最後に見えたのは、夜空を塞ぐように立ちはだかった青髪の青年だった。
鋭く細められた瞳。
周囲の空気を震わせる、蛇を思わせる巨大な妖気。
赤い眼を持つカラスは慌てて進路を変えようとした。しかし、既に遅かった。
青年が片手を上げた瞬間、視界の端から青白い閃光が迫る。
耳を劈くような鳴き声。
大きく揺れる景色。
そして――暗転。
「…………」
赤髪の女は、ゆっくりと目を開いた。
先ほどまで映っていた有星神社の屋根も、境内の古木も、座敷で交わされていた会話も消えている。
代わりに視界へ戻ってきたのは、薄暗い石造りの部屋だった。
壁に沿って並ぶ、用途の分からない器具。
淡い光を放つ培養槽。
天井から吊り下げられた無数の管。
部屋の中央に立った彼女は、重い疲労を吐き出すように深く息をついた。
「……やられたわね」
カラスと共有していた視界が途切れた。
接続が自然に切れたわけではない。あの瞬間、カラスそのものが仕留められたのだ。
彼女は指先でこめかみを押さえ、最後に見えた青年の姿を思い返す。
蛇王カイラ。
以前、双天山へ一行を導いた妖魔界の王。
あれほどの妖力を持つ存在なら、使い魔へ施した僅かな術式を見抜いても不思議ではない。
「勘の鋭い男だわ」
カラスが慌てて逃げたことで、不自然さには気付かれただろう。
だが幸い、使い魔からこちらへ繋がる術式は、消滅と同時に途絶えるよう作られている。
カイラが得たのは、何者かが有星神社を監視していたという疑惑だけ。
この場所も、背後にいる存在も、まだ突き止められてはいないはずだ。
彼女はそう結論付けると、室内の装置へ手を触れた。
空中に淡い光が広がり、カラスが記録した映像が幾つも映し出される。
玄武の力を身に纏い、巨大な斧を振るう少年。
青白い斬撃によって、土蜘蛛の糸を断ち切る姿。
胸元で輝く青い宝石。
その光が不動雷鳴剣へ流れ込み、異形の妖怪を顕現させた瞬間。
彼女は映像の中にいる朔夜を見つめた。
これまでにも、何度か目にしている少年だった。
ブリザーガの内部へ埋め込んだ核を見抜き、強化した個体を撃破した。
バックベヤードに与えた黒い液体によって怪物へ変貌したサーベルを、消滅させることなく元の姿へ戻した。
空亡の因子へ侵された天狗から、黒い影だけを追い出した。
そして今度は、土蜘蛛を倒すための妖聖剣を手にし、四神の一柱から力を認められた。
偶然で片付けるには、あまりにも多過ぎる。
『その者は危険だ』
胸元から、低い声が響いた。
彼女の首には、銀色のペンダントが下がっている。
古びた意匠の蓋は固く閉じられ、中に何が収められているのかは見えない。
しかし、その内側から聞こえる声は、耳へ届くものではなかった。
頭の奥へ直接染み込むような、不快な響きを持っている。
[newpage]
『始末しろ』
「……簡単に言ってくれるわね」
彼女は僅かに眉を寄せた。
『不可能だと申すか?』
「そうじゃないわ。確かに、あの少年は我々の計画を何度も乱している。このまま放置すれば、いずれ致命的な障害となるのは確かね」
彼女は#朔夜の映像を指先で拡大する。
胸元の青い宝石は、記録映像の中でも異様な輝きを放っていた。
あの石の正体は、彼女にも分からない。
四神の封印へ干渉し、妖聖剣へ力を与え、人の意思に応じて武器や存在を生み出す。
有星神社で聞いた話によれば、日陰マオという少年は「あの石をあるべき場所へ返した」と語ったらしい。
つまり、石と#朔夜には元から何らかの繋がりがある。
だが、それを確かめる前に破壊するのは惜しい。
「それに、今こちらが直接動くのは得策ではないわ。蛇王が警戒を始めた直後なのよ?。派手に動けば、我々の存在を知らせることになるわ」
『それだけか?』
女の指が止まった。
