ブラボ×ヒロアカ 作:ブラボクロス増えろ
戦いが終われば、そこには退屈な日常が戻ってくる。
公安が用意した、都心の超高層高級マンションの一室。
外界の喧騒を遮断した防音室の中で、フローレンスは一人、仕込み武器のメンテナンスを行っていた。
ガシャリ、と金属が噛み合う小気味よい音が室内に響く。
彼女が手にしているのは、一見するとただの美術品のような美しい銀の杖だ。
だが、その内部には無数の刃とバネが仕込まれており、彼女の意思一つで、肉を裂く獣の爪にも、敵を薙ぎ払う鞭にも変形する。
部屋の壁際には公安が用意した最新式の検査機器が整然と並んでいたが、フローレンスにとってそれらは、己の手入れを横から眺めるだけの鈍い置物に過ぎなかった。刃の噛み合わせ、血溝に残った汚れ、握りのわずかな歪み、そのすべてを彼女の指先は機械より早く、機械より正確に読み取る。人間どもが数値にしなければ理解できないものを、彼女は触れた瞬間に支配下へ置くのだから、比べること自体が侮辱に近かった。
彼女はこの武器の扱いを、誰に教わったわけでもない。
だが、彼女の肉体は、その技術を知っていた。
「……ヤーナム」
不意に、脳裏をよぎる記憶の断片。
燃え盛る古い街並み。獣の病に侵され、人ならざる姿となって咆哮を上げる異形ども。
そして、それらを冷酷に、しかし慈悲深く狩り続ける狩人たちの姿。
それは彼女にとって、夢などという生易しいものではなかった。
啓蒙と呼ばれる、世界の真実を認識する力。
彼女はその高い啓蒙ゆえに、この個性社会という偽りの世界の裏側にある、本質的な恐怖を理解しているのだ。
この世界の人々が個性と呼んで喜んでいる力など、深淵の神秘に比べれば、子供の水遊びにも等しい。
誰もが才能を名札のようにぶら下げ、それを理由に怯え、威張り、泣き、縋る。愚かで可愛げのない群れだとフローレンスは思う。力とは、持っていることに意味があるのではない。どこへ踏み込み、いつ撃ち、どの瞬間に相手の命を引き剥がすかを理解して初めて、力と呼ぶに値する。だから彼女にとって、現代のヴィランもヒーローも大差はなかった。獣らしく吠えるか、正義の看板を掲げて吠えるか、その程度の違いでしかない。
スマートフォンの電子音が、静寂を破った。
画面に表示されたのは、公安からの短い指令文。港湾地区の廃倉庫に、違法薬物の密売を行うヴィラン連合の残党が約十名。処理を求む。無駄な感情も、余計な敬語も、そこにはなかった。
フローレンスは無言で端末を閉じ、仕込み杖を手に立ち上がった。
鏡に映る己の姿を見る。
やはり、完璧だ。
夜の闇に溶け込む黒い狩装束を身に纏っても、彼女の白金髪と銀眼は、決してその輝きを失わない。
公安は彼女に出動許可、偽装身分、移動経路、現場の封鎖予定までをまとめて送ってくる。だが、そんな段取りは彼女の狩りを飾る薄紙に過ぎなかった。獲物がどこにいるか。それがどれほど腐っているか。狩場に入った瞬間、どの壁が壊れ、どの床が血を吸うか。必要なのはそれだけであり、他の情報は人間どもが自分たちも役に立っていると信じるための慰めでしかない。
「さあ、狩りの時間だ」
深夜の港湾地区。
潮風が吹き荒れる廃倉庫の中では、数人の男たちが神経質に銃を構えていた。
彼らは警察の包囲網を突破し、ここに逃げ延びた手練れのヴィランたちだ。
「おい、本当にここなら安全なんだろうな?」
「ああ、公安の目も、ここまでは届かねえはずだ。明日の朝になれば、密航船が来る」
そう言い合った瞬間、倉庫の重い鉄扉が、音もなく開いた。
吹き込む冷たい潮風。
その風に乗って、一人の少女が滑り込んでくる。
「誰だッ!?」
男たちが一斉に銃口を向けた。
だが、フローレンスの動きは、彼らの認識のさらに先を行っていた。
バァン!
