We are Always Searching Happy Goal 作:Redemptor
「うん。今日は楽しかったな」
街でのデートを終えた二人は、夕暮れの余韻を感じながら家へと戻ってきた。
そして、いつの間にかアンティリーネの腕の中ですっかり眠り込んでいたリオンを、そっとベッドへ寝かせる。
「いやぁ、それにしても、リオンって本当に大人しい方だよな」
慎重に、そして何より大切そうにリオンを寝かせるアンティリーネを眺めながら、カリムはどこか誇らしげに言った。
時折、悪戯っ子のように目を輝かせ、アンティリーネやカリムの髪を掴んで振り回すことはある。
だが、それを除けば比較的大人しい子だった。
真夜中に突然目を覚ましたり、抱かれたままぐずったりすることもあるにはあるが、まだ生まれて一年ほどしか経っていないのだから、そればかりは仕方がない。
急に目が覚めた時。
腹が減った時。
あるいは、何か怖いものを見た時。
そういう時でもなければ、滅多に泣くことはない。
たとえ泣き出したとしても、腕の中に抱いて少しあやしてやれば、すぐに泣き止んでくれる。
「うん。そうだね」
カリムの言葉に同意しながら、アンティリーネはどこか遠いものを見るような表情を浮かべた。
――ボクも、赤ん坊の頃はこんな感じだったのかな。
「よし。じゃあ、久しぶりに一人で一杯やるとするか!」
どこか物思いに耽りながらリオンの頭を撫でるアンティリーネを横目に、カリムは今日のデートの途中で買ってきた酒を取り出した。
子育てが始まってからというもの、酒を口にする機会もめっきり減っていた。
「少しだけ、だからね。分かってる?」
「もちろん! 分かってるとも!」
嬉しそうに笑いながら居間のテーブルへ酒を並べていくカリムに、アンティリーネは軽く釘を刺した。
もっとも、すでに二人の間では話がついている。
本気で止めるつもりはなく、あくまで形ばかりの小言だった。
アンティリーネは完全に眠りについたリオンをしばらく見つめてから、カリムの向かい側へ腰を下ろした。
「――見てるよ」
「お? まあ、別に構わないけどな」
向かいに座ったアンティリーネを見て、カリムは豪快に答えた。
エ・ランテルの街中でも、家の中でも。
カリムが酒を飲んでいる時、アンティリーネがすぐ隣に座ることは何度もあった。
だが、こうして真正面に向かい合って座ることは、ほとんどなかった。
カリムは彼女をちらりと眺めながら、自分の杯に酒を注いだ。
「――いやぁ。それにしても、こうやって向かい合ってると、なんだか初めて会った時のことを思い出すな!」
「初めて会った時? あ……そうだ。その話、いつになったらしてくれるの?」
最初の一杯を豪快に飲み干したカリムは、どこか懐かしそうに、初めて出会った日のことを思い返した。
その言葉を聞いたアンティリーネも、何かを思い出したように尋ねる。
一緒に旅をしていた頃から、何度も聞いてきたことだった。
だがカリムは、
――時が来たら教える。
そう言うばかりで、三年以上もの間、結局何も話してくれなかった。
「ん? ああ。思ってるほど大した話じゃないぞ。ただ、偶然あの光景を見かけただけでさ」
「いや、そっちじゃなくて。どうやって『あそこ』まで入ってきたの?」
助けられた、あの瞬間から。
ずっと胸の中に残っていた疑問だった。
カリムが途轍もなく強いことは、もう十分に理解している。
それでも、たった一人でどうやってあの場所まで辿り着いたのかという疑問だけは、未だに消えていなかった。
「まあ、それにもちゃんと方法があったんだよ」
当時を思い出すように少し間を置いてから、カリムはインベントリの中から一つの『アイテム』を取り出し、彼女の前へ差し出した。
「これだ」
「これは?」
人間種の成人男性の手のひらほどの大きさをした、黒い円盤。
精巧に加工されており、見た目だけなら相当な値がつきそうな品だった。