『お前とあろう者が、まさか今更になって罪悪感を抱いているのではあるまいな?』
「…………」
『わしの契約に乗ったお前が』
ペンダントの声が、愉快そうに低く笑う。
彼女の脳裏に、古い記憶が一瞬だけ蘇った。
炎に包まれた景色。
瓦礫の中で伸ばした手。
何も掴めなかった指先。
絶望の底で聞いた声。
――失ったものを取り戻したくはないか。
銀色のペンダントから聞こえる、姿の見えない誰か。
契約の条件を全て理解していたわけではない。
それでも彼女は、その手を取った。
取り戻したいものがあった。
やり直したい過去があった。
その願いを叶えるためなら、多少の犠牲には目を瞑れると思っていた。
ブリザーガを強化した。
バックベヤードと取引した。
死んだはずの者を蘇らせ、望まぬ戦いへ送り込んだ。
空亡の因子を妖怪へ植え付けた。
多くの世界が混乱へ陥ることも、初めから分かっていた。
それでも、契約を破ることはできなかった。
いや――破ろうとはしなかった。
彼女は胸元のペンダントを強く握る。
「まさか」
僅かに強張った声を押し隠し、平静を装って答えた。
「始末するだけなら容易いのよ。でも、今の状況で私自身が姿を見せるのは間が悪いと言っているだけよ」
『そうか』
声はそれ以上追及しなかった。
だが、信じていないことだけは明らかだった。
彼女はペンダントから手を離し、空中に別の映像を呼び出す。
[newpage]
#朔夜を排除するために使える駒。
まず浮かび上がったのは、巨大な眼球と黒い太陽を思わせる怪物だった。
「バックベヤードは使えない」
既に鬼太郎たちへ存在を知られている。
バウワンコ王国で大規模な騒動を起こした直後でもある。再び動かせば、妖怪界だけでなくタイムパトロールまで警戒を強めるだろう。
何より、あれは目立ち過ぎる。
女が指を払うと、バックベヤードの映像が消えた。
次に現れたのは、黒い靄に包まれた不定形の影。
「空亡ウイルスも望みは薄い」
横山町の天狗に寄生させた因子は、#朔夜の神降ろしによって追い出されている。
同じものを使ったところで、青い宝石や玄武の力に浄化される可能性が高い。
それ以前に、あの少年は既に空亡の気配を知っている。
警戒されれば効果は期待できない。
黒い影の映像も消す。
続いて、禍々しい装甲に覆われた巨大な機械生命体が映し出された。
「ディアボロは……論外ね」
修復と再起動に成功した当初は、これ以上ない兵器になるはずだった。
しかし、再構築された記憶装置には強い執着が残っていた。
自らが生み出された星。
自らを利用し、そして廃棄した文明。
ディアボロは今、命令よりも故郷への復讐を優先している。
周辺の星々を襲撃しながら、産まれた星へ進軍することしか考えていない。
無理に命令を書き換えれば、制御そのものを失う恐れがある。
「役に立たない駒ばかりね。」
『駒を見る目がなかったのではないか?』
「黙って」
彼女は苛立たしげに言い返した。
次に表示されたのは、複数の人物の記録だった。
古代文明を利用しようとしたギガゾンビ。
未来の技術を悪用した犯罪者たち。
いずれも、歴史へ大きく干渉した者ばかりである。
だが――。
「こいつらも使えない」
あの青狸に、既に顔も手口も知られている。
接触した時点で警戒されるだけでなく、タイムパトロールの記録にも残っている。
歴史犯罪者の情報が一部消失しているとはいえ、本人を動かせば痕跡まで完全に隠すことは難しい。
下手をすれば、朔夜を始末するどころか、こちらへ繋がる手掛かりを与える結果になる。
「慎重で、目立たず、あの少年へ近付ける者……」
女は小さく呟いた。
殺せと命じられた以上、何らかの手段を用意しなければならない。
だが、確実に始末できる存在ほど目立ち、目立たない者ほど朔夜の力には敵わない。
