サーベルは死んだはずだった。
崩れ落ちる巨神像。
砕ける石壁。
鳴り響く轟音。
クンタック王子を追い続けたその果て。
最後に見たのは崩落する天井だった。
身体を押し潰す瓦礫。
砕ける骨。
遠ざかる意識。
そして――
闇。
完全な闇だった。
次に目を開けた時。
自分は水の中にいた。
いや、違う。
水のような液体だった。
身体は動かない。
息は出来ている。
奇妙な感覚だった。
視界の先には透明な壁。
円筒状の容器。
自分はその中に浮かんでいた。
「……ここは」
声にならない。
気泡だけが浮かぶ。
その時だった。
足音。
コツ、コツ、と規則的な音が近づく。
やがて一人の人間が姿を現した。
赤い髪。
白衣。
鋭い瞳。
見覚えはない。
だが、その女はまるで待っていたかのように微笑んだ。
「目が覚めたのね」
その声は妙に冷たかった。
◇
どれほど時間が経ったのか。
サーベルは容器から解放されていた。
白い部屋。
無機質な空間。
そして目の前にはあの女。
「……ここはどこだ」
掠れた声で尋ねる。
女は答えなかった。
代わりに椅子へ腰掛ける。
「その前に条件を呑んでもらうわ」
「条件だと」
「ええ」
女は笑った。
まるで実験結果を眺める研究者のように。
「あなたは一度死んだ」
その言葉にサーベルは黙る。
否定出来なかった。
「私はあなたを蘇生した」
「……」
「だから働いてもらう」
その目に感情はない。
あるのは利用価値だけだった。
[newpage]
条件は単純だった。
バウワンコ王国を襲撃すること。
それだけ。
サーベルは理解出来なかった。
なぜ自分が。
なぜ王国を。
だが拒否権は存在しなかった。
女は淡々と言う。
「断れば生命維持を停止する」
それは脅しではなかった。
事実だった。
サーベル自身、自分が生きている理由を理解していなかった。
身体のどこかがおかしい。
時折記憶が霞む。
感情も鈍い。
自分はもう正常ではない。
それだけは分かった。
やがて王国侵攻が始まった。
黒い太陽。
怪物達。
吸血鬼。
人狼。
狂人。
かつてなら剣を向けていた相手ばかりだった。
だが今の自分は違う。
命令されるまま剣を振るう。
王国は蹂躙された。
城は落ちた。
民は怯えた。
悲鳴が響いた。
その光景を見るたびに胸が痛んだ。
だが身体は止まらない。
まるで何かに縛られているようだった。
せめて。
せめてこれ以上は。
サーベルは密かに動いていた。
幹部達から民を守る。
目立たぬように。
怪しまれぬように。
人狼が暴れれば止める。
兵士が暴走すれば叱責する。
子供が巻き込まれそうになれば逃がす。
誰にも気付かれないように。
ほんの少しだけ。
だがそれが限界だった。
守ろうとすれば命令が下る。
従えば民が傷付く。
逆らえば疑われる。
板挟み。
それが今の自分だった。
[newpage]
夜になるたび思う。
願うことなら。
もう一度。
あの日々を。
前王が笑い。
王妃が微笑み。
幼いクンタック王子が城を駆け回っていた。
あの平和な日々を。
だが現実は残酷だった。
気付けば自分は王国の敵になっていた。
守るべきものを傷付ける存在になっていた。
忠義とは何だったのか。
自分は何を守っていたのか。
答えは見つからなかった。
そして現在。
巨大な身体が暴れている。
敵も味方も分からない。
ただ破壊だけが続く。
それなのに。
聞こえた。
[chapter:「サーベル!!」]
その声を。
間違えるはずがなかった。
クンタック王子。
あの少年の声だった。
胸の奥が痛む。
何かが軋む。
忘れていた感情が蘇る。
見下ろした先。
そこにいた。
剣を握る王子。
傷付きながらも立つ仲間達。
そして。
希望。
確かにそこにあった。
そうだ。
思い出した。
前王が守ろうとした未来。
それが彼だった。
クンタック王子。
前王の忘れ形見。
希望の光。
そのものだった。
[newpage]
巨大な腕が止まる。
振り下ろそうとしていた攻撃が止まる。
王子がこちらを見る。
驚いた顔。
そして悲しそうな顔。
その表情だけで十分だった。
気付けば涙が流れていた。
どうしてなのか。
分からない。
もう何年も泣いていなかった気がする。
だが止まらない。
申し訳ありません。
陛下。
私は間違えました。
王子を信じられませんでした。
王国を守れませんでした。
私は――
忠臣失格です。
その瞬間だった。
視界いっぱいに青白い光が広がる。
月。
まるで月のような輝き。
優しく。
静かで。
どこか懐かしい光。
身体から力が抜ける。
意識が遠のく。
最後に見えたのは。
こちらへ駆け寄ってくる王子の姿だった。
「サーベル!!」
その声を聞きながら。
サーベルの意識は静かに闇へ沈んでいった。