敗北した未来の一柳梨璃がタイムスリップする話   作:あばなたらたやた

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7話:私と一柳梨璃

 

 数日後。

 放課後の中庭。

 白井夢結様とのシュッツエンゲルの契りについて相談を受けた私は、その返答を保留したまま、一柳梨璃と向かい合って座っていた。

 

 春風が吹く。ベンチの上にはラムネの瓶。梨璃が飲んでいたものだ。私はそれを見ながら、小さく息を吐いた。

 

 彼女は夢結様を救うだろう。誰も近づけなかった孤独を壊し、誰も届かなかった心へ手を伸ばす。そして二人はシュッツェンゲルになる。

 

 結果だけなら知っている。だが私は未来を知っているからこそ、確認しなければならなかった。

 

 本当に彼女は理解しているのか。

 夢結様が何を抱えているのか。

 その覚悟があるのか。

 

「梨璃ちゃん」

「はい!」

 

 元気よく返事が返る。

 私は少し考えてから口を開いた。

 

「どうして夢結様とシュッツェンゲルになりたいの?」

 

 梨璃は少し驚いた顔をした。けれどすぐに笑う。

 

「尊敬しているからです!」

 

 即答だった。

 

「夢結様は強くて、格好良くて、誰よりも頑張っていて……私、あの人みたいになりたいんです!」

「それだけ?」

「え?」

 

 私は続ける。

 

「憧れだけなら、遠くから見ているだけでもいい」

「……」

「どうして近づきたいの?」

 

 梨璃は少し困った顔をした。

 言葉を探している。

 その様子を見ながら私は待った。

 急かさない。

 答えを誘導しない。

 ただ待つ。

 

「……放っておけないんです」

 

 ぽつりと梨璃が言った。

 

「放っておけない?」

「はい」

 

 彼女は俯いた。

 

「夢結様、すごく寂しそうだから」

 

 私は目を閉じた。やはり梨璃はそこを見る。戦績でも名誉でもなく孤独を見つける。

 

「私なんかが言うのも変ですけど」

「うん」

「夢結様って、いつも一人なんです」

 

 梨璃は続ける。

 

「みんな夢結様を凄い人だって言います」

「そうね」

「でも夢結様自身は、全然幸せそうじゃないんです」

 

 私は黙る。

 

「だから」

 

 梨璃は少し照れながら笑った。

 

「私が隣にいたら、少しは楽しくなるかなって」

 

 胸が痛くなった。なんて純粋な言葉。

 

「夢結様を幸せにしたいの?」

「そんな立派なことじゃないです!」

 

 慌てて否定する。

 

「私にそんなことできません!」

「じゃあ何をしたいの?」

「一緒にいたいんです」

 

 梨璃は即答した。

 

「夢結様と」

 

 迷いがなく、打算もない。

 純粋な願い。だからこそ強い。私は少し視線を落とした。

 夢結様は自分を死神だと思っている。近づく者を不幸にすると信じている。だから距離を取る。だから拒絶する。だから孤独になる。

 

 そんな相手に。

 この子は。

 

「一緒にいたい」

 

 たったそれだけで踏み込む。

 無謀だ。本当に無謀だ。けれどそれこそが夢結様を救った。

 

「梨璃ちゃん」

「はい」

「夢結様は優しくないかもしれないよ」

「はい」

「拒絶されるかもしれない」

「はい」

「傷つくかもしれない」

「はい」

 

 全部頷く。

 迷わない。

 

「それでも?」

 

 梨璃は笑った。

 太陽みたいに。

 

「それでもです」

 

 私は思わず苦笑した。

 

「どうしてそこまで頑張れるの?」

 

 私の問いに梨璃は少し考えた。そして。

 

「私、思うんです」

 

 四葉のクローバーの栞を指で撫でながら。

 

「目の前の困難を頑張って乗り越えたら、その先に何かあるんじゃないかって」

 

 私は息を呑んだ。

 

「だから」

「うん」

「今できることを頑張りたいんです」

 

 そう言って。

 梨璃は照れ臭そうに笑った。

 

「だって、諦めたら何も始まらないですから」

 

 その瞬間。

 私は理解した。

 悩んでいたのは私だけだった。

 夢結様に必要なのは正しい判断でも、慎重な分析でも精神安定装置でもない。

 ただ、この少女なのだ。だから私は静かに笑った。

 

「なるほど」

「?」

「ううん。なんでもない」

 

 改めて確信した。

 一柳梨璃は特別な才能や強さだけで夢結様を救ったのではない。誰かの孤独を見つけてしまう優しさ。そして傷つくと分かっていても手を伸ばす勇気。

 

 それがあったからだ。

 私はラムネ瓶を見つめながら思う。

 ――やっぱり。

 今の私にはなれないな。

 今の私はラプラスだ。戦場を知りすぎた亡霊。けれど目の前の少女は違う。

 未来を知らない。

 失敗も知らない。

 だからこそ。誰よりも強く前へ進める。そして私は、小さく微笑んだ。

 

「梨璃ちゃん」

「はい!」

「夢結様をよろしくね」

「え?」

 

 きょとんとする梨璃。

 私はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、かつて私が歩いた道を今度は少しだけ後ろから見守ろうと思った。

