We are Always Searching Happy Goal 作:Redemptor
「本当に、行かなきゃいけないの?」
「ごめんな、アンティリーネ」
「死なないわよね?」
「もちろん」
「ちゃんと、生きて帰ってくるわよね?」
「もちろん」
「────分かった」
分かってはいた。
人生というものが、いつまでも平穏で、幸福な出来事ばかり続くものではないということくらい。
何の前触れもなく、不吉な客が訪れることがあるということも知っていた。
そのための心構えも、常にしていたつもりだった。
それでも。
胸の内に広がる不快な感情だけは、どうしても消すことができなかった。
不幸だった過去の残滓を乗り越え。
ようやく取り戻した幸福だった。
他の者たちと同じように、ただ平凡な生活を夢見てきた。
そして、その夢は少しずつ現実となっていた。
それなのに。
ここへ来て、これほど大きな試練が訪れるとは。
アンティリーネはひどく残念そうな表情でカリムを見つめた。
そんな彼女を見て。
カリムにできたのは、苦笑を浮かべながら、その身体を軽く抱き寄せることだけだった。
「まあ、そこまで長くはかからないと思う」
カリムは彼女を安心させるように言った。
「奴ら全員が動いているわけじゃない。それに、状況次第で色々変わるだろうしな」
ユグドラシルからこの世界へ現れたワールドエネミーの正確な数は。
およそ十体を少し超える程度。
もし今回の目的が、そのすべてを討伐することだったなら。
成功する可能性以前に。
一体どれほどの時間が必要になるのかさえ、断言することはできなかっただろう。
「──それに、今回の依頼で指名されたのは、俺一人だけだ」
魔導国の悪魔が予告してから、一ヶ月。
予告通り、魔導国から正式な依頼が届いた。
依頼者。
アインズ・ウール・ゴウン。
依頼内容。
七大罪の魔王。
『憤怒』の討伐。
遂行者。
カリム。
そして、その難度は────『難度超過』。
「分かった」
アンティリーネは僅かに俯いた後、再びカリムを見た。
「気をつけて、行ってきて」
「もちろん! その間、レオンを頼むな」
「うん」
不安は消えていなかった。
だが、その感情をこれ以上表へ出したくなかったアンティリーネは、カリムへ軽く身体を寄せた。
彼女の行動に。
カリムは何も言わず、ただ穏やかに笑った。
そして。
依頼を遂行するため。
ゆっくりと背を向け、歩き出した。
────*────*────
「お待ちしておりました」
依頼者から指定された場所へ到着すると。
そこには悪魔と吸血鬼。
そして、サキュバスが待っていた。
事前に聞いていた話とは少々異なる光景に、カリムは首を傾げた。
「パーティーを組むとは聞いてなかったんだが」
「ご安心ください」
悪魔。
デミウルゴスが、穏やかな声で答えた。
「彼女たちは、討伐対象が存在する場所までゲートを開き、ご案内するだけです」
「依頼内容そのものに変更はございません」
「そうか」
デミウルゴスと言葉を交わしながら、カリムは僅かに横へ視線を動かした。
自分には一切興味がない。
そう言わんばかりに無表情で立っている吸血鬼。
そして。
こちらを殺さんばかりの眼差しで睨みつけているサキュバス。
随分と物騒な雰囲気だった。
だが。
カリムは特に気にすることもなく、彼女たちがゲートを開くのを待った。
「うむ。これで準備は整ったでありんす」
銀髪の吸血鬼。
シャルティアが僅かに集中する。
やがて、彼女の前にゲートが開き始めた。
その言葉を聞いたカリムは。
徐々に開いていく空間へ向かって、ゆっくりと歩みを進めた。
三人との間には、奇妙な緊張感が漂っていた。
だが、カリム自身は不思議なほど緊張していなかった。
むしろ。
どこか妙に落ち着いていた。
相手はワールドエネミー。
七大罪の『憤怒』。
システムの穴やバグの恩恵があったとはいえ。
すでに一度、倒したことのある相手だった。
自信はある。
あの頃よりも遥かに強くなった。
完全なる果てへ到達した現在の自分ならば。
かつてよりも、さらに高い領域にいる。
もちろん。
だからといって、油断するつもりは微塵もなかった。
この世界へ現れたことで、どのような存在へ変化したのか分からない。
