We are Always Searching Happy Goal 作:Redemptor
ビルのような巨体が倒れ伏すのを最後まで見届けてから、カリムは小さく安堵の息を吐いた。
『憤怒』の時とは違う。
今度こそ、確実に息の根を止めた。
その証拠に、先ほどまで辺りを圧していた威圧的で圧倒的な気配は完全に消え失せ、微かな呼吸音すら聞こえてこない。
もっとも、仮に再び蘇ったとしても、前回とは違って今回は仲間がいる。
その上、切り札もまだ使っていない。
ならば、そこまで心配する必要もなかった。
「気配が消えたね」
少し離れた場所からカリムを援護していたツァーが近くまでやって来て、カリムと共に『怠惰』の死骸を見下ろした。
「――まったく。何度見ても不快な姿だね」
「同感だ」
ツァーが小さくぼやき、カリムも素直に頷いた。
「それでも、念のため完全に焼き払っておこう」
『怠惰』と呼ばれたワールドエネミーは、間違いなくカリムが殺した。
だが、それでも安心しきるわけにはいかない。
そう判断したツァーは、さらに別の始原の魔法を発動した。
直後、『怠惰』の巨大な肉体が激しい炎に包まれ、少しずつ焼き尽くされていく。
カリムはその光景を、どこか遠いものでも眺めるようにぼんやりと見つめていた。
「徹底してるな」
「念には念を、さ。それに万が一、誰かがこんなものを蘇らせでもしたら厄介だからね」
「まあ、元からアンデッドではあるんだが……こんなのがまた生き返ってうろつき始めたら、確かに面倒だろうな」
ツァーの言う通りだった。
もし何者かがこの死骸を見つけ、蘇生させたりでもすれば、非常に厄介なことになる。
今回は『憤怒』の時よりも容易に討伐できた。
だが、それはあくまで仲間の助力があったことに加え、『憤怒』とは違って『怠惰』がカリムについて何の情報も持っていなかったからだ。
そうでなければ、今回も相当に苦戦していたことだろう。
「――よし。じゃあ、帰るか」
しばらくすると、『怠惰』の肉体は跡形もなく消滅した。
それを最後まで確認したカリムとツァーは、ようやく帰還の準備に取りかかる。
「無事完了、だな」
前回のように全身を血まみれにして帰るわけではない。
そのことに、カリムは内心かなり満足していた。
今度こそ、傷一つない姿で家族の顔を見ることができる。
アンティリーネの涙を見ずに済む。
前回と同じくツァーの始原の魔法に身を委ねると、やがて奇妙な光が二人を包み込んだ。
次の瞬間。
二人はエ・ランテル郊外に設けられた、カリムのベースキャンプへと帰還していた。
────*────*────
「アンティリーネ! 帰ったぞ!」
「あ、おかえり」
ベースキャンプへ到着するや否や、カリムは真っ直ぐ家へと向かった。
慌ただしく、後ろを振り返りもせずに去っていくカリムを見て、ツァーは、
――先にやることがあるんじゃないのかい?
と問いかけた。
だがカリムは、その言葉を適当に聞き流し、
――その辺は適当に頼む!
とだけ言い残すと、そのまま街へ下りていってしまった。
当然、残されたツァーはそんな彼に適当な文句を漏らしながら、一人で冒険者組合へ向かうことになった。
「どうだ! 今度は完っ全に無事だぞ!」
「うん。そうみたいだね」
やや大袈裟に胸を張るカリムを見て、アンティリーネは小さく吹き出しながら彼を迎えた。
内心では、また前回のように全身血まみれで帰ってくるのではないかと心配していた。
幸い、そんなことにはならなかった。
その事実に、アンティリーネは胸の内で僅かに安堵する。
「今回は、割と楽だったみたいだね?」
「まあな。前回と違って仲間もいたし、できる限り作戦を立ててから行ったからな。それに今回の相手は、俺のことを何も知らなかった」
アンティリーネの言う通り、ワールドエネミーを相手にした割には、随分とあっさり終わったようにも感じられた。
もっとも、それには明確な理由がある。
『憤怒』の時とは違い、今回は仲間がいた。
『怠惰』とは一度も戦ったことがなかったとはいえ、その権能について可能な限り事前に考え、対策も立てていた。
そして何より、相手はこちらについて何一つ知らなかった。
もし、その条件のうち一つでも崩れていれば。
『憤怒』の時ほどではなかったにせよ、今回も相当に苦戦し、重傷を負っていたことだろう。
「そう。じゃあさ……もしボクも一緒に行ってたら、どうだったと思う?」
「――ははっ! そりゃあ心強いに決まってるだろ! ただし、リオンがもう少し大きくなってからな」
「ちぇっ。分かったよ」
どこか期待するような目を向けるアンティリーネ。
カリムは少しだけ間を置いてから豪快に笑い、一番重要な問題を口にした。
それを聞いたアンティリーネは、残念そうに僅かに唇を尖らせる。
「まあ、もう少しだけ我慢してくれよ、アンティリーネ。次は必ず一緒に行こう」
「じゃあ、リオンは? どうするの?」
次は一緒に。
その言葉を聞いた瞬間、アンティリーネの胸には喜びが湧いた。
