人混みを縫うようにして、一行はショッピングモールの出口を目指していた。
日が沈んでから、館内の混雑はさらに激しくなっている。魔女や狼男、幽霊に扮した人々が通路を埋め、少し気を抜けば隣を歩いていた相手さえ見失いそうだった。
「みんな、離れないで!」
先頭を進む猫娘の声が、人々の話し声と音楽に紛れる。
#朔夜は手元に残った共有の紙袋を抱えながら、すぐ隣を歩くまなの様子を確かめた。
先ほどから、吸血鬼の仮装をした者が妙に多い。
ハロウィンなのだから、それ自体は不自然ではない。けれど、彼らの視線や立ち位置には、説明できない違和感があった。
浮かれているようには見えない。
人々に紛れながら、何かを探しているような――。
「わあ……!」
隣から上がった声に、#朔夜は振り向いた。
まなが足を止め、通路の端に立つ一人の吸血鬼を見つめている。
黒いマントに、血の気を失ったような白い肌。口元から覗く牙は作り物には見えず、赤い瞳まで闇の中で鈍く光っていた。
周囲にいる仮装客とは、明らかに完成度が違う。
「すごい……! レイヤーさんですか!?」
「え?」
止める間もなかった。
まなは目を輝かせながら、その吸血鬼へ向かって人混みの中へ入っていく。
「ちょっと、まなさん!」
#朔夜は慌てて後を追った。
前を横切る仮装客を避け、紙袋を身体へ引き寄せながら進む。ようやく追いついた時には、まなは先ほどの吸血鬼を見失い、きょろきょろと周囲を見回していた。
「あれ? どこに行ったんだろう」
「もう……急に離れたら危ないよ」
「ごめんね。でも、本当にすごい仮装だったから、写真を撮らせてもらおうと思って」
#朔夜は小さく息を吐き、後ろを振り返った。
「猫娘さんたちは――」
言葉が止まる。
猫娘も、ナツメも、しずかもアヤメもいない。
見えるのは、途切れることなく流れていく仮装客ばかりだった。
「……いない」
「え?」
「はぐれたみたい」
まなが慌てて背伸びをするが、これほどの人混みでは見つけられるはずもない。
#朔夜はスマートフォンを取り出そうとして、すぐに手を止めた。
先ほどから感じていた違和感が、いつの間にか濃くなっている。
血鬼の仮装をした者たちが、少しずつ二人へ近づいていた。
視線だけをこちらへ向け、出口へ続く通路を塞ぐように位置を変えている。
[newpage]
「まなさん、行こう」
「え? でも、みんなを探さないと」
「ここにいない方がいい」
#朔夜はまなの手首を掴んだ。
普段よりも強い口調になったためか、まなは目を瞬く。
「#朔夜ちゃん?」
「説明は後。入り口まで戻るよ」
最も人が多い方角を選び、まなを連れて歩き出す。
弓は持ってきていない。
スイーツ巡りへ行くのに、武器を持ってショッピングモールを歩くわけにはいかなかった。
それでも、何か起きる可能性は常に考えていた。
周囲の出入り口。
警備員の位置。
身を隠せそうな店。
逃げ道になりそうな通路。
#朔夜は歩きながら、視界へ入るものを一つずつ確認していく。
正面に、ショッピングモールの入り口が見えた。
あと少し。
外へ出れば、人目も増える。猫娘たちへの連絡も取りやすくなる。
「もう少しだから」
まなの手を引き、歩調を速める。
しかし、出口まで数メートルというところで、黒いマントが目の前を横切った。
足が止まる。
正面に二人。
左右にそれぞれ三人。
背後からも、複数の気配が近づいてくる。
いつの間にか、二人は吸血鬼の集団に囲まれていた。
「……やっぱり」
#朔夜は抱えていた紙袋を床へ置く。
箱が傾き、中からカボチャ型の飾りが転がり出した。
「まなさん、僕の後ろにいて」
「え……?」
まなはまだ状況を理解できていないようだった。
「どうしたの? この人たちも仮装してるだけじゃ……」
「違うと思う」
#朔夜はまなを庇うように前へ立つ。
吸血鬼たちは一言も発しない。
ただ赤い瞳で二人を眺め、口元をゆっくりと吊り上げた。
尖った牙が露わになる。
