「ブー……なんでバスボム禁止なのさーーっ!」
「あの惨状みてまだ言うか……!」
本当に追い出してやろうか。
口をとがらせて文句を垂れ流すかぐやに、私は般若の顔を向けた。彼女はびくっと身体を振るわせると、目をそらして口笛を吹き始めた。
発端は毎度のことだけどかぐやだ。このアパートは私のバイトだけでも家賃を払えて、しかも洗濯機と風呂もついている破格の物件だ。けれど家賃相応な部分もある。例えば風呂はユニットバスで、トイレと一体化している。だから入浴時は水を散らしすぎないように注意しなければいけない。だというのに、かぐやはあろうことかバスボムを大量につかって……トイレまで泡だらけにした。許されない。
「私の邪魔しないって約束したでしょ。今度やったらマジで追い出すからね」
「むーーっ……そもそもここの風呂狭すぎだって! 他の家ってトイレとシャワーと風呂が全部別々なんでしょ? それに、これじゃいろはと一緒に入れないじゃん!」
狭くて悪かったな。でも仕方ないでしょ。貧乏学生が風呂つきの場所に住めるだけありがたいってもんなんだから。それに。
「一緒には入りません」
芦花や真実とだって入ったことないっての。
「かぐやが小さかった頃は一緒に入ったじゃん! 私の全身をしっかり洗ってくれたじゃん!」
「あんたが赤子だったからでしょ! 入ったというか、入れてあげてたんだけど」
てか、記憶あるんかい。あのとき、どれだけ私が神経すり減らしたと思ってるのよ。手が滑らないようにとか、おぼれさせないようにとか……こいつが突然10歳くらいになったときはエイリアンってビビったけど、改めて思うと3日で終わって本当に助かった。
かぐやはその場で地団太をしばらく踏んで、急に落ち着いた。そして、
「よし! いろは~引っ越ししよ?」
と可愛い顔を作り、両手を重ね合わせ、目を輝かせて迫って来た。日に日に甘え方が上手くなっている。けど今回に限ってはその手は食わん。食えないからね。
「むりです」
かぐやの顔を見ていると心が揺らぎそうなので、そっぽを向いた。
こいつがライバー配信を続けていくなら、今後考えなくてはならないことかもしれないけれど、私の稼ぎではこれ以上の物件は望めない。かぐやのライバー活動の収入もまだまだ家賃を賄えるほどじゃない。そもそもその収入はあぶく銭だ。十分にあったとしても、それを担保に今すぐ引っ越すのは現実的じゃない。
それに保証人がいる。今は母がそうだけど、どう説明すればいいんだろう。ゲーミング電柱から赤子を拾って、3日で大きくなって配信者になったので引っ越しをしたい……ダメだ、かぐやを拾った日の状況よりもさらにややこしくなってる。最悪の場合、かぐやよりも先に私のお迎えが来てしまう。
「大きなお風呂、あそれ、いろはとお風呂、あそれ」
いつの間にか、かぐやが踊り出していた。そんなに大きな風呂に入りたいなら一人で引っ越しなさいよ。……あ、これもダメだ。こいつ戸籍ないんだった。
「……私の風呂はどうすれいばいいのよ」
バスボムで発生した大量の泡は未だに流れ切っていない。あのまま私が入ったら、部屋まで泡があふれ出しかねない。
でも、あれを流しきるとなると日付が変わるまでかかりそうだ。つまり、
「これ、外に行くしかないじゃん……」
ということだ。徒歩圏内には銭湯がある。利用料金は学生にも優しいけれど、出費は出費だ。基本私のような貧乏学生はユニットバスで済ますべきなのだ。
「外? ……かぐや置いてどっか行くの!?」
「銭湯。お金払って風呂入る場所。……元はといえばあんたのせいなんだから、文句言わずに留守番してて」
一応、
「……銭湯だったらおっきな風呂あるじゃん! かぐやも行く!」
「は?」