「この世界で目を覚まして、真っ先に作ったアイテムだ。名前は――『モバイル・ゲート』」
「モバイル・ゲート?」
「俺みたいに魔法が使えない奴でも、どこからでも〈ゲート〉――つまり、好きな場所へ通じる扉を開けるための俺の傑作だ! 魔法の才能がなくても! 魔力がなくても! 問答無用で使える、最高の傑作!」
「こ、このアイテムが? それ、完全に反則じゃない?」
「――って思うだろ? 残念ながら、あの時使って以来、なぜか使用不能になってるんだよ。一度きりしか使えないのか、それともクールタイムが異常に長いのかは分からない。もし後者なら、少なくとも十年以上はありそうだな」
「へえ」
どこか懐かしそうに説明するカリムを見ながら、アンティリーネは興味深そうに耳を傾けた。
「それに、座標も正確には指定できないんだ。使い道は多そうなんだけど、色々と惜しいんだよな」
「何それ」
どこへでも行ける。
しかも、魔法を使えない者でも利用できる。
そこだけ聞けば、とんでもない反則級のアイテムにも思える。
だが、目的地を正確に指定することができず、しかも事実上一度しか使えないとなれば、途端に微妙な印象へと変わってしまう。
「まあ、それでも……ボクはずっと感謝してるよ」
「ワハハハハ! こうして真正面に座ったまま言われると、なんか新鮮だし、ちょっと照れるな!」
だが、重要なのはアイテムの性能などではない。
自分は救われた。
そして、そのおかげで幸せな未来を知ることができた。
アンティリーネから感謝を告げられ、カリムは杯を置いて豪快に笑った。
これまでにも何度となく聞いてきた言葉。
それでも、なぜか今日だけは、いつもより特別なものに聞こえた。
「――俺の方こそだよ、アンティリーネ」
少しだけ声の調子を落とし、カリムは続ける。
「もしお前がいなかったら、俺はこの世界に来ても、きっと昔と何も変わらなかった。いや……むしろ虚しさとか空っぽなものに呑まれて、本当に『ワールドエネミー』みたいな存在になってたかもしれないな」
どれほど強大な力を持っていても。
どれほど優れた能力を備えていても。
目的もなく彷徨い続ければ、何の意味もない。
そして、そういう存在の末路は決まっている。
いつか誰かに討たれるだけだ。
そんなことを考えながら、カリムは再び杯に酒を注いだ。
「それは、ボクも同じだね。あなたが助けてくれなかったら、今頃ボクは……」
きっと、ただでは済まなかった。
自分が想像していた以上に、酷い扱いを受けていたはずだ。
もしかすれば、貴重な実験体として徹底的に酷使され、数多の実験体を生み出すための母体として扱われていたかもしれない。
そう考えただけで、アンティリーネの背筋に僅かな寒気が走った。
「終わり良ければすべて良し、だ。もうそんな怖い想像はしなくていいんだぞ?」
アンティリーネの言葉を聞いたカリムは、杯を軽く空にする。
そして、まるで彼女の考えを読んだかのように、自分の隣を軽く叩いた。
こちらへ来い。
そういう仕草だった。
アンティリーネはそれを見て小さく笑うと、ゆっくり立ち上がり、彼の隣へ腰を下ろした。
「うん。そうだね」
ふと、以前カリムと交わしたやり取りを思い出す。
――もしこれが夢なら、永遠に目を覚ましたくない。
そんな自分に、カリムは言った。
もしこれが本当に夢なのだとすれば、それはあまりにも馬鹿げた魔法だ。
そんな魔法は存在するはずもないし、存在していいはずもない、と。
「――あ。それと、もう一つ気になってることがあるんだけど」
カリムの隣に腰を下ろしたまま、アンティリーネはそう切り出した。
カリムは静かに、ゆっくりと杯へ酒を注ぐ。
そして、少しだけ間を置いた。
別に、答えたくなかったわけではない。
ただ。
ようやく、その時が来たのだと思っただけだった。
「――気になることがあるなら、何でも聞けよ」