 梨璃と別れたあと私は一人、寄宿舎へ続く渡り廊下を歩いていた。

 夕日が窓ガラスを赤く染めている。

 遠くから聞こえる部活動の声。

 笑い声。

 足音。

 平和な世界の音だった。

 私は窓の外を眺めながら、小さく息を吐いた。

 

 結論は出ている。

 私は、一柳梨璃に協力する。夢結様とのシュッツェンゲルの契りを応援する。

 それが正しい未来へ繋がることを知っているから。けれど、だからといって私が全部教えるつもりはなかった。

 

 未来を知る私が答えを与えれば簡単だ。

 夢結様が何に傷ついているのか。

 どんな言葉を求めているのか。

 どのタイミングで距離を縮めればいいのか。

 全部知っている。でもそれをしてしまえばそれはもう一柳梨璃ではない。

 ラプラスが操る人形だ。

 

「それは違うよね……」

 

 誰にともなく呟く。

 夢結様を救ったのは未来を知っていた私ではない。何も知らないまま飛び込んだ梨璃だった。だから私は答えではなく、考え方を教えることにした。

 

 

 翌日。

 昼休み。

 中庭のベンチ。

 ラムネを飲みながら梨璃が私を見上げる。

 

「ラプラスさん!」

「どうしたの?」

「夢結様に話しかける練習がしたいです!」

 

 やっぱり来た。

 私は少し苦笑した。

 

「練習?」

「はい!」

 

 元気よく頷く。

 

「どんな話をしたらいいでしょうか!」

「うーん」

 

 私は少し考える。

 

「じゃあ逆に聞くけど」

「はい!」

「夢結様がどんな反応をすると思う?」

「え?」

 

 梨璃が固まる。

 

「えっと……」

「話しかけたら喜ぶ?」

「それは……」

「喜ばないと思う?」

「たぶん……喜ばないです」

「どうして?」

 

 梨璃は考える。ちゃんと考える。その姿勢は良い。

 

「今の夢結様、人と距離を置いてますから」

「そうね」

「だから警戒されると思います」

「うん」

「でも」

 

 梨璃は少し首を傾げた。

 

「どうしてそんなことするんでしょう?」

 

 私は少しだけ笑う。

 良い質問だ。

 

「じゃあ梨璃ちゃん」

「はい」

「大切な人を失ったことはある?」

 

 彼女の表情が曇る。

 撤退戦。

 夢結様に救われたあの日。

 亡くなった人達を思い出したのだろう。

 

「あります」

「その時、どんな気持ちだった?」

「……辛かったです」

「誰かに触れられたかった?」

「それは……」

 

 少し考える。

 

「人によるかも」

「そう」

 

 私は頷いた。

 

「慰められたかった?」

「時々」

「一人になりたかった?」

「それもあります」

 

 私は微笑む。

 

「夢結様も同じかもしれない」

 

 梨璃が目を丸くした。

 

「だからね」

「はい」

「相手が何を考えているか想像するの」

 

 私は指を一本立てた。

 

「これが一つ目」

 

 次に二本目。

 

「自分が何をしたいか考える」

 

 三本目。

 

「相手が嫌がる可能性も考える」

 

 梨璃は真剣に聞いている。

 

「そして最後」

 

 四本目。

 

「それでも行動するか決める」

「……」

「人間関係って、大体そんなものだと思う」

 

 私がそう言うと、梨璃は少し考えて。

 

「難しいですね」

 

 と呟いた。

 

「難しいよ」

「ラプラスさんは出来るんですか?」

 

 思わず笑いそうになる。

 出来る。今なら出来る。未来で何千人ものリリィと話した。

 狂った者を宥めた。

 絶望した者を支えた。

 死にゆく者の最後の願いを聞いた。

 対話だけなら誰より上手いだろう。

 けれど私は首を振った。

 

「失敗ばかりだよ」

「そうなんですか?」

「うん」

 

 むしろ一番大事な相手には何度も失敗した。

 夢結様にも、みんなにも、だから今の私がある。

 

 その日の帰り道。

 梨璃はずっと何かを考えていた。

 

「夢結様だったらどう思うかな。夢結様なら何て言うかな」

 

 そんな独り言を繰り返している。私は少し後ろを歩きながら、その姿を眺めた。

 ああ、これでいい。未来を教える必要なんてない。答えを与える必要もない。考える癖をつければいい。相手を理解しようとする習慣を。

 それだけで十分だ。

 結局。

 人を救うのは知識じゃない。理解しようとする意思だ。

 私は夕焼け空を見上げる。

 少しだけ笑った。

 

「まるで先生みたいだな」

 

 思わず漏れた言葉だった。

 未来の戦場で。

 私は何度も新人を育て、心が壊れそうな子を支えた。戦い方を教えた。生き方を教えた。だから今の私は過去の自分にまで人生相談をしている。

 

「本当に、何をやってるんだろうね」

 

 自嘲気味に笑う。けれど不思議と悪い気分ではなかった。

 私は救世主ではない。

 英雄でもない。

 未来を変える神でもない。

 ただ少しだけ長く生きてしまった先輩だ。

 だから過去の私が転ばないように。答えではなく考える方法だけを残そう。

 その先を歩くのは私ではなく一柳梨璃自身なのだから。

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