ユグドラシルに存在していた頃より、さらに強くなっている可能性もある。
起きてほしくはないが。
こちらへ渡ってくる過程で、『傲慢』の力まで取り込んでいる可能性すら否定できない。
「──それじゃあ」
完全に開いたゲートを前に。
カリムは静かに呟いた。
「二度目の死を迎える準備はできているか、憤怒」
そして。
迷うことなく、その向こう側へ足を踏み入れた。
────*────*────
あの日の記憶は。
今でも鮮明に残っている。
現実以上に鮮烈な感覚が全身を駆け巡り。
不安と高揚感が入り混じっていた。
怒りに任せて始めたことだった。
そして。
後になってから、後悔も押し寄せた。
本当に。
これは正しい行動なのか。
誰が見ても。
抗議する意図と、明確な故意を含んだ行為だった。
ワールドエネミー。
その一体一体が。
レベル百という上限を遥かに超えた怪物。
複数のレベル百プレイヤーが集まり。
レイドを組んで初めて討伐できる存在だった。
少人数で。
ましてや、たった一人で倒せるような相手ではない。
────そして。
カリムは、その不可能を可能にした。
もちろん。
バグによって生まれたアイテムとクラス。
システムの穴を利用した手段。
正攻法とは言い難いものが、いくつも存在していた。
それでも。
結果として、彼は成し遂げた。
ワールドエネミーの単独討伐。
ユグドラシルに存在した誰一人として達成できなかった。
圧倒的な記録。
だが。
そこに誇らしさはなかった。
バグとシステムの穴を利用して倒した相手だった。
何より。
ユグドラシルのサービス終了まで、すでに三日すら残されていなかった。
討伐の主目的も。
自らの強さを証明することではなく。
運営への抗議だった。
そして。
その抗議は当然のように、届かなかった。
完全に無視されたまま。
ユグドラシルはサービスを終了した。
虚しかった。
そして、強い怒りが込み上げた。
こんなことになると分かっていたなら。
もっと早くゲームをやめて。
貯めた金で、どこかへ旅行にでも行けばよかった。
無力感と後悔だけが残った。
「ようやく、か」
過去へ思いを巡らせながら。
カリムはゆっくりと目を開いた。
そこに広がっていたのは。
完全に見覚えのない景色。
その光景を目にすると。
初めてこの異世界へやって来た日のことが、自然と脳裏へ浮かんだ。
人生に未練がなかったわけではない。
むしろ。
数え切れないほどの未練があった。
だが。
これ以上生き続ける意味を、見つけることもできなかった。
金は貯めていた。
しかし、裕福と呼べるほどではない。
どうにか修士号までは取得した。
だが、それによって人生が大きく変わったわけでもなかった。
殺伐として。
色を失った現実。
人間関係は少しずつ錆びついていき。
様々な媒体を通じて入ってくる情報も。
もはや、大した興味を引くことはなかった。
延々と同じことが繰り返される現実。
そこから抜け出す方法など、存在するのだろうか。
そんな虚しい考えに囚われ。
ついには自暴自棄となり、極端に危険な行動へ出た。
その直後。
奇妙な光が、カリムの全身を包み込んだ。
そして────。
次に彼を迎えたのは。
地獄より僅かにましなだけの、あのディストピアではなかった。
どこまでも続く。
青々とした草原だった。
困惑した。
ここは、一体どこなのか。
死後の世界なのか。
自分は今。
死の向こう側に存在する世界を見ているのか。
何もかもが異質だった。
こんなことはあり得ない。
そう考えながら。
カリムは無意識のうちに『インベントリ』を開いた。
自分が最も重要視していたアイテム。
『賢者の石』。
『神体破壊者』。
そして。
『神の試練』。
すべてが、そのまま残っていた。
賢者の石の影響によって生み出された無数の金貨も。
何一つ失われていなかった。
それならば。
自分は、ユグドラシルの世界そのものへ入ったのか。
それとも。
まったく知らない別の世界へ落とされたのか。
どちらでもよかった。
意味もなく時間を浪費し続ける、あの世界にいるよりは。
きっと、遥かにましなのだから。
「それにしても」
カリムは、小さく苦笑した。
「結局、異世界へ来てもこうなるのか」
