満月家って魔法使い化する前ってさ、天文学者の家系だったよね。確か。
次の放課後。
#朔夜たちは、美夜子に案内されて満月家を訪れていた。
家の奥へ進むと、そこには一般家庭の一室とは思えないほど多くの観測機器が並んでいた。大きな望遠鏡、何台もの計測装置、壁一面を埋める星図。机の上には専門書や記録用紙が積み重なり、複数のモニターには天体の観測データが表示されている。
「すごい……本当に天文台みたいだ!」
のび太が目を輝かせた。
「父が天文学の研究に使っている場所よ」
美夜子はそう説明しながら、一行を研究室の中央へ案内する。
「魔女の家なのに、魔法の道具より機械の方が多いんだね」
「だから、今の私たちは魔女として暮らしているわけじゃないのよ」
美夜子は困ったように訂正した。
アニエスも、周囲を珍しそうに見回している。
「魔法の研究室とは、ずいぶん雰囲気が違うのね」
「未知の現象を調べるという点では、科学も魔法も大きくは変わらないだろう」
隣を歩くアデルが、簡潔に言った。
「大切なのは、何が起きたかを正しく観察することだ」
「ようこそ。遠いところを来てもらって申し訳ないね」
部屋の奥から、満月博士が現れた。
「美夜子から話は聞いている。西洋魔法に詳しい人に見てもらえるなら、こちらとしても心強い」
「まずは現物を確認したい」
アデルは挨拶もそこそこに本題へ入る。
「写真だけでは、線の深さやインクの重なりまで判断できないからな」
「頼もしいな。こちらへ来てくれ」
満月博士は気を悪くする様子もなく、研究室の中央に置かれた台へ一行を案内した。
その上には、一冊の古びた本が置かれていた。
昨日、美夜子が写真で見せた予言書だ。
周囲には、文字が現れる前後の写真、室温や湿度の記録、紫外線と赤外線を照射した結果、紙とインクの成分分析表まで並べられている。
「ここまで調べたの?」
アニエスが驚いた声を上げた。
「文字が突然現れたのなら、何か条件があったはずでしょう?」
美夜子は当然のように答える。
「温度、湿度、光、置かれていた方角、その日の天体配置。考えられるものは一通り調べたわ」
「今のところ、紙とインクに物理的な変化は確認できていない」
満月博士が分析表を示した。
「魔法だから、という一言で終わらせることはできる。だが、実際に起きた現象なら、何らかの規則があるはずだ」
ドラえもんも、記録へ興味深そうに目を通していく。
「紫外線を当てても、別の文字は浮かばなかったんですね」
「ああ。赤外線でも同じだ。顕微鏡で調べたが、後からインクを加えた痕跡もない」
「文字が現れる前の紙と、成分そのものは変わっていない……」
満月博士とドラえもんは、すぐに難しい話を始めてしまった。
「二人とも、急についていけない話をしないでよ」
のび太が抗議する。
#朔夜も半分ほどしか理解できていなかったが、口には出さず予言書を覗き込んだ。
中央には、既に読めている五行の予言が記されている。
その周囲を、無数の記号と線が覆っていた。
角張った記号。
枝を組み合わせたような記号。
黒く湾曲した文字にも図形にも見えるもの。
さらに、それらの間を縫うように、星や円、渦巻き状の線が描かれている。
「この辺りは、[[rb:楔 > くさび]]形文字に似ているの」
美夜子が、頁の左端を示した。
「でも、既知の文字表と照合しても文章にならなかったわ。一文字ずつ似た形はあるのに、並べると意味が崩れてしまう」
アデルは本へ顔を近づけ、別の一群を指で追った。
「こちらはルーン文字に近いな」
「読めるの?」
アニエスが尋ねる。
「形が近いだけだ。この並び方では意味が成立しない。それに、途中から別の記号へ変わっている」
アデルの指先を追うと、確かにルーン文字らしき形は、途中から星を結ぶ線の一部になっていた。
「じゃあ、この黒い文字は?」
アニエスが、月のように湾曲した記号を示す。
アデルは少しの間、黙ってそれを観察した。
[newpage]
「悪魔文字に近い」
「悪魔文字!?」
のび太が声を上げる。
「近いと言っただけだ。騒ぐな」
アデルは冷静に続ける。
「私が知る体系とは一致しない。時代が異なるのか、系統が違うのか。それとも、そもそも悪魔文字ではないのか。今の段階では断定できないな」
「それにしても、ずいぶん色々な文字が混ざっているのね」
アニエスは首をかしげた。
「混ざっているだけなら、まだ簡単だっただろう」
アデルは頁の中央を指す。
「この一本の線を見ろ。ここだけを見れば文字の一部だ。だが、全体を見ると円を構成する線になる。さらに、この点を星と考えれば天体の軌道にも見える」
美夜子も頷く。
「どこからどこまでが一文字なのか、それさえ分からないの。文章、図、数式の境目がないみたい」
「一つの線に、複数の役割を持たせているんだ」
ドラえもんが言った。
「文字、天体図、魔法陣が別々に描かれているんじゃない。全部重なった状態で、一つの情報になっているのかもしれない」
「つまり?」
のび太が尋ねる。
「今のところ、ほとんど読めないってことだよ」
「それなら僕にも分かる!」
「威張ることじゃないだろ!」
