女狩人がヒロアカ世界の公安に所属して獣を狩る話 作:ブラボクロス増えろ
黒い帽子の鍔が上がり、高い襟と首布の影が浅く退いた瞬間、崩落した天井から差し込む月光と、別荘の非常照明の青白い光が、フローレンスの横顔を照らし出した。
オールマイトは息を呑んだ。
そこに現れたのは、言葉を失うほどに美しく、同時に近づきがたい少女だった。腰まで届く白金の髪は、血と粉塵に汚れた部屋の中でなお光を失わず、帽子の影からこぼれて、細い絹糸のように肩へ流れる。染み一つない白い肌、整った小鼻、薄い桜色の唇。人形めいた造形でありながら、ただ飾られるために作られたものではない。黒衣の狩装束に包まれているからこそ、その白さはなお異様に際立ち、見る者に、これは自分たちと同じ場所へ立っている存在ではないと悟らせる、冷たい完成度があった。
何よりも異質なのは、その瞳だった。
銀色の瞳は、少女らしい不安も、罪を問われた者の怯えも映していない。自らの美しさと力を当然のものとして受け入れ、他者の価値を値踏みする側に立つ者の目だ。そこには傲慢がある。だが、虚勢はない。自分が優れていると信じているのではなく、優れているという事実を疑っていない者の静けさがあった。
「君は……」
オールマイトの脳裏に、ヒーロービルボード関係者向け資料の一頁が浮かぶ。順位、仮個性名、最低限の活動実績だけが記載され、顔写真も所属事務所も空欄に近い奇妙な項目。だが、ビルボード上位に名を連ねながらメディアへ一切姿を見せない、異様な若年ヒーローの名前だけは記憶にあった。
「君は、ビルボードTOP20の……月狩、なのか……!?」
「そう呼ばれているようね。この世界の人間は、物事に名前をつけたがる。そうしなければ、己の狭い認識の中に物事を収めることができないからでしょう」
フローレンスの声は冷淡だった。名乗りに誇りを持つでもなく、隠していた正体を暴かれた焦りもない。月狩という名さえ、周囲と社会が勝手に貼った札に過ぎないのだと、声音そのものが語っていた。
「君はプロヒーローでありながら……このような、血生臭い殺害を行っていたというのか!?」
オールマイトの声には怒りと失望が混じった。
プロヒーローは人々に夢と希望を与える存在でなければならない。少なくとも彼はそう信じてきた。どれほど醜悪な犯罪者が相手であっても、司法の手続きを飛び越え、秘密裏に命を奪うことは、ヒーロー社会の根幹を腐らせる行為である。表で笑顔を振りまき、裏で血を流す。それを許してしまえば、ヒーローとヴィランの境界は曖昧になる。
「おい、こいつはヒーローなんだろ!? だったら、早くこいつを逮捕しろよ!」
神楽木がオールマイトの背後から勝ち誇ったように声を上げた。
自分を襲ったのが国に認められたヒーローであると知った瞬間、彼の卑屈な頭脳は再び動き出していた。権力の言葉、被害者の顔、手続きの穴、報道の歪め方。命乞いで縮んでいた獣が、法の影に隠れられると見た途端、また腐った知恵を取り戻したのだ。
「こいつは俺を殺そうとしたんだ! 大量の死体を見てみろ! こいつはただの、血に飢えた殺人鬼だ! 俺は被害者なんだよ!」
喚き声が部屋に響く。
フローレンスは眉一つ動かさなかった。彼女にとって、神楽木の声は、檻の中で牙を隠そうとする獣の鳴き声に過ぎない。法という布を被れば人間に戻れると思っている。その浅ましさが、むしろ彼女の判断をより強固にしていた。
「なぜ、君はこのようなことをするんだ?」
オールマイトはフローレンスへ問いかけた。
その目には敵意だけではなく、救い手としての苦悩があった。これほど若い姿の少女が、なぜここまで血の中に立っていられるのか。なぜ人を殺すことに揺れず、助けを求める者の涙にも動かないのか。彼は答えを求めていた。たとえ答えが、自分の信じる正義と相容れないものであっても。
「お前たちの言うルールや正義など、私には何の意味もない」
フローレンスは、さも当然のこととして言った。
「私はただ、私の狩りをしているだけだ。この男、神楽木はすでに人間の皮を被った獣だ。それを駆除することに、何の躊躇がある? お前たちの言う法とやらは、この獣が他者の肉を喰らうのを、ただ黙って見ているだけではないか」
その時、右耳の奥で微かな振動が走った。
