次の放課後。
#朔夜は約束の時間より十分も早く、月見台の図書館へ到着した。
待ち合わせ場所として指定されたのは、二階の奥にある閲覧スペースだった。一般の利用者が少なく、資料を広げても迷惑になりにくい場所らしい。
時間には十分余裕がある。
そう思いながら階段を上がった#朔夜は、目的の席を見つけて足を止めた。
「……早いですね、美夜子さん」
美夜子は既に机へ向かっていた。
その周囲には、分厚い天文学の本や星図、日食と月食の記録をまとめた資料が積まれている。ノートには細かな数字と記号が並び、タブレットには古びた本の写真が表示されていた。
「#朔夜さん。こんにちは」
「こんにちは。僕も早く来たつもりだったんですけど」
「私も少し前に来ただけよ。調べたい資料があったから」
美夜子はそう言ったが、机の状態を見る限り、少なくとも数分前に来た人の作業量ではない。
#朔夜は何も言わず、向かいの椅子へ座った。
「まだエクリプスについて調べているんですか?」
「ええ。比喩である可能性が高いとは思っているけれど、天体現象ではないと断定できたわけではないから」
美夜子は惑星の運行表を指でなぞった。
「予言の頁に描かれた星図も、一般的な配置とは少し違うの。記録上のどの時代とも完全には一致しない」
「未来の星空、という可能性は?」
「父も考えているわ。ただ、星そのものの位置だけでは説明できない記号が多すぎるのよ」
分からないからこそ、可能性を一つずつ確認する。
美夜子の言葉や机の上の資料からは、そんな姿勢が伝わってきた。
やがて、階段を上がってくる二人分の足音が聞こえた。
「ここで合っているようだな」
先に姿を見せたのは、銀色の髪を持つアデルだった。その後ろを、金髪のアニエスが少し不満そうな顔で歩いている。
「待たせたな。約束より五分前だ」
「こんにちは。僕たちも今来たところです」
#朔夜が立ち上がって挨拶すると、アデルは軽く頷いた。
「ちょっと、お姉ちゃん。私一人でも来られたって言ったでしょ」
「道を二度間違えた者の言葉には、説得力がないな」
「一度よ!」
「最初に反対方向の電車へ乗ろうとした件も含めれば二度だ」
「あれは間違えたんじゃなくて、表示が分かりにくかっただけ!」
声が少し大きくなり、近くの司書がこちらを見る。
アニエスは慌てて口を閉じた。
「……図書館では静かにするべきだ」
「誰のせいよ」
小声で言い返しながら、アニエスも席へ着く。
アデルは美夜子が広げていた資料へ視線を落とした。
「随分と調べたようだな」
「分かる範囲だけでも整理しておきたかったの」
「無駄にはならない。事前の記録が多いほど、誤った推測を減らせる」
アデルは簡潔に答えた。
その言葉に、美夜子は少しだけ表情を和らげた。
約束の時間になった。
しかし、のび太とドラえもんは現れなかった。
一分。
二分。
アニエスが壁の時計を見る。
「時間を間違えてるんじゃないの?」
「昨日、のび太さんにもドラえもんにも確認したわ」
美夜子が答える。
#朔夜は少し考えた後、静かに言った。
「のび太君だから」
その一言で、なぜか全員が納得した。
さらに数分が過ぎた頃、階段の方から慌ただしい足音が響いてきた。
「ま、待ってよ、ドラえもん!」
「だから早く準備しなさいって言っただろ!」
息を切らしたのび太と、困り果てた顔のドラえもんが現れる。
「ご、ごめん! 遅れた!」
「約束があるって分かってたのに、のび太君がいつまでも昼寝してるから!」
「昼寝だけじゃないよ! 起きた後、靴下が片方見つからなかったんだ!」
「昨日のうちに用意しておけばよかっただろ!」
アニエスが呆れた顔をする。
「本当に時間どおりに来ないのね」
「いつものことだよ……」
ドラえもんが深くため息をついた。
美夜子は二人のやり取りを見つめていた。
叱るドラえもんと、必死に言い訳をするのび太。
やはり、どこかで同じ光景を見た気がする。
けれど、思い出そうとすると、その感覚は霧の向こうへ遠ざかってしまった。
「美夜子さん?」
#朔夜に呼ばれ、美夜子は我に返った。
「何でもないわ。始めましょう」
[newpage]
全員が席へ着くと、美夜子はタブレットへ予言書の画像を表示した。
中央には、既に読み取れている五行の文章がある。
その周囲を、無数の線や記号が取り囲んでいた。
「これが、満月家の本に突然現れたものよ」
美夜子が説明する。
「中央の文章以外は、私たちにも解読できていないの。天体を示す記号に似たものもあるけれど、それだけではないみたい」
アデルはタブレットを受け取り、画像を拡大した。
しばらく無言で眺めた後、一本の線を指す。
「この部分は、古い西洋魔術の術式に似ている」
「やっぱり魔法の文字なの?」
アニエスが身を乗り出す。
「似ていると言っただけだ。同じものではない」
アデルは即座に否定した。