まさか。
この世界でも、ワールドエネミーを討伐することになるとは。
あまりにも出来すぎた偶然だった。
一度成功した経験がある。
だからといって。
決して簡単な相手ではない。
今度こそ。
自分が負ける可能性も十分にある。
ユグドラシルとは違う。
ここは。
自分が帰るべき場所を持つようになった、『現実』なのだから。
「────!」
その瞬間。
この異世界へ来てから初めて。
あまりにも異質で。
あまりにも圧倒的な気配を感じ取った。
これまで遭遇してきた存在とは。
その根源からして、まるで違う。
どれほど強大なドラゴンであろうと。
どれほど不吉な気配を纏ったアンデッドであろうと。
この存在を前にすれば。
ただの凡庸な存在にしか思えないだろう。
ユグドラシルから現実の世界へ現れた以上。
その存在感も、ゲームだった頃とは異なるだろうとは予想していた。
ユグドラシルはゲームだった。
そして。
この世界は現実だ。
考えてみれば。
違いが生まれるのは当然のことだった。
そう理解していたはずなのに。
「全身が……震えるな」
遥か遠くからでも分かる。
圧倒的な巨体。
そして。
その身体から放たれる、究極とも呼べるオーラ。
ただそこに存在しているだけで。
この世界の空間そのものを引き裂いているようにさえ感じる。
僅かに息を吐くだけで。
世界を支配する法則そのものが、捻じ曲げられてしまうのではないか。
そう錯覚するほどだった。
『憤怒が確認されました』
以前、デミウルゴスから聞いた言葉が脳裏へ蘇る。
『まあ、別の大陸で確認されたのですが。どうやら、すでにいくつかの国家が滅ぼされたようですね』
久しぶりに目にする、その姿。
ユグドラシルから、この異世界へ現れ。
長い回復を終えると同時に。
周囲の国々を滅ぼした。
目覚めただけで。
あらゆるものを蹂躙し。
国家さえ消し去る。
まさに。
ワールドエネミーと呼ぶに相応しい規模だった。
ここで止められなければ。
いずれ必ず。
自分とアンティリーネが暮らす大陸へもやって来る。
「──そうはさせないがな」
止められない。
そんな選択肢など存在しない。
答えは、最初から決まっている。
どのような手段を使ってでも。
その答えを、現実にする。
ここは現実だ。
自由度という意味では、ユグドラシル以上。
だが。
システムの穴も。
バグもない。
当然ながら。
リスポーンなどという都合のよいものも存在しない。
僅かな失敗が。
そのまま死へ繋がる可能性がある。
カリムは精神を集中させた。
まず。
『アポテオン』のパッシブ能力を確認する。
続けて。
即座にアクティブ能力を発動。
そして。
『神の試練』を装備する。
装備したその手で。
『神体破壊者(ゴッド・ボディ・レッカー)』を取り出した。
さらに。
全身へ『黎明の栄光』と『昇天の栄光』を纏う。
一瞬にして万全の戦闘態勢へ移行したカリムは。
破壊を続けていた『憤怒』の前へ。
真正面から立ちはだかった。
「──この気配は!」
憤怒の視線が。
カリムを捉えた。
「貴様! この出来損ないの、鼠以下のクズめ! 貴様もこの世界にいたのか!」
その怒声が周囲へ響き渡る。
「殺してやる! 忌々しい奴め!」
予想していた通りだった。
プレイヤーによって創造されたNPCたちと同じように。
この者たちもまた。
この世界へ現れたことで、一個の人格を持つ存在となっている。
ユグドラシルにいた頃とは違い。
明確な怒りを剥き出しにする憤怒の姿へ。
カリムは一瞬だけ戸惑った。
だが。
その驚きは、長く続かなかった。
どれほど人格を持とうとも。
自分にとって。
討伐すべき対象であることに変わりはない。
カリムはすぐに意識を切り替え。
戦闘態勢を取った。
「よう」
神体破壊者を構え。
かつて倒した相手へ。
軽く笑いかける。
「久しぶりだな、憤怒」
そして。
挑発するように続けた。
「さあ────『二度目の死』を迎える準備はできているか?」
────地獄のような憤怒と共に。
すべてが爆ぜた。
本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。
明日もまたお越しいただけますと幸いです。