室内にはまだ、甘い香りと酒の匂いが残っていた。
ヴォルフガングは上機嫌とは言えないまでも、先ほどよりは幾分か落ち着いた様子で椅子に腰を下ろしていた。
「まったく……あの連中ときたら」
グラスを傾けながら、苛立ち混じりに吐き捨てる。
#朔夜とナツメはその対面に座らされ、ぎこちなく相槌を打っていた。
「カミーラの奴が特にだ」
ヴォルフガングは鼻で笑う。
「侵入者がどうとか騒いでいたが……くだらん。ここにそんなものが入り込めるわけがない」
その言葉に、#朔夜とナツメは一瞬だけ視線を交わす。
(バレてない……?)
緊張がわずかにほどける。
どうやら“侵入者情報”は幹部全体に共有されていないらしい。
少なくとも今のところは。
ヴォルフガングはさらに愚痴を続ける。
「サーベルも口うるさいしな……あいつは気に食わん」
次から次へと出てくる同僚への不満。
だがその裏には、組織内の歪みが透けて見えた。
ナツメはそれを静かに観察している。
#朔夜はというと、出された飲み物に注意しながら口をつける。
(これは……ジュースだな)
酒は危険だと判断して避けている。
緊張した空気の中でも、奇妙な“宴”は続いた。
時間が経つにつれ、ヴォルフガングの口調は少しずつ鈍っていく。
グラスの数は増え、瓶は空になっていく。
「……ふん、今日はもういい」
そう呟いたのが最後だった。
ヴォルフガングは深く椅子にもたれかかる。
そして――そのまま動かなくなった。
「……寝た?」
#朔夜が小声で確認する。
ナツメは慎重に近づき、呼吸を確認した。
「完全に寝てる」
長時間の晩酌と香の効果もあったのだろう。
もはや揺すっても起きそうにない。
[newpage]
「よし……今だ」
ナツメが低く呟く。
二人は部屋の奥へと視線を向けた。
そこには――捕らえられていた女性達がいた。
皆、不安げな表情でこちらを見ている。
#朔夜は一歩前へ出た。
「私たちは助けに来ました」
静かに、しかしはっきりと告げる。
一瞬の沈黙の後、ざわめきが広がった。
「本当に……?」
「兵じゃないの?」
「大丈夫なの?」
疑いと希望が入り混じる声。
その中でナツメが短く頷く。
「ここから出る」
それだけで十分だった。
空気が変わる。
だがその時――
#朔夜の懐で、小さく機械音が鳴った。
ドラえもんから預けられていたスペアポケット。
それが静かに開く。
「……時間がない」
ナツメが呟く。
#朔夜は頷いた。
脱出開始だ。
まずは部屋の出口。
次に廊下。
城の警備はヴォルフガング不在の影響で一部が緩んでいるが、それでも油断はできない。
そして――
その“女性達”の中に混じる視線。
わずかに違う気配。
(……いる)
#朔夜は気付いていた。
この中に、違うものが混ざっている。
カミーラの眷属。
人の皮を被った監視者。
その視線が、眠るヴォルフガングと、#朔夜達を交互に見ていた。
ナツメも気配を感じ取る。
小さく目を細めた。
(ここで騒ぐと終わる)
無言の意思疎通。
そして二人は同時に動いた。
「今だ、行きます」
#朔夜の声に、女性達が一斉に立ち上がる。
静かながらも一斉の脱出。
スペアポケットから取り出された簡易道具が廊下の視界を一瞬だけ乱す。
光と影の隙間。
その中を抜けていく。
背後ではまだ、眠るヴォルフガングの呼吸だけが響いていた。
――だが。
その奥で。
“誰か”が静かに微笑んだ気配があった。
カミーラの眷属は、確かにそこにいた。
そしてそれを見逃したまま、脱出劇は城の深部へと進んでいく。