「えーえすえむあーる? なにそれ?」
私の隣、パソコンの前に座る少女が間の抜けた声を上げた。首を傾げれば仮想の身体と同じ金色の髪がふわりと揺れた。
……なんで私は勉強もせずにこいつの横に座っているんだろう。ふと疑問が一瞬浮かんで、そして頭上で弾ける。モデレーターをしているからだ。
最近この状況に慣れ始めている自分が怖い。冷静に振り返ってみよう。まず、隣にいるこの少女の名前はかぐや。電柱から生まれた宇宙人。苗字は……そういえば考えてないな。芦花や真実にも聞かれたことなかったし、ライバー活動にも必要ないし。
私、酒寄彩葉が名付け親なんだから酒寄かぐやって名乗るべきなのかな。でも同じ苗字だと……姉妹って感じはしないし、親子か結婚してるみたい。
そう考えた瞬間、つい一昨日のかぐや争奪KASSEN選手権のことが頭をよぎった。なーんで私、勉強時間削ってまでかぐやの結婚阻止してたんだろ。冷静に考えればかぐやのことを養いたい人に任せればいいじゃん。もっとも、今はかぐやの方が稼いでて、しかもその稼ぎからごはんを作ってくれるようになってるから、私の方が養わ……いやいやいやいやないないない。所詮あれはあぶく銭だし、何より私が家主なんだから。ないったらない。
ま、コメントでいい寄るやつらにかぐやを任せるわけにはいかないし、ゲーマーとして巻き込まれた勝負から逃げるわけにはいかなかった。それだけってことだ。そうしよう。
「ねーいろはー? みんながこの、えーえすえむあーる? っていうのをしてほしいらしんだけど耳かきって……ちょっとーきいてるー?」
かぐやが上目遣いに私の顔を見上げてきた。あいも変わらず星をそのまま詰め込んだような瞳だ。
かぐやがその白い指で差していたのは、パソコンの画面だ。覗き込めば、七色に光り輝くふじゅ~と共にたくさんの『ASMRをしてほしい』というコメントだ。なんでこうなった?
そういった意を込めてかぐやを怪訝な目で見れば、
「どうしたらもっと伸びるかなーって相談したら、みんながえーえすえむあーるをやってほしいって…………えっ!? やったら新規ファン大量獲得できるって言われてんだけど! やるっきゃねー!」
とすぐに答えてくれた。さすが赤子の時から付き合っているだけはある。3日で終わったけど。
改めてコメントをみれば、ちらほらと見覚えのある名前があった。私が叩きのめした求婚ファン共だ。結婚の道は絶たれたからって、かぐやを
「さっそくやる!」とかぐやは息巻いてるけど、こんなやつらの思い通りにさせるわけにはいかない。
「ストップ。あんた、ASMRがどういうもんかわかってる?」
「なんか耳かきとかするんでしょ? あと息吹きかけたりとか。……ん? ちょっとまってよ、自分の耳に息吹きかけるってどうやればいいの? 」
やっぱり全然分かってない……まって、自分の耳?
「違う違う。自分の耳かきを配信するんじゃなくて、リスナーの耳をかくの」
「みんなの耳を……? それって実際に会わないとできなくない? んん? どゆこと? ……ツクヨミで耳かき会するってこと?」
視界の端、パソコンの画面上でコメントが加速した。『是非やってほしい』……ってふざけんな。絶対やらせないからな。
「いい? ASMRっていうのは――」
私もヤチヨのを聞くことがあるから、どういうものなのかは理解してる。別にいやらしいものではないと思うし、かぐやよりも上位のライバーの中にもやっている人はいる。けど……かぐやにやらせたくないなと思ってしまう。
なぜだろう。求婚してくるような変なファンが増えることは間違いない。なにより、今住んでいるのはボロアパート(かぐやが言った。私じゃない)なのだ。これ以上変なファンに増えられて万が一住居を特定されたら、かぐやも私も危ない。
「えーっと。まとめると、やるにはそれ用のマイクが必要で、しかも、今よりもっと求婚されちゃうってこと?」
「そういうこと。だからダメ。禁止です」
オブラートに包んで伝えると、かぐやは「なるほどー」と頷いた。
「ごめんねみんな~。道具もないし、いろPがダメだってさ☆」
瞬間、大量に流れ始めるコメント……ふじゅ~も混じってる。『これでKU300を買ってください』って。こいつら本当に懲りないな。
かぐやがあたふたとしながら画面と私を交互にみてくる。リスナーたちに気おされているようだった。というかこの流れ、既視感が――。
「そうだ! ならまたいろPと――」
咄嗟にキーを押す。画面に出てくる【配信は終了しました】の文字に安堵のため息をつくと同時に、目を逸らすかぐやを睨みつけた。
「あんっ……た……ねえ! また勝手に私のことまきこもうとしたでしょ!」
「あはー……み、みんなこうでもしないと納得してくれなさそうだったし……? それに、いろはならまた守ってくれるよねって」
「これ以上勉強とバイトの時間は削れません! それにさっき説明したけど、ASMR用のマイクってとても高いし、本気でやるなら防音とか大切なの! こんなボロアパートでできるわけないでしょ!」
「あっボロアパートって言った」
しまった。かぐやの言葉が移った。ええい、とにかく!
