■敗北した未来の一柳梨璃がタイムスリップする話 作:あばなたらたやた
空間の歪みは、ゆっくりと形を持ち始めた。
桜吹雪の向こう。何もないはずの空間から、巨大な影が滲み出る。
「――ヒュージ」
私が呟く?
当然だ。
彼女たちの多くは映像や教本でしか見たことがない。だが私は知っている。何千、何万と殺してきた。そして何度も殺されかけた。
人類の天敵。
ヒュージ。
突如として地球へ現れた巨大生命体。
意思疎通は不可能。
生態は不明。
繁殖方法も不明。
ただ一つ確かなことは、人類を滅ぼすために存在しているという事実だけだった。
小型種は兵士級と群れで襲い掛かる戦車級。
レーザー砲台である重光線級。
そして。
今、目の前にいるのは。
「要撃級……」
夢結さんが低く呟いた。
現れた巨体は三十メートルを超える。
人型と蜘蛛を無理矢理融合したような異形。
青黒い巨大な前腕。
白く露出した筋肉。
剥き出しの骨格。
目のない顔。
歯だけを並べた口。
四本の脚で巨体を支えながら、異様な速度で移動する大型種。
要撃級。
ヒュージ軍勢の中核戦力。
正面からの戦闘能力は極めて高く、前腕の硬度はCHARMすら弾く。真正面から戦えば、多くのリリィが命を落とす。
「しかも特殊個体ね」
夢結さんが言った。
私も同意する。
普通の要撃級ではない。周囲の景色へ溶け込む擬態能力。
マギ波形の偽装。
熱源の攪乱。
明らかに異常だった。
「厄介ですね」
私は《イレギュラー》を展開する。
未来の解析用CHARM。
通常なら戦場情報を瞬時に処理できる。だが表示されるデータは乱れていた。
「解析妨害……?」
そんな馬鹿な。
未来技術だぞ。
数十年後の人類が作り上げた実験機だ。
その瞬間、要撃級が動いた。
轟音。そして周囲へ大量の灰色の煙が撒き散らされた。
「煙幕!?」
夢結さんが叫ぶ。
視界が消える。
桜も。
校舎も。
敵も。
何も見えない。
私は即座に理解した。
小賢しい。だが有効だ。
視界だけではない。
マギ感知すら乱される。
完全な索敵妨害。
「夢結さん!」
「いるわ!」
声だけが聞こえる。
その時だった。
嫌な予感がした。
戦場経験が叫ぶ。
違う。
敵は私たちを狙っていない。
要撃級は知っている。
誰が弱いのか。誰を殺せば陣形が崩れるのか。誰を狙えば守るために他が動くのか。そして私の脳裏に浮かんだ。
一人の少女。
「梨璃!!」
叫ぶ。
次の瞬間。
煙の向こうから悲鳴。
「きゃっ――!!」
いた。
やはりだ。
要撃級は梨璃を狙った。
最も弱い者。
最も守られる者。だから狙う。人類を殺し続けた怪物の合理的判断。
「させません!!」
私は全力で地面を蹴った。
骨が軋む。
筋肉が悲鳴を上げる。
未来の人体強化。
未来の戦闘経験。
未来のCHARM。
全てを動員する。
煙を突き破る。そして見えた。
巨大な前腕。
梨璃へ振り下ろされる死。
「全力出力、ドミナント!!」
激突。
凄まじい衝撃。
地面が砕けた。
私は梨璃の前へ滑り込む。
防ぎ受け止める。止まった。だが。
「――っ!?」
重い。
異常に重い。
腕が軋む。
押される。
未来の私が。
押されている。
「そんな……!」
信じられなかった。
私は未来を生き延びた。
数え切れない戦場を越えた。
人体強化もある。
CHARM性能も比較にならない。
圧倒して当然のはずだった。
なのに押される。互角ですらない。敵の筋力が異常だった。そして。もう一方の腕。死角から迫る。
「ラプラス!!」
夢結さん。
銀閃。
凄まじい斬撃。
要撃級の側面へ叩き込まれる。
怪物が後退した。
私は跳躍して距離を取る。
ようやく呼吸ができた。
「大丈夫!?」
梨璃が駆け寄る。
「ええ……なんとか」
腕が熱い。
見る。
制服が裂けていた。
血が流れている。
受け流したつもりだった。だが削られている。要撃級に。この私が。
「ありえない……」
思わず呟く。
未来では要撃級など何体も殺してきた。
なのにこの個体、強すぎる。
未来基準でも。
十分脅威だ。
「腕を見せてください!」
梨璃が言う。
「でも」
「いいから!」
強引だった。少し懐かしくて、少しだけ笑いそうになる。
梨璃は救急キットを取り出した。
震える手。だが真剣な目。
丁寧に傷を消毒する。
「痛くないですか?」
「ええ、平気ですよ」
「嘘です」
即答だった。
「絶対痛いです」
少しだけ困る。
未来では誰もそんなことを言わなかった。
みんな自分の傷で精一杯だったから。
「……ありがとうございます」
自然と口から出た。
梨璃は少し照れたように笑った。
一方、夢結さんは違った。彼女はCHARMを構えたまま煙の向こうを睨んでいる。
警戒を解いていない。そして私を見る。
