転生したら雪音クリスだったので、曇りポイントを撃ち抜きます   作:ブラックだあああぁぁぁぁぁ(小並感)

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3. イチイバル適合者、発見される

 

 世界を変えた翌朝も、食卓には普通にパンが並んでいた。

 

 それが少しだけ不思議だった。未来をひとつ曲げたのだから、もっと空が割れるとか、世界が警告音を鳴らすとか、そういう分かりやすい変化があってもよさそうなものだ。けれど現実はそんなに親切ではなく、パパは新聞を読み、ママはスープをよそい、私は寝癖をつけたまま椅子に座っている。

 

「クリス、眠そうね」

 

「んー……眠くない」

 

「その顔で?」

 

「眠くないし……」

 

 言い返したつもりだったが、声に迫力はなかった。スプーンを握ったまま半分まぶたが落ちている。昨日、あれだけ泣いて、あれだけ考えて、夜中に盗み聞きまでしたのだ。幼い体には負担が大きかったらしい。

 

 雅律は新聞の向こうで小さく笑った。

 

「今日はゆっくり過ごそう。私たちも、予定の見直しで少し家にいる時間が増える」

 

「ほんと?」

 

「ああ。本当だ」

 

 その言葉だけで、スープが少し甘く感じた。

 

 危ない場所へ行かない。少なくとも、知っている悲劇と同じ道は選ばれなかった。昨日はその安心だけで十分だったが、一晩経つと別の不安が顔を出す。未来を変えたなら、この先も変わる。知っている流れは、もう完全な地図ではない。

 

 それでも、目の前の二人が生きている。

 

 今はそれだけでいい。

 

「それでね、クリス」

 

 ソネットが、食後の紅茶を置きながら言った。

 

「予定を変えた代わりに、国内で小さな収録とチャリティー公演の相談が来ているの。安全な場所で、医療支援や物資支援につなげるためのものよ」

 

「……安全?」

 

「ええ。ちゃんと確認してから決めるわ。クリスが怖がるような場所には行かない」

 

 そう言われて、胸の奥が緩む。だが、同時に少しだけ引っかかった。

 

 国内。収録。音楽。支援。安全。

 

 それだけなら何も問題はないはずだ。けれど、この世界で音楽が関わる時、ただの音楽で終わらないことを私は知っている。歌は、人を救う。人をつなぐ。けれど同時に、聖遺物を目覚めさせる鍵にもなる。

 

 考えすぎだ。

 

 そう思いたかった。

 

「クリスも一緒に行く?」

 

「行く」

 

 即答してから、しまったと思った。

 

 危険なら止めなければいけない。けれど、安全なら一緒にいた方がいい。両親のそばにいれば、何かあっても早く気づける。子どもの体で何ができるかは分からないが、離れているよりはましだ。

 

 そういう計算があったのに、返事は完全におやつへついていく子どもの勢いだった。

 

「ふふ。じゃあ、一緒に行きましょう」

 

「別に、楽しみなわけじゃないし」

 

「そうなの?」

 

「……ちょっとだけ」

 

 ソネットが笑い、雅律も目を細める。

 

 守ったはずなのに、守られている。そんな当たり前の距離が、まだ少しむずがゆかった。

 

 数日後、私は両親に連れられて、都内の小さなホールへ向かった。

 

 大きな会場ではない。観客を入れる前の試験収録で、スタッフの数も少ない。建物の入口では何人かのスーツ姿の大人が出入りを確認していて、表向きは普通の関係者に見える。けれど、どうにも空気が硬い。

 

 普通の音楽関係者だけではない。

 

 直感でそう思った。

 

 廊下を歩きながら、ソネットの手を握る力が少し強くなる。母はそれに気づいたのか、こちらを見下ろした。

 

「大丈夫?」

 

「……うん。大丈夫」

 

 大丈夫ではない。

 

 でも、ここで「帰りたい」と言えば、また両親を心配させるだけだ。前のように明確な危険が見えているわけではない。だから、今は見る。聞く。覚える。何かおかしいものがあれば、その時に動く。

 

 控室に案内されると、雅律はバイオリンを取り出し、ソネットは軽く喉を整えた。音楽家の準備は、日常の延長みたいに自然だった。パパが弓を張る音。ママが息を吸う音。二人の間に流れる空気は、家の中と同じで穏やかだ。

 

 私は椅子に座り、足をぷらぷらさせながらそれを見ていた。

 

 平和だ。

 

 そう思った瞬間、怖くなる。平和な場面ほど信用できない。だいたい、何か起きる前はこういう穏やかな空気なのだ。心の中で身構えていると、ソネットがこちらへ手招きした。

 

