放課後のファストフード店は、学生や買い物帰りの客で混み合っていた。
注文を知らせる電子音。油の弾ける音。途切れることのない話し声。
そんな賑やかな店内の一角で、#朔夜はハンバーガーの包み紙を畳みながら、ハロウィンの日に起きたことを説明していた。
「それで、みんなとはぐれた後、まなさんと二人で出口へ向かおうとしたんだけど……」
向かいに座るのび太が、ポテトを口へ運びながら頷く。
「うんうん」
「周りにいた吸血鬼の仮装をした人たちが、本物の吸血鬼だったみたいで」
「うんう……え?」
のび太の手が止まった。
その隣で飲み物を口にしていたドラえもんも、ストローから口を離す。
「今、さらっとすごいことを言わなかった?」
「本物の吸血鬼に囲まれたんだ」
「どうしてお菓子を買いに行っただけで、そんなことになるの!?」
ドラえもんの声が店内へ響き、近くの客がこちらを振り返った。
#朔夜は申し訳なさそうに肩を縮める。
「僕だって、普通に買い物して帰るつもりだったよ……」
「#朔夜の普通って、俺たちの普通と違うんじゃねえか?」
ジャイアンが腕を組んで言う。
「失礼だな」
「でも、最近ずっと何かに巻き込まれてるじゃないか」
スネ夫にまで指摘され、#朔夜は言い返せずに黙った。
しずかが苦笑しながら話を戻す。
「それで、まなさんは大丈夫だったの?」
「うん。襲われそうになった時、アニエスさんが助けてくれたから」
「アニエスさん?」
「西洋から来た魔女なんだ。その後、お姉さんのアデルさんも来て――」
「待って!」
[newpage]
突然、のび太がテーブルへ両手をついた。
勢いで紙コップが揺れ、ドラえもんが慌てて押さえる。
「今、魔女って言った!?」
「う、うん」
「本物の魔女!?」
「魔法を使ってたから、たぶん」
のび太の目が輝いた。
「箒に乗って空を飛ぶの? 杖は持ってる? 呪文を唱えるの? 魔法って教えてもらえる!?」
「待って。一度に聞かれても分からないよ」
「宿題を一瞬で終わらせる魔法は!?」
「魔法に頼る前に、自分で宿題をやりなよ!」
ドラえもんがすかさず叱る。
「魔法が使えたら、遅刻もしないし、テストだって――」
「それ、絶対ろくな使い方をしないやつだよ」
#朔夜が冷静に言うと、のび太は頬を膨らませた。
「俺の歌を世界中に届ける魔法はねえのか?」
ジャイアンが真剣な顔で尋ねる。
「それは絶対にやめて!」
ドラえもん、のび太、スネ夫の声が重なった。
「何でだよ!」
「世界規模の災害になるからだよ!」
にわかに騒がしくなるテーブルを見ながら、しずかは一人、別の部分を気にしていた。
「まなさんは、鬼太郎さんたちのことを思い出せたのね?」
#朔夜は頷いた。
「アニエスさんが鬼太郎さんの名前を言った途端、様子が変わったんだ。それから猫娘さんを見て……全部思い出したみたい」
「よかった……」
しずかが安心したように微笑む。
その横で、のび太はまだ魔女の話を諦めていなかった。
「それで、そのアニエスさんとアデルさんは、まだ日本にいるの?」
「いると思うけど」
「会わせて!」
「え、僕が?」
「だって知り合いなんでしょ?」
「知り合ったばかりだよ……」
#朔夜が困り果てた声を出した、その時だった。
「――アニエスとアデル?」
少し離れた席で、一人の少女が顔を上げた。
[newpage]
少女――満月美夜子の前には、飲み物だけでなく、タブレット端末や星図、何枚もの資料が広げられていた。
古い天文記号を拡大した画像。
過去数百年分の日食と月食の記録。
惑星の運行表。
そして、父である満月博士が書き込んだ計算式。
美夜子は図書館と研究施設を回った帰りに、この店へ立ち寄っていた。
満月家に代々伝わる古い天文書。
星の運行や過去の天体観測について記されたその本の、これまで何も書かれていなかったはずの頁に、数日前、突然文章が浮かび上がったのだ。
[[rb:父娘 > おやこ]]は最初から、それを予言や魔法だと決めつけなかった。
古いインクが湿度によって浮き出た可能性。
月光や紫外線に反応する顔料。
特定の温度による化学変化。
紙の繊維に隠された暗号。
ありとあらゆる仮説を立て、顕微鏡や分光器を使って調べた。
しかし、どれにも該当しなかった。
文字が現れる直前と直後で、紙やインクの成分には明確な変化がない。
何かが存在する以上、必ず原理がある。