「新規ファン欲しいんだったら他の方法にして! それにあんた、人の耳かいたこともないでしょ! やるんだったらまず! そういった経験を積んでからにして!」
経験ってなんだ経験って。自分で言っててわけがわからなくなってきた。口をとがらせてブーイングするかぐやに背を向けて、私は自分の勉強机へと向かった。全く、まだ今日の分の勉強ができていない。
「ブーブー……ん? それってまず、耳かきを実際にやってみろってこと?」
「そういうことにしといて」
「ふーん……」
かぐやはそれきり静かになった。立ち上がる音、そして料理道具を動かす音が背後から聞こえた。今日の夕飯を作り始めたらしい。
かぐやには初め金を勝手に使われたり、今は配信に付き合わされたりしているけれど……改めて思えばなんで追い出さないんだろう。私が断れない性格だから? それともかぐやの作る美味しい料理には抗えないから? それともまだ、かぐやのことを赤子だと思ってるから?
答えを出さないまま、私は勉強にのめりこんでいった。
かぐやの作ったビーフシチューに舌鼓を打った、その翌日の夜のこと。夏期講習からBAMBOOcafeにはしごして、バイトを終えた私は、夕暮れに染まる帰路についた。彩るBGMはもちろんヤチヨの『Remember』。
アパートの前の電柱は今日も光ってはいない。いや、普通は光らないし、というか二人目が来たらいよいよ手に負えなくなってしまうから光らなくていいけれど、未だに赤子が入ってないか警戒してしまう。
アパートの外の階段を上がり、2階の廊下を歩き、自分の部屋へ。
「おかえりー!」
以前までは静けさと暗闇だけが私を迎えていたけど、今は違う。鼻孔をくすぐるシチューの香りと明るい室内、そして笑顔のかぐやが、私の手を引いて部屋の中へと引き込む。
「いろはー、手伝ってほしいことあるんだけど」
「……私、これから勉強しなきゃなんだけど」
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから……あ、配信手伝ってくれたら、明日はステーキになるよ!」
この宇宙人、やはり地球を侵略しに来たんじゃないだろうか。少なくとも貧乏学生の私の胃袋はもう侵略が完了されそうだ。
「……で、なにすればいいのよ。伴奏?」
「んーん? 違うよ? ほらこれ、芦花と真実に相談して買ったの」
そう言って見せてきたのは、2つの細い棒だった。一方は竹でもう片方は金属質。その先端は曲がって何かを引っ掛けるような構造になっている。まるで耳かき……耳かき?
「ちょっと! あんたまさかASMRやろうってんじゃ」
「いやいや違うって、マイクは買ってないよ? とにかくいろは、協力して? おねがい」
……本当にずるい。断れない。
――で、なんでこうなってるの?
「かぐやっほー! 月からやって来たかぐやだよー」
かぐやの声が上から聞こえる。そして私は右半身を下にするように、横になっている。私の頬の下にはかぐやのむき出しの白い太ももがある。すべすべで温かい。
本当にどうしてこうなってるの? 手伝ってほしいと言われて、なぜか横になってと言われて、言う通りにしたらなぜかかぐやの脚が枕になって……どういうこと? 模試に出題される現代文よりはるかにわかりやすい順番のはずなのに、頭が理解を拒んでいる。
かぐやは机の上に置いたパソコンに向かって話しかけている。今の私は机を見上げる形になっていて、どんなコメントが流れているか確認できない。また求婚コメントきたら対応できるんだろうか、かぐやは。
「昨日ASMR希望してくれたみんな、ごめんねー? いろPに言われて気づいたんだけど、そもそもかぐやって人に耳かきしたことないんだよねー……てか自分でもしたことない気がする」
確かにかぐやが耳を掻いているところは見たことがない。そもそも髪の色すら自在な宇宙人って、耳を掻く必要があるんだろうか。もしかして、風呂に入る必要もなかったりするのかな。
「ってことで! かぐや、今日から耳かきの練習をします! あ、協力はもちろん、いろPね」
――え?
