取引先から直帰させてもらい、ずっと行きたかったラーメン屋に行ける!
その喜びの中、さらなる幸運が山田に起こる。
取引先で余っていた高級料亭の仕出し弁当を貰えたのだ!
一度は食べてみたいと思っていた料亭の味が、
ひょんな事で手に入り、山田はますます有頂天になるのであった。
“美食と快楽のテーマパーク!
グラウンドシャットーへようこそ!”
派手なネオンで書かれた看板が毒々しい
歓楽街のど真ん中に立った最近評判の円柱状の大きなビル。
中には飲食店、居酒屋、BARの他に
キャバクラはもちろん、ヘルスにソープと大人のお店も
多種多様なものが揃えれている。
しかも、各階だけに留まらず、
同じ階でもそれぞれフロアが分かれていて、
それぞれの特徴に合わせて、
ヨーロッパの街並み、ジャングル奥地の森林地帯、
砂漠に出来たオアシスの街など、
外国に迷い込んだのかと錯覚するほどの風景であったり、
洞窟や火山地帯、辺り一面氷と雪の銀世界など、
普段危険すぎて立ち寄れない様な景色が体験できたり、
中世ヨーロッパ風から江戸時代の江戸の街並み、
と言った現代では立ち寄る事は絶対不可能な
異世界体験まで出来てしまう、
流石、テーマパークと豪語するだけの事はある。
さらにユニークなのが、各フロアへの唯一の移動手段である
エレベーターである。
エレベーターの中は電車の中の様な内装になっていて、
乗っているだけで、各フロアの風景を窓から眺められるのだ。
ちなみに各フロアの境目はトンネルという事に
なっていて、
「トンネルを抜けるとそこは異世界だった」
という感覚をフロアが変わるたびに、体験出来る。
中には大人のお店も多い為、子供連れでも楽しめる様にと
そういったお店が子供の目に触れない配慮でもあるのだとか。
エレベーターで上下のみならず各フロアへ
水平移動させなきゃ行けないので、レール方式が取られており、
エレベーターというより電車の様であった。
食欲と性欲、さらには娯楽まで提供してくれるこのビル。
まさに人の欲が凝縮されたそれは、
その円柱状の形も相まって、ソドムゴモラの街を
バベルの塔にした様な背徳感の塊だった。
法人向けのシステム管理会社に勤める山田は、
サーバーの動作チェックを兼ねて取引先に立ち寄る。
取引先では、その日、創業30周年のお祝いがあったようで、
高級料亭の仕出し弁当を全社員に振舞ったらしい。
食いしん坊の山田は、
「え!あの料亭の仕出し弁当ですか!羨ましい!さぞかし美味かったでしょう」
と先方の担当に言ったところ、
なんといくつか余ったから一個くれると言う。
もちろん山田は遠慮せず、
「ご馳走になります!」
とちゃっかり貰う。
貰った時、少し覗いてみたが、流石は日本随一の高級料亭。
「めちゃくちゃうまそうだ。」
思わず呟いてしまい、
先方の担当の人に笑われてしまったりもした。
山田も散々担当の人にお礼を言って取引先を後にする。
移動しながらも山田は思わぬ収穫に上機嫌だった。
仕出し弁当は異様に大きかったので、
嵩張って鞄と一緒に持つには少々邪魔であったが、
その大きさすら食べる楽しみを増幅させてくれた。
歩きながらも、
「少しツマんじゃおうかな?」
と何度も誘惑に駆られた。
ただ、その日は別に目的があった。
その為に上司には時間も遅いし、社に戻るより家に帰る方が近いと
直帰の許可まで事前に取り付けていた。
山田は帰りにずっと行きたいと思っていた有名なラーメン屋に
立ち寄るつもりだったのだ。
ラーメンの為、今はこの美味そうな弁当は我慢だ。
今、余計なものを腹に入れてはラーメンを120%堪能
出来なくなってしまう。
弁当はちゃんと家に持ち帰って、明日の豪華な朝食として
とっておく事にした。
電車で2駅だけ移動し、歓楽街を少し入った所に
目的のラーメン屋の入ったビルを見つける。
そのビルこそ、今話題の、
“美食と快楽のテーマパーク”、グラウンドシャットーだ。
この中に夢にまで見たあのラーメン屋が入っている。
時間はまだ5時前という事で、まだ混み合っているというほどではない。
早速、エレベーター前の案内板でラーメン屋が何階か確認し、
ちょうどそのタイミングで開いたエレベーターに飛び乗る。
中に入って、山田は面を喰らう。
エレベーターの中だというのに、内装が電車の中の様だ。