長官からの通信だった。オールマイトの前でこれ以上フローレンス個人の思想だけを語らせれば、事件は月狩という一人の異常なヒーローの暴走として処理されかねない。だが、公安が完全に背後へ隠れたままでは、平和の象徴はなおさら月狩を犯罪者として拘束しようとするだろう。長官はその危険を読んだ。読み、そして自分たちの影を、必要最低限だけ光の下へ出すことを選んだ。
『月狩、誤解を避けるため、所属を明かせ。君が公安委員会の管理下にある正規プロヒーローであり、今回の現場が独断ではないことを伝えろ』
フローレンスはほんのわずかに目を細めた。
面倒な話だった。彼女にとって、自分がどこの組織の札を貼られているかなど、狩りの本質には何の関係もない。獣がいて、牙を剥き、血を吸い、腐った権力の巣に隠れている。ならば狩る。それで十分であり、人間どもが好む所属、権限、責任の所在など、死体の上に並べる紙片ほどの価値もない。
だが、長官の命令は現時点の効率と矛盾していなかった。オールマイトに自分だけを犯罪者として扱わせるより、公安という名の面倒な檻を前に出した方が、少なくとも神楽木を守る光の動きを鈍らせることはできる。フローレンスは不愉快そうに息を吐き、まるで靴裏についた泥を告げるような声音で言った。
「……長官が、余計な誤解を避けろと言っている」
オールマイトの眉が、わずかに動いた。
「長官……?」
「私は公安委員会の管理下に置かれた正規プロヒーロー、月狩。今回の件も、少なくともお前たちが好む書類上では、私一人の気まぐれではないそうよ。満足したかしら?」
投げやりな告白だった。
そこには組織への忠誠も、任務への誇りもない。自分を縛るために人間どもが作った首輪の名を、仕方なく読み上げただけである。むしろ、その言い方の冷淡さが、オールマイトにとっては何より不気味だった。彼女は公安に利用されている少女なのか。それとも、公安という組織の方が、この少女の狩りに形だけの名札を貼っているだけなのか。その境界が、血の臭いの中でひどく曖昧に揺れた。
「それでも、法は守られねばならない。そうでなければ、社会は崩壊する!」
「崩壊すればいい」
即答だった。
オールマイトは言葉を失った。彼女は反抗しているのではない。社会に失望しているのでもない。そもそも、その社会を自分と同じ高さにあるものとして見ていない。人間が作った法、人間が掲げる正義、人間が積み上げた信頼。そのすべてを、彼女は下から聞こえる騒音のように扱っている。
フローレンスは、自分がこの下等な世界の規則より上に立つことを疑っていなかった。
それは幼い虚勢ではない。自惚れというにはあまりにも静かで、信仰というにはあまりにも自分本位だった。彼女の美しさは、その傲慢さによってさらに鋭く際立つ。白い肌、銀の瞳、血に濡れた床。どれもが、彼女を人間社会の外側に立つ異端として浮かび上がらせていた。
オールマイトは彼女を救うべきか、止めるべきか、その境界を一瞬見失った。彼女はヴィランではない。少なくとも、私欲のために人を傷つける神楽木のような存在ではない。だが、だからこそ危険だった。自分の行いを悪だと認めていない者は、怒りや欲望で動く者よりもずっと止めづらい。彼女の中では、狩りはすでに正当化を必要としない自然な行為になっている。
オールマイトは背後の神楽木を庇ったまま、深く息を吸った。
彼にとって神楽木は救うべき善人ではない。裁かれるべき犯罪者だ。だが、それでも裁きは刃で終わらせるものではない。醜悪な相手だからこそ、手続きに乗せなければならない。そうしなければ、明日には別の誰かが、自分の正義を掲げて別の誰かを殺すだろう。
フローレンスはその逡巡すら退屈そうに眺めていた。
獣を檻へ入れる。それで牙が抜けると思っている。人間とは本当に、無駄に美しい言葉で無駄な手順を飾る生き物だ。彼女の銀眼には、そうした侮蔑がはっきりと宿っていた。
神楽木は二人の会話を聞きながら、少しずつ息を整えていた。オールマイトが法を語れば語るほど、自分はその法の内側へ戻れるのだと理解したからだ。被害者の名も、失われた証拠も、父が握る議員たちの弱みも、彼の頭の中では再び使える札として並び始めている。その浅ましい計算を、フローレンスは見逃さなかった。彼の瞳の奥で獣が笑った瞬間、彼女の指先がわずかに動いた。
だが、オールマイトの背中はまだそこにある。あの光が獣の前に立ち続ける限り、刃は届かない。フローレンスは初めて、目の前の男を単なる障害物以上のものとして認識した。愚かで、眩しく、無駄に強く、それでいて獣を守ることさえ己の正義に組み込んでしまう人間。理解はできない。だが、無視するには大きすぎる存在だった。