「まてまてまてまてまて何する気? まさか私の耳を掻くっての!?」
慌てて小声で問えば、かぐやは「そだよー?」と悪戯っぽく笑いながら答えた。
聞いてないから! てか耳かきの練習って……言ったけど! そういう意味で言ったんじゃないから! 言葉のあやだってば。てか、
「耳かきそのものを配信する奴があるか! 変な動画って言っても限度があるでしょ!」
「いいじゃんいいじゃん。今日やるネタ他にないし……それにさ、」
かぐやが腰を曲げて、私の耳に口を近づけてくる。息がかかる。人の体温がのった湿り気が、私の耳孔を吹き抜けて、しみ込んでくる。知らない感覚に足の先が一瞬痙攣した。
「いろはも耳かきしてないよね」
「……それが? 言っとくけど、耳かきはむしろ必要がないもので」
「実は、いろはの横で寝ようとしたら、耳の中にでっかいのが見えたんだよね」
……はい?
かぐやは(珍しく)私に配慮しているのか、配信に乗らなさそうな声量で私に語りかけてくる。
「芦花や真実にもとってあげてって言われちゃったし、いろはも練習しろって言ってたからちょうどいいよね☆」
かぐやの言葉はするりと私の頭の中をすり抜けていった。
でかい耳垢……完璧女子高生の私の中に……作曲までしてる私の耳の中に……でかい……。
「い、いろはが魂を吐き出しそうな顔してる……でも安心! かぐやに任しとき!」
じんわりと温かい手が私の左頬に触れた。耳にかかっていた髪が避けられる感覚。視線というものは物理的な力を持っていないはずなのに、かぐやの綺麗な目が私の穴を覗き込んでいるのがはっきりとわかる。かぐや曰く、汚いものが詰まっているらしいそれを。まるで秘部をさらけだしているかのような気分になって、身体が熱くなる。感覚が鋭敏になって、両頬で感じるかぐやの柔らかさに溺れそうになる。
「おぉー……いろは、こりゃあとりがいがありそうだよ?」
やめて。配信で名前呼ぶなっていってるでしょ。……ていうか配信で私の耳の状況が暴露されてるの!? なんの罰ゲームなのよこれ。
身をよじろうとして、耳たぶに触られて身体が固まる。尊厳が破壊されそうになっているのに、なぜかこのまま身を任せてしまいたくなる。なんでよ。このままだと本当にまずいって――。
「いろは。じっとしててね?」
そんな葛藤をしている間に事態は進んでいた。耳の入口に硬いものが当てられた。この感触は多分、事前にみせてもらっていた竹の耳かきだ。
――じゃない!
声を出す前に、竹棒は私の中に入ってくる。
――ザクッ
地面にスコップを着きたてるような音がどこかからなった。いや違う、今のは私の耳の中でなったものだ。まさか、かぐやの耳かきが私の耳あかを捉えた音!? そんなに私の耳の中に溜まってるの!?
――ザリザリザリ
「〜〜〜〜〜ッ!?!??!!?」
耳かきの先端と肌が触れ合い、そして穴の入口へひかれていく。力加減は絶妙で、痛みはなく、けれどしっかりと張り付いたものが剥がされていくことがわかる。デリケートな部分を無防備に晒して任せてしまっているということへの不安感と、身体が綺麗になっていくという解放感、そしてそれ以外のまだ言語化できないものがないまぜになって、頭の中がぐちゃぐちゃになる。声が出そうになる口を自分の両手でとっさに塞ぐ。顔が熱い。絶対今変な顔してる。それもかぐやに見せられないようなやつ。
――ザリッ
「とれたのはここにおいておくね〜」
横になっている私の顔の前には、いつの間にかティッシュが一枚敷かれていた。そこの上にかぐやが耳垢を落とす。……嘘でしょ。あんなのが張り付いてたっていうの?
