敗北した未来の一柳梨璃がタイムスリップする話 作:あばなたらたやた
出会い頭、一柳梨璃がこう言った。
「白井夢結様と、シュッツェンゲルの契りを結びたいんです」
その言葉を聞いた瞬間、私は返事をしなかった。いや、できなかった。目の前では梨璃が少し緊張した様子で私を見ている。
きっと勇気を出して相談してくれたのだろう。
だからこそ、私は即答できなかった。
「……少し、待ってください」
「はい?」
「考えさせてください」
それだけ言って、私は窓の外へ視線を向けた。
春の風が吹いている。
平和な昼下がり。けれど私の脳裏には、まったく別の光景が浮かんでいた。
◆
白井夢結。
百合ヶ丘女学院最強のリリィ。
数多の戦場を踏破した英雄。
多くのリリィたちの憧れ。
圧倒的な才能。
圧倒的な努力。
圧倒的な責任感。
そして――圧倒的な破滅性。
私は知っている。誰よりも知っている。未来で共に戦ったからだ。白井夢結という人間を。
その強さを。
その弱さを。
その美しさを。
その危うさを。
誰よりも知っている。だから簡単に頷けない。梨璃は夢結様の強さを見ている。
優しさを見ている。
孤独を見ている。
だから助けたいと思っている。
それは正しい。
実際に未来の私は夢結様を救った。誰にも届かなかった場所へ届いた。夢結様の閉ざされた心を開いた。
それは事実だ。だが。それは結果論でもある。
私はゆっくりと目を閉じた。
◆
川添美鈴。
夢結様にとって絶対だった人。
姉妹。
憧れ。
理想。
家族。
救い。
その全て。
そして失った。夢結様は今でもあの日を生きている。時間が進んでいない。身体だけが前へ進み。心だけがあの日に置き去りになっている。だから他人を拒絶する。だから近付けない。だから孤独を選ぶ。
失えば苦しい。なら最初から持たなければいい。
それが今の夢結様の結論だ。けれど問題はそこじゃない。
本当に恐ろしいのはルナティックトランサー。
あの呪われた才能だ。
私は未来の戦場を思い出す。
荒れ狂うマギ。
軋む空間。
絶叫。
血。
死。
そして壊れていく夢結様。あのレアスキルは強すぎる。強すぎるが故に代償も大きい。精神が削れ、感情が摩耗する。
過去の傷が抉られ、トラウマが増幅される。そして限界を超えた時、暴走する。
完全暴走。
未来では何度も見た。
仲間を守るため、戦線を維持するため、誰かを生かすため、夢結様は何度も自分を壊した。その度に私たちは必死で止めた。
抱き締めた。
叫んだ。
泣いた。
それでも止まらなかった。
夢結様はいつもそうだ。
自分の命を勘定に入れない。
◆
そして私は知っている。
一柳梨璃が夢結様を救ったことも。
それ以上に夢結様が私を愛したことも。
知っている。だから悩む。未来を知る私だからこそ悩む。
もし私が何もしなければ二人は自然に近付く。やがて惹かれ合う。そしてシュッツェンゲルになる。
それが私の知る歴史だ。けれど本当に同じ歴史になるのか?