「クリス、少し声を出してみる?」

 

「え?」

 

「昨日から緊張しているみたいだから。歌うと、少し楽になるわ」

 

 歌。

 

 その言葉に、体が固まった。

 

 歌うこと自体は嫌ではない。この体は、音楽を当たり前のものとして知っている。両親の歌や演奏の中で育った記憶がある。前の自分にはなかった感覚だ。音が怖くない。むしろ、音の中にいる方が落ち着く。

 

 けれど、この世界で歌うことは、ただの気晴らしでは済まないかもしれない。

 

「……ちょっとだけなら」

 

「ええ。ちょっとだけ」

 

 ソネットが短い旋律を口ずさむ。柔らかく、静かで、子守歌のような響きだった。私はその後を追う。最初は小さく、探るように。幼い喉から出る声は頼りなく、少し高い。

 

 それでも、音が伸びた瞬間、空気が変わった。

 

「……っ」

 

 自分でも分かった。

 

 声が、部屋の壁に当たって返ってくるだけではない。もっと奥へ、もっと深い場所へ、何かを探るように伸びていく。ピアノの弦が触れていないのに震えた。机の上のコップの水面が、小さく波打つ。

 

 雅律が弓を止めた。

 

 ソネットも歌を止めた。

 

 私は、慌てて口を閉じる。

 

「……ごめんなさい」

 

 謝る理由は分からない。でも、とにかく謝った。何かを壊したわけではない。けれど、普通ではないことが起きた。両親の顔を見れば、それは明らかだった。

 

 雅律は驚いている。ソネットは少し不安そうで、けれど音楽家としての興味も隠せていない。娘の才能を喜びたい顔と、得体の知れないものを見た顔が混ざっている。

 

「クリス、今のは……」

 

「普通」

 

 先に言った。

 

「すごく普通の歌です」

 

 自分で言って、最悪だと思った。

 

 普通の子どもは、こんなタイミングで「すごく普通」などと主張しない。むしろ怪しい。雅律の眉がわずかに動いた。ソネットは困ったように笑う。完全に不審がられている。

 

「普通、か」

 

「うん。普通」

 

「クリスがそう言うなら、今はそういうことにしておこう」

 

 今は。

 

 その一言が重かった。

 

 やらかした。完全にやらかした。私は椅子の上で小さくなる。強気な雪音クリスを演じるどころではない。普通の子ども作戦すら失敗している。口を閉じていればいいのに、焦ると余計なことを言う。これは前世から変わっていない気がする。

 

 その時、控室の扉がノックされた。

 

 スタッフかと思った。だが、入ってきた人物を見て、背筋が固まる。

 

 大きい。

 

 まず、そう思った。背が高いだけではない。体つきがしっかりしていて、立っているだけで妙な安心感と圧がある。黒い髪、強い眼差し、けれど表情は柔らかい。彼は一礼してから、両親の方へ視線を向けた。

 

「突然失礼します。風鳴弦十郎と申します」

 

 来た。

 

 心臓が跳ねた。

 

 知っている名前だった。二課の司令。常識外れの身体能力を持つ大人。味方であり、保護者であり、たぶんこの世界で信頼していい大人のひとり。

 

 でも、今の自分にとっては、原作世界が真正面から歩いてきたようなものだった。

 

 弦十郎の後ろから、もう一人が顔を出す。

 

「ごめんなさいね、急に。ちょっとだけ確認したいことがあって」

 

 明るい声。柔らかな笑顔。白衣の似合う女性。

 

 櫻井了子。

 

 名前を認識した瞬間、喉がひゅっと鳴った。

 

 まずい。弦十郎だけならまだしも、了子までいる。今の彼女をどこまで警戒すべきなのか、正直分からない。知っている未来の断片はある。でも、今この場で何かを言えるわけがない。言ったところで、幼い子どもの妄言だ。

 

 それに、怖いからといって顔に出してはいけない。

 

 そう思ったのに、了子はこちらを見た瞬間、楽しそうに目を細めた。

 

「あら。そんなに警戒しなくても大丈夫よ、クリスちゃん」

 

「け、警戒してないし」

 

「あらあら」

 

 駄目だった。

 

 完全に顔に出ている。

 

 雅律が私の前に少しだけ立つ。ソネットも肩に手を置いた。二人とも穏やかだが、娘を守ろうとしているのが分かる。その姿に、胸が熱くなる。前の未来では、きっとこんなふうに守られる時間は長く続かなかった。

 