その牙から滴り落ちたものが床へ落ち、小さな音を立てた。
まなの顔から笑みが消える。
「え……」
一体が、人間ではあり得ない動きで天井近くまで跳び上がった。
黒いマントが大きく広がる。
別の一体は床を這うように姿勢を低くし、二人の逃げ道を塞いだ。
仮装ではない。
目の前にいるのは、本物の吸血鬼だ。
「そんな……」
まなの声が震えた。
#朔夜は最も人数の少ない右側を確認する。
一人を押し退けられれば、まなだけでも逃がせるかもしれない。
だが、自分の背後にいるまなは足がすくみ、動けなくなっている。
「まなさん。僕が合図したら、入り口へ走って」
「で、でも、#朔夜ちゃんは……」
「大丈夫だから」
本当は、大丈夫だと言える根拠などない。
武器もなく、相手の数も多い。
それでも、ここで自分まで怯えれば、まなを逃がすことはできない。
#朔夜は息を整え、吸血鬼たちの動きを注視した。
次の瞬間。
一体の吸血鬼が床を蹴った。
狙いは#朔夜ではない。
その背後にいる、まなだった。
「まなさん!」
#朔夜は反射的に振り返る。
まなの肩を押し、自分が二人の間へ割って入ろうとした。
開かれた口。
迫る牙。
冷たい息が、頬へ触れる。
避けられない――。
[newpage]
[chapter:「ダイナガ・ミ・トーチ!」]
鋭い声が響いた。
直後、赤い光が吸血鬼の身体へ直撃する。
轟音と共に、その身体が横方向へ吹き飛ばされた。
吸血鬼は床を何度も転がり、離れた柱へ背中を打ちつける。
#朔夜はまなを庇ったまま、声が聞こえた方へ顔を向けた。
建物の角から、一人の少女が姿を現す。
鮮やかな金色の髪。
大きく尖った帽子。
黒を基調とした、物語に登場する魔女そのもののような服装。
手にした杖の先端には、まだ赤い魔力の光が残っている。
「怪我はない!?」
少女は鋭く吸血鬼たちを睨みながら、二人へ駆け寄ってきた。
「アニエスさん……?」
#朔夜が名前を呼ぶ。
アニエスは目を見開いた。
「あなた……#朔夜!? どうしてここにいるのよ!」
「僕も聞きたいですけど……」
「今はそんなことを話している場合じゃないわ!」
アニエスは杖を構え直す。
吹き飛ばされた一体を除き、周囲の吸血鬼たちはまだ二人を囲んでいた。
だが、魔女の登場を警戒しているのか、すぐには襲ってこない。
「カミーラの気配を追ってきたら、こんなところにまで吸血鬼が――」
そこまで言ったアニエスの視線が、朔夜の後ろへ向いた。
「……まな?」
声が変わる。
驚きと、信じられないものを見たような戸惑い。
まなは何も答えなかった。
恐怖に青ざめた顔で、目の前の金髪の少女を見つめている。
「どうして、まなまでここにいるのよ……」
アニエスは周囲を見回し、苛立たしげに吐き捨てた。
「鬼太郎は全く! 何をやっているのよ!」
鬼太郎。
何気なく発せられた、ただ一つの名前。
その瞬間だった。
まなの瞳が、大きく見開かれる。
頭の奥で、何かが弾けた。
片目を茶色い髪で隠した少年。
小さな身体に、大きな一つ目。
紫がかった長い髪と、赤いリボン。
自分を叱りながら、何度も守ってくれた猫の少女。
金色の髪をなびかせて魔法を放つ少女。
銀色の髪を持つ、その姉。
妖怪たち。
戦い。
恐怖。
泣いた夜。
共に笑った時間。
忘れていた顔と声が、濁流のように押し寄せてくる。
[newpage]
『猫姉さん!』
『鬼太郎!』
自分が何度も呼んだ名前。
失われていたはずの時間。
胸の奥へ沈められていた記憶が、堰を切ったように次々と蘇っていく。
まなの身体が小さく揺れた。
「まなさん?」
#朔夜が呼び掛ける。
返事はない。
まなは目を見開いたまま、声を出すことも忘れたように立ち尽くしている。
一筋の涙が、頬を伝った。
「まなさん……?」
もう一度呼んでも、まなは何も答えなかった。
ただ、目の前にいるアニエスを見つめたまま。
失った記憶と、今の自分との間で立ち尽くしていた。