満月博士はそう言って、今も観測結果を照合し続けている。
美夜子も同じ考えだった。
魔法と呼ばれる現象であっても、再現される以上は法則がある。
その法則をまだ人間が知らないだけなのだと。
だが、今回ばかりは手掛かりが少なすぎた。
そんな時に耳へ入ってきたのが、二人の魔女の名前だった。
「アニエス……アデル……」
聞き覚えはない。
けれど、西洋の魔法に詳しい人物ならば、天文書の周囲に現れた未知の記号について何か分かるかもしれない。
美夜子は資料をまとめようとしたところで、ふと、向こうの席にいる少年を見た。
眼鏡をかけた、少し頼りなさそうな少年。
「……あれ?」
どこかで見たことがあるような気がした。
顔そのものだけではない。
青い猫型ロボットに叱られ、慌てて言い訳をしている姿。
なぜか、その光景自体が妙に懐かしい。
けれど、いつ、どこで会ったのかは思い出せなかった。
[newpage]
視線に気づいたのか、のび太が美夜子の方を向いた。
「あれ……?」
「どうしたの、のび太さん?」
しずかに尋ねられ、のび太は首を傾げる。
「あの人……どこかで見たことがあるような気がして」
ドラえもんも美夜子を見る。
「知り合いなの?」
「分からない。でも、なんとなく……」
美夜子と目が合った。
二人はしばらく互いの顔を見つめたが、どちらも答えを見つけられなかった。
美夜子は迷った末、資料を抱えて立ち上がる。
「ごめんなさい。少し話を聞いてもいい?」
突然声を掛けられ、#朔夜たちが一斉に彼女を見た。
「今、アニエスとアデルという人について話していたわよね?」
「はい」
#朔夜が答える。
「知っているんですか?」
「いいえ。でも、二人が本当に西洋の魔法を扱う人なら、見てもらいたいものがあるの」
「お姉さんも魔女なんですか!?」
のび太が割り込んだ。
再び大きな声を出したため、ドラえもんが慌てて腕を引く。
「のび太君、声が大きい!」
「だって、また本物の魔女かもしれないんだよ!」
美夜子は少し困ったように眉を下げた。
「魔法の研究はしているけれど、今話したいのは天文学と暗号のことよ」
「魔法を研究してるなら、やっぱり魔女じゃないですか!」
「そういうことになるのかしら……」
美夜子は曖昧に答えた。
目の前で騒ぐのび太と、それを止めるドラえもん。
また胸の奥へ、理由の分からない懐かしさが広がる。
「あの……」
美夜子は、のび太をまっすぐ見た。
「私たち、以前どこかで会ったことがある?」
「え?」
のび太は目を瞬いた。
「僕も、そんな気がしてたんだけど……」
「どこで?」
「それが分からないんだ」
美夜子にも思い出せない。
ドラえもんも二人の顔を交互に見たが、心当たりはなさそうだった。
「人違い……かしら」
「そうかもしれないね」
そう答えながらも、二人とも完全には納得できていなかった。
◇
美夜子は空いている椅子を借り、持っていた資料をテーブルへ置いた。
タブレットの画面に、古い本の頁を撮影した画像を表示する。
「これは、満月家に伝わる古い天文書なの」
「天文書?」
スネ夫が画面を覗き込む。
「星の動きや、日食、月食の観測記録が書かれているの。でも、何もなかったはずの頁に、突然この文章が現れた」
画面の中央には、五行の文章が映っていた。
[newpage]
[chapter:恐怖の大王がやってくる。]
[chapter:備えよ。厄災を招く前に。]
[chapter:神ですら敵わぬ。]
[chapter:チカラ集め、対抗するのだ。]
[chapter:エクリプスが昇る日、野望は打ち砕かれるであろう。]
[newpage]
先ほどまで騒いでいた一同が黙り込む。
「恐怖の大王……?」
しずかが不安そうに読み上げた。
「神様でも敵わないって、相当やべえ奴じゃねえか」
ジャイアンも表情を引き締める。
ドラえもんは画面へ顔を近づけた。
「この『エクリプス』って、日食や月食のこと?」
「私たちも、最初はそう考えたわ」
美夜子は別の資料を画面に表示した。
そこには今後発生する日食と月食の日時、観測地域、天体の位置が細かく記されている。
「過去と未来の天体運行を調べて、文章が現れた時刻や頁の星図とも照合した。でも、条件に合う蝕は見つからなかったの」
「じゃあ、エクリプスって何なんだ?」
スネ夫が尋ねる。
「まだ仮説だけど……実際の天体現象ではなく、比喩なのかもしれない」