事前に聞いてはいたが、そっくりそのまま電車の中だったので、
自分がエレベーターに乗った事を一瞬忘れてしまうほ程だ。
思わず、
「へぇー、すごいなー」
と呟いてしまう。
窓の外はしばらく真っ暗だったが、すぐに明るくなる。
窓の外にはイタリアのローマの街並みが広がった。
昔映画で観たそのまんまの風景が窓の外に広がっている。
その風景に魅入っていると、十数秒後にはまた真っ暗になり、
明るくなった時には牧歌的な田園風景が目の前にあった。
そして、さらに十数秒後には海の家立ち並ぶ浜辺。
目まぐるしく窓の外の景色は変わっていった。
1つの階層だけでも面積だけならサッカー場が丸ごと一個入る程大きい、
それが30階層も積み重なる特大級の円柱状のビル。
一階層丸ごと一つの世界観で統一されていることもあれば、
1つの階が4つのエリアに分けられていることもある。
様々なテーマのエリアは全部で80エリア以上あるのだとか。
電車風内装の吊り広告にそんな風な事が書かれている。
エレベーターはそのビルの外周をぐるぐる回りながら各エリアを通って、
上の階層に上がっていく。
エレベーターを降りると別世界という演出の一つなのだとか。
しかも、脇にはトイレまで付いている。
80個もある各エリアを通るのだから、
最後まで回るのに早くて15分はかかると、
これも吊り広告に書いてある。
その長さのせいか、はたまた乗客の大半が酔っ払いだからか、
まあ両方の理由なのだろう。
ちょど催していた事もあり、
これも記念だとトイレに向かう。
正直、窓の景色を眺めていたいという気持ちもあったが、
せっかくのラーメンを尿意を我慢しながら食べるとか、
勿体無さ過ぎる。
「まあ、どうせ帰りも観られるんだし」
と自分に言い聞かせてトイレに入ると、
トイレの中は簡素な作り。
工事現場やイベント用の臨時仮設トイレに近い。
トイレに入ると鞄と弁当で両手が塞がっている事に
気がつく。
荷物を置く棚の様なスペースがあったので、
鞄は肩に掛け、
少し大きめの正方形の形をした仕出し弁当は
棚に置いて小便を行う。
ちょうど用をたし終わった時、
エレベーターが目的の場所に到着したとアナウンスがあり、
急いでエレベーターを飛び出す。
ふぅっと一息ついて、落ち着い瞬間、
弁当を置き忘れていた事に気づく。
「マズい!」
急いで、エレベーターに戻ろうとしたが、
間一髪、エレベーターは閉まって動き出していってしまう。
一瞬、呆然と立ち尽くしていたが、
「弁当を取り返さなきゃ」
と我に帰る。
「せっかくの弁当を失ったまま、こんな気持ちでせっかくのラーメンを食べても美味しく戴ける訳がない!」
しばらく待つと、再びエレベーターの扉が開く。
それに飛び乗り、トイレに直行するが、
「ない!」
あるはずの弁当が無いのだ。
そこで、重大な事実に気が付く。
普通のエレベーターならそこで待っていれば戻ってくるのだが、
このエレベーターは電車の様に各エリアを巡回している。
レールの上を複数のエレベーターが等間隔で連なって。
ここで待っていても来るのは別のエレベーターだ。
弁当を忘れた先ほどのエレベーターが来るのを待っても、
最短で片道15分。ぐるりと回って30分はかかる。
待っている間に弁当を横取りされてしまうのではと不安になる。
そのままそのエレベーターに乗ってても仕方が無いので、
閉まる直前に降りる。
「さあどうしたものか…」
このまま待っていてもいいが、それでは時間がかかり過ぎる。
しかも、今はまだ5時前だから混んではいないが、
30分後には会社帰りのサラリーマンで混み始めるだろう。
何か良い手は無いか、辺りを見渡す。
「あ…」
そこで目に入った物に、一瞬思考が停止する。
各階移動用エレベーター。
全エリアを巡回する先ほどまでのエレベーターとは違い、
これは各階に向けて上下のみに動くエレベーターの事。
平たくいうと「普通」のエレベーターだ。
「あったんかい!」
思わず自分で自分にツッコミを入れてしまう。
よく考えれば、当たり前だ。
常連客まで毎回10分近く景色を眺めて移動するなんて、
このせっかちな人が多い街である訳がない。
何故今まで気がつかなかったのか、
自分で自分が情けなくなる。
「いや、今は反省などしている場合ではない!兎にも角にも、これで先回りが出来る!今なら、1つの上の階に行くだけで先回りが出来るはず!」