いや、あんた入ったばかりでしょ。そう言おうとして振り返った時にはかぐやはすでに服(私のワンピース、なし崩しでかぐやのものになってる)を着て準備万端の状態だった。
「一緒にお風呂はいろう、いろは!」
しかももうドアの前にスタンばっている。これは私が何をいってもついてくるやつだ。結局私は溜息をついて、
「はしゃがないでよ」
と言うことしかできなかった。
……長居はしないからね、シャワー浴びたらすぐ帰るんだから。
着替え終わって、かぐやと一緒に外へ出る。夜空には曇り空がないが、けれど星明りもない。街の明るさが空に浮かぶ点を飲み込んでしまっているからだ。唯一それに負けない月も、今日は見えない。満ち欠けは下弦の月を過ぎたあたりだから、顔を出すのは日付が変わってからだろう。
私はバッグにバスタオルと着替えを入れているけれど、かぐやは手ぶらだ。必要なものは向こうで買うつもりらしい。無計画なお金の使い方だな。将来が不安になる。……いや、なに私は心配してるんだ。こいつはもう赤子じゃないんだから。
電灯だけが照らす道をかぐやと並んで歩いていく。たわいもない話をしながら。主な話題はかぐやのライバー活動の現状についてだった。積極性の塊みたいなこいつはすごい勢いでファンを獲得しているし、芦花と真実のコラボでさらに伸びている。それでも優勝にはまだまだ遠いらしい。そしてブラックオニキスはさらにファンを増やしているとのことだった。
「ね~いろは、また新曲作ってよ」
「だから私、余裕ないんだってば。配信活動なら芦花と真実の方が詳しいでしょ」
「いやいやいや。かぐやちゃんが伸びてるのは、いろはの作った曲があったからだよ! リスナーさんたちも褒めてたよ」
何言ってんのよ、本当に。あんたが伸びてるのは、あんたがキラキラで、歌も超うまいからでしょ。悪い気はしないけど……。
「今のあんたなら、他の人にだって歌つくってって頼めるでしょ。プロに任せればいいじゃん……」
「んー……かぐやはヤチヨカップ優勝したいけど、いろはのこともハッピーエンドに連れてくんだから」
かぐやが私より一歩前に出る。そして振り返って、私に微笑んだ。
「いろはの作った歌を歌って! 優勝するの!」
なにそれ。本当にズルい。断れなくなっちゃう。
銭湯は駅周辺と住宅街の境目のような場所にある。物珍しげにあちこちへ首を回すかぐやの手を引いて入浴券を購入し、受付へを済ます。
脱衣所には私たち以外、人の姿が見えなかった。不人気とかではなくて、多分混んでいる時間帯を過ぎているだけなんだと思う。
「ちょっ……ジロジロみるな」
服を脱ぎながら視線を感じると思ったら、かぐやが目を見開きながら私のことをガン見していた。指摘すると、ニヤニヤとしながら、
「よいではないか~よいではないか~」
なんて言ってきた。なんだこの変態宇宙人。しかも、かぐやは裸体を恥ずかしげもなくさらけ出していた。白い綺麗な肌と可愛らしい膨らみは、同性の私でも目に毒だ。
「胸くらいかくせ、バカ」
「なんで?」
「そういうものだから。……まあいいや、ほら、いくよ」
かぐやを引き連れて浴場へのドアを開ける。観光地でもないここの銭湯は、京都で行った場所に比べると大きくはない。いや、あれは私が小さかったからかな。
「わーっ、ね、いろは。おっきな風呂!」
そうそう、こんな風にはしゃいだな。母に怒られたけど。……ちょっ。
「かぐや、浸かる前にちゃんと身体流しなさい」
「え……? さっき風呂はいったばかりだから、かぐやちゃんちょーきれいだよ?」
「マナーなの。おとなしくしたがいなさい」
どうやら今は私たち以外この浴場には居ないようだった。だからと言ってなあなあにしたりしない。真のエリートはいつでも完璧を目指すのだ。
