女狩人がヒロアカ世界の公安に所属して獣を狩る話   作:ブラボクロス増えろ

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連行と引き渡し

 深夜の別荘前は、実に騒がしかった。

 

 赤く点滅する警告灯。濡れたアスファルトを滑るサーチライト。警察車両と救急車の白い車体。怒鳴る警官、担架を運ぶ救急隊員、被害者を保護するために走り回る者達。あれほど血と悲鳴に満ちていた建物の外側に、人間社会が好む手続きという名の薄い幕が、慌ただしく張られていく。

 

 その中心で、神楽木が救急車へ押し込まれていた。

 

 彼は致命傷を負っているわけではない。服は乱れ、頬には床へ押さえつけられた時の擦り傷があり、足元は恐怖で覚束ない。だが骨が砕けているわけでも、内臓が裂けているわけでもなかった。損なわれたのは肉体よりも、己は許され、守られ、他人を踏みつける側の人間であるという、安っぽく肥え太った自尊心の方だ。

 

 拘束具を確かめる警察官の手つきは慎重だった。医療隊員は念のため脈と瞳孔を見て、逃走の危険がないかを確認する。手順だけを見れば正しい身柄の保全である。だがフローレンスの目には、獣をわざわざ檻へ入れ直し、その鍵を紙の規則に預けて安心しているようにしか映らなかった。

 

 人間はいつもそうだ。名前をつければ理解した気になり、書類に記せば支配した気になり、鉄の檻へ入れれば安全になったと思い込む。まったく、己の鈍さにここまで自信を持てるのだから、ある意味では見事な才能と言ってやってもいい。

 

 フローレンスは、別荘から少し離れた給水塔の上に立っていた。

 

 夜風が白金の髪を撫でる。黒い狩装束の裾がゆっくりと揺れる。眼下では大勢の人間が動いているというのに、彼女だけは彫像のように静かだった。救急車の光も、警察官の怒号も、保護された被害者の泣き声も、彼女にとっては大した意味を持たない。重要なのはただ一つ。あの獣が、まだ息をしているという事実だけだ。

 

 啓蒙を少し高める。

 

 すると世界の輪郭が、薄い皮を剥がされたように変わった。救急車の中、座席に押し込まれた神楽木の背後から、泥のように黒い影がずるりと這い出している。肉が腐り、骨が歪み、形になり損ねた獣の気配。人の姿をしたものが、その精神の底から腐敗し、いずれ己の皮を破って外へ出ようとしている不吉な徴。

 

 この世界の者達は、それを個性や犯罪性や精神の歪みなどと呼ぶのだろう。実に不正確で、実に人間らしい呼び方だ。フローレンスからすれば、それはもっと単純で、もっと明白なものだった。

 

「……生かしておく価値のない、醜悪な獣だ」

 

 呟きは夜風に溶けた。

 

 その指先が、無意識に仕込み杖の柄へ触れる。今からでも遅くはない。距離はある。警察もいる。オールマイトもいる。だが、それがどうしたというのだろう。彼女にとって距離は障害ではなく、警備は飾りであり、英雄とやらは少々眩しいだけの羊飼いに過ぎない。

 

 ただし今は命令が止めている。

 

 正確に言うなら、命令そのものではない。あの場でオールマイトと公安を衝突させれば、今後の狩場が無駄に荒れる。つまらない人間達の混乱に巻き込まれ、彼女の夜が騒がしくなるのは好ましくなかった。優れた者は、劣った者をいつでも踏み潰せるからこそ、踏み潰す時を選べるのである。

 

 救急車の傍らで指示を出していたオールマイトが、不意に顔を上げた。

 

 数百メートルは離れているはずだった。だが平和の象徴と呼ばれる男の視線は、暗がりに佇む白銀の少女を正確に捉えた。彼は強い。少なくとも、この国の人間達の中では抜きん出ている。だからこそ、見えてしまったのだろう。あの少女が放つ冷気は、ヴィランの殺意とは異なる。憎しみでも怒りでもない。ただ、終わらせるべきものを終わらせるという、底のない断定だった。

 

 オールマイトの背筋に、冷たいものが走った。

 

 彼は自分の手で止めたものの意味を理解している。神楽木を救ったのではない。あの場で殺させなかっただけだ。そして殺させなかった以上、法が彼を裁けると証明しなければならない。そうでなければ、フローレンスの冷たい断定が正しかったことになる。平和の象徴として積み上げてきたものが、ただ獣を逃がすための綺麗な飾りだったと認めることになる。

 

 フローレンスはそれを見て、薄く笑う。ようやく少しは分かる目をしているではないか。だが、分かったところで遅い。彼が神楽木を法の前へ運ぶと決めた以上、次にその法がどう破れるのかを、彼自身の目で見ることになる。

 

 翌朝、事件は美しく塗り替えられた。

 

 報道では、山間部の別荘で大規模な違法武装集団が制圧され、現場に急行したオールマイトと警察の連携によって関係者が保護された、ということになっていた。凄惨な死体も、公安の暗殺運用も、オールマイトが止めた処刑も、画面の中には出てこない。まして月狩などという名は、最初から存在しなかったかのように伏せられていた。

 

 大衆はそれを受け入れた。正義が勝った。社会はまた一つ、守られた。そう信じて拍手する者達の顔をフローレンスは高層ビルの屋上から眺めていた。

 

 飾られること自体は悪くない。彼女ほど飾られるに相応しい存在もないのだから、そこに異論はない。だが飾りは現実を変えない。神楽木はまだ生きている。獣の病は、まだ終わっていない。

 

 救急車の中で神楽木は警察官に両脇を固められていた。

 

 身体を震わせているのは痛みのためではない。あの白い髪の少女に見下ろされ、己が本当に殺されかけたという事実が、今さら胃の底からせり上がってきたからだ。だが恐怖だけで終わるなら、彼はまだ人間だっただろう。その恐怖はすぐに、屈辱と憎悪へ姿を変えた。

 

「……ふ、ふふ……」

 

 父の権力がある。金がある。名前がある。これまで何度も自分を守ってきた仕組みがある。ならば今回も同じだ。法は自分を罰するためではなく、自分を守るためにあるのだと、神楽木は本気で信じていた。

 

「あの、白い髪の女……必ず、俺の足元で泣き叫ばせてやる……!」

 

 その瞳の奥で黒い影が蠢いた。

 

 フローレンスの見立ては正しい。獣は檻へ入れられたのではない。ただ次に噛みつくため、少しの間、暗がりへ運ばれていっただけだった。

 

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