彼女が懐から取り出した、古風な二連装拳銃が火を噴く。
放たれたのは通常の弾丸ではない。彼女の血液を媒介にした水銀弾だ。
弾丸は、先頭の男が発動しようとした個性の隙――肩が動く前に背中が強張り、呼吸が攻撃へ傾く、そのわずかな弛緩を完璧に撃ち抜いた。
「がはっ!?」
男の体勢が大きく崩れ、膝をつく。
これこそが、狩人の真髄。敵の攻撃の出鼻を挫き、致命的な隙を作り出す銃パリィである。
フローレンスはその隙を見逃さない。
一歩の踏み込み。
彼女の身体が、一瞬で男の懐へと滑り込む。
その動作には、一切の無駄がない。
ただ、相手の命に届く最短の線をなぞるだけの、極限まで洗練された身体動作。
ズブ、と彼女の素手が、男の胸部に深く突き刺さった。
「――内臓攻撃」
肉を、骨を、そして内臓を直接破壊する、凄まじい衝撃。
フローレンスが手を引き抜くと同時に、男は声も上げられずに絶命し、その場に崩れ落ちた。
「ひ、悲鳴すら上げさせずに……!? 化け物め、殺せ! 殺せェ!」
残された男たちが、パニックに陥りながら一斉に個性を解放する。
炎の嵐、鋭い岩石の弾幕、空間を歪める衝撃波。
倉庫内が、色とりどりの破壊のエネルギーで満たされる。
だが、フローレンスは笑っていた。
その美しい唇を吊り上げ、愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。
彼女のステップは、まるでダンスのようだった。
炎の隙間をすり抜け、岩石の軌道をわずかな首の傾きでかわす。
超能力でも、瞬間移動でもない。
ただの、圧倒的な認識力と身体制御。
敵の予備動作、視線の動き、空気の振動――そのすべてを啓蒙によって異なる深さで捉え、攻撃が成立する瞬間を、攻撃した本人より先に知っているかのように動いているのだ。
彼らは派手な威力を誇っていた。倉庫の床を砕き、鉄骨を歪ませ、炎で空気を焦がすだけの力なら、たしかに一般のヒーローを足止めする程度の価値はあっただろう。だが、攻撃の起こりにある肩の硬直、踏み込みの浅さ、恐怖で乱れた呼吸、そのすべてがフローレンスの眼前では醜い解剖図となって晒されている。彼女はその線を読むたびに、あまりの幼稚さに笑みを深めた。自分を殺せると信じて力を振るう姿は、見下ろすにはなかなか愉快な余興だった。
ガシャリ!
仕込み杖が変形し、刃の鞭となって空間を薙いだ。
一度の払いで、三人のヴィランの首筋が同時に切り裂かれる。
「ガッ……、あ……」
血飛沫が舞う。
その鮮血を浴びながら、フローレンスはさらに速度を上げた。
彼女の体に、敵の反撃によるかすり傷がいくつか刻まれる。
だが、彼女は退かない。痛みは彼女を止める警鐘ではなく、さらに踏み込むべき距離を知らせる合図だった。返り血が頬と腕を濡らした瞬間、失われた熱が身体の奥へ戻り、傷口の疼きすら狩りのリズムへ組み込まれていく。
これこそがリゲイン。
傷を負ったから下がるのではなく、傷を負ったからこそ前へ出る。血の神秘と戦意が肉体を押し戻し、痛みさえ獲物へ近づく足場に変える、狩人だけが持つ歪んだ生存の作法。
「アハハッ! 素晴らしい! もっと私を愉しませろ、獣ども!」
倉庫の中に、彼女の鈴の鳴るような笑い声と、肉を切り裂く肉声だけが響き渡る。
それは戦闘ではなく、ただの一方的な駆除であった。
数分後。
倉庫の床は、十人のヴィランから流れた血の海と化していた。
その中心に、いくつかの裂傷を赤く濡らしながら、それでも損なわれた様子など微塵も見せずに立つフローレンス。
彼女は乱れた髪を指で梳き、頬に跳ねた血を親指で拭った。赤は白い肌の上でよく映える。美しいものは、血を浴びてもなお美しいのだと、彼女は当然の事実を再確認するように微笑んだ。狩りの成果よりも、その後に残る静寂の方が好ましい。獣が鳴き止み、世界が本来あるべき序列を思い出す、その短い間だけは、この騒がしい社会も少しは見られるものになる。
その様子を、物陰から見ていた公安の観測員は、恐怖のあまり奥歯をガタガタと鳴らしていた。
彼が手にした記録用カメラには、返り血を浴び、傷を負うほど前へ出る、美しくもおぞましい狩人の姿が、鮮明に記録されていた。