巨大な城門をくぐった瞬間だった。
馬車の前にいた兵士が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ヴォルフガング様! 至急お伝えしたいことが――」
だが、人狼の幹部は露骨に眉をひそめた。
「後にしろ」
「しかし――」
「後にしろと言った」
低く唸るような声。
兵士は肩を震わせ、黙り込んだ。
その様子を見た#朔夜は内心首を傾げる。
(なんだろう……)
ただならぬ空気だった。
何か問題が起きている。
だがそれ以上に――ヴォルフガング自身が妙に苛立っているように見えた。
「サーベル」
振り返りもせずに呼ぶ。
「……なんだ」
「いつもの部屋に案内しろ」
それだけ言い残し、ヴォルフガングは城の奥へ歩き去っていく。
呼び止める兵士達も追いかけていった。
残されたのはサーベル隊長と#朔夜、ナツメだけだった。
数秒の沈黙。
そして――
「チッ」
盛大な舌打ち。
サーベル隊長は額を押さえた。
「私はお前の犬ではないんだがな……」
振り返る。
しかし既にヴォルフガングの姿は消えていた。
「……まったく」
再び舌打ち。
機嫌は最悪らしい。
#朔夜とナツメは思わず身構える。
だが彼は二人を見ると、
「着いてこい」
それだけ言って歩き出した。
断れる空気ではない。
二人は大人しく後を追う。
[newpage]
城内は豪華だった。
赤い絨毯。
巨大な燭台。
壁を飾る肖像画。
だがどこか息苦しい。
笑顔の兵士が一人もいないのだ。
皆、何かを恐れているように見える。
(やっぱり変だ)
ナツメも同じことを感じているらしい。
ちらりと視線が合った。
その時だった。
通路の途中で給仕服の女性がやってくる。
「サーベル様」
「なんだ」
「こちらを」
差し出されたのは一本のワイン瓶だった。
「今夜のために用意した品です。よろしければ――」
サーベル隊長は瓶を受け取る。
軽く匂いを嗅いだ。
「ほう」
僅かに目を細める。
「まだこんな酒が残っていたのか」
価値のある酒らしい。
「もらっておく」
そう言って脇に抱えた。
もちろん#朔夜達は知らない。
それが強い眠気を誘う特殊な酒だということを。
やがて一行は大きな扉の前へ辿り着いた。
サーベル隊長が扉を開く。
「ここだ」
同時に。
ふわり。
甘い香りが流れ出した。
「っ……」
#朔夜が思わず鼻を押さえる。
花のような香り。
だが少し強すぎる。
室内を見ると香木が焚かれていた。
薄紫色の煙がゆっくり漂っている。
「入れ」
背中を押される。
二人は部屋へ入った。
すると。
「――あら?」
「新入り?」
奥から声が聞こえた。
振り返る。
そこには十数人ほどの女性達がいた。
誰もが美しい。
長い耳の者。
ふわふわした尻尾を持つ者。
華やかな衣装を纏う者。
年齢も様々だ。
だが共通していることが一つ。
皆、この部屋から出られないのだ。
[newpage]
「かわいい子ね~」
「本当~」
「見たことない毛並み」
女性達が近づいてくる。
そして。
「きゃー!」
「すごい!」
一斉に#朔夜へ集まった。
「月みたいな色!」
「綺麗!」
「触っていい!?」
「耳ふわふわ!」
「ひゃっ!?」
#朔夜は完全に包囲される。
頭を撫でられ。
尻尾を見られ。
耳を触られ。
完全に混乱状態だった。
「な、なんで!?」
「珍しいもの」
「選ばれるのも納得だわ~」
「え?」
「ヴォルフガング様こういうの好きだもの」
さらっと恐ろしいことを言われた。
#朔夜の顔が引きつる。
一方。
その騒ぎに紛れていたナツメは冷静だった。
(今しかない)
部屋の奥。
テーブルの上には酒瓶が並んでいる。
おそらく夜の晩餐用。
彼女は自然な動作で近づいた。
袖の中から小さな包みを取り出す。
村で受け取った薬だ。
強力な睡眠薬。
少量でも十分効果がある。
誰にも気付かれぬよう。
静かに。
慎重に。
一本ずつ混ぜていく。
(これでよし)
成功だった。
誰も見ていない。
女性達の意識は全て#朔夜へ向いている。
「た、助けてナツメ!」
「頑張って」
「助けてよ!?」
小声で叫ぶ朔夜。
ナツメは微笑みながら目を逸らした。
完全に見捨てている。
[newpage]
その時だった。
――バンッ!!
乱暴に扉が開いた。
室内が静まり返る。
女性達も振り返る。
そこに立っていたのは――
ヴォルフガングだった。
先程よりさらに機嫌が悪い。
黄金色の瞳が鋭く細められている。
何かあったのは明らかだった。
部屋の空気が一瞬で張り詰める。
そして彼の視線は真っ直ぐに――
#朔夜へ向けられた。
「……なるほど」
低い声。
どこか疲れている。
しかし。
その瞳には獲物を見定める獣の光が宿っていた。
#朔夜は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
潜入作戦は成功した。
だが同時に。
最も危険な場所へ足を踏み入れてしまったのだと。
改めて理解するのだった。