……思えば、不思議だ。不思議でしょうがない。
あのとき、俺は確かにマシロのケツを蹴った。でも、アイツは殴りもせず、撃ちもせず、俺を抱きしめた。思えば、誰かに抱きしめられるなんて初めてな気がする。俺、ずっと俺だけで動いていたからなぁ。道を歩く人間たちには周りに強そうなヤツを囲ってる人間もいれば、寄ってたかって蹴られる弱いヤツもいた。まぁ、それはそうなるだろうな。やられるからにはやられる理由がある。自分を守るには強くなるしかない。覚悟するしかない。そういうのだと考えるしかない。……そうでもしないと生きらんない。
そういや、ミカに会う前、すげー変なヤツに会ったなぁ。ビビリな癖して何もやろうとしないヤツだった。食いモンをあげたけれど、あの後どうなったんだろうな。まぁ、ろくでもねーヤツにつられるか、腹減ってくたばるか、どっちかだな。そうに違いねぇ、うん。
今日の朝はジャムってヤツを塗ったパン、眩しい色をしたサラダ、ツヤツヤした黄色い食いモンだった。最初こそは見たことないモンばっかで怖かったけど、食ってみたら案外食える。ジャムとかいう塗るヤツはすんげぇ美味い、いや、「甘い」だったっけ?
――ジャムは「美味い」じゃなくて「甘い」と言うんですよ?
短い髪のヤツがそう言っていたなぁ、あ、名前は何て呼ばれたっけ……?えと、確か、……リナ、いや、セリ、だっけ?……あ、セリナだ!あのデカい盾のアイツと違って、俺が何をしても怒りもしなかった。それどころか、しつこいくらいに傍にいてくれた。……変なヤツだな。何で俺にそこまでして……?
やっぱやめよう。考えてるとすげー疲れてくる。思い切って身体を動かしたい。でも、それはできない。今、俺はマシロたちの建物にいるみたいだ。マシロと同じ格好のヤツらをよく見かけるし、アイツらの根城なのかもな。暇だ……、ハジキも取り上げられたし、好きに動けねぇし、どうしたらいいのか分かんねぇ。周りに点々のついててたまに音がする置き物、鳥みたいなキモいヤツ、そっから、何かの本。
何かの本だろうな。手に取る。見たことのある本とは違って、本そのものが厚い。中身を見たくて開こうとしても力が要る。その開いた中身には、変な格好の女がいる。……ダメだ。やっぱ、読める文字がどこもねぇ。絵なら分かる。でも、その絵の周りにある黒線の文字みてーなのが分かんねぇ!きっと言いてーことがそこにあるのかもしんねぇけど、それが読めない。どうすりゃいいんだ?あ、マシロならどうだ?アイツなら読めるかもしれない。きっと、俺よりも賢いだろうからな。でも、ここにはいない。どこにいるんだ、アイツ?
音がした。
誰か来たのか?
また音がした。
「やっほー☆元気だった?」
あのとき、聴いた声。……ミカだ。
「元気って?」
「げんき」?何のことだ?
「アハハ、ごめんごめん。えっとね、そうだな……、あ!無事だった、でいいかな」
分かんないけど、まぁ、そうなのかもな。
「もぉ、コラコラ。背中は揺らさないでね、それじゃ、ちょっとお話してもいい?」
お話?
「実はね、君のことをすごーく怖いと思っちゃう子たちがいるの。私はね、クロト君をそういう悪い子たちに巻き込ませたくないんだ。だからね、好きな誰かさんと生活して、いっぱい学んで、それで皆と一緒に生活できるようになろー☆……てね」
生活、か……。って、学ぶって何だ?
「誰って……、急に言われても分かんねぇよ」
「じゃあ、知ってる女の子の名前を言ってみて」
あ、知ってるヤツ……、あ!
「マシロ!マシロで」
「オッケー☆それじゃあ、お外に出る準備をするから、ちょっと待っててね」
ミカは部屋を出た。また静かなままだ。
……俺を怖がるヤツら、か。何で怖がるんだ?俺は気に入らないからそうしただけなのに。
盾持ってたヤツは勝手に俺の身体を触ろうとしてきた。変な格好してたヤツらはしつこく構ってきた。……俺は何も悪いことしてねぇのに、アイツら何を考えてるんだよ。
「お待たせ~~。お洋服、お靴、それとお財布!今から着替えてマシロちゃんのお家にいこっか☆」
……まぁ、いいか。ミカがそうしようとしてるし。アイツらと違って俺とよく話をしてくれるし。
「おおお!」
「それじゃ、まずはバンザイしよっか」
俺はミカの言う通りにした。ミカは服をするする脱がせてくれるし、俺に服を着せてくれる。背中もよく動かせるし、何でだか分かんねーけどすげー楽しい。
「んん~~!クロト君、カッコよくなったね!これならキヴォトス中の女の子たちからもモテモテになること間違いなしかも!」
ん?聞いたことないのが、あったような。
「もてもて……?どんなの?」
「そうだね……、モテモテ、てのはたっくさんの女の子たちに囲まれるくらいの人気者、かな。皆にチヤホヤされるから、きっと自分の居場所も見つかるかもね☆」
居場所……!俺の、俺の!大切なもの!
