We are Always Searching Happy Goal 作:Redemptor
「カリム、身体はもう……大丈夫?」
「ああ。いや、全然」
「何それ」
『暴食』と『嫉妬』との死闘から、一夜が明けた。
ツァーの始原の魔法のおかげで、アンティリーネとカリムは無事に家へ帰ることができた。二人とも心身ともに満身創痍で、ひどく疲れ切っていたが、リオンの顔を見た瞬間、戦場で積み重なった疲労がすべて吹き飛んでいくような感覚を覚えた。
アンティリーネは簡単ながらも、心を込めてカリムの看病をした。もちろん、アンティリーネ自身もかなりの重傷を負っている。それでもカリムと比べれば相対的に状態は良かったため、痛みを堪えながら彼の世話を続けていた。
「――アンティリーネ。辛いなら休んでもいいんだぞ」
「ううん。ボクは大丈夫。あなたの方がずっと危ないんだから」
表面上は平気そうに振る舞っているものの、内心では彼女もかなりの苦痛を感じていた。
カリムはそんなアンティリーネが心配で、無理をするなと言った。しかし彼女は小さく笑いながら、その言葉を退ける。
「それは……まあ、そうなんだけどな」
カリムはまだ何か言いたそうだったが、今のアンティリーネの頑固な意志を折ることはできないと判断し、大人しく彼女の看病を受けることにした。
「それに、ボクも見てたんだから。カリム、あなたがあの化け物たちにかなりのダメージを与えたの」
彼女の言う通り、カリムは二体へ極めて大きなダメージを与えていた。そのため、奴らが異常なほど早く回復すると仮定しても、少なくとも二日か三日は必要になるだろう。
だが、最大の問題は別にある。
『憤怒』の時と同じく、『アポテオン』のアクティブ能力を過剰に使用した結果、基本となるパッシブ能力まで停止しているのだ。
つまり現在のカリムは、通常状態と比べておよそ六割ほど弱体化しており、アクティブ状態を基準にすれば、それ以上に力を失っていることになる。
確かに、死に至りかねないほど深刻なダメージを受けていた。
とはいえ、この傷そのものなら一日か二日もあれば完治する。
問題は、その後だ。
『アポテオン』のパッシブが再び有効になるまで、体感ではあと七十五時間ほど必要になる。そしてアクティブ能力の回復には、それよりもう少し長い時間がかかるだろう。
もし、パッシブが復活するより先に、奴らが傷を癒すだけでなく、さらに力まで増して戻ってきたなら。
二人のうち、どちらかは必ず死ぬ。
そんな状況だけは、何としても避けなければならなかった。
「――そうだったね」
「でも、これじゃ少なくとも明日の朝までは無理そうだな」
カリムと自分自身の身体の状態を完全に把握し終えたアンティリーネは、少し残念そうな顔で言った。
「模擬戦? 仕方ないだろ」
残念そうな妻の表情を見て、カリムは小さく笑いながら彼女の頬を撫でる。
「前にも言ったけどな。休むことだって、模擬戦や鍛錬の一部なんだから」
「うん。そうだったね」
アンティリーネは自分の頬を撫でているカリムの手をそっと掴み、軽く笑った。
よく休む者の方が、ひたすら働き続ける者より長く続く。
そんな話だったか。
カリム以前にも似たようなことを言っていた人物がいたため、妙に記憶に残っていた。
「とにかく、無理するなよ」
「分かってるよ」
老人のように小言を言うカリムへ適当に返事をし、アンティリーネは立ち上がった。
「じゃあ、寝てて。ボクはリオンと遊んでるから」
「ははっ! 分かったよ」
『治療』そのものは、それなりに上手くいっていた。
街の病院へ行って治療を受けることもできたが、カリムは弱った状態を知られたくないと言い、自分の『ヒドゥンクラス』に関する情報まで知られる可能性があるという理由をつけて、病院へ行こうとはしなかった。
普段であればアンティリーネも小言の一つくらい言っていただろう。
しかし今は状況が状況だ。
彼女も、その判断には納得していた。
「リオン」
「きゃーあ」
完全に力を取り戻すため休息に入ったカリムを残し、アンティリーネは寝室を出た。
そして、『リオンの部屋』と書かれた扉をそっと開けて中へ入る。
小さなベッドの上では、リオンが一人で手足をばたつかせながら遊んでいた。
アンティリーネはそんな息子を、優しく抱き上げる。
「ふふ。はいはい」
リオンはすっかり慣れた様子で、そのままアンティリーネの胸へすっぽりと収まり、悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
そんな姿を見ていると、アンティリーネには先ほどまで感じていた痛みがすべて消えていくように思えた。
息子につられて微笑みながら、リオンの額へ軽く口づける。
「カリムが、こうやってたよね」
アンティリーネはリオンの腰と両脇を軽く支え、そのまま両腕を上へ伸ばした。
先ほどまで寝転がっていた身体が突然宙へ持ち上げられたにもかかわらず、リオンは怖がるどころか、むしろ楽しそうに声を上げて笑った。
「うん。お母さんも楽しいよ」
リオンを再び胸へ抱き寄せたアンティリーネは、ゆっくりと居間へ戻り、ソファへ横になるように腰を下ろした。
そして、自分の腕の中にいるリオンの瞳を優しく見つめる。
毎日のように見ている顔。
それでも、本当に愛おしくて、決して見飽きることがない。
幼い頃の自分を見ているような気がすることもあり、それが妙に母性を刺激した。
不幸で、虐げられていた自分の幼少期とはまったく違う。
この子には、幸福と愛情を際限なく与えてやりたい。
「何があっても、絶対に守るからね」
――ボクは、あの人たちとは違う。
遅くはなったけれど。
今はもう、まともな道を歩いている。
どうすれば良い親になれるのか。
正直なところ、よく分からない。
それでも。
悪い親にならない自信だけはあった。
少なくとも。
あの人たちとは逆の道を進めばいいのだから。
「ん?」
暖かく、静かな空気の中。
息子と共に穏やかな時間を過ごしていた、その時だった。
誰かが玄関の扉を、軽快な調子でゆっくりと叩いた。
アンティリーネはリオンをそっとソファへ寝かせると、少しだけ意識を集中させた。
誰かが訪ねてくる予定などなかった。
ならば、ツァーか。
いや。
扉を叩くリズムがかなり違う。
それに何故か、あいつは絶妙なほどカリムが寝ている時には訪ねてこない。
魔導国?