そう気持ちを持ち直し、エレベーターの上へ行くボタンを押す。
「待ってろ弁当!すぐ迎えに行くぞ!そして、共にラーメン屋へ行こう!」
心の中で弁当に話しかけながら山田はエレベーターの
到着を待つのであった。
しかし、
「なかなか来ないな…」
既に体感で5分くらい待っているがエレベーターは来ない。
複数のエレベーターが連結しているレール式巡回エレベーターと違い、
一つのエレベーターが1階から30階まで行ったり来たりしている
上下移動式とで待ち時間に差が出来るのは当然だ。
しかも、今は夕方の時間帯。家路を急ぐ人も多い。
上下移動式エレベーターは大盛況なのだろう。
この間にも、弁当を乗せたエレベーターは上を目指して
登っていってしまっている。
「今、何階くらいにいるだろうか?」
最短15分で全エリア通過するというのなら、
5分で1/3だ。
このビルは30階建てだから10階くらいには行っているかもしれない。
しかし、体感で5分と言っても時計を見て測ったわけではない。
何故、時計を見ておかなかったのか、今更ながらに悔やまれる。
それに、各階、1つしかエリアが無いところもあれば、
4つのエリアに分かれている階もある。
その場合、エレベーターの進行速度はどうなるんだろう。
念の為、15階くらいまで上がった方がいいかもしれない。
疑心暗鬼が思考を焦らせる。
その時、
チンッ!
と音が鳴りエレベーターのドアが開く。
「やっと来た!」
降りる人も居なかったので、山田はエレベーターに飛び乗り、
15階を押す。
ヴーン、ン、ン…
と静かな振動と共にエレベーターが動き出す。
そして、一般もしないうちに、
チンッ!
となって、目的の15階に着いた。
エレベーターのドアが開くと飛び出す様に降りて、
巡回エレベーターのドアの前に陣取る。
チンッ!
ほとんど同時に巡回エレベーターが到着してドアが開く。
ダッシュでエレベーターに転がり込みトイレを確認。
「ない」
確認が終わるそのままエレベーターから出る。
「よし!次だ!」
再度、次のエレベーターを待つ。
待たされる事約3分。
チンッ!
次のエレベーターが到着。
再びダッシュでエレベーターの中へ突入し、トイレのドアを開ける。
「無い…」
計算上だとそろそろ目的のエレベーターに追いつくはず、
このまま、ここでエレベーターが来るのを待っていても良いのだろうか?
と不安がよぎる。
エレベーターを出ながら、
「何か見落としがあるのか?」
と考えてハッと思い当たる。
はじめに降りた、目的のラーメン屋があるエリアは5階だった。
余裕を見て15階上の階に行くなら、20階で降りなきゃいけなかった。
ここは15階。
先回りと呼ぶには少々余裕がない階層。
しかも、ここに来てから3分以上経つ。
時間的に先回りに失敗したと考えて間違い無いだろう。
「やらかした!」
後悔が頭を巡る。
焦る頭をフル回転させ考える。
今更追いかけても追いつくかどうか分からない。
「どうする?どうする、俺!」
その時、巡回エレベーターの案内に、
「上り」と「下り」の2種類の表示を見つける。
今山田がいる場所が「上り」のエレベーター乗り場で、
少し離れたあったには「下り」のエレベーター乗り場があるらしい。
全く考えすらしなかったが、よく考えれば当たり前だ。
最上階まで登るエレベーターがあるのなら、
最上階から下に降りるエレベーターがあるのは当然だ。
そこで山田は閃く。
「今から追いかけても最上階で追いつけるかどうか分からない。なら諦めてこのままここに止まり、下り側のエレベーターを確認した方が確実に弁当をゲット出来る!」
その考えに至った時、山田は約束された勝利にガッツポーズまでする。
早速、下りのエレベーター乗り場へ移動し、
エレベーターを待つ。
5時という時間帯のせいか、
下りの巡回エレベーターを利用する人は少なかった。
チンッ!
間も無く、エレベーターが到着。
エレベーターが空いているおかげで最前列でエレベーターの中に突入。
トイレを開け、覗き見る。
「無い」
弁当がない事をちゃんと目視で確認すると、
速やかにエレベーターを出る。
「よしっ!次だ!」
時間的にはまだ早いが、後悔したくないので、これから来る
エレベーター全てを確認するつもりだ。
外で待つ事2分弱。
チンッ!
