やめて。
その一言だけが、#朔夜の心の中で何度も何度も響いていた。
目の前には、青ざめた表情でこちらを見つめるナツメたち。
助けようとしてくれている。
近づいてきてくれている。
それなのに――
「来ないでッ!」
叫ぼうとした声は、玄武の嗤いに掻き消された。
#朔夜の意思とは無関係に腕が振り上げられる。
掌から青白い妖力が溢れ出し、瞬く間に無数の刀身へと結晶化していく。
まるで扇を広げるように放射状へ展開された刃。
『――[[rb:月下扇 > げっかせん]]。』
玄武が静かに告げる。
次の瞬間。
無数の結晶刀が雨のように飛び散った。
「危ない!」
トウマが叫び、全員が咄嗟に身を伏せる。
石床へ突き刺さる刃が火花を散らし、神殿中へ鋭い金属音が響いた。
「#朔夜!」
ナツメの悲痛な声。
(違う……!)
(僕じゃない!)
届かない。
指一本。
まぶた一つ。
身体はもう、自分のものではなかった。
まるで誰かに糸で操られている操り人形。
いや、それ以上だ。
感覚だけを残し、意思だけを閉じ込められた牢獄。
(返して……。)
震える想いだけが闇へ落ちていく。
すると、頭の奥で低く笑う声がした。
『返してほしいか。』
玄武だった。
その声には嘲りしかない。
『そこまで望むなら、奪い返してみよ。』
(返して……。)
『ならば抗え。』
冷酷な笑みが浮かぶ。
『それができぬのなら、この肉体は我が借り受ける。』
#朔夜は歯を食いしばることしかできなかった。
[newpage]
「どうする……!」
ケータが低く叫ぶ。
誰も動けない。
目の前にいるのは敵。
だが、その身体は#朔夜なのだ。
「攻撃なんてできるわけないよ!」
ナツメが拳を握り締める。
「でも、このままじゃ……!」
アキノリも歯噛みした。
その一瞬の迷いを、玄武は見逃さなかった。
ゆっくりと右腕を天へ向ける。
青白い粒子が空中へ集まり、一本、また一本と巨大な矢へ姿を変えていく。
『――[[rb:玄天箭雨 > げんてんせんう]]。』
無数の妖力の矢が天井いっぱいに並んだ。
「伏せろ!」
ケータの声と同時。
矢の豪雨が降り注ぐ。
轟音。
爆音。
石床を砕きながら降り注ぐ矢を、一同は必死に避け続けた。
朱雀は翼を広げ、風で軌道を逸らす。
ジバニャンとコマさんも仲間を庇いながら駆け回る。
それでも。
一本、また一本。
確実に逃げ場を削られていく。
◇ ◇ ◇
(もう、やめて……。)
心の奥底から叫ぶ。
(みんなを傷つけたくない。)
その瞬間。
振り下ろそうとしていた腕が、ぴたりと止まった。
『……ほう?』
玄武の声に、初めて僅かな驚きが混じる。
右腕が震える。
#朔夜は必死だった。
全身が裂けそうなほど力を込める。
(お願い……。)
(動かないで……!)
あと少し。
あと少しだけ。
その隙を、ジバニャンは見逃さなかった。
「今ニャン!」
赤い残像を残し、一気に距離を詰める。
「百烈肉球!!」
拳の嵐が#朔夜へ叩き込まれ――
直前。
目の前へ一枚の青い鏡が現れた。
『――[[rb:玄鏡 > げんきょう]]。』
鏡のように透き通った水面。
ジバニャンの拳は、その表面へ吸い込まれた。
次の瞬間。
衝撃が逆流した。
「なッーーッ!?」
自分の放った百烈肉球が、そのまま自分へ返ってきた。
吹き飛ばされ、石柱へ激突するジバニャン。
「ジバニャン!」
駆け寄ろうとしたコマさんだったが、
『愚か。』
玄武は冷たく呟く。
足元から大量の水が噴き上がった。
[newpage]
瞬く間に巨大な水球となり、ジバニャンを包み込む。
『――[[rb:蒼牢結界 > そうろうけっかい]]。』
「ニャんだッ!?」
暴れる。
引っ掻く。
殴る。
しかし水球はびくともしない。
空気がない。
苦しそうにもがくジバニャンの姿に、ナツメは悲鳴を上げた。
「やめてぇ!」
だが、その叫びすら届かない。
◇ ◇ ◇
「コマさん!」
「ッ!?」
コマさんもまた水球へ閉じ込められる。
ミッチー。
ウィスパー。
妖怪たちが次々と拘束されていく。
ケータも。
トウマも。
アキノリも。
抵抗虚しく、水牢へ囚われた。
最後に残ったナツメも、水流に足を取られて膝をつく。
「#朔夜……!」
その声に。
一瞬だけ。
#朔夜の瞳が揺れた。
(逃げて……。)
(お願いだから……。)
だが、その願いは玄武の力に呑まれていく。
[newpage]
『終わりだ。』
玄武は静かにゲンブ法典斧を握り直した。
その刃先から、膨大な妖力が溢れ出す。
神殿全体が低く震え始めた。
湖の水が呼応するように轟き、地鳴りにも似た音が辺りへ響く。
斧をゆっくりと天へ掲げる。
水が。
空へ昇る。
まるで湖そのものが持ち上げられていくかのように。
誰もが息を呑んだ。
身動きの取れない仲間たちは、その光景を見上げることしかできない。
(やめて……。)
(お願い……。)
(みんなを――)
玄武は薄く目を細めた。
そして。
神の奥義を、小さく告げた。
[chapter:[__[rb:玄海嘯 > げんかいしょう]]]