転生したら雪音クリスだったので、曇りポイントを撃ち抜きます 作:ブラックだあああぁぁぁぁぁ(小並感)
世界を変えた翌朝も、食卓には普通にパンが並んでいた。
それが少しだけ不思議だった。未来をひとつ曲げたのだから、もっと空が割れるとか、世界が警告音を鳴らすとか、そういう分かりやすい変化があってもよさそうなものだ。けれど現実はそんなに親切ではなく、パパは新聞を読み、ママはスープをよそい、私は寝癖をつけたまま椅子に座っている。
「クリス、眠そうね」
「んー……眠くない」
「その顔で?」
「眠くないし……」
言い返したつもりだったが、声に迫力はなかった。スプーンを握ったまま半分まぶたが落ちている。昨日、あれだけ泣いて、あれだけ考えて、夜中に盗み聞きまでしたのだ。幼い体には負担が大きかったらしい。
雅律は新聞の向こうで小さく笑った。
「今日はゆっくり過ごそう。私たちも、予定の見直しで少し家にいる時間が増える」
「ほんと?」
「ああ。本当だ」
その言葉だけで、スープが少し甘く感じた。
危ない場所へ行かない。少なくとも、知っている悲劇と同じ道は選ばれなかった。昨日はその安心だけで十分だったが、一晩経つと別の不安が顔を出す。未来を変えたなら、この先も変わる。知っている流れは、もう完全な地図ではない。
それでも、目の前の二人が生きている。
今はそれだけでいい。
「それでね、クリス」
ソネットが、食後の紅茶を置きながら言った。
「予定を変えた代わりに、国内で小さな収録とチャリティー公演の相談が来ているの。安全な場所で、医療支援や物資支援につなげるためのものよ」
「……安全?」
「ええ。ちゃんと確認してから決めるわ。クリスが怖がるような場所には行かない」
そう言われて、胸の奥が緩む。だが、同時に少しだけ引っかかった。
国内。収録。音楽。支援。安全。
それだけなら何も問題はないはずだ。けれど、この世界で音楽が関わる時、ただの音楽で終わらないことを私は知っている。歌は、人を救う。人をつなぐ。けれど同時に、聖遺物を目覚めさせる鍵にもなる。
考えすぎだ。
そう思いたかった。
「クリスも一緒に行く?」
「行く」
即答してから、しまったと思った。
危険なら止めなければいけない。けれど、安全なら一緒にいた方がいい。両親のそばにいれば、何かあっても早く気づける。子どもの体で何ができるかは分からないが、離れているよりはましだ。
そういう計算があったのに、返事は完全におやつへついていく子どもの勢いだった。
「ふふ。じゃあ、一緒に行きましょう」
「別に、楽しみなわけじゃないし」
「そうなの?」
「……ちょっとだけ」
ソネットが笑い、雅律も目を細める。
守ったはずなのに、守られている。そんな当たり前の距離が、まだ少しむずがゆかった。
数日後、私は両親に連れられて、都内の小さなホールへ向かった。
大きな会場ではない。観客を入れる前の試験収録で、スタッフの数も少ない。建物の入口では何人かのスーツ姿の大人が出入りを確認していて、表向きは普通の関係者に見える。けれど、どうにも空気が硬い。
普通の音楽関係者だけではない。
直感でそう思った。
廊下を歩きながら、ソネットの手を握る力が少し強くなる。母はそれに気づいたのか、こちらを見下ろした。
「大丈夫?」
「……うん。大丈夫」
大丈夫ではない。
でも、ここで「帰りたい」と言えば、また両親を心配させるだけだ。前のように明確な危険が見えているわけではない。だから、今は見る。聞く。覚える。何かおかしいものがあれば、その時に動く。
控室に案内されると、雅律はバイオリンを取り出し、ソネットは軽く喉を整えた。音楽家の準備は、日常の延長みたいに自然だった。パパが弓を張る音。ママが息を吸う音。二人の間に流れる空気は、家の中と同じで穏やかだ。
私は椅子に座り、足をぷらぷらさせながらそれを見ていた。
平和だ。
そう思った瞬間、怖くなる。平和な場面ほど信用できない。だいたい、何か起きる前はこういう穏やかな空気なのだ。心の中で身構えていると、ソネットがこちらへ手招きした。
