淀む空、荒れ狂う海。
天を割る咆哮と共に、渦の魔神オセルが再臨する。
今はもう神の死んだ国に。
今はもう岩槍のない国に。
仙人はいる。神の目を持つ者がいる。そして異世界からの旅人がいる。
すべての力をもってして彼らは戦う。空飛ぶ砦に乗って立ち向かう。
彼らは魔神を撃退するだろう。去った神の代わりに璃月港を守るだろう。
——しかし、荒れ狂う波濤からは、誰が民を守るのか?
龍を見た、という。
あの日、つまり「公子」が大暴れし魔神オセルまで暴れ倒し群玉閣が墜ちたあの波乱万丈の日から、まことしやかに埠頭付近で囁かれるようになった噂がそれだ。
──龍を見た。白い龍だ。
冒険者協会の依頼をこなす途中でその噂を聞いたパイモンと旅人は、揃って顔を見合わせた。
「龍? つまり、モンドの風魔龍みたいなやつってことか?」
「ここは璃月だから、仙人かも……」
「きっと仙人様に違いないさ。知ってるか? 岩王帝君だって龍のような姿をなさっていた」
仕事の手を休めた水夫は朗らかに笑った。過去形で語られる帝君の話は少し物悲しい。
「あの日いきなり海がとんでもなく荒れただろう。俺は逃げ遅れてしまってな」
「うんうん」
「危うく大波に呑まれてしまいそうになった」
「おう、それでそれで?」
旅人の頭の上でパイモンが身を乗り出す。いい聞き手を得た水夫はノリノリで声を張り始めた。
「もうだめか、と覚悟したその瞬間! 俺は一陣の風を感じた……」
「おお!」
この水夫は講談師の素質があるな、と思いながら、旅人もまた耳を傾ける。繰り返し周囲に語って聞かせたのか語り口に迷いはなく、立ち止まって聞き耳を立てる人も同様にない。
「顔を上げるとそこに龍がいたんだ! 全身真っ白な龍だった。仙人を見たのなんて初めてだった。なんて尊いお姿をされているのか……」
玉京台やら万民堂やら三杯酔やらにわりと堂々と仙とか半仙とか仙祖とかがうろついていることを旅人とパイモンは知っていたが、もちろん黙っていた。
「そのうち仙人と目が合ってな。家に帰れと促された気がした」
彼が言うには港の中は外海の荒れようが噓のように凪いでおり、帰るまでに水飛沫の一滴すら体にかからなかったという。
「夢かとも思ったが、嵐が明けた後に来てみると埠頭が浸水した跡も係留してあった船が壊れた様子もない。仙人は本当に我々を守ってくださったんだ!」
語っているうちに当時の感動が蘇ってきたのか、水夫ははっしと旅人の手を握りしめた。旅人は一歩引いた。
「旅人──伝説の旅人! あんたは璃月を守った英雄だと聞いたが!」
「あ、う、うん、まあ」
「あの謎の仙人を探してくれないか!?」
是非とも供物を捧げたい、と彼は語気を荒くする。
勢いにたじろぎながらも旅人は了承した。基本的に人々からの依頼は断らないことにしているので。
「じゃあ頼むな! お礼は弾むから!」
元気な水夫の声を背に二人はひとまず人の少ない場所に移動した。
きょろきょろと周りを確かめたパイモンは難しい顔をして声をひそめる。
「オイラたち色んな仙人に会ったけど、龍の姿の仙人なんていたか?」
いないよねえ。旅人とパイモンは首を捻る。
鳥の仙人がいて、鹿の仙人がいて、人間に混ざっている者も、人間が混ざっているものもいる。確か魈の本性は鵬という鳥だったはずだし、二人の知る半仙は人の姿こそしているが角が生えている。
しかし龍の仙人というのは見たことがなかった。旅人は腕を組む。
「仙人はみんなオセルと戦ったと思ってた。港を守ったのなら、岩王帝君との契約は守ったってことになるんだろうけど」
しかしあの緊急事態に群玉閣に飛んでこないところとか、そもそも岩王帝君の訃報を伝えて回ったときに対象にいなかったところとか、どうも若干実在が怪しい。今までに散々仙人を騙る不届き者と会ったことがあるのでなおさら。
「オイラたちが知らないだけかもしれないけどな……とりあえず聞き込みしてみようぜ」
情報収集は全ての基本だ。旅人は頷いた。
すると思っていた以上に出るわ出るわ、仙人を見たという者が。みな一様に荒波から逃げ遅れていた。嵐だったわりに被害が少ない、と語る者はもっと数がいる。
──龍を見た。白い龍だ。
人々はそう口を揃えた。何かを売りつけられたとか後で怪しい者が供物をせびりに来たとかいうこともない。
見知らぬ仙人が埠頭の人々を守った、それはどうやら事実のようだった。
しかしみな荒波から避難してしまっていて、その仙人がどこに去ったのか見た者がいない。
ちょっと困った旅人とパイモンは人脈に頼ることにした。仙人のことは仙人に聞け、である。
最も詳しいであろう鍾離は散歩にでも行ったのか璃月港にはおらず、確実に捕まる仙人として二人はピンばあやを選んだ。
玉京台にのんびりと佇む、老婆の姿をした仙人は、近づいてくる二人を見て微笑んだ。
「おやまあ、子供たち。このばあやに何か用かい?」
「うん、こんにちは、ピンばあや。実は依頼されて仙人を探してるんだ」
「白い龍の姿のやつなんだ! オセルのときに璃月港に来てたらしいんだけど、ばあやは知ってるか?」
「白い龍……」
彼女は軽く目を見張る。心当たりのある反応だ。旅人は少し身を乗り出した。
「そうかい、龍かい。白い龍といえば璃月にただ一人しかおらんよ。婆のような年寄りでなければもう覚えていないのかもしれないね……」
ピンばあやは微笑んで、その仙人のことを教えてくれた。
「そのお方は恵雨玄君。ここ何年か眠っていたのじゃが、この間の騒ぎで目覚めてしまわれたようだね。璃月で一番大きな水源に行ってごらん、子供たち。玄君の寝所はそこにある」
「水源……?」
旅人は璃月の地図を思い浮かべる。璃月に川は多いが、水源と言われてぱっと思いつくところは少ない。荻花州あたりは川というか湿地である。
「ばあやぁ、悪いんだけどこれ……」
パイモンも特に心当たりがなかったようで、神妙な顔でばあやに地図を差し出した。
「龍の姿でなければ、白い髪の女性の姿をしているはずじゃ。ようく探しておいで。決して怖いお方ではないからね」
「っておまえ誰だよ! 仙人はどこだ!?」
「私が仙人だが?」
璃月の豊かな水源、その奥の遺跡で、珍妙な服装をした人影が怪訝そうに目をすがめた。
……青年に見えるが、白髪には違いない。