有星神社の座敷から、賑やかな声が響いていた。
青い宝石の正体。
宝剣殿で起きた出来事。
玄武が#朔夜を妖聖剣の使い手として選んだ理由。
そして、不動雷鳴剣から突如として現れた不動明王ボーイ。
誰かが一つ質問するたびに別の誰かが口を挟み、話はまとまりかけては別の方向へ脱線していく。
その騒がしい会話を、有星神社の屋根の上から静かに聞いている者がいた。
蛇王カイラである。
「……完全に出る機会を失ったな」
腕を組んだカイラが、小さく息を吐く。
女郎蜘蛛の妖気を感じ取り、異変の起きていた元町タワーへ向かったところまではよかった。
しかし、カイラが到着した時には、既にあの者が玄武の力を纏って蜘蛛糸を断ち切り、人々の救出を始めていた。
しばらく様子を見ているうちに女郎蜘蛛があの者を拘束し、青い宝石の力を吸収し始めたため、今度こそ加勢しようとした。
その直後だった。
あの者の宝石から放たれた光が不動雷鳴剣へ流れ込み、見たこともない妖怪が現れたのである。
不動明王ボーイと名乗ったその妖怪は、朔夜を拘束していた糸を瞬く間に断ち切った。
そこまではよかった。
問題は、その後である。
不動明王ボーイは女郎蜘蛛の放った糸を掴むと、そのまま女郎蜘蛛本人を振り回し始めた。
敵を追い詰める隙を探すどころか、戦いは目を疑うような速さで終わってしまった。
さらに、どこからともなく烏天狗警察まで現れ、妖力を使い果たした女郎蜘蛛を連行していった。
結局、カイラは一度も姿を現すことなく、全てが終わる様子を見届けることになったのである。
「何のために来たのだ、私は……」
今さら座敷へ降りていき、「助力するつもりだった」と告げても、あまりに間が悪い。
それどころか、屋根の上で会話を聞いていたことまで説明しなければならなくなる。
カイラが黙って屋根に残っている間にも、座敷からは話し声が聞こえてきた。
『以前、妖怪縁日へ迷い込んだ時に、マオさんから譲ってもらったんです』
『その少年は「あるべき場所へ返しただけ」と言っていたそうだ』
日陰マオ。
カイラにとっても、聞き覚えのない名前だった。
しかし、「返した」という言葉には引っ掛かるものがある。
あの者が持つ青い宝石は、単に偶然手へ渡ったものではない。
元々、あの者のもとにあることを前提とした品だった可能性がある。
『湖の底を示したのも、その宝石だった』
『玄武を朔夜の身体から追い出したのも、あの石の力だ』
『最後には不動雷鳴剣に力を流して、不動明王ボーイを呼び出した』
カイラは目を閉じ、これまで朔夜と顔を合わせた時のことを思い返した。
初めて出会った時から、あの者には奇妙な感覚を覚えていた。
初対面のはずなのに、どこか懐かしい。
遠い昔に失った何かが、形を変えて再び目の前へ現れたような感覚。
ただの人間へ抱くには不自然な、胸の奥を微かに揺らす懐古の念だった。
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理由を探しても、これまでは答えが見つからなかった。
だが、あの宝石が古い神秘や妖力を宿しているのならば、話は変わる。
「そういうことか」
カイラは静かに目を開いた。
「あの時に感じたものは、あの者ではなく……宝石に宿る気配だったのかもしれないな」
それならば、あの者と初めて会った時から感じていた懐かしさにも説明がつく。
宝石に宿る古い力が朔夜を通じて流れ出し、それをカイラが無意識のうちに感じ取っていたのだ。
そう考えれば、一応の辻褄は合う。
――その推測は、正しかったのだろうか。
青い宝石がカイラの感覚へ影響を与えていたことは間違いない。
しかし、彼が懐かしさを感じた理由は、それだけではなかった。
宝石の向こう側にあるもの。
あの者自身に関わる何か。
カイラはまだ、その存在へ辿り着いてはいなかった。
『それで、あっちの妖怪は何者なの?』
『オレは不動明王ボーイ! よろしくな!』
『それはもう聞いたわ!』
座敷から猫娘の声が響く。
カイラは一瞬だけ言葉を失った。
先ほどから何度、同じ自己紹介を繰り返しているのだろう。
「……あれについては、考えるだけ無駄か」
小さく呟き、境内へ視線を移す。
その時だった。
古木の枝に、一羽のカラスが止まっていることに気付いた。
現世では珍しくもない、何の変哲もない鳥である。
だが、そのカラスは餌を探しているわけでも、羽を休めているわけでもなかった。
身動き一つせず、社の中を見つめている。
まるで、内部で交わされている会話を一言も聞き逃さないように。
「……妙だな」
カイラはカラスへ目を凝らした。
月明かりを反射しているだけだと思っていた瞳が、僅かに赤く輝いている。
生き物が本来持つ光ではない。
妖力とも違う、不自然に濁った赤い光。
カイラの表情から、先ほどまでの気まずさが消えた。
蛇王としての鋭い眼差しが、カラスを正面から捉える。
その瞬間だった。
カラスの身体が大きく跳ねた。
「カァッ!」
突然翼を広げ、枝を蹴る。
普通の鳥が驚いたというには、反応があまりにも早い。
何より、その動きには明確な焦りがあった。
カラスは境内の上空へ舞い上がると、一度も振り返ることなく、暗い山の向こうへ飛び去っていく。
カイラはその姿を目で追った。
蛇王の気配に怯えたのならば、もっと早く逃げていてもおかしくない。
あのカラスが飛び立ったのは、カイラが自分の存在に気付いた直後だった。
「私を恐れたのではない」
カイラは屋根の端へ立つ。
「見つかったことを恐れたのか」
あの目は、ただ社を眺めていたのではない。
誰かがカラスの目を通じて、この場所を見ていた。
女郎蜘蛛との戦い。
玄武の力。
青い宝石。
そして、#朔夜という人間。
どこから見ていたのかは分からない。
元町タワーから一行を追ってきたのか、それとも以前から有星神社を監視していたのか。
いずれにせよ、偶然居合わせた鳥ではない。
「土蜘蛛の事件も、単独で起こったものではないということか?」
以前、異常な力を与えられた妖怪たち。
黒い力によって変貌した者。
復活するはずのない存在の復活。
世界の各地で起きている異変。
それらの背後に、同じ何者かがいる可能性は以前から考えていた。
だが今回のカラスは、その疑いをさらに強めるものだった。
そして何者かが、あの者へ注目し始めている。
カイラは僅かに目を細めた。
「これ以上、好きにはさせん」
座敷では、まだ賑やかな会話が続いている。
あの者たちは、自分たちが見られていたことに気付いていない。
ならば今は、知らせない方がよいだろう。
正体の分からない監視者の存在を伝えれば、余計な警戒や混乱を招く。
まずは自分で確かめる必要がある。
カイラはカラスが消えた方角をもう一度確認した。
「誰が糸を引いているのか、私が見つけ出す」
次の瞬間、蛇王の姿は音もなく屋根の上から消えた。
その夜から、#朔夜の知らないところで新たな追跡が始まった。
彼を見張る、赤い目を持つカラス。
そして、そのカラスを追う蛇王。