「いろP、最近作曲のためにイヤホンずっとしてたでしょ? 多分それが原因じゃないかな?」
言われてみれば、私はかぐやのオリジナルがいいというわがままを断りきれずにきいてしまって、イヤホンをしている時間が明らかに多くなった。そして耳かきの時間なんてスケジュールにいれてない。でも、だからといって、こんなに……。
「まだまだとれそうだね〜……ん? いやいや配信には映さないって。これはあくまで練習配信だからねー。いろPへのお礼も兼ねてってことで」
かぐやの言葉の後半は頭に入ってこなかった。まだまだってなに。私そんなに汚れてたの?
「いろは、力抜いててね?」
「こ、鼓膜破らないでよ!」
違うでしょ、何言ってるの私は。今すぐ配信止めて、自分で耳かきをするんでしょ。
「大丈夫! 耳かきについて動画で予習した天才のかぐやちゃんのテクをご堪能あれ〜」
そういえばこいつ、私と同い年の大きさになってからすぐ、上手な料理していたな。それも、金使ったことを許しちゃうくらいのレベルのやつを。もしかしてあれも動画だけで? さすが宇宙人、見ただけで学習できるなんて……待って。それってつまり、耳かきも例外じゃないってことじゃ。
「いっくよ〜?」
「――〜ッ!!」
気づいたときには遅かった。かぐやはその学習能力で得た技術を存分に私の耳の中で奮った。
――ザクッ
暗いはずの耳の中なのに、しっかりと耳垢を捉えて。
――ザリッ……ザリザリ
絶妙に気持ちいい力加減で引き抜いて。
――ザリザリザリ……スポッ……トントントン
とれたものを私の目線の先で積み上げていく。
「――〜ッ!! ……ッ……ッッ……〜〜〜〜ッ!!!」
かぐやはいったい何の動画見て学んだのだろう。自分でやっても絶対にこうはならない。ヤチヨのASMRを聞いたときだって多分こうはなってない。
寝転がった当初伸ばしていた脚は、無意識のうちに膝を曲げて、自分のお腹へと寄せられていた。
今の私はかぐやに膝枕をされながら、赤子のように丸まっている状態だ。両手は口元を塞ぎ続けていて、視界は潤んでいる。かぐやは気づいているんだろうか。
「〜〜♪」
いや、気づいていない。私の耳は随分汚れを溜め込んでいたようで、ティッシュの上にはちょっとした山が出来上がっている。かぐやはそれに夢中なようだ。顔は見れないけれど、多分目を輝かしてるんだろうな。
でもまずい。これ以上続けられるとおかしくなる。戻れなくなる。無意識にひいているかぐやへの感情のラインみたいなものが壊れてしまう気がする。とにかく早く言わないと。もういい、自分でやるからって。思い出せ、こういうとき母ならなんていう!
――耳ってのはデリケートや。無闇に触ったらあかん。耳かきするにしても1週間に1度くらいにしときんさい。
違います。言われたかもしれないけど今言ってほしいのはそうじゃないんです。この快楽へ溶けそうになっている私を奮い立たせる言葉なんです。
ふと思う。そういえば母に、最後に耳を掻いてもらったのはいつだろう。自分のことは自分でやれというスタンスのあの母は、私の耳掃除をしてくれたことがあっただろうか?
――ザリッ
「ッ!」
身体が跳ねる。かぐやは気にすることなく鼻歌(私がつくった次のオリジナル曲だ)をしながら、耳かきの先端にのったものをティッシュの上に落とした。それだけで終わらず、できた山をくるむようにティッシュを折り曲げた。もしかして終わったのだろうか。よし、言う。
「かぐや、あとは自分」
「最後は梵天だよ」
――スポッ
「え……〜〜〜ッ!」
――サワサワ……ワサワサ……
かぐやは竹みみかきの反対側についた梵天をくるくると回し始めた。文字通りのフェザータッチが、私の耳の中で暴れまわる。本当にまずい。壊れる。早く終わって……!
――サワサワ……ワサワサ……スポッ
「はい、オッケー」
願いは届いたのか、梵天は耳かきよりも遥かに早い時間で終わった。よかった、これでようやく――。
「じゃあ次は反対側!」
「……え」
頭が真っ白になった。かぐやが私の身体をぐるんと回す。床のフローリング半分を締めていた視界が一転、白一色に染まる。かぐやのお腹だ。今日来ている服(私の)のサイズがあってないのか、へそがでてしまっている。私が帰るまでだってリアクションしながら配信してたはずなのに、全然汗臭くない。むしろ石鹸の匂いと、それに加えて甘いいい匂いが鼻孔の奥まで漂ってきた。宇宙人だから? それとも、かぐやだから?