「クリス、少し声を出してみる?」
「え?」
「昨日から緊張しているみたいだから。歌うと、少し楽になるわ」
歌。
その言葉に、体が固まった。
歌うこと自体は嫌ではない。この体は、音楽を当たり前のものとして知っている。両親の歌や演奏の中で育った記憶がある。前の自分にはなかった感覚だ。音が怖くない。むしろ、音の中にいる方が落ち着く。
けれど、この世界で歌うことは、ただの気晴らしでは済まないかもしれない。
「……ちょっとだけなら」
「ええ。ちょっとだけ」
ソネットが短い旋律を口ずさむ。柔らかく、静かで、子守歌のような響きだった。私はその後を追う。最初は小さく、探るように。幼い喉から出る声は頼りなく、少し高い。
それでも、音が伸びた瞬間、空気が変わった。
「……っ」
自分でも分かった。
声が、部屋の壁に当たって返ってくるだけではない。もっと奥へ、もっと深い場所へ、何かを探るように伸びていく。ピアノの弦が触れていないのに震えた。机の上のコップの水面が、小さく波打つ。
雅律が弓を止めた。
ソネットも歌を止めた。
私は、慌てて口を閉じる。
「……ごめんなさい」
謝る理由は分からない。でも、とにかく謝った。何かを壊したわけではない。けれど、普通ではないことが起きた。両親の顔を見れば、それは明らかだった。
雅律は驚いている。ソネットは少し不安そうで、けれど音楽家としての興味も隠せていない。娘の才能を喜びたい顔と、得体の知れないものを見た顔が混ざっている。
「クリス、今のは……」
「普通」
先に言った。
「すごく普通の歌です」
自分で言って、最悪だと思った。
普通の子どもは、こんなタイミングで「すごく普通」などと主張しない。むしろ怪しい。雅律の眉がわずかに動いた。ソネットは困ったように笑う。完全に不審がられている。
「普通、か」
「うん。普通」
「クリスがそう言うなら、今はそういうことにしておこう」
今は。
その一言が重かった。
やらかした。完全にやらかした。私は椅子の上で小さくなる。強気な雪音クリスを演じるどころではない。普通の子ども作戦すら失敗している。口を閉じていればいいのに、焦ると余計なことを言う。これは前世から変わっていない気がする。
その時、控室の扉がノックされた。
スタッフかと思った。だが、入ってきた人物を見て、背筋が固まる。
大きい。
まず、そう思った。背が高いだけではない。体つきがしっかりしていて、立っているだけで妙な安心感と圧がある。黒い髪、強い眼差し、けれど表情は柔らかい。彼は一礼してから、両親の方へ視線を向けた。
「突然失礼します。風鳴弦十郎と申します」
来た。
心臓が跳ねた。
知っている名前だった。二課の司令。常識外れの身体能力を持つ大人。味方であり、保護者であり、たぶんこの世界で信頼していい大人のひとり。
でも、今の自分にとっては、原作世界が真正面から歩いてきたようなものだった。
弦十郎の後ろから、もう一人が顔を出す。
「ごめんなさいね、急に。ちょっとだけ確認したいことがあって」
明るい声。柔らかな笑顔。白衣の似合う女性。
櫻井了子。
名前を認識した瞬間、喉がひゅっと鳴った。
まずい。弦十郎だけならまだしも、了子までいる。今の彼女をどこまで警戒すべきなのか、正直分からない。知っている未来の断片はある。でも、今この場で何かを言えるわけがない。言ったところで、幼い子どもの妄言だ。
それに、怖いからといって顔に出してはいけない。
そう思ったのに、了子はこちらを見た瞬間、楽しそうに目を細めた。
「あら。そんなに警戒しなくても大丈夫よ、クリスちゃん」
「け、警戒してないし」
「あらあら」
駄目だった。
完全に顔に出ている。
雅律が私の前に少しだけ立つ。ソネットも肩に手を置いた。二人とも穏やかだが、娘を守ろうとしているのが分かる。その姿に、胸が熱くなる。前の未来では、きっとこんなふうに守られる時間は長く続かなかった。