「通常の術式は、魔力が滞りなく流れるよう、線の接続に規則がある。だが、これは途中で流れが分断されている」
「失敗した魔法陣ってこと?」
「そうとも限らない。意図的に崩してある可能性もある」
アニエスも画像を覗き込み、別の箇所を指差した。
「こっちは呪文に使う文字っぽい。でも、途中から星座みたいな並びになってるわね」
「星座ではなく、天体の位置を表した図かもしれないわ」
美夜子が資料を隣へ並べる。
「ただ、この配置と一致する観測記録が見つからないの」
ドラえもんも画像へ顔を近づけた。
「文章、図形、星の位置が、それぞれ別の情報じゃないのかもしれないね」
「どういうこと?」
のび太が尋ねる。
「全部を重ね合わせて、初めて一つの意味になるんじゃないかな。文章を読むだけでも、星図だけを見るだけでも駄目なんだよ」
「なるほど……全然分からない」
「分かってないじゃないか!」
ドラえもんの声が少し大きくなり、また司書に見られる。
二人は揃って頭を下げた。
話し合いは続いた。
美夜子は天体の配置として線を分類し、アデルは術式の規則と比較する。アニエスは実際に魔法を使う立場から、記号のつながりを確認した。
ドラえもんも未来のデータベースへ照合をかけたが、完全に一致する形式は見つからない。
#朔夜は資料を眺めながら、ふと疑問を口にした。
「この文字は、全部同じ時に現れたんですか?」
「ええ。正確には、父が観測室から本を移動させた直後に気づいたの」
「移動する前は?」
「何もなかったはずよ。撮影記録にも残っていないわ」
アデルが顔を上げる。
「本を置いていた向きは記録してあるか?」
「もちろん。室温や湿度、窓から入る光の角度も記録してあるわ」
「徹底しているな」
「観測条件が分からなければ、再現できないもの」
アデルは僅かに口元を緩めた。
「その考え方は信用できる」
しかし、議論は次第に行き詰まっていった。
画像を拡大しても、見えるのは平面の情報だけ。
線の僅かな濃淡。
紙に刻まれた凹凸。
インクが重なった順番。
光を当てる角度による変化。
そうしたものまでは写真に残っていなかった。
アデルは腕を組み、タブレットを机へ置いた。
「これ以上、写真だけを見ても進展はないな」
「かなり綺麗に撮れてると思うけど」
アニエスが言う。
「綺麗な写真と、十分な資料は別物だ」
アデルは画像の一部を指で拡大する。
「術式は線一本の深さや、重なった順番でも意味が変わる。撮影された像だけでは判断できない」
美夜子が頷いた。
「現物を見た方がいいということ?」
「ああ。本そのものを確認したい。それに、文字が現れた場所や、保管時の環境も見ておくべきだ」
「それなら、うちへ来てもらえる?」
美夜子は全員を見回した。
「本は満月家で保管しているわ。文字が現れた時の観測記録も、分析に使った機材も全部ある」
「その方が良さそうだね」
ドラえもんも賛成する。
「現物と観測データを一緒に確認できれば、未来の道具も使いやすいよ」
のび太が目を輝かせる。
「美夜子さんの家って、天文台なの?」
「正確には、父の研究施設と観測設備があるの」
「魔女の家に天文台まであるんだ!」
「だから、魔女の家というわけでは……」
美夜子が困ったように訂正する。
#朔夜は静かに息を吐いた。
今日は図書館で写真を見るだけの予定だったはずなのに、いつの間にか研究施設へ行く話になっている。
「#朔夜、どうしたの?」
のび太に尋ねられ、朔夜は首を横に振った。
「なでもない。いつものことだと思っただけ」
「何が?」
「こっちの話」
[newpage]
一同は資料を片づけ、満月家へ移動する準備を始めた。
美夜子がタブレットの画面を閉じようとした、その時。
「待て」
アデルの声が飛んだ。
全員の動きが止まる。
「どうしたの、お姉ちゃん」
「画像をもう一度見せてくれ」
美夜子がタブレットを差し出すと、アデルは頁の端を拡大した。
そこには、影のような薄い一本の線が映っていた。
「この線は、撮影時の影か?」
「最初は私たちもそう思ったわ。でも、照明や角度を変えて撮っても、同じ位置に映るの」
「紙の傷では?」
「顕微鏡で見ても、表面には傷がなかった」
アデルは暫く画像を見つめた。
「ならば、これは頁の表に描かれた線ではない可能性がある」
「どういうこと?」
アニエスが眉を寄せる。
「紙の内部にあるか、別の頁に描かれたものが透けているのかもしれない」
「でも、裏の頁にも何も書かれていないわ」
美夜子が答える。
アデルはタブレットを返し、立ち上がった。
「だからこそ、現物を見る必要がある」
その表情から、先ほどまでの僅かな余裕は消えていた。
「この本に記されているものは、我々が写真で見ている一枚だけではないかもしれない」
予言は、頁の表面に浮かんだ文章だけではない。
その下に、まだ何かが隠れている。
誰も口を開かないまま、一同は図書館を後にした。