 弦十郎は、その反応をきちんと受け止めるように一歩下がった。

 

「怖がらせに来たわけではありません。先ほど、この施設の音響観測機器に少し特殊な反応がありました。雪音ご夫妻には申し訳ないが、お嬢さんの歌と関係している可能性があります」

 

「クリスの歌と?」

 

 雅律の声が低くなる。

 

「現時点では、そう断定できません」

 

 弦十郎は嘘をつかなかった。

 

「ただ、確認せずに済ませるには少し珍しい反応でした。もちろん、本人とご家族の同意なしに何かを行うつもりはありません」

 

 その言い方に、少しだけ力が抜ける。

 

 少なくとも、無理やり連れていかれる流れではない。弦十郎はちゃんと家族を見ている。子どもである私を見ている。けれど、その後ろにいる了子の視線は、もっと違うものを見ていた。

 

 観察者の目だ。

 

 悪意ではない。今すぐ敵意があるわけでもない。ただ、興味が強い。未知の反応、未知の適性、未知の波形。そういうものを前にした研究者の目をしている。

 

「すごいわね、クリスちゃん」

 

 了子が言った。

 

「あなたの声、普通の共鳴じゃなかったわ」

 

「普通です」

 

「さっきも言ってたわね、それ」

 

「普通の子どもです」

 

「普通の子どもは、そこまで普通を強調しないと思うのだけど」

 

 何も言い返せなかった。

 

 ソネットが小さく笑いそうになって、すぐに心配そうな顔へ戻す。雅律は真剣だ。弦十郎は、こちらを怖がらせないよう表情を和らげている。了子だけが、笑顔のままこちらの反応を細かく拾っている。

 

 逃げたい。

 

 そう思った。

 

 この場から逃げれば、二課と関わらずに済むかもしれない。イチイバルとも、ノイズとも、あの戦いとも距離を取れるかもしれない。両親を守ったのだから、このまま雪音家で普通に暮らす道だってあるのではないか。

 

 でも、すぐに分かった。

 

 そんな道は、たぶんない。

 

 自分が歌っただけで、何かが反応した。聖遺物か、観測機器か、もっと別の何かかは分からない。けれど、もう見つかった。逃げたところで、いつかノイズは現れる。いつか歌は求められる。いつか、知っている悲劇が形を変えて追いかけてくる。

 

 なら、逃げるより早く、こちらから知った方がいい。

 

「……何を、するの?」

 

 声が思ったより小さかった。

 

 弦十郎が膝を折り、目線を合わせる。大きな大人が、幼い子どもに合わせてくれる。その姿勢だけで、少しだけ呼吸がしやすくなった。

 

「まずは、君の歌がどんな反応を起こしたのかを調べたい。痛いことはしない。怖いこともしない。歌いたくなければ、歌わなくていい」

 

「本当に?」

 

「ああ。約束する」

 

 約束。

 

 この世界で大人の約束を信じるのは、少し怖い。けれど弦十郎の声には、簡単には曲がらない重さがあった。少なくとも今ここで、私や両親を利用するためだけに言っているわけではないと思えた。

 

 ソネットが肩を撫でる。

 

「クリス、嫌なら嫌って言っていいのよ」

 

「そうだ。無理をする必要はない」

 

 雅律も言う。

 

 嫌だと言えば、きっと二人は止めてくれる。昨日と同じように、私の怖さを無視しないでくれる。そう分かるからこそ、逃げるのは違うと思った。

 

 私は未来を変えたい。

 

 そのためには、知っている未来から目をそらすわけにはいかない。

 

「……ちょっとだけなら」

 

 そう言うと、了子の顔がぱっと明るくなった。

 

「ありがとう、クリスちゃん。じゃあ本当に少しだけね」

 

「少しだけ」

 

「ええ。少しだけ」

 

「あと、痛いのなし」

 

「もちろん」

 

「変な注射もなし」

 

「しないわよぉ」

 

「解剖もなし」

 

 了子が一瞬だけ固まった。

 

 しまった。

 

 雅律とソネットの空気が変わる。弦十郎も眉を動かした。普通の子どもは、検査の前に解剖を心配しない。少なくとも、こんなに具体的な言葉は出さない。

 

「……怖い夢で見た」

 

 苦しすぎる言い訳だった。

 

 だが、今はそれで押し切るしかない。ソネットが私をぎゅっと抱き寄せる。雅律の警戒が強くなる。了子は少し困ったように笑った後、両手を軽く上げた。

 

「しないしない。そんなこと絶対にしないわ。約束する」

 

「……なら、いい」

 

