転生したら雪音クリスだったので、曇りポイントを撃ち抜きます   作:ブラックだあああぁぁぁぁぁ(小並感)

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7.セレナ救出作戦、予定外の海外出張

 

 キャロルに弟子認定されてから、私は三日ほど現実逃避をした。

 

 正確には、現実逃避をしようとした。けれど、布団に潜っても、朝ごはんを食べても、検査の日に奏から「師匠でもできたのか?」と冗談を言われても、ポケットの奥に隠した紙片の存在が消えてくれない。

 

 何が怖いって、奏の冗談が半分当たっているところだった。

 

 紙片には、相変わらず見慣れない記号が書かれている。裏には几帳面な文字で「己の想い出を数えろ」と追記されていた。どういう宿題だ。朝ごはんを食べた回数から数えればいいのか。それとも前世で見たアニメやゲームの記憶まで含めるのか。

 

 そもそも、想い出は数えるものではないと思う。

 

「……師匠、宿題の出し方が雑なんだよなぁ」

 

 小さく呟く。

 

 直後、背筋が冷えた。師匠と呼んでしまった。認めたつもりはないのに、口が滑った。まずい。このままだと、いつの間にか完全に弟子扱いを受け入れてしまう。

 

 布団の上で頭を抱えていると、扉の向こうからママの声がした。

 

「クリス、起きている?」

 

「起きてる」

 

「少し話してもいい?」

 

「うん」

 

 慌てて紙片を引き出しに押し込む。ママが部屋に入ってきた時には、私は何もありませんという顔でベッドに座っていた。たぶん、何もない顔にはなっていない。ママは少しだけ首を傾げたが、ひとまず追及はしなかった。

 

「今度、海外での音楽交流の話があるの」

 

 その一言で、体が固まった。

 

 海外。

 

 その単語は、私にとってもう完全に警報だった。前は両親を死なせる未来へつながる道だった。止めた。泣いて、縋って、予定を変えさせた。だからもう大丈夫だと思いたかったのに、世界は懲りずに同じ方向の話題を持ってくる。

 

「海外……」

 

「前に話していた危険な地域ではないわ。今回は、きちんと安全確認された都市での文化交流会。滞在先も、移動経路も、現地の協力先も確認済みよ」

 

「でも、海外」

 

「そうね」

 

 ママはごまかさなかった。

 

 その代わり、ベッドのそばに座り、私の目線に合わせる。

 

「それに今回は、風鳴さんたちも安全確認に協力してくださるそうよ。現地での連絡体制と、万が一の時の避難経路も確認してくれるって」

 

 二課が入る。

 

 そう聞いて、少しだけ息がしやすくなった。

 

 いや、完全に安心できるわけではない。むしろ、この世界で「二課が関わる安全確認」が必要になる時点で、普通ではない。だが、雪音夫妻だけで海外に行くよりはずっといい。少なくとも、何かあった時に動ける大人がいる。

 

 けれど、それは同時に、止める理由が弱くなったということでもあった。

 

「パパは?」

 

「お父さんも、クリスが不安なら断ると言っているわ」

 

「……仕事なのに?」

 

「仕事より大切なこともあるもの」

 

 ずるい。

 

 そんなことを言われたら、行かないでとは言いづらい。パパとママは前と同じではない。私の不安を軽く扱わない。危険な場所へは行かない。安全確認もしている。二課の仮護衛までつける。

 

 なら、私が言えるのは一つしかない。

 

「私も行く」

 

「クリス?」

 

「見てない方が怖い。行くなら、一緒に行く」

 

 ママは少しだけ目を伏せた。

 

 たぶん、予想していた答えなのだろう。それでもすぐには頷かない。子どもを海外へ連れていく不安と、置いていく不安。その両方を天秤にかけている顔だった。

 

「風鳴さんとも相談しましょう」

 

「うん」

 

「それと、勝手にどこかへ行かないこと」

 

「……うん」

 

「今、少し間があったわね」

 

「気のせい」

 

 ママの目が細くなる。

 

 母は強い。

 

 後日、弦十郎から説明を受けることになった。

 