「別に大したことじゃないんだけど……あなたがいつも使ってた、あの変な石。あれって一体何なの? 何かのアイテム? 今までボクが見た黄金色の中でも、一番綺麗に輝いてたけど」
予想通りだった。
アンティリーネが尋ねたのは、『賢者の石』について。
ある程度予想していた質問だったからだろう。
カリムは遠い過去を懐かしむような表情を浮かべながら、静かに話し始めた。
「賢者の石」
「賢者の石?」
聞き慣れない名前に、アンティリーネは僅かに首を傾げる。
「俺がいた世界じゃ、ただの伝説として扱われてた概念だ。でも妙なことに、ユグドラシルはその伝説を実際に再現していた」
「伝説、か」
興味を惹かれたのか、アンティリーネは黙って続きを待った。
「最初は、ただの好奇心だった」
カリムは杯を見つめながら言う。
「でも、その好奇心は……いつしか欲望に変わった」
「へえ」
「当然、挑んだのは俺だけじゃない。大勢の奴らが目指したよ。『賢者の石』を。その極致を。だけど全員失敗した。成功したのは、俺一人だけだ」
「全員、失敗したの?」
ただの好奇心が、いつしか欲望へと変わった。
『賢者の石』について隠すことなく語るカリムを見て、アンティリーネは少し驚いたような表情を浮かべる。
そんな彼女を横目に、カリムは杯に残っていた酒を一息に飲み干した。
「挑戦した奴らは、みんな失敗した。そして、なぜ失敗したのか調べようともしたけど、結局分からなかった」
そこまで言うと、カリムは僅かに目を細める。
「ユグドラシルの『賢者の石』っていうのはな、『他者』や『外部』からの介入を一切受けず、純粋に自分一人の力だけで辿り着かなきゃならない領域だったんだ」
「――だから、アンティリーネ。あの時、俺はあんなことを言ったんだよ」
「そういうことだったんだ」
当時は、少し寂しく思ったこともあった。
だが、理由を知った今なら理解できる。
どうしてカリムが、あの時あの言葉ばかりを繰り返していたのか。
「じゃあ、今はもう大丈夫なの?」
「もちろん。『賢者の石』はもう完成したからな」
そう答えると、カリムは軽く羽織っていたガウンの前を少し開いた。
「これは……」
「――賢者の石だ」
その胸元。
本来であれば普通の人間と何ら変わらないはずの場所に、何かが淡く輝いていた。
「完成の果てに、俺の心臓と一つになった」
それは一見すると、どこか異様にも思える。
だが同時に、淡い黄金の光を放つその姿には、何とも言えない神秘的な美しさもあった。
「完成した瞬間に一体化してな。そのおかげで、人類にとって最大の問題であり、永遠の課題でもある『寿命』まで解決できた」
そしてカリムは、アンティリーネを見て笑う。
「アンティリーネ。もう俺の寿命については、心配しなくていいぞ?」
「それは……凄いね」
人にとって、『寿命』とは最大にして最強の敵だ。
死んでも悔いはない、と口にする者も。
死を静かに受け入れる者も。
永遠の命など呪いと同じだ、と語る者でさえ。
心のどこかでは皆、その『寿命』という敵に打ち勝ちたいと願っているものなのだから。
「でも、ボクは普通の人より長く生きるだけで、不老不死ってわけじゃないよ?」
「まあ、そっちにも方法はあるさ」
アンティリーネのもっともな疑問に、カリムはいつものように豪快に笑って答えた。
その問題についても、もちろん考えていた。
豪快に笑いながらも、どこか真剣な表情で酒を飲むカリム。
そんな彼を見ながら、アンティリーネはこれから彼がどんな奇妙なことをしでかすのか、少しばかり気になった。
そして同時に。
どこか楽しみにもしていた。
――この人ならきっと。
また誰も思いつかないような、とんでもない方法で。
ボクに新しい道を示してくれるのだろうから。
本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。
明日もまたお越しいただけますと幸いです。