しかし、すぐに疑問も浮かぶ。
今回はリオンの面倒を見るため、同行できなかった。
それなのに、次は一緒に行くという。
だからといって、リオンをこの家に置いたまま出ていくわけにはいかない。
魔導国が何をしてくるか分からない以上、何か考えでもあるのだろうか。
「ちょっと考えたんだけどさ。法国には内緒で、マクシミリアンに預けるのが一番いいと思う」
「内緒で? どうやって?」
「ツァーに頼めばいいだろ」
カリムの答えを聞き、アンティリーネは小さく溜息を吐いた。
本当に、カリムらしい考えだった。
別に不可能な話ではない。
ただ、少々狡くて、強引ではある。
それでもアンティリーネは、その提案を嫌だとは思わなかった。
カリムと出会ってから。
彼との模擬戦を除けば、本当の意味で思い切り身体を動かす機会など、一度としてなかった。
普通の暮らしというものを知った。
子供を産み、一人の母親となったことで、母性も強くなった。
だからといって。
戦士としての自分を捨てたわけではない。
今もなお、戦士としての心臓は力強く脈打っている。
自分にとっては、台所よりも戦場の方が、ずっと馴染み深い場所だった。
――一緒に戦場へ行こう。
その言葉は、ここ最近耳にしたどんな言葉よりも甘美に響いた。
カリムと肌を重ねる時よりも。
二人きりでデートをする時よりも。
胸が激しく高鳴った。
「本当? 約束したからね?」
そんなことはないだろう。
それでも、カリムの気が変わるかもしれない。
あるいは、何かの事情で状況そのものが変わってしまうかもしれない。
だからこそアンティリーネは、瞳を輝かせながら念を押した。
「もちろん」
期待に満ちた眼差しを向けてくるアンティリーネを見て、カリムは豪快に笑った。
そして――『約束』した。
次こそは何とか機会を作り、共に『戦場』へ出よう、と。
カリムもまた、今のアンティリーネには大きな期待を寄せていた。
彼女が本物の強敵を相手に戦う姿を見たことはない。
だが、これまで何度も模擬戦を重ね、その中で感じ取ってきたものを考えれば。
今の彼女なら、十分に背中を任せることができる。
「――だったら、次からは『その先』の強度でやらないとな」
「その先の強度?」
――スピードのリミットはもう全部外している。
――パワーはまだ全部じゃないが、九割近くまでは出している。
以前、模擬戦を終えた後にカリムが言っていた言葉だった。
ならば今度は。
パワーの方も、スピードと同じく百パーセントまで引き上げるということだろうか。
それとも――『魔法』?
だが、カリムは自分とは違い、ほとんど純粋な戦士だ。
ならば魔法ではない。
そこまでは簡単に結論が出た。
――にもかかわらず。
それが何を意味しているのかは、ますます分からなくなった。
「まあ、楽しみにしてろよ」
頭の上に疑問符でも浮かべていそうな、困惑したアンティリーネ。
そんな彼女を見ながら、カリムは心底楽しそうに豪快に笑った。
そして、胸の内で思う。
――底の下には、さらに底があるように。
――空の上には、さらに空がある。
百パーセントの、そのさらに先。
そして――。
『真なる神』の領域を見せてやろう、と。
もちろん、アンティリーネはまだそのことを知らない。
もし模擬戦の最中に知ることになれば、きっと今日と同じような顔をするだろう。
そう考えると、カリムの口元から笑みが消えることはなかった。
「何? なんでそんなにニヤニヤしてるの」
妙に楽しそう――いや、どこか幸せそうに見えるカリムを、アンティリーネは少しだけ睨んだ。
別に気に入らないわけではない。
ただ、以前〈小型空間〉を始めとした魔法の重要性について熱弁を振るっていた時のカリムと、どこか姿が重なって見えたのだ。
「ん? 別に。ただ、可愛いなと思って」
「――ふん。口ばっかり」
小さく不満を漏らすアンティリーネを、カリムは軽く抱き寄せた。
その仕草に、アンティリーネも思わず小さく笑う。
「よし。じゃあ少し休んだら、デートでも行くか」
「うん。そうしよう」
模擬戦も大事だ。
だが、休息はそれ以上に重要だった。
カリムとしては、すぐにでも模擬戦を始めたい気持ちはある。
しかし、つい先ほどワールドエネミーを討伐して戻ってきたばかりだ。
予想していたよりも容易に討伐できたとはいえ、『怠惰』の権能と特性によって、思っていた以上に体力も精神力も消耗している。
アンティリーネも、そのことには十分気づいていた。
だからこそ、カリムの誘いに素直に頷く。
何より、自分もそろそろエ・ランテルの街へ出ようと思っていたところだ。
断る理由などなかった。
「行こう、リオン」
アンティリーネは簡単に出かける準備を整えると、居間のソファで一人遊んでいたリオンを抱き上げた。
そしてカリムと共に、エ・ランテルの街へと向かうのだった。
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