転生したら雪音クリスだったので、曇りポイントを撃ち抜きます 作:ブラックだあああぁぁぁぁぁ(小並感)
キャロルに弟子認定されてから、私は三日ほど現実逃避をした。
正確には、現実逃避をしようとした。けれど、布団に潜っても、朝ごはんを食べても、検査の日に奏から「師匠でもできたのか?」と冗談を言われても、ポケットの奥に隠した紙片の存在が消えてくれない。
何が怖いって、奏の冗談が半分当たっているところだった。
紙片には、相変わらず見慣れない記号が書かれている。裏には几帳面な文字で「己の想い出を数えろ」と追記されていた。どういう宿題だ。朝ごはんを食べた回数から数えればいいのか。それとも前世で見たアニメやゲームの記憶まで含めるのか。
そもそも、想い出は数えるものではないと思う。
「……師匠、宿題の出し方が雑なんだよなぁ」
小さく呟く。
直後、背筋が冷えた。師匠と呼んでしまった。認めたつもりはないのに、口が滑った。まずい。このままだと、いつの間にか完全に弟子扱いを受け入れてしまう。
布団の上で頭を抱えていると、扉の向こうからママの声がした。
「クリス、起きている?」
「起きてる」
「少し話してもいい?」
「うん」
慌てて紙片を引き出しに押し込む。ママが部屋に入ってきた時には、私は何もありませんという顔でベッドに座っていた。たぶん、何もない顔にはなっていない。ママは少しだけ首を傾げたが、ひとまず追及はしなかった。
「今度、海外での音楽交流の話があるの」
その一言で、体が固まった。
海外。
その単語は、私にとってもう完全に警報だった。前は両親を死なせる未来へつながる道だった。止めた。泣いて、縋って、予定を変えさせた。だからもう大丈夫だと思いたかったのに、世界は懲りずに同じ方向の話題を持ってくる。
「海外……」
「前に話していた危険な地域ではないわ。今回は、きちんと安全確認された都市での文化交流会。滞在先も、移動経路も、現地の協力先も確認済みよ」
「でも、海外」
「そうね」
ママはごまかさなかった。
その代わり、ベッドのそばに座り、私の目線に合わせる。
「それに今回は、風鳴さんたちも安全確認に協力してくださるそうよ。現地での連絡体制と、万が一の時の避難経路も確認してくれるって」
二課が入る。
そう聞いて、少しだけ息がしやすくなった。
いや、完全に安心できるわけではない。むしろ、この世界で「二課が関わる安全確認」が必要になる時点で、普通ではない。だが、雪音夫妻だけで海外に行くよりはずっといい。少なくとも、何かあった時に動ける大人がいる。
けれど、それは同時に、止める理由が弱くなったということでもあった。
「パパは?」
「お父さんも、クリスが不安なら断ると言っているわ」
「……仕事なのに?」
「仕事より大切なこともあるもの」
ずるい。
そんなことを言われたら、行かないでとは言いづらい。パパとママは前と同じではない。私の不安を軽く扱わない。危険な場所へは行かない。安全確認もしている。二課の仮護衛までつける。
なら、私が言えるのは一つしかない。
「私も行く」
「クリス?」
「見てない方が怖い。行くなら、一緒に行く」
ママは少しだけ目を伏せた。
たぶん、予想していた答えなのだろう。それでもすぐには頷かない。子どもを海外へ連れていく不安と、置いていく不安。その両方を天秤にかけている顔だった。
「風鳴さんとも相談しましょう」
「うん」
「それと、勝手にどこかへ行かないこと」
「……うん」
「今、少し間があったわね」
「気のせい」
ママの目が細くなる。
母は強い。
後日、弦十郎から説明を受けることになった。
施設の一室で、パパとママ、私、そして弦十郎が向かい合う。了子は今回は同席しなかった。データ確認の用事があるらしい。正直、少しだけ安心した。
「今回の渡航先は、事前に危険情報を確認しています。雪音ご夫妻の滞在先、会場、移動経路については、現地の協力者とこちらの連絡員が確認済みです」
弦十郎は、いつものように嘘をつかなかった。
「ただし、海外である以上、予期せぬ事態が起きる可能性はゼロではありません。表向きは音響技術スタッフや安全管理担当として、こちらの人員を同行させます」
「護衛、ってこと?」
私が聞くと、弦十郎は少しだけ言葉を選んだ。
「君とご家族を不安にさせないための備えだ」
「それ、護衛って言うんじゃないのか」
「そうとも言う」
認めた。
弦十郎は、こういうところで変にごまかさない。だから信じやすいし、同時に怖い。必要だと判断したら、本当に備える人だ。
「奏と翼は?」
「今回は同行しない。二人には別の訓練と任務がある」
それを聞いて、少しだけ残念で、少しだけ安心した。