 施設の一室で、パパとママ、私、そして弦十郎が向かい合う。了子は今回は同席しなかった。データ確認の用事があるらしい。正直、少しだけ安心した。

 

「今回の渡航先は、事前に危険情報を確認しています。雪音ご夫妻の滞在先、会場、移動経路については、現地の協力者とこちらの連絡員が確認済みです」

 

 弦十郎は、いつものように嘘をつかなかった。

 

「ただし、海外である以上、予期せぬ事態が起きる可能性はゼロではありません。表向きは音響技術スタッフや安全管理担当として、こちらの人員を同行させます」

 

「護衛、ってこと?」

 

 私が聞くと、弦十郎は少しだけ言葉を選んだ。

 

「君とご家族を不安にさせないための備えだ」

 

「それ、護衛って言うんじゃないのか」

 

「そうとも言う」

 

 認めた。

 

 弦十郎は、こういうところで変にごまかさない。だから信じやすいし、同時に怖い。必要だと判断したら、本当に備える人だ。

 

「奏と翼は?」

 

「今回は同行しない。二人には別の訓練と任務がある」

 

 それを聞いて、少しだけ残念で、少しだけ安心した。

 

 奏と翼がいれば心強い。だが、ここで二人まで海外に連れていくと、余計な未来のズレが増える。今の段階では、まだ私自身が何を警戒しているのか分かっていない。巻き込まない方がいい。

 

「君には、現地でも必ず連絡員の指示に従ってほしい」

 

「分かってる」

 

「単独行動はしないこと」

 

「……分かってる」

 

「今、間があったな」

 

「みんなそこ拾うなぁ」

 

 思わず素で言ってしまう。

 

 弦十郎は苦笑した。パパとママの視線も刺さる。私は咳払いして、強気な顔を作る。

 

「大丈夫だって。私だって、好きで危ないところに行くわけじゃないし」

 

「それは分かっている」

 

 弦十郎の声が少しだけ柔らかくなる。

 

「だが、君は時々、怖いものを知っている顔をする」

 

 翼と似たことを言われた。

 

 胸が詰まる。

 

 怖いものを知っている顔。そんな顔をしているつもりはない。隠しているつもりだ。けれど、周りの大人や、翼や奏には、少しずつ見抜かれている。

 

「……知ってても、言えないこともある」

 

 ぽつりと出た。

 

 弦十郎は、それを責めなかった。

 

「なら、言えない時ほど、近くの大人を使いなさい。すべてを説明できなくてもいい。危ないと感じたなら、それだけでも伝えてくれ」

 

「それだけで動いてくれるのか?」

 

「内容による。だが、無視はしない」

 

 その答えは、綺麗ごとではなかった。

 

 だから、少しだけ信じたくなった。

 

 出発の日、奏は見送りに来た。

 

「お土産よろしくな、寝起きふわふわ候補生」

 

「だから、その呼び方やめろ」

 

「じゃあ、海外出張見張り隊」

 

「それも変だろ」

 

「でも合ってるじゃん」

 

 合っているから困る。

 

 翼は奏の隣で、真面目な顔をしていた。

 

「雪音さん。現地では連絡員の指示を守ってください。特に、ひとりで判断しないこと」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「……たぶん」

 

「たぶんは不十分です」

 

「翼、そこまでにしとけ。クリスの顔がもう出発前から死んでる」

 

 奏に言われて、私は反論しかけたが、言葉が出なかった。

 

 確かに、すでに胃が痛い。キャロル師匠の宿題。海外出張。二課の仮護衛。知らない未来。全部が同時に来ている。子どもの体には負荷が大きすぎる。

 

「この世界で心配性じゃない方が危ないんだよ」

 

 小さく呟くと、奏が一瞬だけ真面目な顔をした。

 

 それから、いつものように笑う。

 

「なら、心配しながら帰ってこい」

 

「言われなくても帰る」

 

「よし」

 

 奏の手が頭に伸びる。今回は避けなかった。少し乱暴に撫でられて、髪が崩れる。

 

「行ってこい、クリス」

 

「……行ってくる」

 

 その言葉だけで、少し足が軽くなった。

 

 海外への移動は、拍子抜けするほど平和だった。

 

