奢にしたような変わった服。
それをカッコよく着崩しており、所々肌を露出させている。
胸元がはだけ過ぎではなかろうか?
セクシーじゃんね!
「話せば長くなるのですが…」
「なるべく簡潔に頼む」
「人型ウンコに騙されました」
「なんと!地上にはその様な不浄生命が誕生していただと!滅ぼしてよいか?」
「是非、おねがいします」
さすがに簡潔すぎて意味不明だったな。
俺はリリアナという女に騙され、邪神の慰み者になるところだったと男に説明した。
「なるほど。間一髪、間に合ったという訳か。フフ、さすが俺だな!」
「本当にありがとうございました。あなたがいなければ、どうなっていたことやら…」
「まあアレだ…苗床一直線だったろうな」
「被害者の前でハッキリ言わないでくれます?発狂しますよ?」
「すまん…」
うげぇぇぇ、今想像しただけでも身震いする。
マジで助かってよかったぁ。
邪神に襲われたことはトラウマになったけど、俺は無事生還したのだ。
さて、これからどうする?
邪神の魔の手から逃れたと知られたら、リリアナは当然俺を探し出して始末しようとするだろう。
あいつには殉教団という手駒がいる上に聖女としての権力もある。
奴らの勢力がどれぐらい広がっているか定かでないことも懸念事項だ。
下手をすると表裏問わず、リリアナの信奉者全てが敵に回ってしまう事態も…
そうなったら万に一つでも、俺に勝ち目は無くなる。
最初から、俺とあの女の間には絶望的な力量差があったのだ。
今すぐぶん殴りに行きたいが、それはあまりに無謀だ。
まずはどこかに身を隠して、リリアナの悪事を暴く準備を整えよう。
協力者も募りたいところだな。
魔女である師匠になんとか連絡が取れないだろうか?
リリアナの権力など意にも介さず、味方になってくれる人材がほしい。
例えば、目の前の男のような…
「……どわぁ!?」
「……」
考え事をしていたら、男が超至近距離まで接近していた。
いつの間に…というか、近い近い近い!
今にも鼻がくっ付きそうな距離なんだけどぉ!
何してんの?距離感が不自由な人だったの?
アメジストの瞳で見つめられ、不覚にも赤面してしまう。
突然のことで硬直した俺は、相手を突き飛ばすことも後退ることも出来ない。
本当に綺麗な目してんなぁ…
「……可憐だ」
「は?」
「気に入ったぞ、女。俺の連れ合いになることを許す!光栄に思うがいい」
「はぁ?」
「なぁに遠慮はするな。今この時より俺たちは夫婦、対等なパートナーとなったのだからなぁ!」
「はぁぁぁ??」
まるで意味がわからんぞ!
夫婦?何がどうしてそうなった!
邪神よりは何億倍もマシだけど、見ず知らずの男と夫婦になる趣味はないぞ。
どいつもこいつも、ちょっと前まで男だった俺に女を感じてんじゃねーよ。
●
「待って、ホント意味がわからない」
「案ずるな、全て俺に任せておけ。む?なんだこの不格好な輪っかは?」
あ、隷属の首輪をしていたのを忘れていた。
これを外す方法も見つけないといけない。
「隷属を強いる玩具か、俺の妻によくもこのような…」
男の指先が首輪に触れると、どうやっても外せなかったはずの輪はバラバラになって地面に落ちた。
す、すげぇ。やはりこの男の力は規格外だ。
「あ、ありがとう」
「この程度造作もない。体調は問題ないな?」
「大丈夫、みたいです」
「それは重畳。念のため回復もしておくぞ」
男がパチンッと指を鳴らす。
キザな仕草だけど、この男には妙に似合っていた。
俺の全身を温かな光が包み込んでいく。
おお、これは回復魔法だな。それも超強力なヤツ。
男の使った魔法により、俺の疲労感は一気に解消されいく。
したたかに打ち付けた尻の痛みも引いただけでなく、触手から分泌されたベタベタ粘液もキレイに浄化された。
よく見たらドレスの汚れも落ちているではないか、すごいなこの魔法。
風呂上りのような爽快感に気分もリフレッシュだ。
「これでよし。では、参ろうか」
「どこへ!?」
「俺たちの家に決まっているだろう。マイホームもしくは愛の巣というヤツだ」
愛の巣…言ってて恥ずかしくないのか?
「あのですね、俺はあなたと夫婦になる気はありませんよ?」
「くくく、その強がりいつまで持つか見ものだなw」
いきなり悪役ムーブするのやめてくれる?
「お前は人型汚物から身を隠したいのだろう?俺の家ほど安全な場所はこの世にないぞ?」
そう言われると…そうなんだけどさぁ。
この男が味方に付いてくれるなら、怯えて暮らす必要もなくなるだろう。
だけど、命を救われた上に住処まで提供してもらっていいのだろうか?
それにまだこの男の素性が全然わからないし。
「難しく考えるな。しばらく共に暮らして、お互いを知って行こうと言っているのだ」
お試し期間、いわゆる同棲というヤツか?
他に行く当てもないし、少しだけお世話になるも良い案だとは思う。
でもなぁ、元男の俺じゃあ夫婦にはなれないと思うのよ。
男に戻る方法も探さないとな…
うーん、どうしたものか。
「ええい!判断が遅い!」
「わっ!?何をするんだぁー!」
悩む俺にしびれを切らした男が、俺を抱え上げた。
この体勢、お姫様抱っこではありませんか!
