薄暗い石造りの部屋で、ウォルフガングは目を覚ました。
鈍い頭痛。喉の渇き。
そして何より――周囲の静けさが異常だった。
「……?」
ゆっくりと体を起こし、部屋を見渡す。
そこには誰もいなかった。
拘束具も、捕らえた“獲物”の痕跡すらも消えている。
まるで最初から何もなかったかのような空間。
数秒遅れて理解が追いつく。
「……やられたか」
毒か、眠りの術か。
いずれにせよ、自分が一時的に無力化されていたことは明白だった。
カミーラから「侵入者がいる」と警告は受けていた。
だが内心では、どこかで軽く見ていた。
この城に踏み込める人間などいない、と。
しかし現実は違った。
(あの娘達……)
思い出すのは、捕らえた“異質な毛並み”の少女たち。
その中の一人――サクと呼ばれていた存在。
見た目は少年にも見えたが、違う。
匂いが違う。
本能が警鐘を鳴らしていた。
――あれは、ただの獲物ではない。
ウォルフガングの口元がわずかに歪む。
「……面白い」
その時、扉が開いた。
現れたのはヴィクター・フランケンシュタイン。
少年の姿のまま、白衣を引きずるように歩いてくる。
「収容区画は空。脱出されたのを確認。非効率的だ」
淡々とした声。
感情の起伏はほとんどない。
だがその言葉の端々には、どこか苛立ちに似た“分析欲”が滲んでいた。
「実験対象が自力で脱出するとは……再評価が必要だよ」
ヴィクターは続ける。
「特に“あの個体”。標本としての価値が想定より高い可能性があるね」
ウォルフガングは椅子にもたれたまま、彼を見た。
「慌てているのか?」
「いいえ」
即答だった。
「事実確認だよ。ボクは感情で動かないので」
だがその目は、どこか鋭い。
失われた“材料”への執着だけが、そこにあった。
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定例会議。
薄暗い広間に、幹部たちが集まる。
カミーラは上機嫌だった。
「逃げた? ふふ、いいじゃない。増やせばいいだけよ」
その言葉と同時に、彼女の後ろに無数の蝙蝠の影が揺れる。
そして報告が続く。
捕らえた人間たちはすでに吸血鬼化されつつあり、その中には昨夜の娘の姿もあった。
ウォルフガングの視線が一瞬だけ止まる。
だが、すぐに逸らす。
「……好きにやるがいい」
それだけだった。
その反応に、カミーラはわずかに目を細める。
「随分と余裕ね」
「余裕ではない」
ウォルフガングは静かに言った。
「ただ、順番が変わっただけだ」
沈黙。
その空気を破ったのは、部屋の奥から現れた“黒い圧力”だった。
バックベアード。
姿そのものが重力のように場を支配する。
誰も言葉を発さない。
ヴィクターは一瞬だけ視線を上げるが、すぐに記録に戻る。
カミーラも笑みを引っ込める。
ウォルフガングだけが、視線を逸らさない。
会議は短く終わった。
命令はない。指示もない。
ただ“見ている”という事実だけが残る。
廊下に出たヴィクターが、小さく呟く。
「逃走個体……再収容の必要があるね」
その声は少年のまま、どこか機械的だった。
だが、その背中の影だけが、わずかに揺れていた。
まるでまだ“観察を続けている何か”のように。
ウォルフガングは一人、窓のない廊下で足を止める。
誰に言うでもなく呟く。
「逃がしたのでもない」
ゆっくりと目を細める。
その言葉には、奇妙な納得があった。