 空港では現地の担当者と合流し、表向きは音響技術スタッフの二人が私たちの近くについた。片方は穏やかな男性で、もう片方は物静かな女性だった。どちらも普通のスタッフに見えるが、立ち位置や視線が明らかに違う。

 

 護衛だ。

 

 子どもでも分かるくらいには、隙がない。

 

 滞在先のホテルも、音楽交流会の会場も、安全そうだった。街並みは綺麗で、人通りも多い。危険な空気はない。ママは現地の音楽家と挨拶し、パパは通訳を介して支援団体の人たちと話をしている。

 

 私はその近くで、ジュースを両手で持っていた。

 

 安全。

 

 安全なはず。

 

 なのに、ずっと胸の奥がざわついている。

 

「クリス、顔が怖いわ」

 

 ママがそっと言う。

 

「元から」

 

「そんなことないわ」

 

「じゃあ、世界が悪い」

 

「また世界のせいにしているの?」

 

 奏のせいで、変な言い訳が定着しつつある。

 

 現地一日目は何も起きなかった。

 

 二日目も、午前中までは平和だった。パパの短い演奏と、ママの歌。現地の子どもたちとの交流。私は少し離れた場所で、それを見ていた。音楽は優しい。少なくとも、この場では誰かを傷つけるものではない。

 

 こういう歌なら好きだと思った。

 

 その瞬間、少しだけ胸が痛む。

 

 原作のクリスは、歌が嫌いだと言っていた。あの未来の彼女は、歌に救われる前に、歌を呪うような場所へ落とされた。けれど、今の私は違う。ママの歌を知っている。パパの音を知っている。奏の笑い声も、翼の真面目な声も知っている。

 

 この違いが、いつかイチイバルにも出るのだろうか。

 

 ふと、頭の奥で冷たい弦が鳴るような気がした。

 

 銃声ではない。

 

 弓の弦のような音。

 

 私は思わず手を見た。まだ何もない。ギアもない。武器もない。けれど、遠くにある何かが、こちらを見ているような感覚があった。

 

「……弓?」

 

 小さく呟く。

 

「クリス?」

 

「なんでもない」

 

 慌てて首を振る。

 

 今はそれどころではない。

 

 午後、空気が変わった。

 

 最初は、現地スタッフ同士の会話だった。私は言葉が全部分かるわけではない。だが、単語だけが耳に残った。研究施設。設備トラブル。停電。搬送。関係者以外立入禁止。

 

 そして、誰かが言った略称。

 

 F.I.S.

 

 頭の奥で、何かがひび割れるように音を立てた。

 

「……今、何て」

 

 私は顔を上げる。

 

 現地スタッフは慌ただしく話を続けている。護衛の男性がすぐに視線を向けた。私の表情が変わったことに気づいたのだろう。彼は自然な動きで近づいてくる。

 

「クリスさん、どうしました」

 

「今、F.I.S.って」

 

 口に出した瞬間、記憶の断片がつながり始めた。

 

 マリア。

 

 セレナ。

 

 ナスターシャ。

 

 ネフィリム。

 

 暴走。

 

 絶唱。

 

 崩れる建物。

 

 幼い少女の身体が、受け止めきれない力で壊れていく。

 

 息が止まった。

 

 ここか。

 

 ここなのか。

 

 両親の危険な出張は避けた。安全な案件に変えた。二課の仮護衛もついている。だから大丈夫だと思いたかった。けれど、違う。原作の悲劇は、形を変えて近くにあった。雪音家の出張そのものではなく、同じ都市の別の場所で。

 

「クリスさん?」

 

 護衛の声が遠くなる。

 

 頭の中で、セレナという名前だけが強くなる。まだ会ったこともない。顔も記憶の中でぼんやりしている。でも知っている。あの子は、誰かを守るために歌う。そして死ぬ。

 

 いや、死なせない。

 

 死なせないために、私はここにいる。

 

 その時、遠くで警報が鳴った。

 

 会場のざわめきが一気に変わる。現地スタッフが走り出す。ホテル側の警備員が無線を確認する。護衛の女性が即座にママとパパの近くへ移動し、もう一人が私の前に立った。

 