奏と翼がいれば心強い。だが、ここで二人まで海外に連れていくと、余計な未来のズレが増える。今の段階では、まだ私自身が何を警戒しているのか分かっていない。巻き込まない方がいい。
「君には、現地でも必ず連絡員の指示に従ってほしい」
「分かってる」
「単独行動はしないこと」
「……分かってる」
「今、間があったな」
「みんなそこ拾うなぁ」
思わず素で言ってしまう。
弦十郎は苦笑した。パパとママの視線も刺さる。私は咳払いして、強気な顔を作る。
「大丈夫だって。私だって、好きで危ないところに行くわけじゃないし」
「それは分かっている」
弦十郎の声が少しだけ柔らかくなる。
「だが、君は時々、怖いものを知っている顔をする」
翼と似たことを言われた。
胸が詰まる。
怖いものを知っている顔。そんな顔をしているつもりはない。隠しているつもりだ。けれど、周りの大人や、翼や奏には、少しずつ見抜かれている。
「……知ってても、言えないこともある」
ぽつりと出た。
弦十郎は、それを責めなかった。
「なら、言えない時ほど、近くの大人を使いなさい。すべてを説明できなくてもいい。危ないと感じたなら、それだけでも伝えてくれ」
「それだけで動いてくれるのか?」
「内容による。だが、無視はしない」
その答えは、綺麗ごとではなかった。
だから、少しだけ信じたくなった。
出発の日、奏は見送りに来た。
「お土産よろしくな、寝起きふわふわ候補生」
「だから、その呼び方やめろ」
「じゃあ、海外出張見張り隊」
「それも変だろ」
「でも合ってるじゃん」
合っているから困る。
翼は奏の隣で、真面目な顔をしていた。
「雪音さん。現地では連絡員の指示を守ってください。特に、ひとりで判断しないこと」
「分かってる」
「本当に?」
「……たぶん」
「たぶんは不十分です」
「翼、そこまでにしとけ。クリスの顔がもう出発前から死んでる」
奏に言われて、私は反論しかけたが、言葉が出なかった。
確かに、すでに胃が痛い。キャロル師匠の宿題。海外出張。二課の仮護衛。知らない未来。全部が同時に来ている。子どもの体には負荷が大きすぎる。
「この世界で心配性じゃない方が危ないんだよ」
小さく呟くと、奏が一瞬だけ真面目な顔をした。
それから、いつものように笑う。
「なら、心配しながら帰ってこい」
「言われなくても帰る」
「よし」
奏の手が頭に伸びる。今回は避けなかった。少し乱暴に撫でられて、髪が崩れる。
「行ってこい、クリス」
「……行ってくる」
その言葉だけで、少し足が軽くなった。
海外への移動は、拍子抜けするほど平和だった。
空港では現地の担当者と合流し、表向きは音響技術スタッフの二人が私たちの近くについた。片方は穏やかな男性で、もう片方は物静かな女性だった。どちらも普通のスタッフに見えるが、立ち位置や視線が明らかに違う。
護衛だ。
子どもでも分かるくらいには、隙がない。
滞在先のホテルも、音楽交流会の会場も、安全そうだった。街並みは綺麗で、人通りも多い。危険な空気はない。ママは現地の音楽家と挨拶し、パパは通訳を介して支援団体の人たちと話をしている。
私はその近くで、ジュースを両手で持っていた。
安全。
安全なはず。
なのに、ずっと胸の奥がざわついている。
「クリス、顔が怖いわ」
ママがそっと言う。
「元から」
「そんなことないわ」
「じゃあ、世界が悪い」
「また世界のせいにしているの?」
奏のせいで、変な言い訳が定着しつつある。
現地一日目は何も起きなかった。
二日目も、午前中までは平和だった。パパの短い演奏と、ママの歌。現地の子どもたちとの交流。私は少し離れた場所で、それを見ていた。音楽は優しい。少なくとも、この場では誰かを傷つけるものではない。
こういう歌なら好きだと思った。
その瞬間、少しだけ胸が痛む。
原作のクリスは、歌が嫌いだと言っていた。あの未来の彼女は、歌に救われる前に、歌を呪うような場所へ落とされた。けれど、今の私は違う。ママの歌を知っている。パパの音を知っている。奏の笑い声も、翼の真面目な声も知っている。
この違いが、いつかイチイバルにも出るのだろうか。
ふと、頭の奥で冷たい弦が鳴るような気がした。
銃声ではない。
弓の弦のような音。
私は思わず手を見た。まだ何もない。ギアもない。武器もない。けれど、遠くにある何かが、こちらを見ているような感覚があった。
「……弓?」
小さく呟く。
「クリス?」
「なんでもない」
慌てて首を振る。
今はそれどころではない。
午後、空気が変わった。
最初は、現地スタッフ同士の会話だった。私は言葉が全部分かるわけではない。だが、単語だけが耳に残った。研究施設。設備トラブル。停電。搬送。関係者以外立入禁止。
そして、誰かが言った略称。
F.I.S.