「マジで⁈じゃあ、これから俺はモテモテを目指しゃいいんだな!」
「そういうこと!そのためにも、マシロちゃん家でお泊まりしていっぱい学ぼうね☆」
「いっぱい学べば俺も女からモテモテになれんの?」
「なれるって!クロト君はカッコいいし、強いし、元気もあるし。むしろ、私の王子様になってほしいな☆」
「おうじさま」?分かんねぇけどすげーモンなんだろうな。
「それじゃ、お外に出よっか。マシロちゃん家へ、レッツゴー☆」
「おー!」
こっからだ。こっから俺はいっぱい学んで、強くなって、それでミカにも、マシロにも、女にもモテモテのすげーヤツになってやるぜ!
「……てなワケで、これからマシロちゃんはクロト君と一緒に住んでもらうことになりました~~。ま、頑張って☆」
「……は、はい。承知、しました」
ごくごく普通の格好をしているミカ様、それとあの日出会った異形の背中の少年。自分の目を疑いたくなった。無理もない。学園の管轄外である、平凡なこのアパートに、トリニティの代表が子どもを連れてここに来ているのだから。それでも、目の前にはミカ様とクロトの2人がいる。信じるしかないようだ。
ミカ様の話すことから察するに、暴力を振りかざしていた理由に「皆と仲良くすること」を知らなかったと考えたようだ。まぁ、物心ついた頃からブラックマーケットでにおいて有名なスラングを、自分の呼び名にしてしまうくらいには有名であるし、力もある。ただ、それではいけない。彼には一人の人間として幸せになってほしいし、見捨てるなんて私の信念に反する。
「おっす!……何だっけ、あの、よ、何とか」
「「よろしくね」だよ。さ、言ってみて」
「あ、そっか。よろしくな」
これから彼と生活をするのか……。先日まで社会通念から程遠い世界にいた以上、マナーやモラルを教えるのは喫緊の課題だ。さて、どうやって教えようか。
「それじゃ、何かあったらよろしくね。それと」
ミカ様は去り際、私の耳元で小さく囁いた。
――彼のことは他の皆にはあまり教えないようにね♡
「じゃ、よろしくね~~~~☆」
首を絞められたような、怖さ。あの人は何を考えているのだろう。……そもそも、クロトが拾われた経緯がとても怪しかった。なぜ、すぐに身元を引き渡さなかったのか。なぜ、彼のことそのものを秘密にするのか。小さな綻びが胸の中で段々と大きくなっていくのを感じる。このことをツルギ先輩に報告を。
「おおおおおおおおお!見ろよコレ!開けたらすっげぇ涼し――ぜ!」
クロト、か、勝手に冷蔵庫を開けている……!
「こ、こら!やめなさいったら!」
……とりあえず、難しいことを考えるのは後にしよう。
一体何なんだよ、この置き物……。
デカいし、開けたら食いモンがいっぱいある。しかも刺すようなのがズンと迫ってくる。寒い日の風みたいだ。ん?そうなると、ここって冷たいのか?でも、冷たいとしてもやっぱ心地いい……。マシロにも教えてやんねーと!
「おおおおおおおおお!見ろよコレ!開けたらすっげぇ涼し――ぜ!」
マシロは近づいてくる。でも、大きく息を吐いている。
「もぉ!勝手に開けないの!やめなさい」
ここ、開けてるのがそんなに悪いのか?
「ダメなの?」
「ダメ」
「分かったよ、ハイハ。って、食いモンがいっぱい入ってるじゃん」
「そう。ここは食べ物を入れる場所なの。冷たい空気で冷やすことで食べ物を長く保存できるのよ」
「ほぞん」……?何それ?
