バウワンコ王国での戦いから数日。
#朔夜は母方の祖母の家に来ていた。
蝉の鳴き声が朝から晩まで響き続ける田舎の夏。
縁側の向こうでは陽炎が揺れ、庭先のアサガオさえ暑さにぐったりして見える。
そんな中。
#朔夜は冷房の効いた居間で完全にだらけていた。
「……暑い」
ごろりと畳へ転がる。
手にはスマホ。
祖母の家のWi-Fiに接続し、動画を延々と眺めている。
ゲーム実況。
動物動画。
弓道の解説。
怪談話。
おすすめ欄に流されるまま見続けていた。
「夏休みって最高……」
そう呟いた瞬間だった。
「宿題はいいのかい?」
祖母の一言が突き刺さる。
「……あ」
完全に忘れていた。
自由研究。
まだ終わっていない。
正確には途中で止まっている。
妖怪と幽霊の違い。
神話。
民俗学。
伝承。
鬼太郎や目玉おやじから聞いた内容は大量にある。
だが整理が終わっていない。
というか多すぎる。
「テーマが難しすぎた……」
頭を抱える#朔夜。
祖母は麦茶を飲みながら笑った。
「なら資料館でも行けばいいじゃないか」
「資料館?」
#朔夜は顔を上げた。
「この辺にあるの?」
「あるとも」
祖母は当然のように答える。
「町おこしで去年できたばかりさ」
「え?」
初耳だった。
祖母の家には何度も来ている。
だが聞いたことがない。
「最近できたからねぇ」
「知らなくても無理はないよ」
そして数十分後。
祖母の軽自動車に乗せられた#朔夜は目的地へ向かっていた。
[newpage]
山道を抜け。
小さな川を越え。
田畑の広がる道を進む。
やがて見えてきたのは。
木材とガラスを組み合わせた比較的新しい建物だった。
『郷土歴史民俗資料館』
そう書かれた看板が立っている。
「帰りは電話しな」
「はーい」
車を降りる。
熱気が押し寄せた。
だが。
自動ドアをくぐった瞬間。
「うわ……」
思わず声が漏れた。
冷気。
館内は空調が効いている。
むしろ少し寒いくらいだった。
火照った身体が一気に冷やされる。
生き返る。
本気でそう思った。
受付で簡単な説明を受け。
#朔夜は館内を歩き始めた。
展示内容は主に郷土史。
古い農具。
祭具。
神社関係の資料。
古文書。
地域伝承。
興味深いものばかりだった。
だが。
人は少ない。
かなり少ない。
数人の高齢者が展示を眺めている程度。
広い館内に対して利用者が圧倒的に足りていなかった。
「大丈夫なのかなここ……」
思わず心配になる。
この町の過疎化を感じる光景だった。
そんな時。
ふと視界の端に一人の人物が映る。
若い。
高校生ではない。
大学生か。
あるいは社会人か。
黒と白のパーカーを羽織った青年。
資料館では少し珍しい格好だった。
熱心に文献を読んでいる。
年齢的にも浮いている。
珍しいな。
そう思った。
[newpage]
そして。
ふいに。
青年が顔を上げた。
目が合う。
「あ」
思わず視線を逸らした。
別に悪いことをしたわけではない。
だが何となく気まずい。
その瞬間だった。
#朔夜の身体が固まる。
青年の後ろ。
少し離れた場所。
そこに。
何かが立っていた。
半透明。
人ではない。
大柄な影。
頭部には大きな角。
鬼。
そう呼ぶのが一番近い。
妖怪かもしれない。
しかし普通ではない。
まるで護衛のように。
当然のように。
青年の背後へ立っている。
(……え?)
瞬きする。
消えない。
見間違いではない。
確かにいる。
しかも。
その棚を見て気付く。
そこに並んでいるのは。
地方伝承。
妖怪伝説。
神道資料。
民俗学。
まさに。
#朔夜が今から調べようとしていた分野だった。
(なんで……)
偶然か。
それとも。
胸の奥に小さな違和感が生まれる。
冷房とは別の冷たさ。
静かな緊張。
蝉の声すら聞こえない館内で。
#朔夜はもう一度だけ。
そっとその青年の方を見た。
青年は再び文献へ目を落としていた。
まるで何事もなかったかのように。
だが。
その背後に立つ鬼の影だけは。
こちらを見ているような気がした。