「ラプラス」
「はい」
「あなた、何者なの」
静かな声。
「その戦い方は異常よ」
鋭い視線。
当然だった。
未来の技術。
未来の経験。
未来の戦術。
普通ではない。それなのに私は傷を負った。
夢結さんもそれを見ている。
「あなたほどのリリィが押された」
夢結さんが言う。
「つまりあれは、本当に危険な個体ということね」
私は頷いた。
煙の向こう。
怪物の気配は消えていない。
逃げていない。
狩人のように。
こちらを観察している。
獲物を吟味している。そして私たちも理解していた。
風が吹く。
灰色の煙が揺れる。だが完全には晴れない。
特殊個体。ただ力が強いだけではない。戦い方を理解している。人類の視覚に依存した索敵を妨害し、弱者を狙い、陣形を崩す。
小賢しい。そして厄介だ。
「梨璃ちゃん」
「は、はい!」
私は振り返る。梨璃は緊張した様子でCHARMを握っていた。
「あなたは前に出なくていい」
「え?」
「今回の役割は索敵です」
私は《イレギュラー》の解析画面を共有する。
「敵は擬態しています。私たちでも見失う」
「はい」
「でも梨璃ちゃんの感覚は違う」
未来で知っている。
彼女のマギ感知能力は異常だ。
理論では説明できないほど鋭い。
「違和感を探してください」
「違和感……」
「目じゃなくて感覚です」
梨璃は真剣な顔で頷いた。
「やります!」
その返事だけで十分だった。
私は夢結さんへ視線を向ける。
「白井さん」
「ええ」
「前衛は私たちです」
「当然でしょう」
夢結さんがCHARMを構える。
その瞳は静かだった。
数日前のような危うさはない。
狂気も焦燥もない。
《オールマインド》が精神を安定させる。いる。けれどそれだけではない。彼女自身がリリィとして優秀なのだ。
冷静な夢結さんは、本当に強い。
「行きます」
「合わせるわ」
短い返答。
それだけで十分だった。
私たちは前へ出る。
梨璃を中心に置く。
私が左翼。
夢結さんが右翼。
三角形の防御陣形。
敵がどこから来ても迎撃できる形。
すると。
「右!」
梨璃が叫んだ。
同時。
夢結さんが動く。
銀閃。
煙幕ごと切り裂く斬撃。
轟音。
そこにいた。
要撃級。
擬態を暴かれた怪物が咆哮する。
「いたわね」
夢結さんが踏み込む。
速い。
未来で見た動きより鋭い。
精神の重石が消えたからだ。彼女のCHARMが要撃級の腕へ叩き込まれる。
火花。
衝撃。
怪物が大きく体勢を崩した。
「ラプラス!」
「了解!」
私は跳ぶ。
夢結さんが作った隙へ《ドミナント》を叩き込む。
直撃。
外殻が砕ける。だが倒れない。
要撃級が巨大な前腕を振り回す。
「上!」
梨璃。
警告。
私たちは同時に回避する。
怪物の攻撃が空を裂いた。
その直後。
夢結さんが私の死角を埋める。
私が前へ出れば彼女が支える。
彼女が攻めれば私が守る。
まるで未来の私たちだった。いや未来以上かもしれない。
「左後方!」
梨璃が叫ぶ。
私は振り返る。
そこに敵がいた。
また擬態したのだ。だが今は違う。梨璃がいる。敵の隠蔽が意味を失う。
「捕まえた」
私は笑う。
《イレギュラー》が敵の挙動を解析。
次の行動を予測。
その情報を夢結さんへ送る。
彼女は即座に理解した。
「右へ誘導するわ」
「お願いします」
夢結さんが攻める。
激しい連撃。
要撃級が防御に回る。
そして、予測通り左側へ回避した。
そこには私がいる。
「終わりです」
《ドミナント》最大出力。
未来で開発されたヒュージ完全抹消用実験CHARM。
白銀の光が収束する。
怪物が咆哮した。
だが遅い。夢結さんの斬撃が腕を弾く。
私の一撃が胸部へ突き刺さる。そして貫いた。
要撃級が停止する。
巨体が揺れ、崩れる。
最後に一度だけ痙攣し、完全に沈黙した。
静寂。
煙幕が晴れていく。
桜が舞う。
私は息を吐いた。
「終わりましたね」
「ええ」
夢結さんもCHARMを下ろす。
その表情は穏やかだった。どこか憑き物が落ちたように。戦闘中とは思えないほど安らかだった。
「流石ですね」
私が言う。
「あなたも」
夢結さんが返す。
「一人では危なかったわ」
「私も同じです」
本心だった。
私だけでは勝てなかった。
夢結さんだけでも危なかった。
梨璃だけでは論外だった。
だから三人で勝った。
⸻
「や、やりました!」
梨璃が駆け寄ってくる。
満面の笑み。まるで自分のことのように喜んでいた。その姿を見て私は少しだけ目を細める。未来では失われた光景。もう二度と見られないと思っていた日常。けれど今は違う。
夢結さんもいる。
梨璃もいる。
みんな生きている。だから私は心の中だけで呟いた。
――守れた。
まだ何も始まっていない。しかし、それでも過去に貢献できた。