「そうそう、こっちに見えてたんだよね。でっかいやつ。ま、まずは周りから〜♪」
――ザクッ……ザリッ……ザリザリ
再びかぐやの耳かきが始まる。脳がとろけて顔の輪郭が消えそうだ。五感のすべてが今の状況に身を委ねてしまえと訴えてくる。絶対ダメ。ダメダメダメダメダメダメダメ。それはまだ超えちゃいけないラインだ。
「ぅ〜〜〜ッ!〜〜〜ッ!〜〜〜ッ!〜〜〜ッ!」
私はこれからも勉強してそうだ進路は法学部にしようそこに進学してとくに結婚関係の法律の改正について注力してああでもかぐやって戸籍ないしどうすればいいんだろういやでも私かぐやのこと赤子から育てたんだから実質娘ってことでつまり私が養子縁組すればいいってことでいやいやそれだと親子になっちゃうから結婚できなくな違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う! 何考えてんの私は!?
――ガリッ!
「痛っ……!」
「あ、ごめん!」
耳の中に走った衝撃が私を現実に押し戻す。助かった。けれど今のは何だったのだろう。
「おっきいのを取り出そうとしてるんだけど……しっかりと張り付いちゃってるみたい。力入れるけど大丈夫?」
「だい……じょうぶ……はやくして……」
「……いろは? 具合悪いの?」
「そんなことない……から……もう……終わらせてぇ……」
いつの間にか自分でやるという意思が砕けていた。ここまできたらもう全部やってほしい。中途半端に終わらせたら逆にもう一度頼んでしまいそうだから。
「様子がおかしいの気になるんだけど……よし、かぐや取ります! ……ぷっ……あははっ『これが竹取物語か』じゃないよもー」
耳の中に再び棒が差し込まれる。ひんやりとした感触だから竹じゃない。ステンレスだ。これならきっと竹よりもしっかりと力が伝わるだろう。そして私の耳のなかの頑固なものも削り落としてくれるに違いない。
「動かないでね。鼓膜に近いから」
「わか……った」
――グッ……ザクッ
金属が肌に当たる。
――グッ……グッ……ガリッ……ベリッ……
剥がれるような音と感触、同時に長らく棚に収められていた本が突然取り出され、風とともにページがめくられるような解放感に頭の中が満たされる。
――ベリッ……バリッ……パリッ……ザリザリザリ
引き抜かれる。かぐやがふぅという一仕事終えたかのように息をついた。
「みてみて! すっごいよこれ」
眼の前に差し出されたのは何層にも積み重なったかのような茶色の塊。所々真っ黒な部分もあった。
「多分かさぶたも混ざってるんじゃないかな。……もしかしてずっと前に耳かきしすぎたんじゃない?」
そうかもしれない。多分6月の下旬くらいだったと思う。痒くてやりすぎたことがあったことを朧げに覚えている。そっか、あれってかぐやがここに住むよりも前なんだ。
「この調子で全部撮っちゃうからね!」
――……パリッ……ザリザリザリ……トントン
――……ベリッ……ズズッ……トントン
痛みはなく、面白いように私の耳の中から剥がされていく。その間私は、かぐやのすべすべな肌とへそをみながら声を押し殺しているだけ。もはやかぐやに耳かきをさせることに対しての不安感はなかった。むしろ安心感が心を満たしていた。かぐやになら、私のことを任せていい。汚いものを見せてしまっていることへの恥ずかしさよりも、見せてもいいと思ってしまう気持ちのほうが勝っていた。今のかぐやは、私にとって――。
「……はい、終わり! 初めての耳かきチャレンジだったけど、どうだった〜? 上手にできたかな。ここで合格貰えればみんなにASMRやったって――」
「ママ……」
もっと甘えさせ――ん?
思わず首を動かして上を向く。覗き込んでいるかぐやと目があった。
「……え、えーっとぉ……」
かぐやが頬を染めながら、ぽりぽりと指でかいていた。
起き上がる。コメントはみない。バタンとノートパソコンを閉じる。
そのまま台所に向かう。キッチンの下の扉を開ける。かぐやが来てから増えた料理道具をどかして、潜り込む。閉める。
「……いろは? ちょっ……いろはぁ!! でてきてよぉ!!」
出られるわけないでしょ……!!
結局勉強もしなければならなかったので、10分で出た。
かぐやととの約束事の中に、耳かきの人任せ禁止ができた。