「比喩?」
「光が闇に覆われること。そして、その闇から再び光が現れること。この予言では、何者かの野望によって世界が覆われ、それを打ち破る瞬間を蝕になぞらえているのかも」
美夜子はそう説明したが、すぐに付け加えた。
「もちろん、まだ証明はできていないわ」
「予言まで科学で調べるんだね」
#朔夜が感心したように言う。
「調べられることは、できるだけ調べたいの。魔法だから、予言だからで終わらせたら、何も分からないままでしょう?」
「ドラえもんと気が合いそうだね」
のび太が言う。
「僕は科学を使ってるんだよ。未来のだけど」
ドラえもんは少し胸を張った。
しかし、画面の周囲には、五行の文章以外にも無数の記号が並んでいる。
星や惑星を示すような印。
複雑に交差した線。
文字にも数字にも見える奇妙な形。
「この周りの記号は?」
「それが分からないの。天文学の記号に近いものもあるけれど、満月家の資料にはないものが多い。魔法陣の一部にも見えるけれど、複数の体系が混ざっているみたいで……」
「翻訳する道具ならあるよ」
ドラえもんが四次元ポケットへ手を入れたが、美夜子は首を横に振った。
「外国語なら翻訳できるかもしれない。でも、どこまでが文字で、どこからが計算式や図形なのかさえ分からないの」
「なるほど……」
ドラえもんは手を止め、改めて画面を見つめた。
「文章を訳す以前の問題なんだね」
「ええ。だから、西洋の魔法を実際に使う人なら、私たちとは違う見方ができるんじゃないかと思って」
美夜子は#朔夜へ向き直った。
「お願い。アニエスさんとアデルさんに、この資料を見てもらえないか聞いてくれる?」
「え、僕が?」
「二人と連絡を取れるのでしょう?」
「知り合ったばかりなんですけど……」
#朔夜は困ったようにスマートフォンへ目を落とした。
「聞くだけでもいいの。断られたら、それ以上無理を言うつもりはないわ」
「行こうよ、#朔夜!」
のび太が身を乗り出す。
「魔女が三人も集まるんだよ!」
「のび太君。魔女を見学する会じゃないんだよ」
ドラえもんが呆れる。
「でも、神様でも敵わない奴が来るって書いてあるんだろ?」
ジャイアンが予言を指差した。
「本当なら放っておけねえぞ」
「そうね。意味を調べた方がいいと思うわ」
しずかも頷く。
皆の視線が朔夜へ集まった。
「……分かった。聞くだけ聞いてみるよ」
また流されている気がしたが、内容が内容だけに断るわけにもいかなかった。
#朔夜はアニエスへ、事情を簡単に書いたメッセージを送った。
[newpage]
返事を待つ間、美夜子は再び予言の画像を拡大した。
未解読の記号の一部には、画像処理によって共通する形が見つかっている。
色を示していると思われる記号。
鉱物、あるいは石を示すような図形。
細長く曲線を描いた、武器にも見える印。
現段階では、それぞれが文章の一部なのかさえ分からない。
美夜子は資料へ目を落としながら、ふと顔を上げた。
向かいでは、のび太が残ったポテトをドラえもんに取られたと騒いでいる。
やはり、見たことがある。
だが、思い出そうとすると、記憶に薄い霧がかかったように遠ざかってしまう。
「……不思議」
「何か言った?」
のび太が振り返る。
「いいえ。何でもないわ」
その時、#朔夜のスマートフォンが震えた。
「返事が来た」
全員が朔夜を見る。
「アニエスさんたち、資料を見てくれるって。アデルさんにも話してくれるみたい」
「やった!」
のび太が両手を上げる。
「本物の魔女が三人集合だ!」
「だから、遊びじゃないって……」
#朔夜は小さく息を吐いた。
美夜子は画面に映る予言を見つめる。
恐怖の大王。
神ですら敵わぬ力。
集めなければならないチカラ。
自分たちは、まだ何ひとつ分かっていない。
「ありがとう。これで、少しでも先へ進めるかもしれない」
「僕は連絡しただけですけど」
「それでもよ」
美夜子が微笑む。
ファストフード店の窓の外では、夕日が厚い雲に覆われ始めていた。
赤い光がゆっくりと欠け、街へ一時の影が落ちる。
やがて風が雲を押し流すと、隙間から再び光が差し込んだ。
まるで、闇に覆われた光が、もう一度姿を現したかのように。
美夜子はその光景を見つめ、予言の最後の一行を思い返した。
――エクリプスが昇る日、野望は打ち砕かれるであろう。
それが何を意味するのか。
答えを知る者は、まだ誰もいなかった。