――違う。
禍々しい気配は、まったく感じない。
「何だよ、こんなところまで」
多少警戒しながら扉を開ける。
そこに立っていたのは――。
闇の神官長マクシミリアン。
そして第一席だった。
その二人の姿を見て、アンティリーネは少し意外そうに首を傾げた。
今回、魔導国と法国が連合し、魔神の軍勢と戦ったとはいえ。
だからといって、こんなふうに気軽に訪ねてきていいものなのだろうか。
「遊びに来ただけじゃが」
「お久しぶりです」
「招待した覚えはないんだけど――ちょっと。勝手に入らないでよ」
アンティリーネの反応にも構わず、マクシミリアンは飄々とした顔で家の中へ入っていった。
その後ろで第一席が、少し困ったような表情を浮かべながら見守っている。
「何してるの。あんたも入れば」
「では、失礼いたします」
すでにあの老人が勝手に入ってしまった。
それに、せっかく訪ねてきた客を外へ立たせておくのも気が引ける。
アンティリーネが入るよう促すと、第一席は慎重な足取りで家の中へ入った。
「おお。起きておったか」
中へ入ったマクシミリアンが真っ先に目にしたのは、ソファの上で大人しくしていたリオンだった。
まるで久しぶりに孫でも見たかのように、とても穏やかな笑みを浮かべながら近づいていく。
リオンは彼が近づいてくると、少し目を丸くした後、一生懸命何かを呟くように声を上げた。
「ほっほ。前は儂の髭を思い切り引っ張っておったのにな」
リオンが自分を覚えていることが分かると、マクシミリアンは軽く笑いながら、その頬を優しく撫でた。
「あの……神は今、どちらにいらっしゃるのでしょうか」
「『あの人』なら今は回復中。寝室で寝てるよ」
「回復……ですか。――あっ!」
マクシミリアンとは違い、家へ入ってすぐカリムの姿が見えないことに気づいた第一席は、彼の様子を尋ねた。
寝ている。
その答えを聞いた時は少し不思議そうにしたが、昨日の戦争を思い出し、すぐに納得する。
第一席自身も、確かにかなり疲弊していた。
だが、一緒に戦った仲間が多かった上、魔導国の援護もあったため、重傷までは負っていない。
しかし、『スターフォール』は違った。
彼らは酷い重傷を負っている。
特にカリムに至っては。
死に至りかねないほどの重傷を負ったと、アンティリーネ本人から聞いていた。
降臨するだけで国家を滅ぼし。
手を振るい、咆哮するだけで、この世界の法則すら変え、操る。
常識というものからあまりにも逸脱しすぎた存在。
これまで知られていた『魔神』すら、ただの雑兵に見せてしまう怪物たち。
そんな存在と戦い。
そして、退却させた。
自分たち法国の戦力では、将軍級どころか、小隊長格と思われる魔物を相手にするだけでも苦戦していた。
もし魔導国の助力がなかったなら。
ほとんど全滅に等しい敗北を喫していたことだろう。
「神のお身体は、大丈夫なのでしょうか」
「うん。今はね」
少し心配そうな声。
だが、今は大丈夫だというアンティリーネの答えを聞き、第一席は安堵の息を吐いた。
ただ存在するだけで、世界の法則すら変えてしまう魔神たち。
あの魔神たちを止められる存在は。
魔導国。
そして、自らの師。
おそらく、その二つだけだろう。
「――それで。二人とも、何しに来たの?」
「先ほども言った通り、儂は遊びに来ただけじゃが」
「私は護衛として同行いたしました」
「はぁ……」
あまりにも拍子抜けする答えに、アンティリーネは小さく溜息を吐いた。
――この人たち、こんな性格だったっけ。
少し頭が痛くなるような気さえした。
それでも。
だからといって、今さら帰れと言うわけにもいかない。
「仕方ないな。代わりに、『あの人』が起きるまでは食事とか自分たちで何とかしてよ?」
「構わんとも」
「承知しました」
――カリムには悪いけど。
起きたら、この二人の相手をしてもらおう。
その代わり。
酒飲み仲間も来たことだし、いつもより少しくらい多めに飲ませてあげよう。
そんなことを考えながら。
アンティリーネは再びソファへ腰を下ろし。
リオンと共に、気怠く穏やかな午後を楽しむのだった。
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