「行くぞ。考えるのは帰宅してにしろ」
男が漆黒の翼を広げ宙に舞い上がる。
飛んでいくの!?
人生初の飛行体験にかなりドキドキ、そしてちょっぴりワクワクした。
俺を抱えたまま男は上昇を続ける。
地上はみるみるうちに遠くなり、航空写真のような絶景が眼下に広がる。
あれが王都で、あっちの方が故郷の村だな…
ちょっと待って高すぎない?さすがに高度上げすぎじゃね?
高所恐怖症だったら気絶していたところだ。
どこまで上に行くつもりなのか不安になって来る。
「えっと、家はどちらにあるのですか?」
「うん?そんなの俺の姿を見れば一目瞭然であろう」
わからないから聞いているんだぞ?
「すみません、鳥人族の暮らす場所には心当りがなくて…」
「鳥人?……ブホッ!よもやこの俺をチキン共だとw笑わせてくれるww」
「違うのですか?でも、その翼は…」
有翼人種というのは、この世界で何かと優遇されている。
空が飛べるというだけでも重宝されるのに、彼らは生まれながらに高い魔力を持っているからだ。
最も一般的なのが鳥人という鳥の翼を背や腰から生やした種族。
他にも蝙蝠のような翼の魔族、竜族にも頑強な翼を持つ人たちがいると聞く。
男の翼は鳥人族のモノに特徴が似ていると思ったのだが、違うのか?
「えぇ…本当にわからない?悲しいを通り越して引くぞ」
首を傾げる俺に男が呆れたようなため息をつく。
無知でごめんなさい。
勿体ぶらずサッサと教えてくれると助かります。
「俺は天使だ」
「てんし……天使!?絶滅危惧種の超レア種族!全世界合わせても数十人しか確認されていない、あの天使だと!」
「やれやれ、地上ではそんな扱いなのか」
天使は本当に個体数が少ない事で有名なの種族だ。
しかも、彼らは普段から翼を巧妙に隠蔽しており、自分から『天使』だと名乗り出ることは極めて稀である。
生きているうちに会えるとは思ってもみなかった。
この男が天使ならば、翼が6枚だったり、あの超常的な力の行使も納得だ。
天使とは、生まれながらにしての強者である。
全種族の中でもその力は圧倒的で、たったひとりの天使が1000人規模の軍隊に勝利したという言い伝えもあったりする。
まあ、さすがに歴史書の誇張が激しいだけだと思うが…
天使という種族が優れているのは本当らしく、各国は天使の保護と自陣営に取り込むことに躍起になっていると聞いた。
子供の頃から天使の活躍を元にしたおとぎ話を聞いて育つ、それがこの世界の常識である。
彼らへの畏怖と憧れは大多数の人に深く根付いていると言っていい。
「ふはははははは!そうだ、その天使様だ!もっと賛美してよいぞ」
「すごいなぁーあこがれちゃうなー」
「棒読みなのが気になるが、まあいい。どうだ、俺と夫婦になりたくなっただろう?」
それとこれとは話が別というか…
今の性別に面食らったまま、誰かと夫婦になるとか考えられない。
「あなたほどの人なら、世界中の女を選び放題でしょうに…何故俺なんです?」
「フッ、仕方なかろう。目と目が合う瞬間好きだと気付いたのだ」
思った以上にピュアな理由!?
どこかで聞いたようなフレーズにこっちが照れるわ!
ひょっとして揶揄われてる?いや、こいつ目がマジだ。
会話をしている間にも天使は上昇を続けた。
最早地上は遥か彼方、どこまで行くねん!
宇宙空間とか言わないでくれよ。
このファンタジー世界で宇宙開発はまだ未知の領域だぞ。
「もうすぐ結界層だ。しばし息が出来なくなるが、まあ平気だろ」
「おい、待てや」
結界層って何?
息が出来なくなるとかサラッと言うな。
「さあ行くぞ、5秒後だ。5…4…1、0!」
「2と3は!?」
天使が0と言った直後、不思議な感覚が全身を包んだ。
うう…何だコレ、見えない何かに体中を圧迫されているみたい。
マズい、本当に息ができな……
「……ぷはっ!」
「抜けたぞ。てっきり気絶するかと思ったが、さすが俺の妻になる女よ」
「そりゃどうも……ふぁ!?」
ほんの10秒足らずで呼吸は出来るようになり、妙な圧迫感も消えた。
そして雲と青空ばかりだった景色が様変わりしてる。
その光景に俺は息を呑んだ。
空中に陸地が存在している。
大小様々な大きさの島が空に悠然と浮かんでいるのだ。
伝説の空中大陸、冒険譚に登場する空飛ぶ島、まさか実在していたとは!?
ラピュタ?ラピュタなの?バルスしてもいいの?
「何だコレ、俺は夢でも見てるのか?」
「ここを訪れた地上人の模範的リアクションだなww」
それって皆が驚くってことだろう。
夢でないのなら、一体ここは何処なんだ?
世界地図にもこんな場所があるとは記されていない。
「ここは天界、天使たちの住まう世界だ」
はわわ、とんでもない所へ来てしまった。