私はもう存在している。
ラプラスという異物が。
未来から来た亡霊が歴史へ介入している。
夢結様は以前より安定している 《オールマインド》の影響だ。
梨璃も私へ相談するようになった。
すでに歴史は変わっている。なら二人の関係も変わる可能性がある。
もし。私が間違えたら。
もし。私が介入したせいで夢結様が梨璃を受け入れなかったら。
もし。梨璃が傷付いたら。
もし。二人が出会えなくなったら。
その未来は。私の知る未来よりも酷いものになるかもしれない。
気付けば拳を握り締めていた。
私は怖れている。
ヒュージではない。戦争でもない。未来を変えることそのものを怖れている。なぜなら私は知っているからだ。
白井夢結を救えたのは一柳梨璃だけだった。
あの奇跡は。
あの出会いは。
何万回世界をやり直しても再現できる保証などない。だから。私は慎重にならざるを得ない。
未来を守るために過去へ来たのに。
未来を知っているからこそ動けない。
なんとも皮肉な話だった。
目を開く。
梨璃が不安そうな顔でこちらを見ていた。
「ラプラスさん?」
私は少しだけ微笑む。
そして思う。
やはり未来の私は凄かった。
こんな真っ直ぐな人間だったのだから。
「……梨璃ちゃん」
「はい」
「どうして夢結様なんですか?」
まずはそこから聞こう。
未来ではなく、今の梨璃自身の言葉を。
私は聞かなければならない。未来を知る亡霊としてではなく。
今を生きる彼女たちを支える先輩として。
私は梨璃を見つめる。
窓から差し込む春の日差しが、彼女の栗色の髪を照らしていた。
緊張している。けれど、その瞳は真っ直ぐだった。
迷いがない。だからこそ、私は改めて考える。
一柳梨璃とは、どんな少女だったのか思い出さなければならない。
◆
一柳梨璃。
天然で。
優しくて。
少し抜けていて。
けれど誰かが困っていたら放っておけない。
そんな少女。
ラムネが好きで。
四葉のクローバーを大切にしていて。
特別な才能があるようには見えない。
どこにでもいる普通の女の子。
少なくとも。
本人はそう思っている。
だが未来を知る私から見れば違う。彼女は決して普通ではない。むしろ異常な側だ。
思い出す。
撤退戦。
燃える街。
崩壊する防衛線。
死体。
血。
悲鳴。
ヒュージ。
人間が生き残ることすら難しい戦場。その中で梨璃は死にかけていた。ただの一般人だった。武器もない。戦闘訓練もない。戦う術もない。それでも彼女は諦めなかった。
生きようとした。
逃げようとした。
最後まで、そして白井夢結に救われた。
あの日、彼女の人生は変わった。
夢結様は気付いていないだろう。
あの日の行動が一人の少女の人生を決定づけたことに。梨璃は憧れた。あの圧倒的な強さに。あの美しさに。あの孤独に。あの優しさに。
だからリリィを目指した。
しかし改めて考えると異常だ。
たった一年。たった一年なのだ。
戦闘経験ゼロ。
一般人。何の実績もない少女。それが一年後には、世界の優秀な養成機関の上位三つに数えられる最高峰の百合ヶ丘へ入学している。しかもただ入学しただけではない。
実戦で結果を出して周囲から認められている。夢結様に並ぶ場所へ辿り着いている。普通ではありえない。
未来の私は知っている。リリィの世界がどれほど過酷なのか。才能だけでは足りない。努力だけでも足りない。運だけでも足りない。その全てを持っていても脱落する。
それが戦場だ。なのに一柳梨璃はそこへ辿り着いた。
なら答えは一つだ。
元々持っていたのだ。才能を。素質を。適性を。そして何より人を惹きつける力を。
私は目の前の梨璃を見る。
今も変わらず、困った顔をしている。自信がなさそうにしている。自分を特別だと思っていない。それなのに気付けば周囲に人が集まる。
夢結様が目をかける。神琳が心を許す。雨嘉が守ろうとする。
みんなが手を差し伸べる。本人は無自覚だろう。だがそれこそが一柳梨璃の最大の才能だった。
未来の私は知っている。
戦場では強い人間が英雄になるとは限らない。賢い人間が指揮官になるとも限らない。生き残る人間が正しいとも限らない。だが人を繋ぐ人間は必要だ。
絶対に必要だ。
壊れそうな誰かを支える人。
孤独な誰かに手を差し伸べる人。
失敗した誰かを許せる人。
絶望した誰かを信じられる人。
そういう人間がいなければ組織は壊れる。レギオンは崩壊する。人類は負ける。だから未来の百合ヶ丘で最も代替が利かなかったのは実は夢結様ではなく、私だったのかもしれない。
そしてだからこそ私は悩む。
彼女が夢結様へ向けている感情は本物だ。
憧れ。
尊敬。
感謝。
そして――まだ名前の付いていない何か。
未来を知る私はその結末を知っている。けれど。今の梨璃は知らない。
ただ純粋にあの日助けてくれた人を支えたいと思っている。
それだけだ。だから私は未来を理由に否定したくなかった。
彼女の想いを。
彼女自身の意志を。
踏みにじりたくなかった。
私は静かに息を吐く。そして改めて思う。
やはり一柳梨璃という少女は凄い。
戦闘能力ではない。
才能でもない。
そんなものよりもっと恐ろしい。
この少女は人の心へ踏み込むことを恐れない。それがどれほど勇気のいることなのかも知らないまま当たり前のように手を伸ばしてしまう。だから未来の白井夢結は救われたのだ。
きっと。
私は彼女の闇を切り裂けたのだ。