休日の朝。
目を開けた瞬間、#朔夜は違和感を覚えた。
静かだ。
カーテンの隙間から差し込む光はもう高く、いつもの休日より明るい。
枕元のスマホを見る。
「……うわ」
少し目を見開く。
思ったより遅い時間だった。
昨日は帰ってからすぐ寝たわけじゃない。
疲れていたはずなのに、なかなか眠れなかった。
頭の中でずっと同じ言葉が回っていた。
――悲しいかな、妖怪は“ソレ”が存在意義なのじゃ。
目玉おやじさんの声。
静かで、否定も肯定もしていない声。
結局、考えているうちに眠ったらしい。
#朔夜は髪を軽くかき上げ、部屋を出た。
リビングへ降りる。
コーヒーの香り。
テレビの音。
父は新聞を読み、母は何やら紙を広げていた。
「あら」
母が顔を上げる。
「珍しいわね、こんな時間まで寝てるなんて」
「……昨日ちょっと疲れてて」
曖昧に返す。
父は新聞から少しだけ目を上げた。
#朔夜を見る。
一瞬だけ。
それから何も言わず、また紙面へ視線を戻した。
「?」
なんだろう。
少しだけ引っかかったが、気にしないことにした。
その時。
「あ、そうそう」
母が机の上のチラシを持ち上げた。
「骨川さんのお宅、中学受験するんだって」
「へぇ」
適当に返す。
母は構わず続けた。
「最近説明会とか増えてるみたいよ? ほらこれ」
差し出されたチラシ。
私立中学校合同説明会。
難しそうな校名。
日程。
会場。
色々書いてある。
[newpage]
「#朔夜も――」
聞こえていない。
視界にはチラシ。
でも頭の中では別のものが浮かんでいた。
黒い扉。
ムジナ。
鬼太郎。
目玉おやじさん。
――存在意義。
「……そうだ」
朔夜は小さく呟いた。
「今日、道場行こう」
「聞いてた?」
「聞いてる聞いてる」
母は疑わしそうだった。
父だけが新聞を持ったまま、小さく口元を緩めた。
[newpage]
午後。
月見台の道場。
板張りの空間。
静かな空気。
弓を握る。
足を整える。
呼吸を整える。
矢を番える。
的を見る。
ただ、それだけ。
余計なことは考えない。
考えてはいけない。
弓は素直だ。
迷えばぶれる。
――ビィン。
矢が飛ぶ。
刺さる。
もう一度。
構える。
放つ。
繰り返す。
その間だけは、何も考えない。
……はずだった。
ふと。
頭に浮かぶ。
『止めると消滅してしまう』
指先が少しズレた。
矢が外れる。
「……」
小さく息を吐く。
また構える。
今度は。
『また、脅されたのか』
鬼太郎の言葉。
また。
前にもあった。
悪いことをした。
でも。
今回も本当にそうなのか。
それとも違うのか。
――ビィン。
また少し外れる。
朔夜は目を閉じた。
集中しろ。
考えるな。
今は弓だけ。
そう思うほど、雑念は消えなかった。
[newpage]
気づけば、道場の終わる時間だった。
片付け。
帰り支度。
外へ出る。
夕方の空気。
結局、何も整理できなかった。
帰り道。
スマホが震えた。
通知。
【境界観測チャット(仮)】
【ナツメ】
『明日暇?』
【アキノリ】
『手伝ってほしいことある!』
朔夜が画面を開く。
『何?』
すぐ返事。
【アキノリ】
『倉庫掃除』
【朔夜】
『……倉庫?』
【ナツメ】
『家系の倉庫』
【トウマ】
『神社側』
【ケータ】
『古いものいっぱいあるらしい!』
神社。
古い倉庫。
朔夜は少し考えた。
境界。
昔話。
妖怪。
何かあるかもしれない。
少なくとも。
今のモヤモヤを整理する手掛かりくらいは。
【朔夜】
『行く』
即答だった。
[newpage]
夜。
夕食。
味噌汁。
焼き魚。
いつもの食卓。
朔夜は箸を動かしながら言った。
「明日、友達の家行く」
嘘は言ってない。
母が頷く。
「あらそう」
一拍。
それから。
「遅くなる前に帰ってきなさい」
それだけだった。
朔夜は少し驚いた。
この前のこと。
何か言われると思った。
でも、それだけ。
父はコーヒーを飲みながら新聞をめくる。
何も言わない。
少しだけ肩の力が抜けた。
「うん」
[newpage]
翌朝。
朝食。
準備。
靴を履く。
玄関のドアへ手をかける。
奥から母の声。
「遅くなる前に帰ってきなさい!」
朔夜は苦笑した。
「昨日もそれ聞いた〜」
軽く返す。
外へ出る。
春の風。
スマホ。
待ち合わせ。
倉庫掃除。
……たぶん、普通の日。
そう思いながら。
朔夜は歩き出した。