満月家で予言書を調べた翌日の放課後。
#朔夜は、まなに呼び出されて駅前の喫茶店へ来ていた。
店内を見回すと、窓際の席に座っていたまなが、こちらへ大きく手を振る。
「#朔夜ちゃーん! こっち、こっち!」
周囲の客が一斉に振り返った。
#朔夜は少しだけ肩をすくめ、まなの向かいへ座った。
「こんにちは、まなさん」
「こんにちは。急に呼び出してごめんね」
「大丈夫です。今日は特に予定もありませんでしたから」
正確には、昨日見た予言書について考えたい気持ちはあった。
アルキメデス。
太陽。
月。
月のチカラ。
専門家と未来の道具を総動員して分かったのが、その四つだけである。考えたところで答えが出る気はしなかったので、予定がなかったという表現でも間違いではないだろう。
注文を終えると、まなは両手を膝に置き、少し改まった表情を浮かべた。
「まずは、この前のお礼を言いたかったの」
「この前?」
「ハロウィンの時。吸血鬼に襲われた私を庇ってくれたでしょう?」
「あれは……身体が勝手に動いただけです」
「それでも、ありがとう。#朔夜ちゃんまで怪我をしていたかもしれないのに」
まなは深く頭を下げた。
#朔夜は慌てて首を横に振る。
「頭を上げてください。結局、アニエスさんが助けてくれましたし」
「それと、猫姉さんたちのことも思い出せた」
まなの表情が、柔らかなものへ変わる。
「ずっと大切なものを忘れていたはずなのに、忘れていたこと自体に気づいてなかったんだよね。今思うと、ちょっと怖いな」
「……そうですね」
忘れていたことに気づけない。
その言葉は、#朔夜の胸にも残った。
美夜子やのび太たちも、過去に会っていたような感覚を持ちながら、何も思い出せずにいる。それがただの偶然なのか、誰かに奪われた記憶なのかは分からない。
[newpage]
しばらくして飲み物が運ばれてくると、まなは気持ちを切り替えるようにストローへ口をつけた。
「そういえば、#朔夜ちゃんって小学六年生なんだよね?」
「はい」
「じゃあ、来年は中学生かぁ」
「まだあまり実感はありませんけど」
「大丈夫! 中学校について分からないことがあったら、私に聞いてね。これでも高校生だから!」
まなが自信満々に胸を張る。
「まなさんは、かなり先輩なんですね」
「“まな先輩”って呼んでもいいんだよ?」
「え」
「一回だけ!」
まなは期待に満ちた目で、朔夜を見つめた。
#朔夜は数秒ほど迷った末、小さく息を吐く。
「……まな先輩」
「わあ、なんか照れる!」
「言わせたのは、まな先輩ですよね?」
「もう一回言ってくれた!」
まなが嬉しそうに笑う。
#朔夜も、つられるように僅かに笑みを浮かべた。
「でも、私の方が先輩なのって学校のことだけかも」
「妖怪についても、まな先輩の方が詳しいと思います」
「そこも先輩なのかな……」
「僕より長く、妖怪事件に巻き込まれていますよね?」
「言い方!」
まなは苦笑した。
「私だって、好きで巻き込まれてるわけじゃないんだよ?」
「僕もです」
二人は顔を見合わせた。
自分から妖怪や怪物を探しに行ったわけでもない。
それなのに、気づけば妖怪、魔女、神、宇宙人らしきものにまで囲まれている。
「#朔夜ちゃんの周りも、すごい人ばっかりだよね。ドラえもんたちに、妖怪探偵団、それから不動明王まで」
「最近は、僕も誰に相談すればいいのか分からなくなってきました」
「私は何かあったら、まず猫姉さんかな。すごく心配してくれるから」
「猫娘さんは、まな先輩のことを大切にしていますよね」
「うん。でも、ちょっと心配性すぎる時もあるけど」
まなはそう言いながら、どこか嬉しそうだった。
その時、テーブルの上に置かれたスマートフォンが短く震えた。
「あ、また何か話題になってる」
まなが画面を開く。
数秒後、その目が大きく見開かれた。
「#朔夜ちゃん、これ見て!」
差し出された画面には、夕暮れ時の湖面を撮影した短い動画が表示されていた。
水面から伸びているのは、細長い首のような黒い影。
投稿には、大きな文字でこう書かれている。
『琵琶湖にネッシーが現れた!?』
『巨大な謎の生物を釣り人が撮影!』
「ネッシー……ですか」
「すごくない? 本物かな?」
映像はかなり遠くから撮られており、画質も荒い。黒い影が生き物なのか、流木なのかさえ判別できなかった。
「ネッシーは、イギリスのネス湖にいる生き物では?」
「琵琶湖に来たのかもしれないよ」
「移住したんですか?」
「それか、琵琶湖のネッシーだから……ビワッシー!」
「急にゆるキャラみたいになりましたね」
コメント欄にも、同じような意見が大量に並んでいる。
合成だ。
流木だ。
大きな魚に違いない。