 よくはない。

 

 だが、これ以上しゃべると自爆する。

 

 簡易検査は、隣の小さな音響室で行われた。

 

 マイクと、見たことのない機材。何本ものケーブル。壁に貼られた吸音材。椅子の上には、私用に分厚いクッションが置かれている。子どもサイズに合わせるためらしい。その気遣いが逆に落ち着かない。

 

 ガラス越しに、雅律とソネットが見守っている。弦十郎も近くにいる。了子は機材の前で、楽しそうに準備をしていた。

 

「歌う曲は何でもいいわ。さっきの旋律でも、好きな歌でも」

 

「好きな歌……」

 

 困った。

 

 前の自分が知っている歌は、この世界で口にしていいものか分からない。雪音クリスとして覚えている歌なら問題ないはずだが、どれを選べばいいのか迷う。結局、ソネットがよく口ずさんでいる短い旋律を選んだ。

 

 息を吸う。

 

 怖い。

 

 また何かが反応するかもしれない。反応しなければしないで、今度は別の不安が残る。中途半端な力ほど扱いに困る。けれど、ここまで来たら歌うしかない。

 

 音を出した。

 

 最初は、何も起きなかった。

 

 静かな旋律が、音響室の中に広がる。自分の声。幼い声。けれど途中から、音が自分だけのものではなくなっていく感覚があった。背中の奥に、見えない糸がつながる。どこか遠くにある何かが、こちらの声を聞いている。

 

 ぞわり、と肌が粟立った。

 

 機材が低く唸る。了子の指が止まる。ガラスの向こうで、弦十郎の表情が険しくなる。雅律とソネットは、何が起きているのか分からないまま、こちらを見つめている。

 

 歌を止めようとした。

 

 けれど、声が一拍だけ伸びた。

 

 その瞬間、耳の奥で弦を弾くような音がした。

 

 弓ではない。銃声でもない。もっと古くて、冷たくて、鋭い音。呼ばれている、と思った。こちらに来いというより、お前を知っている、と言われたような感覚だった。

 

「止めて」

 

 自分で言ったのか、誰かが言ったのか分からない。

 

 気づけば歌は止まっていた。息が少し乱れている。体に痛みはない。けれど、背中に汗をかいていた。小さな手を握る。震えている。

 

 了子がこちらを見る。

 

 さっきまでの軽い笑顔は消えていた。

 

「……すごいわ」

 

 彼女の声は、静かだった。

 

「想定より、ずっと深い」

 

「了子君」

 

 弦十郎の声が、制するように響く。

 

 了子は一度だけ目を伏せ、すぐにいつもの笑顔を戻した。だが、もう遅い。私は聞いてしまった。想定より深い。つまり、彼女たちは最初から何かを想定していた。

 

 やっぱり、ただの歌の検査ではない。

 

 弦十郎が音響室へ入ってくる。彼は急がず、けれど迷わずこちらに近づいた。そして、また膝を折る。

 

「よく頑張った。もう歌わなくていい」

 

「……何だったの?」

 

 聞かずにはいられなかった。

 

 弦十郎はすぐに答えなかった。子どもにどこまで話すべきか迷っている顔だった。分かる。普通なら話すべきではない。聖遺物も、ノイズも、二課も、全部秘匿されているはずだ。

 

 でも、私は普通ではない。

 

 普通ではないことを、もう彼らも分かってしまった。

 

「君には、特別な力があるかもしれない」

 

 弦十郎は、慎重に言葉を選んだ。

 

「それは君を危険にさらすものかもしれない。だからこそ、私たちはきちんと守りたいと思っている」

 

「守る?」

 

「ああ。君と、君の家族を」

 

 その言葉は、ずるかった。

 

 家族を守る。そんなことを言われたら、逃げられない。私はそれが一番欲しいのだ。両親を守りたい。雪音家を守りたい。そのためなら、怖いものにも近づくと決めたばかりだった。

 

「……その力って」

 

 喉が乾く。

 

「歌う力?」

 

「今は、そう思っていてくれればいい」

 

 今は。

 

 またその言葉だ。

 

 分かっている。これから先、もっと深いところへ踏み込むことになる。聖遺物。シンフォギア。イチイバル。特異災害対策機動部二課。知っている単語が、頭の中で順番に並んでいく。

 

 そして、まだ出会っていない人たちの顔も浮かんだ。

 

 奏。翼。

 

 あの二人と出会う日も、きっと近い。

 

「クリス」

 