頭の奥で、何かがひび割れるように音を立てた。
「……今、何て」
私は顔を上げる。
現地スタッフは慌ただしく話を続けている。護衛の男性がすぐに視線を向けた。私の表情が変わったことに気づいたのだろう。彼は自然な動きで近づいてくる。
「クリスさん、どうしました」
「今、F.I.S.って」
口に出した瞬間、記憶の断片がつながり始めた。
マリア。
セレナ。
ナスターシャ。
ネフィリム。
暴走。
絶唱。
崩れる建物。
幼い少女の身体が、受け止めきれない力で壊れていく。
息が止まった。
ここか。
ここなのか。
両親の危険な出張は避けた。安全な案件に変えた。二課の仮護衛もついている。だから大丈夫だと思いたかった。けれど、違う。原作の悲劇は、形を変えて近くにあった。雪音家の出張そのものではなく、同じ都市の別の場所で。
「クリスさん?」
護衛の声が遠くなる。
頭の中で、セレナという名前だけが強くなる。まだ会ったこともない。顔も記憶の中でぼんやりしている。でも知っている。あの子は、誰かを守るために歌う。そして死ぬ。
いや、死なせない。
死なせないために、私はここにいる。
その時、遠くで警報が鳴った。
会場のざわめきが一気に変わる。現地スタッフが走り出す。ホテル側の警備員が無線を確認する。護衛の女性が即座にママとパパの近くへ移動し、もう一人が私の前に立った。
「避難確認を行います。こちらへ」
正しい判断だった。
彼らの任務は雪音家を守ることだ。危険情報が出た以上、まずパパとママを安全な場所へ移す。それは間違っていない。無能ではない。むしろ、きちんと動いている。
だからこそ、私だけが別の危機を知っていることが問題だった。
「待って」
「クリスさん」
「近くの研究施設って、どこ」
「今は確認中です。まずは安全な場所へ」
「違う、そこに……!」
説明できない。
セレナがいる。ネフィリムが暴走する。絶唱する。建物が崩れる。そんなことを言っても、なぜ知っているのかと聞かれる。だが、説明している時間がない。
遠くで、低い振動が響いた。
窓ガラスがかすかに震える。
それと同時に、胸の奥を突き抜けるような歌の気配がした。
歌声ではない。まだ音として聞こえたわけではない。けれど、フォニックゲインという言葉が頭に浮かぶ。誰かが、命を削ってでも何かを止めようとしている。
セレナ。
確信した。
「ごめん」
私は小さく言った。
護衛の男性が反応するより早く、私は近くのテーブルに置かれていた連絡用端末に手を伸ばした。現地スタッフが使っていたものだ。画面の表示は読めない部分も多い。でも、緊急発信のアイコンだけは分かる。
震える指で、それを押す。
弦十郎に届くかは分からない。二課の連絡網につながるかも分からない。でも、何もしないよりはましだった。
「F.I.S.、研究施設、ネフィリム、セレナ」
日本語で早口に吹き込む。
「間に合わない。私、行く」
端末を置く。
そして、走った。
「クリス!」
ママの声が聞こえた。
胸が痛んだ。振り返りたかった。けれど、振り返ったら足が止まる。パパとママは護衛が守る。今は信じるしかない。私が両親から離れるなんて最悪だ。約束を破っている。絶対に怒られる。泣かれるかもしれない。
それでも、今走らなければセレナが死ぬ。
子どもの足は遅い。
息がすぐに切れる。廊下を抜け、非常口へ向かう。警報と人の声で周囲は混乱していた。護衛が追ってくる気配がある。だが、避難誘導と両親保護を放り出して全力で追うわけにはいかない。こちらが小さいこともあって、人の隙間を抜けられた。
私は悪い子だ。
最悪の候補生だ。
でも、今だけはそれでいい。
外へ出ると、遠くの空に灰色の煙が上がっていた。
場所は分からない。けれど、胸の奥が引かれる。歌の気配がする方角。冷たい弦が鳴る方角。銃ではない。まだ武器にもならない何かが、遠くの誰かへ届こうとしている。
走る。
石畳に足を取られそうになる。息が痛い。喉が熱い。子どもの体では限界が早い。それでも、止まれない。
遠くで、もう一度大きな振動が響いた。
頭の中で、ばらばらだった記憶が一つにつながる。
セレナ。
マリア。
ネフィリム。
絶唱。
崩れ落ちる建物。
「……ここかよ」
声が震えた。
けれど、足は止まらなかった。
両親は守った。奏にも会えた。翼とも会えた。キャロル師匠という余計すぎる爆弾も抱えた。そこまで変えたなら、ここで止まる理由なんてない。
次に救うべき名前は、もう分かっている。
「待ってろ、セレナ」
まだ銃もない。
まだ弓もない。
それでも私は、崩れかけた未来へ向かって走り出した。
角を曲がると、研究施設らしき建物が見えた。
警備員が叫んでいる。職員が避難している。建物の一部はすでに崩れ、煙と粉塵が空に広がっていた。その奥から、かすかに歌の残響が聞こえる。
間に合え。
今度こそ、間に合え。
私は瓦礫の方へ踏み出した。