肩を強く揺さぶられる感覚で、#朔夜はゆっくりと意識を取り戻した。
「……おい。」
低く落ち着いた声。
「起きろ。」
「……ん。」
重たい瞼を開ける。
ぼやけた視界の中、一人の青年が立っていた。
黒髪。
その前髪の間から覗く鋭い眼差し。
一房だけ赤く染まったメッシュが、薄暗いホームの灯りに照らされている。
青年は腕を組んだまま、小さく息を吐いた。
「起きたか。」
#朔夜はまだ寝ぼけ眼のまま青年を見上げる。
「……おはようございます?」
反射的に挨拶を返した。
青年は一瞬だけ黙り込む。
そして、心底呆れたような顔をした。
「……。」
「えっと。」
#朔夜は青年の顔をじっと見つめる。
「前に……会ったこと、ありませんでしたっけ?」
青年は額へ手を当てた。
「ある。」
「え?」
「会った。」
短く答える。
しかし#朔夜の記憶は曖昧なままだ。
すると青年は淡々と言った。
「正確には、お前が一方的に走って行った。」
「……。」
「名前も聞かず。」
「……。」
「名乗る暇もなく。」
その言葉で、#朔夜の脳裏に夏の日の記憶が蘇る。
山の中。
天狗に攫われたユウマを追って_
「あっ!」
思わず声が漏れた。
「あの時の人!」
「やっと思い出したか。」
青年は呆れ半分、安堵半分といった表情を浮かべる。
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その瞬間。
「くくく.....これは愉快」
笑い声が響いた。
青年の肩口から、角を生やした半透明の鬼がひょいと姿を現す。
腹を抱え、涙を浮かべて笑っている。
「笑うな、伊吹丸。」
青年が冷たく言う。
「笑わずにおれようか、零よ!」
鬼はなおも笑い続ける。
「おぬし、せっかく再び巡り会えたというに、忘れ去られておったとは!」
「忘れられてたわけじゃない。」
「寝ぼけていただけだろう。」
「似たようなものじゃ。」
「違う。」
二人は真顔で言い合う。
その様子を見た#朔夜は苦笑した。
「すみません……。」
「いや、謝られても困る。」
零はため息を吐く。
「今さらだ。」
「本当にすみません。」
「……素直な童よの。」
鬼は笑いを収め、胸を張った。
「儂は伊吹丸。」
「平安の世より在りし鬼であり、今は零と契約を交わしておる。」
「石動零。」
青年も短く名乗った。
「よろしく。」
#朔夜も慌てて頭を下げる。
「#朔夜です。」
「うむ。」
伊吹丸は満足そうに頷いた。
「これでようやく互いに名を知ったわけじゃ。」
「二度目でな。」
零がぼそりと付け加える。
#朔夜は照れ臭そうに頭を掻いた。
「……面目ないです。」
伊吹丸は鼻を鳴らす。
「まあよい。」
「若いうちは失敗も経験のうちじゃ。」
「伊吹丸。」
「何じゃ。」
「急に年寄り臭い。」
「儂は年寄りではない。」
「千年以上生きてるだろ。」
「鬼には鬼の時間がある。」
「便利な言葉だな。」
思わず#朔夜は吹き出した。
(仲いいな。)
そんなことを思いながら、改めて周囲を見回した。
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そこは人気のないホームだった。
街灯がぼんやりと灯り、線路だけが闇の中へ伸びている。
バスもない。
先生もいない。
アヤメも。
ハルヤも。
誰一人として姿が見えなかった。
「ここ……。」
#朔夜はホーム中央に立つ駅名標へ歩み寄る。
白い看板。
黒い文字。
そこにははっきりと書かれていた。
『きさらぎ駅』
「……。」
#朔夜は思わず息を呑む。
「きさらぎ駅。」
零も静かに駅名を見つめる。
「知っているのか。」
「詳しくはないですけど。」
#朔夜は頷く。
「ネットの怪談で有名な駅ですよね。」
「異世界へ迷い込むっていう……。」
零も小さく頷いた。
「俺も知ってる。」
「洒落にならない話――洒落怖として有名だ。」
「まさか実在するとは思ってなかった。」
その会話を聞きながら、
伊吹丸だけが首を傾げる。
「……何の話をしておる。」
零が振り返る。
「知らないのか?」
「知らぬ。」
伊吹丸は腕を組み、
「『きさらぎ』とは古く鬼を指す言葉。」
「それは知っておる。」
「されど、駅の名になっておる話など初耳じゃ。」
「儂は平安の鬼ぞ。」
「近頃の怪談まで追ってはおらぬ。」
「そんな暇はないのでな。」
零は苦笑した。
「まあ、ネット怪談だからな。」
「ねっと……?」
「現代の情報網だ。」
「ほう。」
伊吹丸は納得したような、していないような顔をする。
「つまり近頃の人間は、その"ねっと"なるものへ怪談を書き記しておるのか。」
「大体そんな感じ。」
「難儀な世じゃ。」
#朔夜は思わず笑った。
「そういう反応になるんですね。」
「儂は昔の鬼ゆえな。」
伊吹丸は腕を組み直す。
「しかし。」
その表情が少しだけ険しくなった。
「この名は気になる。」
「鬼の名を冠する土地が、穏やかなはずもあるまい。」
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その時だった。
ドン。
遠くで太鼓が鳴った。
三人が同時に顔を上げる。
ドン……ドン……。
一定の間隔。
祭囃子のような音色。
笛。
鈴。
どこか懐かしく、それでいて不気味な旋律。
音はゆっくりと近付いてくる。
伊吹丸の笑みが消えた。
「……零。」
「ああ。」
零は静かに腰の刀へ手を添える。
「祭りじゃない。」
その一言で空気が張り詰めた。
#朔夜も無意識に弓袋を握り締める。
暗闇の向こうから、祭囃子だけが一歩、また一歩と近付いてくる。
まるで――
何者かを迎えに来るかのように。