弦十郎は、その反応をきちんと受け止めるように一歩下がった。
「怖がらせに来たわけではありません。先ほど、この施設の音響観測機器に少し特殊な反応がありました。雪音ご夫妻には申し訳ないが、お嬢さんの歌と関係している可能性があります」
「クリスの歌と?」
雅律の声が低くなる。
「現時点では、そう断定できません」
弦十郎は嘘をつかなかった。
「ただ、確認せずに済ませるには少し珍しい反応でした。もちろん、本人とご家族の同意なしに何かを行うつもりはありません」
その言い方に、少しだけ力が抜ける。
少なくとも、無理やり連れていかれる流れではない。弦十郎はちゃんと家族を見ている。子どもである私を見ている。けれど、その後ろにいる了子の視線は、もっと違うものを見ていた。
観察者の目だ。
悪意ではない。今すぐ敵意があるわけでもない。ただ、興味が強い。未知の反応、未知の適性、未知の波形。そういうものを前にした研究者の目をしている。
「すごいわね、クリスちゃん」
了子が言った。
「あなたの声、普通の共鳴じゃなかったわ」
「普通です」
「さっきも言ってたわね、それ」
「普通の子どもです」
「普通の子どもは、そこまで普通を強調しないと思うのだけど」
何も言い返せなかった。
ソネットが小さく笑いそうになって、すぐに心配そうな顔へ戻す。雅律は真剣だ。弦十郎は、こちらを怖がらせないよう表情を和らげている。了子だけが、笑顔のままこちらの反応を細かく拾っている。
逃げたい。
そう思った。
この場から逃げれば、二課と関わらずに済むかもしれない。イチイバルとも、ノイズとも、あの戦いとも距離を取れるかもしれない。両親を守ったのだから、このまま雪音家で普通に暮らす道だってあるのではないか。
でも、すぐに分かった。
そんな道は、たぶんない。
自分が歌っただけで、何かが反応した。聖遺物か、観測機器か、もっと別の何かかは分からない。けれど、もう見つかった。逃げたところで、いつかノイズは現れる。いつか歌は求められる。いつか、知っている悲劇が形を変えて追いかけてくる。
なら、逃げるより早く、こちらから知った方がいい。
「……何を、するの?」
声が思ったより小さかった。
弦十郎が膝を折り、目線を合わせる。大きな大人が、幼い子どもに合わせてくれる。その姿勢だけで、少しだけ呼吸がしやすくなった。
「まずは、君の歌がどんな反応を起こしたのかを調べたい。痛いことはしない。怖いこともしない。歌いたくなければ、歌わなくていい」
「本当に?」
「ああ。約束する」
約束。
この世界で大人の約束を信じるのは、少し怖い。けれど弦十郎の声には、簡単には曲がらない重さがあった。少なくとも今ここで、私や両親を利用するためだけに言っているわけではないと思えた。
ソネットが肩を撫でる。
「クリス、嫌なら嫌って言っていいのよ」
「そうだ。無理をする必要はない」
雅律も言う。
嫌だと言えば、きっと二人は止めてくれる。昨日と同じように、私の怖さを無視しないでくれる。そう分かるからこそ、逃げるのは違うと思った。
私は未来を変えたい。
そのためには、知っている未来から目をそらすわけにはいかない。
「……ちょっとだけなら」
そう言うと、了子の顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう、クリスちゃん。じゃあ本当に少しだけね」
「少しだけ」
「ええ。少しだけ」
「あと、痛いのなし」
「もちろん」
「変な注射もなし」
「しないわよぉ」
「解剖もなし」
了子が一瞬だけ固まった。
しまった。
雅律とソネットの空気が変わる。弦十郎も眉を動かした。普通の子どもは、検査の前に解剖を心配しない。少なくとも、こんなに具体的な言葉は出さない。
「……怖い夢で見た」
苦しすぎる言い訳だった。
だが、今はそれで押し切るしかない。ソネットが私をぎゅっと抱き寄せる。雅律の警戒が強くなる。了子は少し困ったように笑った後、両手を軽く上げた。