「ふうん……そうだ! いろは、身体洗ってあげる!」
「は……? ちょっとやめ……胸触んな!」
「日頃の感謝〜〜」
なにが感謝だ。やはり宇宙人は理解できない。
シャワーを浴びたらすぐ帰るはずだったのに、結局私は風呂に浸かることになった。かぐやを放置するわけにはいかなかったし、疲労に冒されたこの身体では目の前の誘惑に抗うことはできなかった。畜生。
かぐやは私の隣で気持ちよさそうにしている。なんなら、鼻歌までしてる。メロディは私がかぐやに作った曲だった。嬉しさと恥ずかしさが入り混じってしまう。まあいいや、今は私たち以外いないし。
不意に肩に重さを感じた。かぐやがぴったりとくっついてきて、頭を載せていた。濡れぼそった金色の髪が色気を醸し出している。普段のかぐやはまるで太陽のようだけれど、今のこいつは蠱惑的で見るものを狂わせる月のようだった。思わず息を呑んだ。
「ねー……いろは」
「……なに?」
「私たちの関係ってなんなんだろうね」
「地球人と宇宙人」
それ以外にはない。ないったら、ない。
「また意地悪言ってる〜」
かぐやが気にする素振りもなくケラケラと笑う。
「リスナーのみんなに聞かれたんだよね。いろはとはどんな関係なのって。いろPはいろPだよって答えたけど……いろはにとって、かぐやはなに?」
「従妹ってことにしてるし、ならそれでいいでしょ、関係の名前なんて」
友達、ではないと思う。
赤子から育てたんだから母と娘? いやいや、産んだ覚えはない。
なら……なんなんだろう。早く迎えが来てほしい居候だろうか。
「いろはのこと話すとたまにコメントされるんだよね。もういろはと結婚しろって。竹取物語にもあったけど…、ねえいろは、結婚……ってなに?」
「それ、私にきく? ……互いの気持ちを確かめ合った男女が不変の愛を誓うの。それが結婚」
「え、男女限定?」
「この国の法律上はね。……そういうのは、真実に聞いてよ。彼氏と結婚したいと言ってたし」
「かぐやは、いろはから聞きたいんだけど」
「なんで私……。わかんないよ。告白されたこともあるけど——」
「告白っ!? 誰から!」
「バイトの客とか……あとは同級生とか? でも全部断ってる。結婚以前に、付き合うってこと自体考えられないよ。今の私は、勉強とバイトと……あんたのことで手一杯なんだから」
父と母はどうだったんだろう。どう出会ったんだろう。
そういうことを聞く前に、理解できるようになる前に、父は逝ってしまったし、母は変わってしまった。一足先に思春期を迎えているはずの兄は、そんな姿を見せずに私を置いて出て行ってしまった。
私はいつか、そういう相手を見つけるんだろうか。相手が男だとしたら、そいつの子供を産むんだろうか。
全然想像がつかない。一瞬でも、一生隣にいてほしいと思える相手なんてできるんだろうか。
「そっかぁ……かぐやのことでいっぱいかあ……」
なに嬉しそうにしてるんだこいつは。先ほどよりもさらに、こちらにしなだれかかってくる。甘い匂いが鼻孔の奥をくすぐった。多分、バスボムの匂いだ。
二人だけの浴場は静かだ。目を閉じれば、耳に届くのは水の流れる音と、かぐやの息遣いだけ。
はっきりと存在がわかるのは、ぴったりと寄り添うかぐやだけ。
かぐやは……いつか結婚するんだろうか。
なし崩し的に私の家に住んでいるけれど、もしも迎えが来なかったら? ずっと私と一緒にいる気なんだろうか。
それとも、どこかで……例えばリスナーの中から相手を見つけて、そいつの下へ行くんだろうか。名前のつけられない私たちの関係を捨てて、分かりやすい関係を選ぶ時が来るんだろうか。胸の奥がチクリと痛んだ。
……長く浸かりすぎだ。もう出ないと。