社会の授業中。
先生が黒板に地図を貼った瞬間、教室が少しざわついた。
「今度の週末、希望者にはなるが――」
チョークが止まり、地図の一点を指す。
「境港市の水木しげる記念館に行く」
一瞬、教室が静かになった。
そして次の瞬間。
「え、マジ?」
「妖怪のとこだろ?」
「行く行く!」
と一気に騒がしくなる。
先生は咳払いをして続けた。
「課外授業の一環だ。興味がある者だけでいい」
#朔夜はその言葉を聞きながら、静かに手を挙げた。
◇
放課後
帰宅した朔夜がその話を両親にすると、反応はあっさりしていた。
「いいじゃない」
「行っておいで。興味あるんでしょう?」
特に反対される理由もなく、参加は決まった。
#朔夜は少しだけ頷く。
境港……)
目玉おやじの話を思い出す。
あれは本当に「話」として聞いたものなのか、それとも――。
そして週末。
駅のホームには、思ったより多くの生徒が集まっていた。
下級生の間でもこの課外授業は噂になっていたらしい。
「ほんとに妖怪見れるのかな?」
「記念館って何するんだろ」
そんな声の中に、見覚えのある顔があった。
「#朔夜君」
出木杉だった。
「やっぱり来てたんだね」
#朔夜は軽く頷く。
「興味があってね」
出木杉は少し笑った。
「僕もだよ。こういうのは勉強になるからね」
その言葉はいつも通り理屈っぽいが、どこか楽しそうでもあった。
[newpage]
電車は特急だった。
思っていたよりも静かに進み、車窓の景色が次々と流れていく。
田んぼ、山、川。
そして海が見えた瞬間、車内に少しだけ声が上がる。
「うわ、海だ!」
#朔夜は窓の外を眺めながら、無言で弁当を開いた。
駅弁の蓋を開けると、湯気と一緒に少しだけ日常の匂いが戻る。
(こういうのも、悪くない)
◇
午後。
境港駅に到着した一行は、思っていたよりもあっさりと目的地へ着いたことに少し拍子抜けしていた。
「意外と近かったな」
「特急ってすごいね」
そんな声が飛び交う。
先生は点呼を取りながら言った。
「離れるんじゃないぞ〜。自由行動は後で少しだけあるからな」
だがその言葉はほとんど生徒に届いていなかった。
すでに目の前の建物に意識が向いている。
水木しげる記念館。
館内に入った瞬間、空気が変わった。
薄暗い照明。
壁いっぱいの妖怪の絵。
静かに流れる説明音声。
「うわ……すご……」
誰かが呟く。
#朔夜は一歩ずつ進みながら、ノートを開いた。
(記録できるものは、全部残す)
展示パネルには、妖怪の由来や伝承が並んでいる。
ただの怪談ではない。
人々の生活や歴史と結びついた存在として説明されていた。
(やっぱり……)
#朔夜は小さく息を吐く。
妖怪というのは、単なる「怖いもの」ではない。
[newpage]
その頃。
先生はというと――
「これはな、水木しげる先生の作品でな……」
すでに生徒の輪から少し離れ、展示の前で語り始めていた。
「妖怪というのはな、日本の民俗学とも関係があってだな……」
「先生、置いていきますよ!」
「ちょっと待って!」
しかし本人はまるで止まらない。
気がつけば完全に展示の一部のようになっていた。
#朔夜はそれを横目で見ながら、静かに歩く。
展示されている妖怪を一つ一つノートに書き留めていく。
これは資料としてかなり使える)
だが同時に思う。
自由研究、これでいいのか……?)
そんな疑問が頭をよぎった瞬間――
「#朔夜君?」
声がした。
振り返ると、そこにいたのはアヤメだった。
「偶然だね」
その一言は、あまりにも自然で。
この場所にいること自体が不思議ではないような雰囲気だった。
#朔夜は一瞬だけ言葉を失う。
「……なんでここに?」
アヤメは少し首を傾げる。
「なんでって……見たかったから?」
その答えは曖昧で。
けれど嘘とも思えなかった。
#朔夜は、胸の奥に小さな違和感を覚える。
(まただ……)
どこかで感じた気配。
だがそれを言葉にする前に、アヤメは展示の方へ視線を向けた。
「ここ、面白いね」
まるで最初からそこにいたかのように。
#朔夜はノートを握り直した。
この自由研究は、ただの課題では終わらない気がしていた。
蝉の声はもう届かない。
代わりに、静かな展示の空気だけが流れていた。
そして、物語はまだ途中だった。