次のエレベーターが到着。急いで中に入り、
弁当がない事を確認するとエレベーターを出る。
その次も、その次も、
トイレを確認してはエレベーターを出るの繰り返し。
初めの方こそ、
「よし!次に期待だ!」
とか
「次こそは!」
と意気込んでいた山田も、この作業が10回を過ぎた辺りから、
「え?まだ無いの?」
「あれ?そんなはずはないんだけどな…」
と徐々に勢いが衰えていく。
段々と、
「あれ?間に合わなかったのか?そんなはずは…」
「もしかして、盗られたのかも…」
と、自信をなくし始める。
そして、確認作業も15回目。ついに…
「…諦めよう」
と涙目で呟く。
そのまま下りのエレベーターに残り、下に戻る事にする。
力無く座席に座る山田。
目の前の風景が、目まぐるしく変わっていったが、
それを楽しむ余裕は山田にはなかった。
そもそも、涙目で外の景色なんてぼやけて見えない。
今、山田の頭にあったのは、
来る途中に覗いた美味そうな弁当だけ。
区切られた小さな枠には、それぞれ3種類のご飯。
他には天ぷらと鮭、あと椎茸とフキ見えたから煮物か。
あとは見えなかったけど、見えなかったからこそ
気になる、焦がれる、憧れる。
しかし、それももう知る事は出来ない。
「弁当は…失われて…しまった!」
喪失感に目から零れ落ちる涙。
悲しみに打ちひしがれているうちに、
チンッ!
と気付けば1階まで戻って来ていた。
朦朧としながらエレベーターから出る山田。
少し歩くと、来た時に乗った上りエレベーターの
乗り場が見えて来る。
ふと、山田はここに来た時の、希望に満ちた自分を思い出す。
初めてのグラウンドシャットーに興奮しながら、
片手には鞄、もう片方には…弁当があった。
しかし…
「もう、君は…いない」
涙がとめどなく溢れ出し、足に力が入らなくなり、
山田はその場に崩れ落ちてしまい、
「う、うう…ううう…」
そのまま嗚咽する。
「お客様!大丈夫ですか?」
その様子を見てスタッフが心配そうに駆け寄る。
「いかがなさいましたか?」
山田の肩にそっと両手を添えながら、優しく見つめるスタッフ。
その優しくも真剣な眼差しに、
「弁当を…エレベーターに…忘れてしまいました」
と嗚咽で途切れ途切れになりながらも伝える。
それを聞いてスタッフはインカム越しに、
「お客様よりお忘れ物の問い合わせ、エレベーターに、はい、弁当。そうです弁当。」
と何やら話している。
するとすぐに、
「お客様、最上階で点検の際、みつけた為、先ほどの事務所に運び込みお預かりしているとの事です」
と嬉しそうな笑顔で教えてくれる。
「ほ、本当ですか!弁当は無事なんですか?」
と今度はスタッフの方に自分の両手を問いただす様に聞いてしまう山田。
それでもスタッフは優しく、
「中は確認しておりませんが、特に外傷等もなく、トイレの棚の上に置いてあったそうです。」
と笑顔だ。その笑顔はお客様の役に立てた事への喜びに満ちていた。
その笑顔を眩しく思いながらも、
「お願いします!僕を!そこに連れて行って下さい!」
とビルの管理事務所へ案内して貰う。
そして、事務所で弁当と待望のご対面を遂げる。
「お前!無事やったんか!よくぞ!よくぞ帰って来てくれた!」
とこぼれない様に水平に弁当を抱きしめる。
その後、山田は事務所のスタッフ達に何度も何度もお礼を言い、
そのままビルを後にする。
帰り道、歩きながら弁当を袋ごと持ち上げると再び、
「おかえり!」
と弁当に向かって言う。
通りすがりの人がギョッとした顔でこちらを振り返ったが、
そんな事構うもんか!
俺とこいつは、今、大冒険の末にやっと巡り会えたんだ!
と、先ほどまでの絶望を思い出す。
辛い思い出だったが、今、両手にある弁当の確かな重みが、
その悲劇が過去である事を証明してくれた。
「ありがとう!」
と、山田は弁当に言うのであった。
そして、帰りの電車に乗り込む山田。
弁当を抱え、上機嫌の山田は突然思い出す。
「あっ!ラーメン食べるの忘れてた!」
そう呟いた時、電車はドアが閉まり、無情にも走り出すのであった。