洞窟の中で#朔夜たちが眠りについた頃。
遥か彼方――。
人間界からも、魔境からも隔絶された場所に、それは存在していた。
巨大な神殿。
黒い石で築かれたその建造物は、まるで太古の遺跡のようでもあり、生き物の内臓のようにも見える不気味な空間だった。
壁には無数の眼が刻まれ、天井からは黒い蔦のようなものが垂れ下がっている。
その最奥。
玉座が置かれるべき場所に、異形の存在が鎮座していた。
それは太陽だった。
いや、太陽に似た何か。
どす黒い球体。
その表面から無数の触手が伸び、ゆっくりと蠢いている。
そして中心には。
巨大な単眼。
見ているだけで正気を削られそうなほど不気味な眼球が、静かに周囲を見渡していた。
その前に跪く影が一つ。
吸血鬼カミーラである。
「申し上げます、バックベアード様」
彼女は頭を垂れたまま言った。
「侵入者を確認しました」
単眼がゆっくりと動く。
「……侵入者だと?」
声が響く。
それは耳で聞く音ではなかった。
頭の中へ直接流れ込むような、不快な声だった。
「はい」
カミーラは答える。
「青狸と、その仲間達です」
しばし沈黙。
やがて黒い太陽の中心の眼が細められた。
「やはり、来たか」
低い笑いが響く。
「愚かな者達よ」
触手がゆっくりと蠢いた。
「監視を続けろ」
「はっ」
カミーラは深々と頭を下げる。
次の瞬間。
その身体は無数の蝙蝠へと分裂した。
黒い群れは神殿の闇へ溶け込むように飛び去り、やがて一匹残らず姿を消した。
静寂が戻る。
だが。
ふと。
バックベアードは神殿の天井を見上げた。
巨大な単眼が細められる。
何かを見ている。
あるいは思い出しているようにも見えた。
[newpage]
その時だった。
「バックベアード」
女の声。
神殿の奥から響く。
バックベアードはゆっくりと振り返った。
そこには一人の人影が立っていた。
女性だった。
人間にも見える。
だが違う。
普通の人間が放てる妖気ではなかった。
その場にいるだけで空気が重くなる。
闇そのものが彼女を中心に渦巻いているかのようだった。
黒いフードの奥からは、わずかに赤い髪が覗いている。
顔は見えない。
だが。
その存在感だけで異様だった。
バックベアードは黙って彼女を見つめる。
女は静かに言った。
「お忘れではないでしょうね」
神殿の空気が張り詰める。
「何をだ」
「あなたの復活を早めた条件よ」
単眼がゆっくりと細くなる。
女は続けた。
「私達が何を求めたのか」
しばし沈黙。
そして。
バックベアードは低く笑った。
「無論だ」
触手が蠢く。
「青狸と、その一味」
「……」
「捕らえ、引き渡せば良いのであろう」
女はしばらく沈黙していた。
やがて小さく頷く。
「分かっているならいいわ」
その声に感情はない。
喜びも怒りもない。
ただ確認しただけ。
そんな声音だった。
「では」
一歩後退する。
闇が揺らぐ。
気付けばそこには誰もいなかった。
まるで最初から存在しなかったかのように。
神殿には再びバックベアードだけが残された。
[newpage]
――いや。
違う。
まだもう一人いた。
バックベアードは再び天井を見上げる。
そこには巨大な鉄籠が吊り下げられていた。
まるで鳥籠。
だが中にいるのは鳥ではない。
一人の少年だった。
鬼太郎。
両手を鎖で拘束されながらも、その瞳だけは決して屈していなかった。
バックベアードは嗤う。
「聞いていたか」
鬼太郎は何も答えない。
ただ静かにバックベアードを見つめる。
「奴らは自らここへ近付いて来た」
単眼が歪む。
「お前の警告を無視してな」
触手が嬉しそうに揺れた。
「哀れなものだ」
だが。
鬼太郎は動じない。
「お前にあの子達は倒せない」
神殿が静まり返る。
バックベアードの単眼が細くなる。
鬼太郎は続けた。
「お前は何も分かっていない」
「ほう?」
鬼太郎は静かに笑った。
「お前が思っているよりずっと強い」
一瞬。
バックベアードの表情が消える。
だがすぐに不気味な笑い声が響いた。
神殿全体を震わせるような笑い。
「強いだと?」
「そうだ」
鬼太郎は迷わない。
「だから言ったんだ」
その瞳はまっすぐだった。
「お前にあの子達は倒せない」
バックベアードは嗤う。
しかし。
その単眼の奥には僅かな苛立ちが宿っていた。
そして遠く離れた魔境では。
何も知らぬ朔夜達が静かに眠っている。
その頭上で。
カミーラの蝙蝠が赤い瞳を光らせていた。
まるで嵐の訪れを告げる前触れのように――。