 ガラスの向こうから入ってきたソネットが、私を抱きしめた。雅律もそばに立ち、弦十郎と了子を静かに見つめている。両親はまだ何も知らない。それでも、娘が何かに巻き込まれようとしていることだけは感じている。

 

「この子に危険は?」

 

 雅律が問う。

 

 弦十郎は、まっすぐに答えた。

 

「危険がないとは言えません。ですが、知らないままでいる方が、もっと危険になる可能性があります」

 

 正直だ。

 

 残酷なくらいに。

 

 でも、だから信じられる気もした。

 

 私はソネットの腕の中で、弦十郎を見る。大きな大人。知っている未来では、何度も若い装者たちを支える人。今の自分にとっても、たぶん必要な人。

 

 了子を見る。

 

 笑っている。けれど、その奥に何があるのかは分からない。怖い。すごく怖い。けれど、ここで目をそらしても意味はない。むしろ、見ていなければならない相手だ。

 

「……あたし」

 

 声が少し震えた。

 

 強気に言おうと思った。でも、うまくいかなかった。だから一度息を吸い、素のまま続ける。

 

「パパとママが危なくなるのは、嫌」

 

「うん」

 

 ソネットが背中を撫でる。

 

「でも、知らないままなのも、嫌」

 

 弦十郎の目が、わずかに細くなる。

 

「そうか」

 

「だから……ちょっとだけ、聞く」

 

「分かった。少しずつ話そう。君が怖くならないように」

 

「怖くならないのは、無理だと思う」

 

 思わず本音が出た。

 

 弦十郎は一瞬だけ驚き、それから静かに頷いた。

 

「なら、怖くても逃げなくて済むようにしよう」

 

 その言葉は、不思議と胸に残った。

 

 怖くないわけではない。むしろ怖い。未来を知っているから怖い。知らないズレが生まれているから怖い。自分の歌が何かを呼んだから怖い。

 

 でも、逃げなくていい場所があるなら。

 

 守りたいもののそばに立つ方法があるなら。

 

 私はそれを選ぶしかない。

 

 その後の説明は、ほとんど曖昧なものだった。特殊な音響反応。聖遺物に近い波形。詳細はまだ調査中。協力してほしいが、無理強いはしない。子どもに聞かせるには慎重すぎる言葉が並び、両親はさらに慎重な顔になった。

 

 私は黙って聞いていた。

 

 分からないふりをしながら、分かりすぎる単語だけを胸の奥へ沈める。アウフヴァッヘン波形。聖遺物。適合。まだはっきり名は出ていない。けれど、背中の奥で鳴ったあの音を、私はもう知っている気がした。

 

 弓ではない。

 

 歌でもない。

 

 それは、魔弓の音だった。

 

 帰り道、車の中でソネットが私の手を握っていた。雅律は窓の外を見て、何か考え込んでいる。私は後部座席で小さく座り、今日の出来事を頭の中で何度も繰り返していた。

 

 両親は守れた。

 

 けれど、世界は私を見つけた。

 

 それは、失敗ではない。むしろ予定通りに近い。いつかイチイバルを纏うなら、二課との接触は避けられない。奏や翼と出会い、戦い方を知り、未来を変える準備をする必要がある。

 

 ただ、少し早い。

 

 そして、少し怖い。

 

「クリス」

 

 ソネットが小さく呼ぶ。

 

「今日は疲れたでしょう」

 

「……うん」

 

「帰ったら、温かいものを飲んで休みましょう」

 

「おやつは?」

 

 反射で聞いた。

 

 雅律が前の席で吹き出した。ソネットも笑った。自分でも、何を言っているんだと思う。さっきまで特別な力だの聖遺物らしき反応だの、重い話をしていたのに、口から出るのはおやつの心配だ。

 

 でも、少しだけ空気が緩んだ。

 

「用意するわ」

 

「……なら、帰る」

 

「おやつがないと帰らないつもりだったのかい?」

 

「ちがうし」

 

 言いながら、窓の外を見る。

 

 街の明かりが流れていく。何も知らない人たちの日常が続いている。そこにいつかノイズが現れることを、私は知っている。歌が武器になることも、弾丸が道を開くことも、知っている。

 

 弦十郎は言った。

 

 特別な力があるかもしれない、と。

 

 知っている。

 

 そんなことは、もう知っている。

 

 私は雪音クリスだ。

 

 いつかイチイバルを纏い、弾丸で道を開く少女。けれど今はまだ、銃どころか、強がり方さえ下手な子どもだった。

 

 だからまずは、帰ったらおやつを食べる。

 

 怖くても、逃げなくて済むように。

 

 次に歌う時、少しだけ震えずに済むように。

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