本物の未確認生物だ。
現地へ確認に行くという投稿まであった。
「猫姉さんに送っておこうかな」
まなは動画の共有ボタンを押した。
「妖怪かどうか、分かるかもしれないし」
「僕もドラえもんに見せてみます」
「今から琵琶湖に行ったりする?」
「行きません」
#朔夜は即答した。
「動画だけでは何も分かりませんし、琵琶湖はすぐに行ける場所ではないですから」
「だよね。私も今日は門限があるし」
こうして、琵琶湖の怪物については、それぞれ知り合いへ情報を送っておくことになった。
飲み物を飲み終えた二人は店を出る。
日は傾き始め、駅前の通りには冷たい秋風が吹いていた。
[newpage]
「今日はありがとう、#朔夜ちゃん」
「僕の方こそ。楽しかったです、まな先輩」
「また言ってくれた!」
「呼んでいいと言ったのは、まな先輩です」
楽しそうに話しながら歩いていた、その時だった。
不意に、風が止んだ。
街路樹の葉も、店先の旗も動かなくなる。
まなが不思議そうに空を見上げる。
「……あれ?」
次の瞬間。
ゴウッ、と音を立て、凄まじい突風が二人を襲った。
「きゃっ!」
まなの長いスカートが大きく揺れ、彼女は慌てて裾を押さえる。
#朔夜も片腕で顔を庇った。
風は一度では終わらない。
落ち葉や紙くずを巻き上げながら、二人の周囲を円を描くように吹き続ける。
「何、この風……!」
「まな先輩、僕の後ろへ!」
#朔夜は風の中心へ目を向けた。
自然の風ではない。
明らかに意思を持ち、二人の周りだけを回っている。
「妖怪かな?」
「風を操る妖怪なら、鎌鼬かもしれません」
「鎌鼬!?」
まなの表情が引き締まる。
腕や脚に切り傷はない。だが、いつ風の刃が飛んでくるか分からない。
#朔夜は武器を持っていなかったが、いつでもまなを庇えるよう身構えた。
風の渦の中心に、小さな青い影が見えた。
「来ます!」
#朔夜が叫んだ直後、その影が勢いよく飛び出した。
しかし、襲いかかってくる様子はない。
青い影は空中で一度回転すると、そのまま朔夜の胸元へ飛び込んできた。
「えっ?」
反射的に両腕で受け止める。
それは、青い毛に覆われた小さな生き物だった。
丸い身体に、風を思わせる不思議な姿。
生き物は朔夜の服へしがみつき、怯えたように小さく震えている。
「フー……」
風が静まった。
巻き上げられていた落ち葉が、ぱらぱらと地面へ落ちていく。
まなはスカートの裾から手を離し、恐る恐る近づいた。
「……鎌鼬?」
「違うと思います」
「妖怪かな?」
「分かりません」
#朔夜は生き物の様子を確認する。
目立った傷はない。しかし、酷く疲れているようだった。
「大丈夫?」
驚かせないよう、ゆっくりと頭へ手を伸ばす。
生き物は逃げなかった。
それどころか、#朔夜の手へ自分から頭を押しつける。
「フー……」
「すごく懐いてるね」
「僕にも理由は分かりません」
「#朔夜ちゃん、動物に好かれやすい?」
「犬や猫は、よく寄ってきます」
「やっぱり」
まなが笑う。
#朔夜は腕の中の生き物を見つめた。
普通の動物ではないだろう。
先ほどまで風を操り、今は人の言葉を理解しているようにこちらを見上げている。
「もしかして……ドラえもんのひみつ道具でしょうか」
「こんなに生き物みたいな道具があるの?」
「喋ったり、自分で動いたりする道具もありますから」
「未来って、何でもありなんだね……」
まなは妙に納得した。
「ドラえもんに聞けば分かるかもしれません」
「じゃあ、連れていってあげよう」
#朔夜が腕を緩めると、生き物はふわりと浮き上がった。
逃げるのかと思ったが、朔夜の肩へ乗り、髪へ身体を寄せる。
「完全に朔夜ちゃんを気に入ってるね」
「僕は何もしていないんですけど」
「フー!」
生き物は元気よく鳴いた。
[newpage]
二人は生き物を連れ、のび太の家を訪れた。
玄関で事情を話すと、のび太の母親が二階へ通してくれる。
#朔夜の肩に乗った生き物は、家の中を興味深そうに見回していた。
「ドラえもん、のび太君。いる?」
「いるよ!」
部屋の中からドラえもんの声が返ってくる。
襖を開けると、ドラえもんとのび太が床に広げた漫画を片づけながら、こちらを振り返った。
「#朔夜に...まなさん!?。どうしたの?」
「途中でこの子を見つけたんだ」
#朔夜は肩を指した。
「風を操るので、ドラえもんのひみつ道具かと思ったんだけど……」
ドラえもんが、生き物を見る。
その動きが止まった。
「……え?」
のび太も、#朔夜の肩へ目を向ける。
漫画が、手から滑り落ちた。
青い生き物もまた、のび太を見つめたまま動かなくなる。
長い沈黙の後。
のび太の唇が、小さく震えた。
「……フー子?」