「避難確認を行います。こちらへ」

 

 正しい判断だった。

 

 彼らの任務は雪音家を守ることだ。危険情報が出た以上、まずパパとママを安全な場所へ移す。それは間違っていない。無能ではない。むしろ、きちんと動いている。

 

 だからこそ、私だけが別の危機を知っていることが問題だった。

 

「待って」

 

「クリスさん」

 

「近くの研究施設って、どこ」

 

「今は確認中です。まずは安全な場所へ」

 

「違う、そこに……!」

 

 説明できない。

 

 セレナがいる。ネフィリムが暴走する。絶唱する。建物が崩れる。そんなことを言っても、なぜ知っているのかと聞かれる。だが、説明している時間がない。

 

 遠くで、低い振動が響いた。

 

 窓ガラスがかすかに震える。

 

 それと同時に、胸の奥を突き抜けるような歌の気配がした。

 

 歌声ではない。まだ音として聞こえたわけではない。けれど、フォニックゲインという言葉が頭に浮かぶ。誰かが、命を削ってでも何かを止めようとしている。

 

 セレナ。

 

 確信した。

 

「ごめん」

 

 私は小さく言った。

 

 護衛の男性が反応するより早く、私は近くのテーブルに置かれていた連絡用端末に手を伸ばした。現地スタッフが使っていたものだ。画面の表示は読めない部分も多い。でも、緊急発信のアイコンだけは分かる。

 

 震える指で、それを押す。

 

 弦十郎に届くかは分からない。二課の連絡網につながるかも分からない。でも、何もしないよりはましだった。

 

「F.I.S.、研究施設、ネフィリム、セレナ」

 

 日本語で早口に吹き込む。

 

「間に合わない。私、行く」

 

 端末を置く。

 

 そして、走った。

 

「クリス!」

 

 ママの声が聞こえた。

 

 胸が痛んだ。振り返りたかった。けれど、振り返ったら足が止まる。パパとママは護衛が守る。今は信じるしかない。私が両親から離れるなんて最悪だ。約束を破っている。絶対に怒られる。泣かれるかもしれない。

 

 それでも、今走らなければセレナが死ぬ。

 

 子どもの足は遅い。

 

 息がすぐに切れる。廊下を抜け、非常口へ向かう。警報と人の声で周囲は混乱していた。護衛が追ってくる気配がある。だが、避難誘導と両親保護を放り出して全力で追うわけにはいかない。こちらが小さいこともあって、人の隙間を抜けられた。

 

 私は悪い子だ。

 

 最悪の候補生だ。

 

 でも、今だけはそれでいい。

 

 外へ出ると、遠くの空に灰色の煙が上がっていた。

 

 場所は分からない。けれど、胸の奥が引かれる。歌の気配がする方角。冷たい弦が鳴る方角。銃ではない。まだ武器にもならない何かが、遠くの誰かへ届こうとしている。

 

 走る。

 

 石畳に足を取られそうになる。息が痛い。喉が熱い。子どもの体では限界が早い。それでも、止まれない。

 

 遠くで、もう一度大きな振動が響いた。

 

 頭の中で、ばらばらだった記憶が一つにつながる。

 

 セレナ。

 

 マリア。

 

 ネフィリム。

 

 絶唱。

 

 崩れ落ちる建物。

 

「……ここかよ」

 

 声が震えた。

 

 けれど、足は止まらなかった。

 

 両親は守った。奏にも会えた。翼とも会えた。キャロル師匠という余計すぎる爆弾も抱えた。そこまで変えたなら、ここで止まる理由なんてない。

 

 次に救うべき名前は、もう分かっている。

 

「待ってろ、セレナ」

 

 まだ銃もない。

 

 まだ弓もない。

 

 それでも私は、崩れかけた未来へ向かって走り出した。

 

 角を曲がると、研究施設らしき建物が見えた。

 

 警備員が叫んでいる。職員が避難している。建物の一部はすでに崩れ、煙と粉塵が空に広がっていた。その奥から、かすかに歌の残響が聞こえる。

 

 間に合え。

 

 今度こそ、間に合え。

 

 私は瓦礫の方へ踏み出した。

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