「その、「ほぞん」って?」
「取っておく、ってこと。後で食べたいときや必要なときに食べられるようにね」
「へぇ……、まぁ、そういうモンなんだな」
他の場所を探ってみるか。手を伸ばそうとすると、マシロに止められた。
「ダメだよ、勝手に触っちゃ。とりあえず、私がいいと言うまで待っててくれる?」
「まぁ、うん」
そうしてマシロは置き物をパカパカ開けては食いモンを出した。丸っこい緑の葉っぱ。肉。黄色くて丸いイモみたいなヤツ。硬そうな音を立てたオレンジのヤツ。それからご飯。あの置き物、色んな食いモンが入ってるんだな……。気になる。他にもどんなものがあるのか、知りたい。
……待て待て。マシロが言ったろ!「いい」とか言うまで待つって。言われるまで俺は何もしなければいいのか?思えば、そんなことをするなんて初めてだな。前はやりたいことをやってきてばっかだった。動きたいのに動けない。何だか、動いたらアイツを悲しませてしまいそうで怖い。耐えろ、耐えろ、耐えろ!
「ハイ、いいわよ。ちょっとだったけれど我慢できたね。じゃあ、特別にあげるね、ご褒美」
「……え、マジ?」
な、ご、ご褒美⁈何だ何だ?すっげぇ気になるじゃんか!
「確か、この辺に……、あ、あった。ハイ、どうぞ」
……マシロの手にはおかしな食べ物があった。棒に青いのがくっついてる。ンだよこれ?これが、ご褒美、なのか?
「あ、食べ方、分からない?待ってて」
俺が食べ方を知らないと思ったのか、マシロは袋を開けた。
「食べるときは木の棒、そう、そこを持って食べて」
さっきの「レーゾーコ」よりも冷たい!こんなの見たことねぇ。と、とりあえず、食ってみるか。……ゲェ!ベロが、ベロがくっつく!しかも冷たくて口がおかしくなりそうだ。とても食えたモンじゃねぇって!
「づ、づめでぇぇ……、ゲェ……」
「やっぱり……。いつも君はそうだよね。自分のやりたいことを何でもかんでも優先させようとする。でも、これからはそれではいけないって学ばないとね」
「ぞ、ぞほらお……」
「さっきは出したばかりで冷たかっただろうけれど、今ならちょっとは温くなってるかも。口に入れてみて」
そんなに変わるのか?食べてみよう。……あれ?さっきと比べて、口に入れやすい。これは食べられる。アイスって、こんなに美味いのか!ミカが食わせてくれたエンジェルチキンにも負けないな。
「美味い……」
「美味しいでしょ?これからは、アイスを食べるときのように、何かをする前にまずは立ち止まること。分かった?」
「立ち止まる」、か……。やったことがないけど、頑張ってみるか。
――このまま行けば思い通りに行く。
……ダメだなぁ。ナギちゃんもいないからといって一人だけでほくそ笑むなんて。私らしくないな。まぁ、全ては私の悲願を叶えるためだからね、仕方ないか。
それにしても、エンジェルチキンだけであんなに釣られてしまうなんて簡単すぎる。やっぱ、強いと勘違いしている孤児は使いやすいね。まぁ、このまま内密の存在にできれば私の計画は成功するかもしれない。さっきと同じように、また変な笑い声を上げちゃったな。
――君は浅慮で動きすぎてる。いつか足元を掬われるぞ。
うるさいなぁ。今、どうしてるのか分かんないのに出てこないでよ。やるかどうかは私の勝手なのに……。
「もしもーし、私だよ」
約束の時間だ。電話をかけよう。相手は自らを「教授」と名乗っている。ここで彼と彼女がどれ程役に立ってくれるのか試してみようか。
「はい、私です。約束通り、流れ者たちを手配しました。これでよろしいでしょうか」
「うん!このままあの子たちの自由にしてあげればいいよ。流石「教授」だね☆」
「ホム、畏れ多いですよ。それより、今、こんなことをしてよろしいのですか。よりにもよって、連邦生徒会長悲願の式典が近いというのに」
「アハハ!大丈夫大丈夫!何とかなるって☆万が一、何かあったときは私が」
「皆まで言わずとも察せますよ。何とまぁ、横暴なあなたらしい……」
「横暴って、……悲しいなぁ。私、傷ついちゃう」
「ともあれ、お膳立ては済みましたので、そちらのお好きになさってください。責任は負いかねますが」
「へーきへーき!お手伝いしてくれてサンキュ♡」
「おや、ヴァルキューレの追手ですかね。ではここで」
「オッケー☆気をつけてね。じゃ」
話を終えると、部屋は静かになる。ここにいるのは私だけだ。もうあの子はいない。生きている希望はもう、どこにもない。引くことはできない。やるしかないんだ。私がこの手で終わらせるしかないんだ。
扉が開く。あの二人、約束通りやって来てくれたんだ。これから私のために手伝ってもらうね、クロト君。