ドラえもんとのび太のやり取りを横目に、魔女三人は予言書の周囲へ集まった。
美夜子は天体記号として線を追う。
アニエスは術式として、魔力が流れる順番を考える。
アデルはルーン文字や悪魔文字に近い記号を分類していく。
しかし、同じ箇所を見ているはずなのに、三人の意見は一致しなかった。
「この線は天体の軌道に見えるわ」
美夜子が言う。
「でも、術式として見ると、外側から中央へチカラを集める流れよ」
アニエスが反論する。
「どちらも間違いとは限らない」
アデルは腕を組んだ。
「一つの図が、複数の意味を同時に持つよう作られているのだろう。書いた者は、天文学と魔法を分けて考えていないらしいな」
それからしばらく調査を続けたが、解読はまるで進まなかった。
やがて、のび太が退屈そうに椅子へ座りながら言った。
「ドラえもん、ほんやくコンニャクを使えばいいじゃないか」
「これは外国語じゃないんだよ。暗号や図形まで翻訳できるとは限らないだろ」
「でも、試してみなきゃ分からないじゃないか」
ドラえもんは少し考えた後、ポケットへ手を入れた。
「まあ、一理あるか」
取り出されたのは、見慣れたコンニャクだった。
「それを食べるの?」
アニエスが怪訝そうな顔をする。
「ほんやくコンニャク。食べると、知らない言葉でも意味が分かるようになるんだ」
「原理は?」
アデルが即座に質問する。
「説明すると長くなるけど……」
「なら、効果を先に確認する」
アデルは迷うことなく一切れ口に運んだ。
「ちょっと、お姉ちゃん!」
「危険性は低いのだろう?」
「もちろんだよ」
ドラえもんが答えると、アニエスと美夜子も続いてほんやくコンニャクを食べた。
三人は、改めて予言書を覗き込む。
暫くの間、誰も言葉を発しなかった。
[newpage]
「……何、これ」
最初に口を開いたのはアニエスだった。
「意味が分かりそうなのに、次の記号を見ると、さっきの意味が消える」
「単語として認識できる部分と、図形にしか見えない部分が交互に現れるわ」
美夜子も眉を寄せる。
「翻訳対象が、一つの言語ではないからだな」
アデルは冷静だったが、その表情は険しい。
「言葉だけを取り出せても、読む順番や配置の規則までは分からない。暗号を翻訳したところで、暗号であることは変わらないということだ」
「ほんやくコンニャクでも駄目なの?」
のび太が落胆する。
「全部が駄目というわけではなさそうだよ」
ドラえもんが答えた、その時だった。
「……アルキメデス?」
アニエスが小さく呟いた。
全員の視線が集まる。
「ここ。今、一瞬だけそう読めたわ」
アニエスが指したのは、頁の端にある小さな記号の集まりだった。
「アルキメデスって、お風呂で叫んだ人だよね?」
「それだけじゃないよ。数学や物理学で色々な発見をした人だ」
ドラえもんが訂正する。
「人名とは限らないな」
満月博士は慎重に言った。
「アルキメデスの名を冠した原理や地名もある。これだけでは、何を指すのか断定できない」
続いて、美夜子が頁の中央に描かれた大きな図へ目を向けた。
無数の点と渦巻く線から成るその図は、銀河系を模しているように見える。
その中に、二つだけ意味を読み取れる印があった。
「ここは……太陽」
美夜子が一方を示す。
「それなら、こっちは月ね」
アニエスが、もう一方を指した。
太陽と月の周囲には、何かの説明らしき文字がびっしりと書き込まれている。
しかし、その内容までは読めない。
「銀河系の図にしては不自然だ」
満月博士が呟く。
「太陽も月も、大きさや位置関係が実際とは合っていない。それどころか、ほぼ同じ重要度で描かれている」
「場所を示す地図じゃないのかもしれませんね」
ドラえもんが図を見つめる。
「何かの仕組みや、役割を説明している図なのかも」
最後に、アデルが月の印のすぐ近くへ指を置いた。
「待て。この部分だけは、意味が途切れていない」
美夜子とアニエスも同じ箇所を見る。
三人が共通して読み取った言葉は――
「月の……チカラ」
美夜子が静かに読み上げた。
力ではない。
最初の予言と同じように、なぜか片仮名の「チカラ」として認識された。
「月に魔力があるってこと?」
「断定するのは早い」
アデルが即座に答える。
「月そのものがチカラを持つのか、月を通じて別のチカラが働くのか。それさえ分かっていないからな」
のび太はノートを開き、今回読めた言葉を書き並べた。
アルキメデス。
太陽。
月。
月のチカラ。
[newpage]
「……これで、何が分かったの?」
誰も、すぐには答えられなかった。
「分からないことが増えたね」
ドラえもんが困ったように言う。
「いや。一つだけ分かったことがある」
満月博士は、銀河を模したらしい図を見つめた。
「この本を書いた者にとって、天文学と魔法は、別々の学問ではなかったということだ」
科学。
魔法。
古代文字。
未知の文字。
そして、太陽と月。
それらは全て、一つの規則に従って記されている。
#朔夜は黙って、月の印を見つめた。
首元の青い宝石は光らない。
何かを伝えることもない。
ただ、銀河のような図の中で、太陽と月の印だけが、まるで互いを見つめるように向かい合っていた。