「しないしない。そんなこと絶対にしないわ。約束する」
「……なら、いい」
よくはない。
だが、これ以上しゃべると自爆する。
簡易検査は、隣の小さな音響室で行われた。
マイクと、見たことのない機材。何本ものケーブル。壁に貼られた吸音材。椅子の上には、私用に分厚いクッションが置かれている。子どもサイズに合わせるためらしい。その気遣いが逆に落ち着かない。
ガラス越しに、雅律とソネットが見守っている。弦十郎も近くにいる。了子は機材の前で、楽しそうに準備をしていた。
「歌う曲は何でもいいわ。さっきの旋律でも、好きな歌でも」
「好きな歌……」
困った。
前の自分が知っている歌は、この世界で口にしていいものか分からない。雪音クリスとして覚えている歌なら問題ないはずだが、どれを選べばいいのか迷う。結局、ソネットがよく口ずさんでいる短い旋律を選んだ。
息を吸う。
怖い。
また何かが反応するかもしれない。反応しなければしないで、今度は別の不安が残る。中途半端な力ほど扱いに困る。けれど、ここまで来たら歌うしかない。
音を出した。
最初は、何も起きなかった。
静かな旋律が、音響室の中に広がる。自分の声。幼い声。けれど途中から、音が自分だけのものではなくなっていく感覚があった。背中の奥に、見えない糸がつながる。どこか遠くにある何かが、こちらの声を聞いている。
ぞわり、と肌が粟立った。
機材が低く唸る。了子の指が止まる。ガラスの向こうで、弦十郎の表情が険しくなる。雅律とソネットは、何が起きているのか分からないまま、こちらを見つめている。
歌を止めようとした。
けれど、声が一拍だけ伸びた。
その瞬間、耳の奥で弦を弾くような音がした。
弓ではない。銃声でもない。もっと古くて、冷たくて、鋭い音。呼ばれている、と思った。こちらに来いというより、お前を知っている、と言われたような感覚だった。
「止めて」
自分で言ったのか、誰かが言ったのか分からない。
気づけば歌は止まっていた。息が少し乱れている。体に痛みはない。けれど、背中に汗をかいていた。小さな手を握る。震えている。
了子がこちらを見る。
さっきまでの軽い笑顔は消えていた。
「……すごいわ」
彼女の声は、静かだった。
「想定より、ずっと深い」
「了子君」
弦十郎の声が、制するように響く。
了子は一度だけ目を伏せ、すぐにいつもの笑顔を戻した。だが、もう遅い。私は聞いてしまった。想定より深い。つまり、彼女たちは最初から何かを想定していた。
やっぱり、ただの歌の検査ではない。
弦十郎が音響室へ入ってくる。彼は急がず、けれど迷わずこちらに近づいた。そして、また膝を折る。
「よく頑張った。もう歌わなくていい」
「……何だったの?」
聞かずにはいられなかった。
弦十郎はすぐに答えなかった。子どもにどこまで話すべきか迷っている顔だった。分かる。普通なら話すべきではない。聖遺物も、ノイズも、二課も、全部秘匿されているはずだ。
でも、私は普通ではない。
普通ではないことを、もう彼らも分かってしまった。
「君には、特別な力があるかもしれない」
弦十郎は、慎重に言葉を選んだ。
「それは君を危険にさらすものかもしれない。だからこそ、私たちはきちんと守りたいと思っている」
「守る?」
「ああ。君と、君の家族を」
その言葉は、ずるかった。
家族を守る。そんなことを言われたら、逃げられない。私はそれが一番欲しいのだ。両親を守りたい。雪音家を守りたい。そのためなら、怖いものにも近づくと決めたばかりだった。
「……その力って」
喉が乾く。
「歌う力?」
「今は、そう思っていてくれればいい」
今は。
またその言葉だ。
分かっている。これから先、もっと深いところへ踏み込むことになる。聖遺物。シンフォギア。イチイバル。特異災害対策機動部二課。知っている単語が、頭の中で順番に並んでいく。
そして、まだ出会っていない人たちの顔も浮かんだ。
奏。翼。
あの二人と出会う日も、きっと近い。
「クリス」
