資料棚の前から離れた#朔夜は、小さく息を吐いた。
「……なんだったんだろ」
先ほど見た黒白のパーカー姿の青年。
そしてその背後に立っていた角の生えた半透明の存在。
気のせいではなかったと思う。
だが考えても答えは出ない。
#朔夜は頭を振った。
するとふと思い出す。
入口近くに置かれていた自動販売機。
しかもアイスの自販機だった。
「……アイス食べよう」
調べ物は頭を使う。
頭を使うには糖分が必要だ。
そう自分に言い訳しながら、自販機へ向かった。
数分後。
#朔夜はベンチに腰掛けながらアイスを食べていた。
冷たさが身体に染み渡る。
外の猛暑が嘘のようだった。
「生き返る……」
最後の一口を食べ終えた頃には、少しだけやる気も戻っていた。
ゴミを捨てる。
そして再び資料コーナーへ向かう。
しかし。
先ほどの青年の姿は既になかった。
「あれ」
思わず周囲を見回す。
いない。
どこかへ行ったらしい。
少しだけ気になったが、追いかける理由もない。
朔夜は棚から何冊か本を抜き取った。
[newpage]
民俗学。
郷土史。
神社について。
伝承について。
そして一冊。
タイトルに目が止まる。
[chapter:桜島横山町について]
「これでいいか」
そのまま自習スペースへ向かった。
幸い利用者はいない。
広い机を独り占めだった。
静かだ。
エアコンの音だけが聞こえる。
#朔夜は椅子に座ると、本を積み上げた。
そして一番上の本を開く。
町の歴史。
火山との共生。
古い祭り。
地域信仰。
ページをめくっていく。
すると。
ある神社の紹介が目に留まった。
「月讀神社……?」
思わず読み返す。
祭神。
月読命。
聞いたことのない神様だった。
「月の神様かな?」
気になった#朔夜は、別の本を手に取った。
神話関係の資料だ。
索引を探し、該当ページを開く。
月読命。
三貴子の一柱。
[chapter:天照大御神]
[chapter:須佐之男命。]
__そして
[chapter:月読命。
]日本神話において非常に重要な神とされている。
さらに読み進める。
黄泉の国。
根の国。
死者の世界。
黄泉から帰還したイザナギ。
禊。
そして生まれた三柱の神々。
「へぇ……」
思わず声が漏れた。
知らないことばかりだ。
月読命については資料によって説明が少し違う。
夜を司る神。
月の神。
死者の世界と関わる神。
様々な説があるらしい。
だが共通している部分もある。
それは。
生と死の境界に近い存在だということだった。
[newpage]
「なんか……」
#朔夜はページを見つめる。
「妖怪に近い?」
もちろん違う。
神様だ。
妖怪ではない。
だが。
死者の国。
黄泉。
霊。
魂。
そういったものと深く結び付いている。
今まで出会ってきた妖怪たち。
鬼太郎。
目玉おやじ。
猫娘。
そして様々な怪異。
思い返せば。
どれも生と死の間に存在しているような気がした。
気付けば時間を忘れていた。
本を読み。
メモを取り。
また別の本を開く。
資料館の静けさも忘れていた。
その時だった。
館内放送が流れる。
優しい音楽。
そして閉館を知らせるアナウンス。
「え?」
顔を上げる。
窓の外は夕焼けだった。
オレンジ色の光が差し込んでいる。
「もうこんな時間!?」
思わず立ち上がる。
夢中になり過ぎていた。
慌てて本を閉じる。
ノートをまとめる。
借りられる資料を確認する。
そして帰る準備を始めた。
だが。
机の上に置かれたメモ帳には。
いつの間にか。
何度も同じ言葉が書かれていた。
[newpage]
[chapter:月読命]
[chapter:黄泉]
[chapter:境界]
なぜそんな言葉ばかりを書いていたのか。
その時の朔夜は、まだ気付いていなかった。
自分が少しずつ。
"月"へ近付いていることに。