ブラボ×ヒロアカ   作:ブラボクロス増えろ

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特権階級の獣

 法とは、弱者を守るための盾ではない。

 強者が己の支配を維持し、弱者を合法的に搾取するための檻である。

 フローレンスは、この世界の法というシステムを、心底から軽蔑していた。

 

 もちろん、法を信じる者たちは善良な顔をしてそれを語る。裁判、証拠、手続き、権利、適正な処分。どれも人間が自分たちの脆さを隠すために飾り立てた言葉であり、彼女から見れば磨かれた銀食器の上に腐肉を並べているようなものだった。獣が目の前で牙を剥いているのに、まず牙の本数を記録し、噛まれた者の証言能力を疑い、噛まれた傷の採取手順に不備があったなどと騒ぐ。その滑稽さは、いっそ芸術的ですらあった。

 

 神楽木。

 有力政治家の息子であるその男は、まさにその法の隙間を最大限に利用し、悪逆の限りを尽くしている本物の獣であった。

 

 彼の趣味は、極めて凄惨だった。

 父親の権力と、自らの持つ他者の精神を麻痺させる個性を使い、若い女性を拉致。

 山奥の私有地にある豪華な別荘に監禁し、数日間にわたって性的暴行をくわえて、いたぶり殺害する。

 これまでに犠牲になった女性は、判明しているだけでも二桁に上る。

 

 彼は衝動だけで動く愚鈍な怪物ではなかった。むしろ厄介なことに、神楽木は己の安全圏を理解している。被害者の選び方、移動経路、監視カメラの死角、協力者への金の流し方、警察内部にいる父の息のかかった者たちの使いどころ。そのすべてを把握した上で、彼は遊びとして人間を壊していた。力を持つ者が、さらに制度を盾にして獲物を選ぶ。その姑息さこそが、フローレンスの目には醜く、同時に狩り甲斐のある腐敗として映る。

 

 被害者の遺族たちは、当然のように警察に訴え出た。

 だが、その訴えが日の目を見ることはなかった。

 

「証拠不十分だ。これ以上の捜査はできない」

 

 警察の上層部は、神楽木の父親からの強烈な政治的圧力を受け、捜査資料を次々と破棄。

 押収されたはずの決定的な証拠品も、手続き上の不備という都合の良い理由で、裁判の証拠から除外された。

 

 正義感に燃える若き捜査官が、単独で神楽木に迫ろうとしたこともあった。

 だが、その捜査官は翌日、突如として地方の閑職へと更迭され、二度と捜査に関わることを許されなかった。

 

「なぜだ……! あいつが犯人なのは分かっているのに!

なぜ、誰もあいつを逮捕できないんだ!」

 

 絶望に打ちひしがれ、涙を流す遺族たち。

 彼らの嘆きは、この社会の制度的限界という冷たい壁に遮られ、誰にも届くことはない。

 

 廊下で泣き崩れる母親を、担当者は見ないふりで通り過ぎた。机に拳を叩きつけた父親は、威力業務妨害の可能性を示唆され、娘の死を訴える前に自分の逮捕を心配させられた。若い捜査官たちは歯を食いしばり、上司は目を逸らし、記者たちは政治部からの圧力に記事を薄めた。誰もが少しずつ屈し、少しずつ責任を隣へ押しつける。その積み重ねが一人の獣に餌場を与えているのだから、この社会は自分で自分の喉を差し出しているようなものだった。

 

 神楽木は、その様子を安全な高みの見物として、嘲笑っていた。

 

「ハハハ! バカな虫ケラどもが。

法律ってのはな、俺たちみたいな選ばれた人間を守るためにあるんだよ。

お前らみたいな底辺が、いくら泣き叫ぼうが、俺の爪一枚にも触れることはできないんだ」

 

 彼は今日も、山奥の別荘で、私的に雇った強力な武装ヴィランたちを配備し、次の獲物を品定めしていた。

 彼ら武装ヴィランは、金で雇われた忠実な猟犬。

 個人の私兵としては、破格の戦力だった。

 

 別荘の周囲には複数の監視網が敷かれていた。森の獣道には振動感知の個性を持つ男が立ち、門の内側には硬化の個性を売り物にする巨漢が待機し、二階の窓辺には重力操作で侵入者を地面へ叩き落とす射撃手が配置されている。さらに、父親の秘書が用意した偽装会社の警備契約書まで揃っていた。表向きは合法、実態は私兵。神楽木はそういう二枚舌を好み、自分の悪意が社会の書式で守られていることに酔っていた。

 

 だが、彼らは気づいていなかった。

 その鉄壁の守りも、国家の枠組みを超えた本物の狩人の前には、濡れた紙ほどの価値もないということに。

 

 雨の降る深夜。

 神楽木の別荘を取り囲む深い森の中に、一つの影が立っていた。

 

 フローレンス。

 彼女の銀色の瞳は、雨の幕を透かして、別荘の構造、そしてそこに配置されたヴィランたちの配置を完璧に把握していた。

 

「……羊の鳴き声が、ここまで聞こえてくるな」

 

 彼女は、被害者遺族たちの嘆きを羊の鳴き声と表現した。

 彼女にとって、彼らの悲劇に同情する余地はない。

 ただ、その悲劇を生み出した神楽木という獣が、今夜の獲物であるという事実だけが、彼女を興奮させていた。

 

 冷たい、と誰かが言うかもしれない。だが、同情で死人は戻らず、涙で獣の牙は抜けない。フローレンスは慰めの言葉を吐くほど下品ではなかったし、救済者のふりをするほど退屈でもなかった。彼女が与えるものは、ただ一つ。獣に相応しい終わりである。泣く者がいようが、祈る者がいようが、世界がその処理を正義と呼ぼうが暗殺と呼ぼうが、彼女の評価は変わらない。今夜の狩場は整い、獲物は檻の中で己を王だと信じている。その事実だけで十分だった。

 

「法で裁けぬのなら、私が裁く。

いや、裁くなどという高尚なものではないな。

私はただ、不快な獣を駆除するだけだ」

 

 ガシャリ、と仕込み杖の金属音が、雨音に紛れて響く。

 

 別荘の豪華な一室では、神楽木が新たな拉致被害者である、縛り上げられた少女を前にして、狂気の笑みを浮かべていた。

 

「さあ、始めようか。君はどれくらい耐えられるかな?」

 

 少女は声を出せなかった。精神を麻痺させる個性の残滓が舌と喉を鈍らせ、恐怖だけが目の奥で暴れている。神楽木はその沈黙を服従と取り違え、ますます上機嫌になった。抵抗できない者を前にした時だけ強者の顔をする男。自分より弱い者の苦痛を、権力の証明だと思い込む男。その背中を窓越しに見据えながら、フローレンスは獲物の質を最終確認するように、銀の瞳を細めていた。

 

 この程度の小物が裁けずに肥え太るのなら、やはり人間の制度など欠陥品でしかない。

 

 彼が手を伸ばしたその瞬間。

 背後の窓の外、夜の森から、一筋の銀の影が、猛烈な速度で接近していた。

 

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