そもそも、あの青い宝石がどのような条件で力を発揮するのかさえ分かっていない。
追い詰めれば、また予想外の存在を呼び出す可能性もある。
『迷っている暇はないぞ』
「分かっている」
『契約を忘れるな』
ペンダントの声が、念を押すように告げる。
『お前の願いを叶えるため、わしは力を与えた。代わりに、お前はわしの望む道を開く。それが契約だ』
「……忘れてはいないわ」
『ならば示せ』
彼女は返事をしなかった。
その時だった。
「随分と難しい顔をしているな」
背後から、男の声が響いた。
[newpage]
彼女は反射的に振り返る。
薄暗い通路の入口に、一人の男が立っていた。
長い髪。
獣を思わせる鋭い目。
大柄な身体を壁へ預け、面白そうに彼女を見つめている。
「ウォルフガング」
彼女は僅かに目を細めた。
「いつからそこにいた?」
「さてな」
人狼は肩をすくめ、ゆっくりと室内へ足を踏み入れる。
その視線が、空中へ映し出された#朔夜の姿へ向いた。
「だが、その弓使いには見覚えがある」
ウォルフガングの口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。
「バウワンコ王国で、俺に矢を射込んだ奴だ」
「あなたには関係のない話よ」
「そう冷たくするな。使える駒を探していたんだろう?」
「聞いていたの.....いつから?」
「少しだけな」
ウォルフガングは#朔夜の映像へ近付き、興味深そうに眺めた。
祭礼衣装を纏い、姉妹を装って城へ潜入してきた二人組。
珍しい毛並みを持つ、妙に肝の据わった少女。
弓を扱う者に特有の痕跡を隠し、最後まで正体を悟らせなかった。
戦場で対峙した時も、猫娘と連携して自分を追い詰め、去り際に放った一矢を正確に命中させた。
あの時から、忘れたことはない。
「以前より、随分と面白い力を身に付けたようだな」
彼女はウォルフガングの横顔を警戒する。
この男は強い。
だが、忠実ではない。
命令に従っているように見えても、最後には自分の興味を優先する。
まして、#朔夜に対して以前から関心を抱いているのなら、単純な刺客として使うには危険過ぎる。
『ちょうどよい』
ペンダントから声が響いた。
ウォルフガングには、その声が聞こえているのか。
男は僅かに眉を動かしただけで、驚いた様子は見せなかった。
『この者を使え』
彼女はペンダントを握り締めた。
「……本気?」
『お前自身が手を下せぬというのなら、代わりを使えばよい』
その言葉に、彼女は一瞬だけ表情を強張らせる。
ウォルフガングは二人のやり取りを眺めた後、低く笑った。
「事情は知らんが、あの弓使いが標的なら話は早い」
「お前に任せるとは言っていない」
「なら、今ここで他の駒を探し続けるか?」
彼女は答えられなかった。
ウォルフガングは映像の中の#朔夜へ手を伸ばす。
指先が触れる寸前、光で作られた映像が僅かに揺れた。
「安心しろ。すぐには壊さん」
「……何?」
「以前は、途中で邪魔が入った。今度はじっくり確かめたい」
その目に浮かんでいるのは、殺意だけではなかった。
強者へ向ける好奇心。
獲物を見つけた獣の執着。
そして、別の何か。
「こいつが、どこまで俺を楽しませてくれるのかをな」
彼女は無言でウォルフガングを睨んだ。
ペンダントの奥から、愉快そうな笑い声が響く。
使える駒が見つかった。
そう判断しているのだろう。
だが彼女には、この出会いが自分たちの望む結末へ繋がるとは、どうしても思えなかった。
むしろ新たな混乱の始まりになる。
そんな予感だけが、胸の奥で不吉に膨らんでいく。
薄暗い部屋の中、ウォルフガングは映像に映る#朔夜を見つめ、楽しそうに牙を覗かせた。
[chapter:「さて――どうやって誘い出す?」]