ガラスの向こうから入ってきたソネットが、私を抱きしめた。雅律もそばに立ち、弦十郎と了子を静かに見つめている。両親はまだ何も知らない。それでも、娘が何かに巻き込まれようとしていることだけは感じている。
「この子に危険は?」
雅律が問う。
弦十郎は、まっすぐに答えた。
「危険がないとは言えません。ですが、知らないままでいる方が、もっと危険になる可能性があります」
正直だ。
残酷なくらいに。
でも、だから信じられる気もした。
私はソネットの腕の中で、弦十郎を見る。大きな大人。知っている未来では、何度も若い装者たちを支える人。今の自分にとっても、たぶん必要な人。
了子を見る。
笑っている。けれど、その奥に何があるのかは分からない。怖い。すごく怖い。けれど、ここで目をそらしても意味はない。むしろ、見ていなければならない相手だ。
「……あたし」
声が少し震えた。
強気に言おうと思った。でも、うまくいかなかった。だから一度息を吸い、素のまま続ける。
「パパとママが危なくなるのは、嫌」
「うん」
ソネットが背中を撫でる。
「でも、知らないままなのも、嫌」
弦十郎の目が、わずかに細くなる。
「そうか」
「だから……ちょっとだけ、聞く」
「分かった。少しずつ話そう。君が怖くならないように」
「怖くならないのは、無理だと思う」
思わず本音が出た。
弦十郎は一瞬だけ驚き、それから静かに頷いた。
「なら、怖くても逃げなくて済むようにしよう」
その言葉は、不思議と胸に残った。
怖くないわけではない。むしろ怖い。未来を知っているから怖い。知らないズレが生まれているから怖い。自分の歌が何かを呼んだから怖い。
でも、逃げなくていい場所があるなら。
守りたいもののそばに立つ方法があるなら。
私はそれを選ぶしかない。
その後の説明は、ほとんど曖昧なものだった。特殊な音響反応。聖遺物に近い波形。詳細はまだ調査中。協力してほしいが、無理強いはしない。子どもに聞かせるには慎重すぎる言葉が並び、両親はさらに慎重な顔になった。
私は黙って聞いていた。
分からないふりをしながら、分かりすぎる単語だけを胸の奥へ沈める。アウフヴァッヘン波形。聖遺物。適合。まだはっきり名は出ていない。けれど、背中の奥で鳴ったあの音を、私はもう知っている気がした。
弓ではない。
歌でもない。
それは、魔弓の音だった。
帰り道、車の中でソネットが私の手を握っていた。雅律は窓の外を見て、何か考え込んでいる。私は後部座席で小さく座り、今日の出来事を頭の中で何度も繰り返していた。
両親は守れた。
けれど、世界は私を見つけた。
それは、失敗ではない。むしろ予定通りに近い。いつかイチイバルを纏うなら、二課との接触は避けられない。奏や翼と出会い、戦い方を知り、未来を変える準備をする必要がある。
ただ、少し早い。
そして、少し怖い。
「クリス」
ソネットが小さく呼ぶ。
「今日は疲れたでしょう」
「……うん」
「帰ったら、温かいものを飲んで休みましょう」
「おやつは?」
反射で聞いた。
雅律が前の席で吹き出した。ソネットも笑った。自分でも、何を言っているんだと思う。さっきまで特別な力だの聖遺物らしき反応だの、重い話をしていたのに、口から出るのはおやつの心配だ。
でも、少しだけ空気が緩んだ。
「用意するわ」
「……なら、帰る」
「おやつがないと帰らないつもりだったのかい?」
「ちがうし」
言いながら、窓の外を見る。
街の明かりが流れていく。何も知らない人たちの日常が続いている。そこにいつかノイズが現れることを、私は知っている。歌が武器になることも、弾丸が道を開くことも、知っている。
弦十郎は言った。
特別な力があるかもしれない、と。
知っている。
そんなことは、もう知っている。
私は雪音クリスだ。
いつかイチイバルを纏い、弾丸で道を開く少女。けれど今はまだ、銃どころか、強がり方さえ下手な子どもだった。
だからまずは、帰ったらおやつを食べる。
怖くても、逃げなくて済むように。
次に歌う時、少しだけ震えずに済むように。