女狩人がヒロアカ世界の公安に所属して獣を狩る話   作:ブラボクロス増えろ

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再会の宣告

 暗い鉄扉の向こうから、白銀の少女が歩いてくる。

 

 地下室に満ちていた血の臭い、黴の臭い、恐怖で濁った人間の息。それらが、彼女の一歩ごとに冷えていった。フローレンスの全身から放たれる月の神秘と啓蒙の圧は、熱を奪う。叫びも、怒号も、心臓の鼓動さえ、彼女の前では少しずつ音を失っていく。

 

 前回とは違う。

 

 背後に止めに入る光はない。警察の手続きも、オールマイトの理想も、公安の体面すら、この地下室の扉の外へ置き去りにされていた。今ここにあるのは狩人と獣だけである。命令は下った。獲物は逃げた。再び牙を剥いた。ならば次に必要なのは議論ではなく、終わりだ。

 

 神楽木がどれほど金を積んだのか、どの程度の護衛を集めたのか、そんなものは問題にならない。羊が群れて牙を飾ったところで、狼にも狩人にもなれはしない。フローレンスはその程度のことを、わざわざ考えるまでもなく理解していた。

 

「き、来た……! 本当に来たぞ! あはははは!」

 

 神楽木は笑った。恐怖に顔を歪めながら、それでも笑った。

 

「おい! やれ! あいつを殺せ! 今度こそ、あの生意気な面をズタズタにしてやるんだ!」

 

 新たに雇われた武装ヴィラン達が一斉に動く。

 

 ある者は肉体を鋼の塊へ変え、ある者は空間を切り裂く真空の刃を放ち、ある者は床から棘を生やして進路を塞いだ。彼らは事前に月狩の噂を聞かされていた。公安の飼う処刑人。黒衣の少女。プロヒーローの名を借りた暗殺者。だが噂は現実より軽い。実際に彼女を前にした瞬間、金で買った勇気は足元から静かに剥がれ落ちていく。

 

 フローレンスにとって、それらの攻撃は停止しているも同然だった。

 

 彼女の体が滑るように沈む。真空の刃は白金の髪を一房揺らすだけで通り過ぎ、鋼の拳は空を殴った。次の瞬間、短銃が火を噴く。水銀弾は鋼を砕くためのものではない。重心を狂わせ、踏み込みを乱し、開くべき場所を開かせるためのものだ。

 

 鋼の男の膝が折れる。

 

 胸が開く。

 

 そこへ仕込み杖が滑り込んだ。

 

 内側へ。命へ。狩人の刃は迷わない。男の巨体が床へ崩れ落ちるまで、悲鳴らしい悲鳴すらなかった。

 

 残った護衛達の足が止まる。

 

 彼らは凶暴で、粗暴で、己の個性に自信を持っていた。だがその自信は、人間同士の喧嘩の中で育ったものに過ぎない。目の前の少女は勝つために戦っているのではない。相手が死ぬべき場所を最初から知っており、そこへ刃を届ける手順だけを、退屈そうに実行している。

 

 その退屈さこそ、彼らには何より恐ろしかった。怒りなら理解できる。復讐なら交渉の余地がある。だがフローレンスの視線には熱がない。汚れた皿を片づけるように、伸びた枝を剪定するように、ただ必要だから殺すという静かな確信だけがあった。

 

「ば、化け物……」

 

 誰かが呟いた。

 

 フローレンスは少しだけ目を細める。恐怖による失礼な評価ではあるが、凡庸な者の語彙などその程度のものだ。彼女ほどの存在を前にして正確な賛辞を選べないことまで、いちいち咎めてやる義理はない。

 

「下がりなさい。今の私の機嫌なら、逃げる背中までは追わないわ」

 

 それは慈悲ではない。刃についた血を払う手間を惜しむ、貴婦人の退屈な寛大さだった。

 

 だが一人が恐怖に耐えきれず、叫びながら個性を暴発させた。床の破片が棘となって跳ね上がり、人質ごと地下室を貫こうとする。フローレンスの刃が円を描いた。銀の軌跡が月輪のように広がり、飛来した破片だけを選び取って砕いていく。

 

 次に響いたのは短い足音。

 

 彼女はもう男の懐にいた。肘、喉、腹、膝。必要な箇所だけを壊し、最後に柄頭で顎を打ち抜く。男は意識を失い、壁へ叩きつけられた。殺す価値もない者には、死すら与えない。その選別こそが、彼女の傲慢であり、美学だった。

 

 地下室に残ったのは血の匂いと、凍りついた呼吸だけである。

 

 返り血は、彼女の白い頬と狩装束を鮮やかに汚していた。普通の少女なら悲鳴を上げ、震え、拭い取ろうとするだろう。だがフローレンスは違う。血を浴びた瞬間、むしろその銀の目には冷たい生気が戻り、唇にはうっすらと満足げな笑みすら浮かんでいた。狩人とはそういうものだ。血を忌避するのではなく、血の中で己の輪郭を取り戻す。月に照らされた白金の髪と、頬を伝う赤だけが、この地下室でひどく美しかった。

 

 神楽木は後ずさっていた。背中がコンクリートの壁にぶつかる。先ほどまで彼の内側で燃えていた歪んだ渇きは、フローレンスが近づくたびに、醜い悲鳴へ形を変えていった。

 

 彼はようやく理解し始めていた。自分が欲しがっていたのは勝利ではない。あの夜に刻まれた恐怖を、別の誰かへ押しつけて忘れたかっただけだ。だが恐怖の源が目の前へ戻ってきた以上、どれほど叫んでも、どれほど金や家名を並べても、彼の中の空洞は埋まらない。

 

 つまり彼は最初から負けていたのだ。釈放された時も、部下を縛った時も、血を見て笑った時も、あの銀の目から逃げるために暴れていただけに過ぎない。

 

「ち、違う……俺は、お前に勝てるはずなんだ。親父がいる。金がある。全部、全部あるんだぞ!」

 

 フローレンスは答えない。

 

 拘束された少女の首元にある浅い傷を一瞥し、床に転がる刃を見る。致命には届いていない。ならば今はよい。彼女の関心はすぐ神楽木へ戻った。目の前の獣は、まだ息をしている。まだ喋っている。まだ己を人間の側に置こうとしている。

 

「ひ、光よ……オールマイトはどこだ! あいつを呼べ! 俺を守るんだろ、平和の象徴なんだろ!」

 

 祈りではない。檻の中で鳴く獣の悲鳴だった。

 

 フローレンスは仕込み杖を変形させた。畳まれていた刃が一本の凶器へ戻り、月光を受けて冷たく輝く。銀の目は、神楽木の奥で膨れ上がる黒い腐敗を、何の感慨もなく見下ろしていた。

 

「羊の光は、ここには届かないわ」

 

 神楽木の喉が情けない音を立てた。

 

「あなたは法に救われ、権力に守られ、愚かな群れの慈悲でここまで生き延びた。けれど、それもここまでよ。獣が檻を破ったのなら、狩人が始末する。実に単純で、美しい道理でしょう?」

 

 フローレンスは微笑んだ。

 

 それは救いではなく、宣告だった。地下室の外では、まだ都市の夜が続いている。誰かが笑い、誰かが眠り、誰かが明日の予定を考えている。その平穏の下で、ひとつの獣が終わろうとしていた。

 

 彼女にとって、それは世界を救う偉業ではない。

 

 ただ、目障りな汚れを払うだけの、当然で優雅な後始末だった。

 

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